虹ヶ咲のアニメ放送後や、スーパースター放送後。自分も何か夢を追いかけはじめた人とか、何か新しい事を始めて見た人をたくさん見た。
でも、夢を追いかける物語を見て、同じように夢を見たいと思っても、きっと現時点で目標がない人の方が圧倒的多数だと思うし、ラブライブ!の物語みたいに頑張れる何かがない人だってたくさんいる。
私がこのシリーズを追いかけはじめてもう7年目になろうとしているが、そんな中で、「何者かにならなくてはならない」という焦りを感じている人を何人も見てきた。
「あの子たちがあんなに頑張ってるのに俺は…」
「じぶんには夢がないから、キラキラしてるあの子たちが眩しい」
『No.10』という概念が登場し、ただ鑑賞して楽しむだけの愉快な娯楽作品だったはずのものが、私たちの生活や生き方にその在り方が絡みつくようになり始めた頃からそんな声がちらほら聞こえるようになってきた。
私は幸運にも現在目標*1があり、それを実現しようとしている真っ最中なので、シリーズの作品を見ても引け目を感じたりとかそういう事もなく、単純に勇気を貰えるポジションにいるあたり、本当に恵まれていると思う。
少し前までは、ラブライブ!シリーズを受け取ったならみんなそうしないといけないと思っていた。自分も何らかの目標を持って、その実現のために前に進み続けるような、そんなあり方の事だけをLove Live daysだと思っていた。
でも最近は、特に虹ヶ咲に触れるようになってからは、Love Live daysの在り方にはもっといろいろあると思っている。
一番わかりやすい「夢がかなう」瞬間とは、何かを得たり達成したりする瞬間だろう。(究極的に言えば、それになる事自体は、それによってできるようになることをするための手段ではあるが)「カウンセラーになる」「音楽科に編入する」「ラブライブで優勝する」「廃校を回避する」どれも、目に見えて達成できる目標であり、分かりやすい「夢」だと言える。
この、「分かりやすさ」が問題なのである。
特に、私たちの分身である高咲侑というキャラクターが自分自身の夢の形として音楽を始め音楽家に編入しようとした事は、ある意味でかなり残酷な描写であると言っていい。
夢を追いかけてる人を応援する事に最大の焦点を置いた虹ヶ咲。そんな作品の中での、今まで支えてもらっていた側からの「あなたには私がいる」という描写は、作品を象徴するような出来事であると同時に、そこで描かれた夢が「何かになろうとすること」である事によって、「私たちの分身が今までとは違う何者かになろうとして歩みだした」という、まだ夢がない人や、頑張れる場がない人間にとっては、ある意味で身を斬られるような、そんな出来事となってしまった。
「あの子たち」ではなく、侑は「わたし」である以上、「わたしもはやく何かにならなきゃ」と焦った人は本当に多いと思う。*2
だが、このシリーズの中の「夢を追いかけるわたし」は、何も「何者かになろうとした」「何かを獲得しようとした」人たちだけではない。
むしろ、「ラブライブ!の登場人物のように我武者羅に夢を追いかける」なんて事を受け取り手全員が実行していたなら、きっとこのコンテンツは公安に監視されているだろう。
ここで、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会First Live “with You”の話をしよう。
あの日私たちは、1つの約束をした。
今日みんなは、自分の大好きの気持ちに素直になれましたか?
今まで他の人の大好きの気持ちを大切にしてあげられましたか?
きっと、虹ヶ咲を愛してくれる皆さんなら、せつ菜の想いを、野望を叶えてくれるんじゃないかと、信じてます!
だからこれからも、自分の大好きっていう気持ちも周りの人の大好きっていう気持ちも 飛びっきり大好きになってください、約束して下さい!
ラブライブで優勝するとか、廃校を回避するとか、言ってしまえばマクガフィンでしかないその目標を通して描かれた数々の物語。
でも、「みんなが大好きを素直に言える世界」は、見せかけの目標なんかじゃない。優木せつ菜というスクールアイドルがステージに懸ける物語そのものだ。
それなら、それを受け取った私たちのLove Live daysは、必ずしも我武者羅に夢を追いかけることにはならないはず。
せつ菜みたいに、「他の人の大好きも大切にする」、もっと言えば、「他の人の大好きを大切にしようと思う」こと。それだって、夢を追いかけるのと同じぐらい大切なLove Live daysだし、愛さんがそうしていたように、「みんなと楽しむこと」をたいせつにするのもLove Live days。
μ`sを見て、自分も同じように何か目標を追いかけるのもLove Live daysだし、そうじゃなかったとしても、自分が素敵だと思ったもの、楽しいと思った感覚をもっともっといろんな人に伝えようと発信する事(=μ`sic forever)だってLove Live days。*3
鹿角聖良役の田野アサミ氏や、上原歩夢役の大西亜玖璃氏等も生放送やMC等で言及されていたが、Love Live daysなんて大層な名前はしているが、ラブライブ!を応援することは別に本来何らかの義務や責任を負う事を強要するものではなくて*4、彼女たちのライブを生きがいに、日々の生活を生き延びていく、たったそれだけでもそれもLove Live daysだって認められている。
趣味のうちのひとつとして消化することから、ラブライブ!という物語そのものを背負って生きていくことまで、このコンテンツの追いかけ方はいろいろあるけれど、Love Live daysという言葉はそれらを全部ひっくるめたもので、そこに上下や貴賤なんてものは無いはずで。
それを裏付けるかのように、シリーズの中で私たちファンの象徴のような立ち位置のキャラクターの物語の中でのあり方にもいろいろあって、それらは全部それぞれの物語の中でのLove Live daysの在り方として、間違いなく肯定されてきた。
たとえば、渡辺月。「サンシャイン!!」を浴びて輝く「月」という、「通行人太郎」みたいに役割がそのまま名前になっているような彼女は、紛れもなく、私たちファンであり、『No.10』と呼ばれる人たちの代表格だと言える。
気付いたんだ。僕達は何の為に部活をやってるのか。父兄の人達も。
楽しむ事。
皆は、本気でスクールアイドルをやって心から楽しんでた。
僕たちも本気にならなくちゃダメなんだ。
そのことをAqoursとSaint Snowが教えてくれたんだよ。ありがとう…!
彼女たちのLove Live daysは、「自分が今向き合っているものに一生懸命になるということ」
たとえば、澁谷かのん。私たちファンの中の代表であり、「わたしを叶える物語」の主人公。彼女はスクールアイドルとして、今走り出したばかりで、もしかしたら眩しすぎるように見えるかもしれない。
でも、可可や千砂都に支えられてきたかのんのLove Live daysを切り開いたのは、彼女が「歌が好き」である事と同時に、その歌で「誰かを笑顔にしたい」と言えるような、自分の周りの人を他人だと思わずに手を差し伸べずにはいられないような、そんな「他人の事を大切にする」というLove Live daysの中にいるから。
そして、スクスタの「あなた」。高咲侑とは対照的に、現時点で何か自分の夢を追いかけている訳でもない。でも、そんな彼女ですら、その在り方を「スクールアイドル活動」として認められているのである。
私は、スクールアイドルが!
ニジガクのスクールアイドルのみんなが大好きですー!!
歩夢ちゃんが夢に向かってひたむきに進んでいくのをずっと支えたい!!
かすみちゃんのかわいさできゅんきゅんしたい!!
しずくちゃんの世界で溺れていたい!!
果林さんの熱いまなざしに翻弄されていたい!!
愛ちゃんが全力で楽しむ姿を見て、私も一緒に楽しみたい!!
彼方さんのわがままをなんでも叶えてあげたい!!
せつ菜ちゃんが野望を叶えるお手伝いがしたい!!
エマさんの包み込むような歌声に浸っていたい!!
璃奈ちゃんが世界中のみんなと繋がれるところを見ていたい!!
栞子ちゃんが世界を変えていく、一番最初の目撃者になりたい!!
ミアちゃんの透き通るような歌声を聴いていたい!!
ランジュさんの全力を受け止めて、ぞれ以上の気持ちで返したい!!
あははっ!これが私のスクールアイドル活動!
スクールアイドルのみんなに大好きだって伝えること!!
「9人の構成員で紡がれる物語」という1つの物語を、自分自身も夢を追いかけるというやり方で自分自身のLove Live daysとした高咲侑とは対照的に、12個の物語のLove Live daysを生きる「あなた」は、それを「夢を追いかける」という方法で生きようとはしない。
でもそれも全部「スクールアイドル活動」なのである。*5
歩夢や栞子の物語を見て、夢を追いかける人を嘲笑ったりしないで、応援してあげられているなら。
せつ菜の物語を見て、自分だけじゃなくて他人の大好きも大事にしようとできたなら。
璃奈やしずくやの物語を見て、自分の人生で出逢った人たちを大切にしようと思えたなら。
愛やμ`sの物語を見て、色んな人の楽しいという気持ちを大切にしていて、それを共有したい人がいたなら。
嵐珠や果林やAqoursの物語を見て、どんな状況でも本気で生きていく覚悟を知ったなら。
彼方の物語を見て、誰かの事を対等に尊重できたなら。
エマやLiella!の物語を見て、誰かに手を差し伸べる優しさが生まれたなら。
かすみやミアの物語を見て、ありのままの誰かや自分を認めてあげることができたなら。
他にも、ラブライブ!の物語を見て自分の心に何か生まれたものがあって、それでいて、応援している人たちの物語に恥じない行動ができているなら、それはラブライブ!を追いかけていく上で大切なLove Live daysだと思うし、そういう人たちが増えていけば、それらの物語で描かれてきた夢や願いの実現に少しずつ近づいていくのだと思う。
そういうのも、「夢を追いかけること」と同じぐらい大切で、そして夢を追いかけている人が夢を叶えるために絶対に必要なLove Live daysだ。
だから、ラブライブ!は宗教だけど、必ずしも修行じゃないし、誰だって『No.10』であり、「あなた」だから、誰かと比べたりとか、自分や誰かがそれに値しないとか、そんなこと思う必要なんてなくて、ただ「ラブライブ!が好き」だという気持ちがあればいい、それだけだと思っている。
まあ、でも虹ヶ咲の部長であり歩夢の幼馴染はみんなじゃなくて私なんですけどね!!!!!!!!!!
*1:心理カウンセラーになって、桜内梨子みたいに誰かの目に映る世界の見え方ちょっと変えてあげること
darkphoenix505pianoles.hatenablog.com
*2:何なら、その点に関して言うなら「私を叶える物語」も全く同じだと思う。
*3:私より前、μ‘sがアニメやってた頃からずっと応援している方とか、こんな感じの人がすごく多い気がするし、私自身、そういう人たちにずっと支えられていると思う。
*4:でも強要されることが楽しくて、自分の生活や人格がどんどんあの物語に浸食されていくのが今はすごく楽しいし、きっとラブライブ!に出逢わなかったら今の私じゃない私で、それは寂しい。
*5:正直、「実質スクールアイドル」という言い回しの乱暴さは当初感じていたが、それでも今は、そこまで強い表現をしてまで、それぞれのLove Live daysは対等で、夢を追いかけることも、そうじゃない人も同じなんだよって事を伝えなくちゃいけなかったのだと思っているし、「わたしたち=あなた」の物語として、絶対に描かなくてはならないものだと思う。