#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

鈴原希実はラブライブ!キャストの最高傑作である。

 5thライブを見て感動したので言語化してみました。

 

 

 私のスパスタの推しは桜小路きな子なんですけど、今回のライブでのステージの上での鈴原希実さんの桜小路きな子としての表現が、今までにないレベルでハイレベルなもので、これは後世に記録として残さなきゃ!と思いました。

 

 

 

弱さの自覚

 

 まず、鈴原さんのパフォーマンスの特徴として、周囲と比較して劣っている部分を工夫で埋め合わせている部分が多く見られます。

 例えば、2期生だけで登壇している時に顕著なのですが、4人の中で彼女は特に小柄です。また、経験者である大熊若菜さんや絵森彩さんと並んだとき、どうしても差がついているように見えてしまいます。

 

 でも、実際のパフォーマンスでは、動きに緩急を付けることで対応し、結果として4人が揃って見えるようになっています。

 どういうことかというと、基本的にダンスの動きをコンパクトなものをベースにしているということです。

 

 『Blooming Dance!Dance!』などが分かりやすいのですが、あからさまな見せ場となっている箇所以外の鈴原さんのダンスを、他のメンバーと比較して見てみると、少し小さめに動いていることが分かります。腕を回すところで、腕を上げきっていなかったり、足を開くところで開き切っていなかったりと、動きに少し余裕も持たせているんですね。

 そうすることでどうなるかというと、見せ場で動きを大きくしたときに、その動きが実際よりも勢いがついて見えるんですね。

 「その手を握って 飛び込んだ世界」の箇所が特に分かりやすくて、左手を伸ばした後に上から右手を重ねる振り付けがあるのですが、左手を出すまでの一連の動きを小さめに、以降の動きを大きく踊ることで、動きに勢いが付く上に、「右手を伸ばす」という動きが特に強調されて見えるようになっています。

 

 こうした緩急に対する意識は4th後半から随所に見えて、例えば『Dancing Raspberry』のラスサビ前のソロパートでは、他のメンバーが声を張ってパフォーマンスする中、鈴原さんは声のトーンを落としています。 

 決め顔であることから、意図して落とすという選択をしていることが分かりますね。

 結果として、他のメンバーの見せ場が強調され、曲自体の完成度に大きく貢献している部分なのですが、5thではこうした役割意識がさらに洗練されていたように思います。

 5thの福岡公演までは、きな子の「ドキドキしてるんだ」のパートはずっと低いトーンで歌われていましたが、東京公演では「るんだ」で語尾が上がる形にアレンジが加わっていました。

 これによって何が起こったかというと、きな子と同じく抑えるパートであり、なおかつ抑えている時の声を比較した時にきな子と比較して少し高めの声質の千砂都のパートが、きな子の語尾と比較して低い場所から入ることにより、千砂都パートがいつも以上に抑えられているように聴こえるようになっています。

 福岡公演で不甲斐ないパフォーマンスをしたと涙を流していた岬なこさんのリベンジの場でもあるので、そうした場でのパスの出し方として完璧すぎて、見ていて鳥肌が立ったのを覚えています。

 

 で、これらのことがパフォーマーとしてすごいよね~って話はあるんですけど、今回大事なのはそこではなくて、こうしたパフォーマンスのやり方が、Liella!の桜小路きな子の生き様と強烈に重なるものだということです。

 セクションタイトルにもありますが、きな子は自分の未熟さを自覚しているキャラです。

 例えば、アニメでは明確に自分が1期生と比較して劣っていることを認める台詞が他出しています。9話『勝利のために』ですみれから指摘を受けたときも、真っ先に「そうっすよね」と発言しており、指摘される前から自覚があったことが伺えます。

 そして、その回では、最初は1期生に託して身を引く選択をしたことから、できることとできないことを自分の中で線引きしており、できないならできないなりにできることを全うするという面があることも分かります。(できないけどやらない選択肢がなくなったら無謀でも挑むところも魅力なのですが、それは後述)

 後輩であるマルガレーテや冬毬を手本としていることからも、自分の弱さを受け入れることができるキャラクターであることが伺えますが、弱さを受け入れているが故に、弱いなりの工夫で周りにしっかりと追いついている姿に、鈴原希実さんのきな子らしさが垣間見えます。

 

 また、この弱さの自覚に関してもうひとつ付け加えるなら、鈴原さんはこの「弱いなりの工夫」が上手いというのも欠かせないポイントです。

 なぜなら、鈴原希実さんはオタク出身。私たちの側の人間だからです。

 

 似た例だと虹ヶ咲の法元明菜さんや蓮ノ空の花宮初奈さんがいるのですが、彼女らも強火のオタクで全身ラブライブ!人間なので、ブログ書いたり読んだりとか歌詞考察とかするタイプのキャラの解像度が高い人たちです。

 それ故に、「このキャラクターの何が魅力なのか」を理解しており、キャラクターを演じる上で、「成りきる」ことと「キャラクターを見せる」ことを使い分けることができます。この人たちの特徴として、常に100の力でパフォーマンスをするのではなく、50と150を使い分けることが挙げられます。

 

 例えば、法元明菜さんは『5201314』のとき、バックダンサーと被る部分や見せ場ではないところでは、よく見ると脱力していたりします。逆に、決めるべきところではフル以上のパワーをぶつけてくるので、曲とキャラクターを理解した上で、それをどのように演じれば魅力的に見えるかを考えてパフォーマンスをしていることが分かります。

 それはみんなそうじゃない?って思うと思うんですけど、逆に逢田梨香子さんや大西亜玖璃さんはパフォーマンス中は「こうみせればこの子が魅力的に見える」よりも「この子はこう考える」というタイプだと言えます。

 前者はキャラクターのいわば最強の「あなた」であり、後者は「キャラ本人」であることに近いと思いますが、鈴原さんのタイプである前者にはオタクが向いているため、その中でも特に強火な彼女は本当に完成度が高いなと思います。

 

 

 ライブとは別の話になるのですが、スクフェス2のイベントストーリーで、学校説明会できな子が生徒代表としてスピーチをするエピソードがあり、それについて鈴原さんはこんなコメントを残しています。

 

 

 発想が最強のオタクすぎる。

 虹ヶ咲のアニメで高咲侑というキャラクターが生まれた時、じゃあ「あなた」である自分は高咲侑なので侑と同じ気持ちになろう!という発想になる経験をしてきたので、すごく分かるなーとなるのと共に、スクフェス2みたいに、現在の段階で「Liella!の意志を継ぐ次世代のホープはきな子」っていう、結ばれる想いというスパスタの学校に込められたテーマを大事にしてる強火の全身ラブライブ!スーパースター!!人間なのが垣間見えてすごいなあと思いました。

 このエピソードがヤバいエピソードなんだって思って取りこぼさないのって、結構オタクレベル高いと思うんですよね。キャラ個人というよりも、学校とか歴史とかそういうライト層が触らないようなテーマなので、流石に目の付け所がシャープです。

 

 自分の弱さを自覚して、弱いなりに「緩急」という武器で補うという姿が桜小路きな子というキャラクターの生き様と重なり、しかも彼女がオタクであり、きな子の最強の「あなた」であるが故にどう緩急を付けるかという点の選球眼が鋭いという点が、「きな子らしさ」と「鈴原希実の強み」がベストマッチであるのですが、特にこの5thでもさらに磨かれていたなと感じました。

 

 

強気、大胆さ

 

むさぷら、揺らすっすよ

 

 ここまで、きな子及び鈴原さんの「弱さ」に対する向き合い方に対して触れてきましたが、きな子を語るうえでこの「強気」な部分も外すことはできません。

 

 今回披露された『START!! True dreams』で、きな子の担当は2番の

どんなことも出来そうだ

己惚れちゃえ

前向き 笑顔で負けない

 の中の「己惚れちゃえ 前向き」の部分だったように、「できること」や「できそうなこと」に対してはかなり強気です。

 

 ソロ曲の『ビギナーズRock!』では、間違いを恐れず好奇心のままに挑戦しようとする姿が表現されており、実際ロックと言いながら衣装は「シャー”ロック”ホームズ」を思わせる探偵衣装だったり、Tシャツをビリビリに破いたりと、おそらくロックミュージックではないことをしています。

 アニメでも4話『科学室のふたり』で千砂都が部長になる際、「他の先輩では頼りない」と発言しており、8話『Chance Way』では生徒会書記に就任していました。

 これらのことから、こうした代表のような立場について「先輩達では頼りない」「自分にはできる」という認識でいることがわかるため、ある意味では「己惚れ」「自信家」な一面も持ち合わせていると言えます。

 

 またアニメ2話『2年生と1年生』では、Liella!に加入した後に彼女たちが自分が思っていたよりもスーパースターだったことを知ったのですが、ここで4話で四季とメイが加入するまできな子がスクールアイドルを辞めずに続けたことも、彼女の大胆さを顕著に表しています。

 スターの中にひとり入っていくことになり、そして「1年生が自分ひとりになったとしても着いていく」という覚悟を見せられること、マルガレーテに負けて、敗因が自分になると思っていてもなお「Liella!を辞めたほうがいいのかな」みたいに迷うことなく、当たり前のように『Go!! リスタート』で「結ヶ丘のスーパースター」として舞台に立つことができることも、きな子の強みであり、魅力だと思います。

 できることとか、やりたいこと、やると決めたことに対しては、びっくりするぐらい強気で、すごく大胆なんですよね。

 

 こうした、自分の長所ややりたいことに対して強気で大胆な一面は、鈴原さんにも共通するポイントなんですけど、ここのポイントは、それがきな子を演じることによって獲得したものであることです。

 3rdのMCで、「自分は生きている意味がない」ぐらいに思っていて、ステージに立つまでそう思っていたとコメントしていましたが、逆に言えば、それは「自己評価が恐ろしいぐらいに低いにもかかわらず舞台に立ってパフォーマンスができる」ということでもあります。

 当たり前のように思えますが、この作品の主人公はプレッシャーでステージ上で歌えなかった人間です。だからこそ、「どんな酷いメンタルでも歌える」というのは、明確に彼女の長所であり、強みだと思います。

 

 そして、そんなボロボロのメンタルだった彼女は、ファンミーティングから4thを通してきな子を演じ続ける中で、ステージの上で強気になることができるようになりました。

 どういうことかというと、4th最初の方の公演までは、自分のパフォーマンスにあまり自信を持てず、卑下するようなコメントが多かったのですが、初回で息切れしてしまった『ビギナーズRock!』を完成させてからはあまりそうした様子は見られず、むしろ強気なコメントが多くなっています。

 以降のライブでも、カメラや観客の視線を自分から集めに行くようなファンサが非常に多くなり、意識に大きな変化が生まれたことが分かります。特に目の開け方が少し大きくなっているように、パフォーマンス中の表情にも大きく変化があることから、かなり自信が付いたことが伺えます。

 先述の緩急をつけることについてもこの時期からのものなので、そうした面もこの大胆で強気なパフォーマンスに影響を及ぼしている事も想像できます。

 

 こうしたことから、鈴原さんがステージの上で大胆で強気であるのは、最初からそうだったのではなく、「桜小路きな子を演じる上でキャラに似てきた」要素であると言えます。

 キャスティングの段階で素質を見抜いていたからこそこの設定になっているのか、本当にきな子に似たのかは分かりませんが、いずれにせよ、きな子を演じる中できな子の長所と言える部分を獲得しているのは個人的に熱いポイントです。

 

言葉に依存しないのに言葉が巧み

 幕間では、作詞をするきな子に対し、恋から

 

言葉に囚われすぎなくてもよいと思いますよ

私たちの表現したい楽しさや嬉しさが

みなさんと共有できる楽曲になればよいのかなと思います

 

とのアドバイスを受け、『FANTASTiC』を完成させていましたが、アニメでのきな子の描写やこうした幕間映像から、きな子は言葉に依存したキャラクターではないことが分かります。

 どういうことかというと、言葉をあくまでも「表現手段のうちのひとつ」だと捉え、表現においてすべてを言葉で語り尽くす必要がないキャラクターだということです。

 この手のキャラは特に作曲担当に多く、スパスタでは以前に記事にしたように恋が該当するのですが、作詞という言葉の力を担当するキャラクターがこの特徴を持っているのは、非常に興味深く、そしてきな子を語るうえで外せないポイントです。

 

darkphoenix505pianoles.hatenablog.com

 

 1期生のかのんは言葉の力に長けたキャラクターですが、逆に言えば言葉に依存している部分もあるため、「語り尽くせない」「語らない方が美しい」事柄と相性が悪いと言えます。

 似たキャラクターでサンシャイン!!の高海千歌がおり、「語らない方が美しい」ことを「語る」のではなく「詩」にできるという特徴を持っているのですが、少なくとも2期時点でのかのんはまだそのレベルには達していない印象があります。

 どうしてもかのんはすべてを語りきろうとしてしまうので、演説・説明チックになってしまうことが特徴として挙げられ、言葉に依存した作詞キャラでありながら、言葉の力はまだ伸びしろがある印象です。

 

 それに対して、きな子も伸びしろこそあるものの、かのんとは違い、「語り尽くさない」選択をできるキャラクターであることから、言語に対してかのんほど依存している感はありません。

 2期では8話で書記になったとき、かのんは動機を語ってから副会長になったのに対し、きな子はそうした描写はありませんでした。

 しかし、(かのんがそうだからきな子も同じ理由だと読み取れる、というのは少しズルいですが)2話で恋に対して「好きなことを頑張り続けていれば想いは伝わる」と説いていたことや、4話で「恋先輩は生徒会ありますし、残りの先輩だと部長の候補はだいぶ限られるかと」と発言している事から、少なくとも恋には尊敬の念を抱いていることから、動機はある程度察せるようになっています。

 また、9話ではすみれに想いを託す時、言葉ではなく歌という選択をしていることから、きな子は「語り尽くさない」選択ができると共に、語る際に言葉以外の手段を選択できるキャラクターであることが分かります。

 

 実際、今回の幕間でも、きな子の歌詞の元になったのはそれぞれの言葉ではなく、言葉になる前の感情そのものだったのですが、これは「表現の方法がたまたま言葉だった」だけで、それを自分のものとして表現する過程で必ずしも言葉を挟む必要がなかったことを意味します。

 分かりづらいので図にしてみましょう。

 

 

 与えられた言葉から膨らませて作詞をするという点において似たようなシチュエーションで、『Tiny Stars』の作詞シーンがありますが、それを図にすると

 

 エクスポート保存が面倒でパワポスクショがバレるオタク

 

 こんな感じになります。真ん中で言葉が媒介になっているのが分かりますね。

 

 それに対して、きな子はこんな感じです。

 

 

 この図を見てもらえるとわかると思うんですけど、ここではきな子がたまたま作詞担当だから言葉を使っているだけで、仮にその出力先が詩でなかった場合は、その過程で一切言語を使わなくても成立してしまうことが分かります。

 気持ちに対して『Snow halation』とか『Brightest Melody』と名付けた先輩がいるように、きな子は『FANTASTiC』と名付けてこの歌詞を仕上げたことからも、作詞担当としてはかのんの後釜なのですが、その感性自体は恋に近いことが分かりますね。

 

 

 

 鈴原さんに話を戻すと、ライブ中や普段の活動含めて、表現手段を選べる人だなという印象があります。

 例えば、「大好き」という気持ちを伝えることと、「大好き」って言うことって別ですし、なんなら「大嫌い」という言葉で「大好き」が伝わることだってあるんですけど、そうした手段の選択が、意図してかはともかく結果としてしっかりきな子が好きな人に刺さるものとなっています。

 

 

 強気で大胆なことがきな子の魅力である事は、たぶん推しなら誰でも分かってることだと思う(よね?)ので、ライブでつよつよな姿を見せてくれてることって、例えばMCで「私はきな子がめちゃくちゃ好きで~」って言われるより、想いの強さが伝わるんですよね。

 

 個人的な話をすると、MCは答え合わせ程度に思っていて、パフォーマンスで感じてたキャラクターやキャストの感情を、これ合ってるよねって確認できる場として聞いています。

 ラブライブ!のテーマとして、言葉では語り尽くせないものも、歌なら言葉以上に伝わるというものは全てのシリーズで取り扱われてきたもので、また脚本家の花田十輝先生は「ラブライブ!の曲は必殺技」と発言しています。

 フェス系のイベントでAqoursが『DREAMY COLOR』で登壇する度になぜか場の空気がちょっと荘厳なものになって、「なんか格がちがうやべーの出てきたんだけど!」ってなるのも、その辿ってきた道のりの「過酷さ」や、その中で何度も傷つきながらも笑顔を絶やさなかったその「運命を自分を構成するものとして受け入れる愛」が、言葉や文字以上にリアリティを持って迫ってきたからなんだと思います。

 初見で歌詞もメンバーもストーリーも知らなくても、あのレベルになるとオーラとパフォーマンスと演出だけでハートの部分は伝わるものなんですね。

 

 じゃあMC要らないって言いたいのかって言われるとそういう話ではないんですけど、少なくとも自分はMC聞きに行っている感はないかな~という立ち位置というアレです。ここは、言葉が好きな人とかいるので、善悪とかではないんですけど。

 

 

 …という立ち位置だったんですけど、先ほど述べた通り、きな子は表現を言語に依存してはいないけれど、一応言語に関わるキャラクターです。

 「多くを語らず行動する」ことや、「語るのではなく歌う」という選択肢を取れるキャラクターであると同時に、「言葉で語る」ことにもそれなりに意味のあるキャラクターでもあります。

 だから、基本的にその表現には「語る」時と「語らない」時の2パターンがあると思っていたんですけど、5thライブではまさかの第3の選択肢である「語らずして語る」を繰り出されて、嘘だろマジか!!!と横転することとなりました。

 だからこそ、今までMCを答え合わせ程度にしか思っていなかったんですけど、MCも立派な表現手段なのだと分からされてしまい、認識にだいぶ変化が生まれました。

 

 確かに、蓮ノ空の藤島慈が引退した先輩である大賀美沙知から「トークが上手い」と評されるように、ラブライブ!においてトークも立派な表現だったな…とか反省しています。

 

 

 まず、DAY2のMCでは、1年前は自己評価が低く自信がないままステージに立ち続けていたものの、メンバーやファンに支えられ今は笑顔でステージに立つことができることについてコメントしました。

 話自体は鈴原さん本人の話ではあるものの、先述したように、その裏には他メンバーにきな子が並ぶ姿を演じるためのとてつもない努力と、そして努力してもなお埋めることのできない差を埋めるために別アプローチでの工夫があり、それは比較的目に見える形でパフォーマンスに現れています。

 先述したように、特に鈴原さんは他の人との差別化を図ったり、差を埋めるための工夫が多いのですが、だからこそ努力していることをわざわざ発信しなくても誰だって彼女が努力していることが分かるため、もしかしたらちょっとだけおいしいポジションといえるかもしれません。言わない努力がいちばんかっこいいですからね。

 

 また、当然ですが「メンバーやファンに支えられた」ことはとても大事な要因ですが、それだけで「笑顔でステージに立てる」わけではない(けれど、話している側は努力を隠すから、それだけで立てるって言います。)ので、ここについては、「メンバーやファンに支えられた」ことが、きな子としてのパフォーマンスを磨く原動力となり、努力ができたからこそ、それが実って「笑顔でステージに」立てたということになります。

 

 また、きな子の特徴として人の影響を受けやすいというものがあります。

 ソロ曲でメイが「流されたくないよ」と歌っているのに対し、きな子が人波に乗ることを肯定していたりするのがいちばん分かりやすく、また他シリーズだと梨子に見られるような「会えなかったら今の私じゃない」という運命愛的な要素も強いため、「頑張れた」ことを「みんなのおかげ」だと繋げるのも、とてもきな子っぽさがあります。

 

 「きな子のことを伝える」ことと「きな子の話をする」ことは別、という発想がきな子っぽいよねということについては先ほど述べた通りですが、この「文面はきな子の話じゃない」のに「きな子の話だね~」という受け取り方ができる感じが、すごく「桜小路きな子の表現」だなと思いました。

 

 結びの「スーパーきな子」になる宣言も、きな子の強気で大胆なところと、「まだスーパーきな子ではない」という弱さを理解しているところが顕著に現れているきな子らしい宣言で、またその宣言が誰のためなのかを考えたときに「きな子のため」「Liella!のため」そして「ファンのため」であることは明白なので、虹ヶ咲の6thの小泉萌香さんのように、この一言だけですべてを語らずとも語り尽くしている感があり、大満足だったのですが、本番はここからでした。

 

 

 先ほど、きな子は言葉に囚われない作詞担当で、表現手段を選択できるキャラクターだと言いました。

 で、これがポイントで、似たようなキャラだと高海千歌がいるんですけど、千歌は表現手段が言葉しかない(=言葉以外の要素を他者に頼っているとか、穂乃果に勝っているポイントとか、大事な要素です)のに対し、きな子は別にそうでもないため、きな子が作詞である理由って意外と薄いのかなって思っていたんですね。

 なんなら、先述の理由から、きな子が作曲でも成立はしますし。

 

 

 そんな状況で、鈴原希実さんが「きな子の武器は言葉である」という表現になってしまうような凄まじい爆弾を投下しました。

 前日もMCパートで披露したんですけど、なんかあのしんみりした話の後にツンデレ後輩バレンタイン劇場が始まりました。

 

 ここのポイントが3つぐらいあるので順に追っていくと、まずは単純に「話の技術」が披露されたということです。

 DAY1でもシチュエーションは違えど同じことをしていたので、正直「DAY2もやるんだろうな」という予測もあり、普通にやれば2日目の火力はDAY1より低かったはずです。

 しかし、ここで彼女の話術が光ります。しんみりした話から続けてこの展開に持って行ったんですね。するとどうなるのでしょう?やっている事は同じなのに、1日目の初見の印象とは全然違う、「この流れでこれやんの!?」という衝撃が生まれるんですね。

 これは、話のネタとか内容とかじゃなくて、話の繋げ方で生まれているもので、「話術」と呼べるものだと思いますし、DAY2の彼女の真髄はここが繋がってしまった事によるありえないぐらいの温度差だと思うのですが、これを「言葉を扱うキャラの担当キャスト」がやるからこそ、そのキャラクターが「言葉を扱う理由」が生まれるんですよね。

 どういうことかというと、鈴原希実さんの話術が巧みなことに対して、「きな子」だからという理由が生まれるということです。

 「言葉を操るキャラクター」担当が、MCで「話術」を見せていることで、これがラブライブ!的な見せ物、スクールアイドルを見せる芸術になってるんですね。そんなことある?

 

 

 ふたつ目のポイントは、鈴原さんがこんな凄まじい温度差の繋ぎ方をしてしまうことが、とてつもなくきな子っぽいということです。

 まず、しんみりした後に、スーパーきな子宣言で盛り上がった空気でバレンタインをぶち込むのが、ものすごく大胆だし、これをどうしても押しとおすんだという強気なところが、アニメやパフォーマンスで何度も見てきた姿と重なるうえに、このあざと可愛い感じで人を狂わせると分かっているところもきな子すぎます。

 自己分析ができて、自分の足りないところが分かっているからこそ、逆に自分が武器にすべきところや、自分にできることが分かっていて、それを一生懸命果たそうとする姿は、きな子推しならずっとずっと見てきた姿です。

 

 

 

 そして最後のポイントが最重要ポイントなのですが、これがきな子として演技しているわけではないということです。

 どういうことかというと、これだけ「きな子じゃん!」と思わせておいて、別にこれはきな子の演技でもなんでもないということです。

 これって、逆に言えば、「きな子を演じていなくてもきな子を感じさせることができる」ということです。

 

 先ほど「気持ちを伝えること」と「気持ちを言葉にすること」は別だと言いましたが、演技についても同様です。

 しずくのキズナエピソードでは、「演技とは動きを真似することではない」というテーマが描かれ、しずくは「人物として生きることが演技」という答えに辿り着きました。

 

 では、「人物として生きること」の中に、「その役にはないこと」があったらどうなるでしょうか?

 例えば、きな子は鎌倉時代の人間ではありません。

 では、鎌倉時代では桜小路きな子は生きていけないのでしょうか?

 

 そうじゃありませんよね。きな子の気持ちになれば、きな子が「鎌倉時代だったら何を考えるのか」が分かりますし、それはきっと「強気」で「大胆」だったり、「弱さを自覚」しているものかもしれません。

 「表現に囚われない」のかもしれませんし、「出会いに影響されて」いるのかもしれません。

 そうした決断は、絶対他の誰でもない「きな子」のものなんだと思います。

 

 そして、今回の鈴原さんのMCのそのパートが、まさにその集大成だったんですよね。

 きな子役としてきな子を表現することに関して「きな子の演技をする」ことに囚われず、「弱さを自覚している」からこそ獲得した自分の強みを活かし、温度差で戸惑うぐらい驚愕のタイミングでも「大胆に」押しとおし、そしてそれが絶対に受け入れられるという「強気」な姿勢で。

 しかも、それが明確に、きな子というキャラクターとの「出会いに影響されて」獲得したものなんですよね。

 

 

 きな子じゃないことをやってるのにこんなにも「きな子だ!」って思わせてくるようで、本当に衝撃でした。

 MCそのものよりも、そのMCをするということから、彼女の人格が他のキャストとは比べ物にならないレベルできな子に近いことが判明していることが重要なんですよね。

 なぜなら、この一幕によって、彼女が「きな子を演じてる」とかそんなレベルを超えて、「きな子の人生を生きている」ということが分かったからです。

 

 ただでさえ、パフォーマーとして「きな子らしい努力」をして、その結果パフォーマンスがめちゃくちゃきな子らしくなっているのに、その上で「きな子ではないとき」の素の人格に、「きな子との出会い」が大きく影響を与えているんです。

 もっと言えば、それは「きな子から背中を押してもらった」とかそういう「他者」としての人格ではなく、自分自身の人格がきな子に近くなるという形での影響であり、そしてそれは間違いなく彼女がきな子役として努力した結果獲得したものなんですよね。

 

 さらに言えば、これらの要素は、全部きな子の魅力として挙げられるポイントです。きな子推しに、きな子が好きな理由を聞いたときに出てくる理由を列挙したら、だいたいこれに当てはまると思います。タブンネ

 

 しかも、「出逢った人間から影響されて自分が変わる」という点までが「きな子らしい」要素だと言えるので、本当に全身桜小路きな子人間なんですよね。

 

 これが、人格の一部分だったらまあ他のキャストにもいますし、例えばソロ活動のなかでの発言にちょっとだけ担当の子の影響を感じることがあるんですけど、こんなにも要素が多くて、しかも精度が高い人は流石に他にいません。

 流石に見えている世界、感性だとか、語彙とか生き方まで近いなって人はそうそういないんですけど、鈴原さんに関しては「言葉に依存しない」世界観で物事を捉えることができる人間でありながら、言葉も巧みに操ることができますし、「そういう感性の人間」が「きな子に近付いていく」事自体がきな子らしいので、本当に隙がありません。

 

 今まででも近い人はいたんですけど、「近くなった経緯」までがキャラクターらしいかと言われると、元から持っていたものなんじゃないかなと思う人も多くて、結局鈴原さんが「桜小路きな子を生きている」という点ではいちばん近いなって思うんですよね。

 強いていうなら大西亜玖璃さんが近いと思うんですけど、上原歩夢ちゃんの人生を生きるということは「あなた」と運命を共にするということですが、大西亜玖璃さんはまだ幼馴染の「あなた」である私と結婚していないので、「キャラクターを生きる」という事については鈴原さんには及びません。

 

 このように、「きな子を生きる」という点において、鈴原希実さんは、ラブライブ!キャストの中でも異常なぐらいきな子らしい生き方をしているんですね。

 

 

 これを、ラブライブ!キャスト最高傑作と言わないなら何と言えばいいのでしょうか?私には「全身桜小路きな子人間」以外の語彙が思いつきません。

 

 

まとめ

 まず、鈴原希実さんの人格は、本当にきな子に近いものなのですが、それは

 

・きな子が他者からの影響を受けやすいように、鈴原さんがきな子の人格に似てきた

 

 という「きな子らしい」経緯で獲得したものであり、そしてその人格とは

 

・自分自身の弱点を自覚し、その弱点を埋めて仲間に追いつくための努力の仕方が、「きな子のように」弱いなりに頭を使って工夫するというものだということ

・自分の強みとなるところや、やりたいと思ったことに対してはかなり強気で、己惚れと形容されるレベルで大胆であること

・気持ちを表現し伝えることにおいて、言葉に囚われずに最適な手段を選ぶことができると共に、言葉を使うにしてもその言葉を巧みに操ることができること

 

 というものとなっています。

 

 そして、それが「きな子を演じていないとき」ですらその人格であることは、他のキャストと比較しても稀なものであり、そして、そんな「きな子を生きている」鈴原希実さんはラブライブ!キャストの最高傑作だと思います。

 彼女の人格と生き様はこれでもかというほど桜小路きな子というキャラクターの魅力を表現しており、その芸術としてのレベルはラブライブ!シリーズ内でも間違いなく最上位に位置すると思います。

 

 

 

 そんな鈴原希実さんがこれから作り上げていく「スーパーきな子」の姿が、本当に楽しみです。