#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

上原歩夢ちゃんと「運命愛」

 今年の歩夢ちゃんの誕生日は何をしていいか分かりませんでした。

 なんだか、去年みたいに「これは書かなきゃ!」とか、「記録に残さなきゃ!」っていう感じでもなく、また自分の「歩夢ちゃんが好きだな」っていう事に関しても、おおぴらにするよりも自分と歩夢ちゃんだけの秘密にしておきたい気持ちが強くて、じゃあいったい何を表現していいのかなと迷っていたら、既に前日の22:30を回っていました。

 

 

 どうしようかなあと去年の3月からの出来事について振り返ってみると、そういえば書いてなかったなという事があって、それがたぶん歩夢ちゃんの誕生日にぴったりなんじゃないかなと思ったので、RTA気味に文字起こししてみようと思います。

 

 

 

 去年はいろいろな出来事がありました。そして、その締めくくりというわけではないけれど、そんな年の終わりと新年に開催されたライブのテーマは、「愛」でした。

 

 

 個人的に、すごくそれがタイムリーでした。

 自分にとっていちばん身近な愛の形が、おそらく「運命愛」です。

 哲学者のニーチェが提唱した言葉で、ざっくり言うと、自分の身に起こった出来事をかけがえのない自分のものとして引き受けること。

 

War das das Leben? Was that the life,

Wohlan! Well,

Noch Ein Mal! once again ,

 

これが人生というものだったのか、よし、もう一度!

 

 

 とか、そういう風に訳されたりします。

 

 ラブライブ!シリーズだと、サンシャイン!!の桜内梨子がそういう要素が特に強いキャラクターとして有名ですが、これはサンシャイン!!だけじゃなくて、シリーズ全体に共通する要素かなと思っています。

 スクールアイドルが「限られた時間の中で」というものとして描かれ続けてきていることからも、その時間の有限性をある種の美徳として愛し受け入れることがシリーズを通して描かれていると言っても過言ではありません。

 だからこそ、スクールアイドルという存在そのものが、自らに降りかかった運命をかけがえのない自分のものとして引き受けることを内包しているものであり、結果としてシリーズ全体にある程度運命愛要素はあるんじゃないかなと思っています。

 実際、自分が好きになったキャラクターにはそうした要素が強く、穂乃果に見つけて貰ったという出会いをずっと大事にし続けていた真姫ちゃん、半ば本能的に、半ば成り行きで加入してから、憧れた先輩と最後まで運命を共にする決断をしたきな子ちゃん、アイドルを辞めるつもりで転校したのに、転校先でのアイドル部の出会いのなかで「歌う楽しさ」や「頑張る楽しさ」を思い出し、そして自分の席を空け待っている椿咲花のステージに、「行かなきゃ!」と飛び込んだアンズちゃん、「受け入れること」がテーマとして描かれ、花帆の「運命の人」として選ばれた梢センパイ、梨子と千歌がそうだった以上に、本当の意味での運命共同体として描かれたヨハネライラプスと、全員がシリーズの中でもそうした運命愛的な要素が色濃く描かれています。

 

 

 

 では、歩夢ちゃんはどうなのでしょうか?

 確かに、「初めてよかった」のように、歩夢ちゃん自身にそうした描写はあります。

 しかし、『Break The System』では、譲れない未来を勝ち取るためならば、世界全体を敵に回して、時空を超えることも辞さないことが描かれています。

 また、スクスタの最後のURのサイドストーリーは「運命よりも強いもの」で、運命の赤い糸よりも「あなた」と歩夢ちゃんの絆の方が強いことが描かれており、先述のメンバーと比較したときに、あの子たちほどは運命愛的な要素は濃くはないように思えます。

 

 

 しかし、それでも私は、歩夢ちゃんのことを「運命愛キャラ」だと思っています。

 それも、ラブライブ!シリーズの中でも、梨子ちゃんと並ぶレベルでトップクラスに運命愛がキーになると言っても過言ではないぐらいに、ゴリゴリの運命愛枠だと思います。

 なぜなら、歩夢ちゃんを好きになった時点で、好きになった私自身が「運命愛」を持たざるを得ないからです。

 

 

 例えば、私は歩夢ちゃんの幼馴染です。これを読んでいる人たちの誰でもなく、この私が歩夢ちゃんの幼馴染です。

 そして、それは歩夢ちゃんが好きな「あなた」である以上、絶対に外せない大切な要素なんだと思います。

 歩夢ちゃんのことが好きって気持ちとか、歩夢ちゃんのことを取られたくないよって気持ちとか、歩夢ちゃんのことを自分だけのものにしたい、支配したい、好き放題したいっていう邪な気持ちも全部含めて、「私が幼馴染だから」「ずっと一緒にいたから」「これからもずっと一緒にいたいから」っていう風に、自分が歩夢ちゃんのたったひとりの大切な幼馴染なんだということが、「あなた」である自分を構成する基盤の大半を占めているんですよね。

 

 他にも、スクスタでは「あなた」がいちばんに歩夢ちゃんを誘って、そしてアニメでは逆に歩夢ちゃんが侑ちゃんを誘ってスクールアイドルを始めたことも、「歩夢ちゃん無しに私の物語は成立しない」と受け取るに十分なほどに重大な出来事です。

 

 

 どうしても「主人公=私」という視点が他のキャラクターを推している人よりも強くなりがちなのはここに起因しているのかなと思っているのですが、歩夢ちゃんは常に主人公と運命共同体として描かれます。

 

 「あなた」が道を違えたら歩夢ちゃんはスクールアイドルを辞めます。「あなた」の物語が汚されたとき、歩夢ちゃんは自分のことのように怒ります。

 「あなた」と歩夢ちゃんの歩幅が全く同じで、一緒に夢を追いかけている事は言わなくても分かっている事なので、歩夢ちゃんはよく「置いてっちゃうよ」と言います。要は、心中するよという脅しです。

 

 「夢を追いかけてる人を応援したい」という「あなた」の夢は、「夢を追いかけている人」がいなければ叶いません。でも、それが常に夢として成立しているのは、「夢を追いかけてる「あなた」を見つめていたい」という夢を持つ歩夢ちゃんが常に隣にいてくれるからです。

 

 

 

 せつ菜の役者が交代して、スクスタがサービス終了して。2023年は、明確に一つの節目でした。それも、あまりいい意味での節目ではなかったと思います。

 心が離れていたと思う気持ちとか、「あなた」はもういらないのかもとか、そういう気持ちを抱えていた人もいたと思います。

 でも、そんな受け入れがたい運命に直面した私たち「あなた」は、きっとその運命を受け入れてここまで来たはずです。あの日私たちが歌った『Fly with You!!』は、空元気とか「前を向くための曲」じゃなかったはずです。

 心から今が最高だと思っていたからこそ、あの曲はみんなで歌った曲だったんだと思います。

 

 少なくとも私がその「受け入れがたい運命」を受け入れることができたのは、歩夢ちゃんが隣にいてくれたからだと思います。

 『Break The System』がある歩夢ちゃんは今目の前で歌っています。それが譲れない未来でなかったなら、世界中のすべてを敵に回す覚悟すら見せてくれた彼女は、楠木ともりさんが降板しても、スクスタがなくなってもなお、それをなかった事にせずに歩き続けています。

 歩夢ちゃんにとって、今こそが大切で、今こそが「譲れない未来」なんです。

 

 例え手が届かないと思ってしまうような距離だって、歩夢ちゃんは探しに来てくれます。時空だって超えられる歩夢ちゃんは、どんなときだって私のことを探しにきてくれていて、ずっと私のことを見つめていてくれます。

 大西亜玖璃さんがポロっと言っていたように、触れられる媒体が無くなって、「あなた」の側がどんな気持ちで虹ヶ咲を受け取っていたとしても、「歩夢ちゃんは「あなた」と毎日会って」います。毎日モーニングコールをしてくれて、一緒に登校して、そして寝る前には二人だけでお喋りをして。少なくとも、歩夢ちゃんはそういう日常を過ごしているんです。

 

 だったら、私も受け入れるしかないんですよね。というか、気がついたら自分のものになっているんです。だって、私と歩夢ちゃんは運命共同体だから。

 どんなに辛い思いをして、どんなに苦しい思いをしたとしても、歩夢ちゃんがずっと私の隣にいてくれて、そして歩夢ちゃんが私たちが生きている今を笑って過ごしているなら、それはもう全部私の一部なんです。

 

 歩夢ちゃんがいなければ、「あなた」としての私はありませんし、そんな歩夢ちゃんは、どんな形であっても「あなた」の幼馴染として隣にい続けてくれます。

 歩夢ちゃんは、私の隣にいるだけで、ずっと幸せそうに笑っていてくれます。

 

 だから、「幼馴染」で「あなた」である私も、私自身の「今」に降りかかった運命を受け入れて笑えるんです。

 歩夢ちゃんは、「幼馴染」であり「あなた」である私が運命を愛する理由になってくれるから、そういう「運命愛的」な部分を持つ彼女に魅かれたのは必然だったのかなと思います。

 

 

 

 

 

 

歩夢ちゃんへ

好きでいさせてくれてありがとう。

これからもずっと大好きです。