#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

葉月恋は嫌われる人。だから魅力的。

 このタイミングだろうなって思って書きました。

 

 Liella!3rdの千秋楽を配信で参加したんですけど、すごく面白かったです。

 前半のきな子加入の一連の楽曲のパワフルさ、マルガレーテのド迫力のパフォーマンス、中盤の2期生葛藤パート、そして『Sing!Shine!Smile!』から『未来の音が聴こえる』までのラブライブ!覇者の圧巻の流れ。

 ラブライブ!のライブってこうだよな!というような、物語を背負った凄まじいコンテクストのステージに、終始興奮していました。

 

 さて、普段ぼくMCについて全然言及しないんですよね。

 MCで語られるキャストの心情や感想って、全部パフォーマンスに落とし込まれているはずのものなので、本来そこで言葉として初めて受け取るのって観客としては野暮だよね、強いオタクになりたいならパフォーマンスから汲み取るべきものだよね、みたいな信条があります。

 シリーズの推しが言葉以外の手段での表現に長けている子に偏っているのも、たぶんそんなところが影響しているのかな。

 

 とはいえ、別に全く聞いてないわけじゃなくて、いつもパフォーマンス見て思ったことの答え合わせぐらいの気持ちで聞いているんですが、今回はみんなの反応的に直接触れてみようかなって思いました。

 

 とりあえず、アーカイブからMC全文を抜擢しておきます。

 めっちゃ、「てつがくのドンカラス」っぽくないって思いながらやってます。

 

改めまして、本日会場にお越しくださったみなさん。

そして、配信で参加してくださっているあなた。

本当にありがとうございました。

 

こうやって、みなさんの声援を頂けて本当に嬉しいんですけども、

一番最初のコールアンドレスポンスあるじゃないですか。

私、あの時にみなさんが「葉月恋」ってみなさんが言ってくださるのが本当に嬉しくて。

実は、1stライブツアーの時には、みなさんの声出せなかったじゃないですか。

ちょっとそれにホッとしてる自分がいたんですよ。

もちろん皆さんからの応援の言葉とか色々聞きたいんですけど、

1stライブツアーをやってる最中は、私は「葉月恋」って言ってもらえるのかなって、すごい不安だったんですね。

 

TVアニメ1期、ラブライブ!スーパースター!!1期のアフレコの一番最初の時に

私がスタジオに入って、恋ちゃんはこういう風にやってみようねって感じでいろいろ教えていただいたんですけれども、

その時に、『葉月恋はラブライブ!シリーズを応援してくださってる方全員に嫌われる人でいて欲しい』っていう事を言われて

私その場で何も言えなくなってしまって。

あれっ、恋ちゃんってそういう感じなんだ、私はてっきり可愛くて

もちろん厳しいところもあるけど、みんなに愛されるような子なのかなって思ってアフレコ現場に行ったら

そうじゃないっていう風に聞かされて

もうなんか「あっ……はい」しか言えなかったんですね。

 

それでTVアニメが始まって、もちろん最初から恋ちゃんが好きだって言ってくださる方もたくさんいてくださったんですけど

その8話の加入前までは「恋ちゃんいらない」とか「好きじゃない」とかいう言葉をたくさん聞いて、目にして、

どうしたら恋ちゃんをみんなに好きになってもらえるかなっていうのをずっと考えながら1stライブツアーを回らせていただいてて。

 

だから1stライブツアーの時にはコールアンドレスポンスなくてよかったなって正直思ってました。

でも、今は「葉月恋」ってすごい心を込めて言ってくださる方に

恵まれて囲まれていて本当によかったなと思います。

本当にありがとうございます。

 

1stライブの目標として、TVアニメで見せられていない恋ちゃんの可愛いところを私が代わりにパフォーマンスで表現できるように頑張りたいってずーっと言ってきたんですけど、今はもう恋ちゃんに背中を押される側になっていて

みなさんもきっとね、『UR葉月恋』とかも見て、あ、変わったんだな、恋ちゃんいい子じゃんって、きっと心が変わった方もたくさんいらっしゃると思うので

葉月恋と青山なぎさ掛け合わせて、二人三脚でこれからも

もっといい恋ちゃんになっていきたいなと改めて思いました。

 

本当に今回のライブではじめてみなさんの声が聴けて、

そして「葉月恋」と全力で言ってもらえて本当に幸せです。

 

今後も恋ちゃんの名前いっぱい読んでもらえるように精いっぱい頑張ってまいりますので、これからもどうぞよろしくお願いします。

本日は本当にありがとうございました。

葉月恋役青山なぎさでした。

 

 

 これを聞いたとき、みなさんは何を思いましたか?

 いろいろなことを思った方がいたと思いますが、私は「やっぱりそうだよな!」とガッツポーズをしていました。

 

 葉月恋というキャラクターは最初からイレギュラーだったと思います。

 本来1人だったはずの一般公募枠の2人目としてキャスティングされ、「創立者の娘」「生徒会長」「主人公が不合格だった音楽科に在籍」といった属性がモリモリなキャラクターは、その時点で他4人とは格が違います。

 

 そして何より、彼女は「微熱」要素が非常に強いキャラクターであり、またこれが今回の話の核だと思います。

 なぜなら、この「微熱」はラブライブ!シリーズの中でずっと大切にされてきた考え方であると同時に、ラブライブ!スーパースター!!の作風とはある意味では相反する考え方ともいう事ができるからです。

 

 

 ここで、多くの人は、「微熱って何?」と首をかしげることになるかもしれません。

 むしろ、「微熱」が視聴者すべてに浸透している考え方であったなら、むしろ『澁谷かのんはラブライブ!シリーズを応援してくださってる方全員に嫌われる人になりえる』とすら言えるかもしれません。

 

 まずは、こちらをお聴きください。

music.apple.com

 

 イメージが掴めたらあなたは最強のラブライバーです。

 ……これだけで全員が全員微熱マスターになれたら、今頃スーパースター!!には恋推ししかいなくなってると思うので、もう少し詳しい説明をしてみます。

 

 

 無印ラブライブ!とサンシャイン!!のほぼすべての楽曲及び、他シリーズの要所で作詞を手掛けていらっしゃる畑亜貴先生が、先生の好きな概念に命名をされたものであり、公用語ではありませんが、ラブライブ!シリーズにおいては頻出する用語だと思います。

 

 結論から書くと、スーパースター!!用語でいえば、「まだ名もないキモチ」の事だと思います。

 自分の胸の中に何かよく分からないものがポッと産まれて、それが自分自身の行動に何らかの影響を与えようとしているんじゃないか……と気づき始めた状態、そんな感じの説明が妥当だと思います。

 

 

それは消えない熱さ (のっぴ.2022‐05‐16.『曖昧ペトリコール』)によると、

 

微熱の必要条件は、

・「素敵」と思う感覚で、「期待」に近い

・微熱とは、「切なさ」をはらむもの

・小さな胸の中で起こる、ゴールのない感覚

・土足で入られることで、自分の中の「素敵」が汚されることに対する恐怖がある

 

であり、その例として、Printempsの『Love marginal』について

「いつか結ばれてみたいな」って思うんだけれども、でもそれが勝手で残酷なことだって分かってる。

(中略)

だけど、心の中ではほんのちょっとだけ返り血を浴びても「結ばれたい」と思ってしまう自分がいて、それを恥じてる。

畑亜貴の「弱り目に祟られろ!レディオ」 Season3 023  より引用

との発言を挙げています。

 

 

 そして、葉月恋はその「微熱」的な描写が他のキャラクターと比較して圧倒的に多いキャラです。

 1期でも描かれたように、恋は本心をあまり明かしません。基本的に1人で抱え込むことが多く、恋自身もそれを良しとしている部分もありました。

 

 1期7話『決戦!生徒会長選』では、恋が本心を吐露したのは、かのんたちが家に押しかけてきて、話さざるを得ない状況になってからのことでした。

 また、1期8話『結ばれる想い』では、恋の心情はすべて彼女を理解しようと奮闘した澁谷かのんの手によって解き明かされることとなりました。

 そして、そうやってあまり心を開かない状態でも、そのような大切な気持ちをずっと愛しみ続けることができることは、『微熱のワルツ』でも触れられています。

 

いくつも眠れぬ夜

こえてやっと気付くの

ねえこのまますべていま

捧げるから受け取って

 

 また、2期7話『UR葉月恋』では、ゲームに熱中するあまり夜更かしをしていたことをメンバーに明かすのを恥じらうような描写がありました。

 ウィーン・マルガレーテに東京予選で勝利した直後にも、仲間と喜びを分かち合うのではなく、1人感嘆に耽っています。

 

 しかし、その秘められた想いの強さでは、他のキャラクターに圧倒的に差をつけているキャラクターでもあります。

 例えば、「学校が好きな気持ち」が、1期終盤から描かれるようになりました。この学校への愛情に関して、一番はっきりと言葉にしているのはかのんだと思います。しかし、いくらかのんが学校が好きであったとしても、亡き母の意志を継ぎずっと学校のためにひとりで頑張り続けた恋にその想いの強さで勝てるはずがありません。*1

 

 

 このような描写から、葉月恋は「微熱」的な要素が特に色濃いキャラクターであり、そして同時に、それは、ラブライブ!スーパースター!!の作風と相反する部分の多いキャラクターであるとも言い換えることができます。

 

 

 スーパースター!!の作風として、他シリーズよりも説明が多く、奥ゆかしい表現よりも分かりやすい表現が多用されていることが挙げられていると思います。

 例えば、曲だと『私のSymphony』で、こんな一節があります。

 

右手の小指と左手の小指をむすんで

自分に約束しよう

今日の気持ちずっと忘れないよ

 

 これって、すごく表現としてはくどいんですよね。

 まず、指と指を結ぶことは約束を意味するので、右手の小指と左手の小指を結ぶということは、説明しなくても自分と約束するのだということが分かります。

 また、結ぶ指なんて小指しかないので、「小指」ってわざわざ言わなくてもいいんですよね。

 そして、約束の内容は「今日の気持ちをずっと忘れないこと」ですが、まず、それまでの歌詞はすべて「今日の気持ち」とその根拠に該当するものです。そして、それがおどこまでも広がっていき、「今日の気持ち」が未来へ繋がることを祈っています。従って、その場合、今日の気持ちを忘れないことは、「祈り」「願い」を持っている場合明証的なものとなります。

 

 だから、この一節って、極論「右の指と左の指を結ぶよ」で意味が通る上に、「今日の気持ちずっと忘れない」という約束を、曲を聞いた人と心の中で共有するような奥ゆかしい形ではなく、はっきりと言葉にしてしまっているんですよね。

 

 『Shooting Voice!!』では、

ぱっと生まれては光る気持ち

口にしなきゃすぐに消えてしまうね

教えてほしい キミの声で

全部受け止めるよ 平気

と、ありますが、その口にしないことで消えてしまいそうにような気持ちが「微熱」であり、それを口にしないまま消えそうなまま愛おしむようなキャラクターが恋だとも言えます。

 

 アニメでも、すみれや恋の気持ちをかのんが代弁するような描写がとても多く見受けられました。物語も要所要所でかのんが気持ちを全員の前で言葉にすることで進行していく形を取り、心情を映像や劇伴に完全に託して駆け抜けるようなスピード感のある描写は、他の作品と比較しても少なかったように思われます。

 

 同じ花田十輝先生の作品でも、例えばサンシャイン!!1期11話『友情ヨーソロー』と2期6話『DEKKAIDOW!』を比較すると分かりやすいと思います。

 曜も夏美も、主人公がやってくる前には、自分の悩みを解決するために必要なもの自体は手に入れていました。

 曜は梨子から千歌の想いを聞き、『千歌ちゃんにとって、輝くと言うことは、自分ひとりじゃなくて、誰かと手を取り合い、みんなで一緒に輝くということなんだよね。』と言っているように、千歌にとって唯一背中を預けられる相手が自分であること自体はもう気づいており、*2それを心の底から実感するきっかけとして内浦から自転車で千歌が走ってきたことが描かれました。

 それに対して、夏美は夢を追いかけることの楽しさそのものは2期生での合宿の中で気づいています*3が、それを実感するまでには、かのんの説明が必要でした。

 

 

 このように、スーパースター!!の作風は、よく言えば丁寧、悪く言えば説明過多で野暮ったいものであると言えます。

 

 そして、これは、そのターゲット層に起因する描写だと思います。

 

 

 まず、これはシリーズ全体に言えることですが、ミア・テイラー、鐘嵐珠、唐可可といったキャラクターの存在があるように、今やラブライブ!は世界に発信される作品です。

 そして、世界にはたくさんの文化があります。そんな人たちの中に発信する中で必要なものって、万国共通の物差しなんですよね。

 

 例えば、かのんが「美しい」と発言するシーンと、桜が画面を覆いつくすシーンがあるとします。日本の文化基準においては、どちらも「美しい」を表現しているものであると言えます。

 ですが、海外に住んでいる人にとってはどうでしょう?桜を美しいと思える文化って、別に世界共通じゃないんです。

 桜を汚いと思う文化があるかもしれない。そもそも桜を知らないかもしれない。

 知っていたとしても、それが春の花だって知らないかもしれない。

 日本だけだったらもしかしたらそれでいいかもしれないけれど、世界中のすべての人が出逢いと別れに桜の花を結び付けて考えることなんてできないはずです。

 

 でも、「美しい」って説明してしまえば、それって万国共通の物差しになるんです。それは「beautiful」「Schön」「美丽的」と形が変わったとしても、より近しく共有しやすいものとして伝えることができます。

 

 

 また、この作品のターゲットがオタクだけではないことも挙げられます。

 NHKで日曜19時から放送していたこともあり、一般家庭や中学生、小学生、幼稚園児といった層に触れられやすい作品となっています。

 実際に私の周りでも、私がライブを理由に休みを取っていた結果、興味を持った同僚が小2の娘とと共にアニメを全話視聴していたといったようなことが起こっていたり、原宿で露骨にオタクが入らないような店舗とコラボしていたりと、明らかにオタク以外の層を対象に作品を展開していることが分かります。

 

 オタクはアニメを100回見るので、説明を劇伴や映像に託しても、なんやかんや描写を拾います。妄想や否定による補完に頼らず、よりたくさんの描写を拾えるオタクが「強いオタク」と崇め奉られるように、「直接的に説明をされていない部分を汲み取れること」は美徳とされます。

 「好きです」で好意を理解する人よりも、「月が綺麗ですね」で好意を察する人の方が、オタクの中ではカーストが高いはずです。

 

 でも、スーパースター!!のターゲットは、オタクだけじゃないんです。

 普通の人はアニメを100回見ません。アニメを100回見るようなオタクは普通の人ではありません。

 だから、1回の視聴で届けるべきものを届けきる必要があったんだと思います。

 

 

 

 そういう作風だからこそ、その作風と相反する「微熱」的要素の多い葉月恋は、

ラブライブ!シリーズを応援してくださってる方全員に嫌われる人でいて欲しい』

といった立ち位置になることは必然なんだと思います。

 

 だから、恋のことを「要らない」「嫌い」っていう気持ちって、私たちの中にあって当然のものなんですよね。だって、普通はアニメを1回しか見ないのに、その中で恋は全然喋んないし、全然何考えてるのかよく分からないから。

 好きになる要素なんて一見どこにもない?当たり前です。だって、1回見ただけじゃ分かんないんだから。

 

 

 じゃあ、なぜラブライブ!スーパースター!!に葉月恋というキャラクターが存在するのでしょうか???

 これが今回の本題ですが、ここまで読んできたみなさんはもう既に分かっている人も多いんじゃないでしょうか?

 

 そう、葉月恋は、「100回見て好きになる」ためのキャラクターであり、そして、スーパースター!!の1期生で唯一「奥ゆかしい」表現ができる「微熱」的キャラクターであることによって、アニメを100回見るオタクやラブライブ!シリーズを好きでい続けた人にクリティカルヒットするキャラクターであるからです。

 そして、葉月恋が存在する事によって、スーパースター!!はラブライブ!となっているからです。

 

 

 

 まず、1期で登場した葉月恋は青山なぎささんが言及していたように「嫌われ役」であったと思います。その要因は簡単。大切なことを話さないからです。

 1話から、可可がスクールアイドル部をしようとしていることを否定して掛かりますが、「なぜスクールアイドルがダメなのか」の本心は語りません。だから、視聴者が恋に寄り添える要素が無いんですね。

 でも、とりあえず主人公と敵対はしている。主人公は本心を語りストーリーを進行するから好感度が高い。じゃあその敵は嫌い。簡単なお話です。

 だから、この時点ではラブライブ!シリーズを応援している全員に嫌われて当然です。だって、スクールアイドルを否定してるんですから。

 

 でも、そこから恋の本心が明らかになって行ったときの反応は、人によって分かれるものだったと思います。確かに、恋はかのんのように言葉で自分の気持ちをはっきりとは口にしません。でも、それは言葉にしないだけです。

 

 例えば、表情。

 気づいていない人は今すぐにアニメをもう一周しましょう。

 いくらでも汲み取れるんですよね。

 例えば、1期6話『夢見ていた』で千砂都が「かのんの力になれないならここでダンスを続ける意味はない」との旨の発言をしたとき、恋が何かの覚悟を決めたような表情をみせていたり。

 

 1話でかのんと対峙している時は面倒そうな表情をしているのに対して、3話で『クーカー』をのぞき見している時の表情は柔らかいものだったりと、明確に心境の変化は描かれていたり。

 

 初見では分からないような、分かりやすい描写とは相反するような描き方であったとしても、オタクだったら、歴代シリーズを追い続けている人間だったら気づけるような部分に恋の気持ちは散りばめられていて、それを拾えば拾うほど、恋の気持ちが視聴者の私たちに伝わってくる、言葉以上に切実に、学校を想う彼女の気持ちが私たちに訴えかけてくる。

 

 こういう部分があるからこそ、オタクはアニメを周回するんですけど、比較的たくさんのことを澁谷かのんが説明してしまうこの作品において、噛めば噛むほど味が出るような、秘められている素敵なものに触れたくて探し当てたくなるような、そういう価値を付与してくれているのって、間違いなく葉月恋の存在だと思います。

 

 私は2014年から作品を追いかけている、そろそろ古参に相当するオタクで、最初にMCじゃなくてパフォーマンスで受け取るべきとかいう信条を語ったように、言語表現に依存しないラブライブ!シリーズの表現が好きすぎるタイプの重度のシリーズオタクなのですが、私がスーパースター!!で特に好きなエピソードは、1期8話『結ばれる想い』、2期2話『2年生と1年生』、2期7話『UR葉月恋』なのですが、その傾向からしても、葉月恋の影響が大部分を占めていることは明らかです。

 

 1期8話『結ばれる想い』で、恋の心情に寄り添うかのんのことも好きなんですけど、たぶんそれだけだったら、私は今ここまでこの作品を好きになってはいません。

 私が好きなのは、押し殺しきれなくなった想いが溢れる恋の姿と、「同じ場所で想いが繋がっていてほしい」との願いを聞いて、今まで対立してきた自分たちを恥じる生徒たちの描写と、そして何よりそんな想いが『wish song』として私たちに投げかけられることが本当に美しくて、感情を揺さぶって、そして染み渡るようにこころに入ってきたからです。

 他の話数も同様です。ありとあらゆる表現手段を総動員して、言外の意を駆使しながら表現として私たちに物語を届けてくる、そういうところが本当に好きなんです。

 

 そして、この作品において、そうした表現にはいつも葉月恋が関わっているんです。だって、彼女は「微熱」要素が強くて、そしてそこに存在していることそのものが文脈を持つほどに強烈な属性をいくつも持ち合わせているから。

 ともすれば平坦で淡白だったかもしれない物語も、葉月恋がそこに存在しているだけで一気にハイコンテクストで奥ゆかしいものに変化して、私のような面倒なオタクをも満足させるものにしてくれているんです。

 

 

 そして、ラブライブ!のライブって、そういう表現の極致として存在するんです。

 

言葉だけじゃ伝えきれないよ どうする?

こんなとき歌うよ歌うしかない

 

ユメを語る言葉より

ユメを語る歌にしよう

それならば今を伝えられる気がするから

 

言葉じゃ足りないから

歌に乗せるんだ

あなたに届いてほしいよ

Beating my heart 

 

 伝えたい想いがあって、でも言葉なんかじゃ簡単には伝わりきらないから、だからスクールアイドルは歌うんです。

 音に乗せて、表情に乗せて、衣装に、ダンスに、仲間に、あなたに。いろんなものにたくさんの気持ちを乗せて、必死に何かを伝えようとしてくる。

 それが、ラブライブ!におけるライブなんです。

 

 だから、ラブライブ!の物語って、言葉で簡単に言い表せられるものじゃないし、スクールアイドルの想いも簡単に説明なんてできません。

 もしかしたら、分かりやすく描かれているから、言葉で説明されるから、スーパースター!!の物語って言葉で簡単に説明できるんじゃないか、いちいちライブなんてしなくてもいいんじゃないかって思う人もいるかもしれません。

 でも、葉月恋がいるから違うんです。

 

 葉月恋がいるからこそ、ラブライブ!スーパースター!!の物語は、ライブによって必死に伝えるに値するような、「言葉だけじゃ伝わらない」ほどのものになっている。だからこそ、この作品は葉月恋がいることでラブライブ!になっているんです。

 

 

 例えば、2期10話『渋谷に響く音』でLiella!が何で勝ったのかって、はっきりと言葉では説明されていません。でも、もう分かりますよね。

 

 『エーデルシュタイン』の後に『Sing!Shine!Smile!』で登場したLiella!。

 言葉なんかで説明したら野暮です。そんなのラブライブ!じゃなくていい。

 ライブを見ましょう。アニメーションを、ライブでのパフォーマンスを見ましょう。それが全てです。

 より多くの人を味方につけたのはどちらでしたか?それが答えです。

 

 2期12話『私を叶える物語』では『未来の音が聴こえる』でLiella!は優勝しました。

 『未来は風のように』を始めとして、「風」は「未来」と結びつけられ、この作品のモチーフとして何度も登場しました。

 これ以上野暮な言葉は必要ありません。こんな説明すらも野暮かもしれません。Liella!がなぜ優勝したのかの理由なんて、「葉月恋の美しいポニーテールが風で揺れたから」で充分です。

 だって、「葉月恋」「風」だけでその描写は一気にハイコンテクストで美しくて説得力のあるものとなって、人の心に訴えかけてくるラブライブ!のライブになるから。

 そうでしょ?

 

 

 このように、葉月恋というキャラクターは、オタク向け、歴戦の猛者向けのキャラクターであると言えます。

 そして彼女の存在は、その性質上「ライブしなくても伝わるのでは?」となりかねないほど分かりやすく言葉で説明することの多いこの作品において、ライブをする意味を与えるものであるとも言えます。

 そして、そんな意味を付与するため「微熱」的な要素を色濃く持つ特性上、オタクではない人、アニメを1回程度しか見ない層や、奥ゆかしい描写を理解できない層と極端に相性が悪く、むしろ「極端に相性が悪いぐらいでなければその役割を全うできない」キャラクターであると言えます。

 

 

 

 ここまで書いてきて、私が主張したいのは、「別に嫌いでもいいじゃない」っていうことです。

 以上で述べたように、そもそも葉月恋は「嫌い」「要らない」と言われる程「微熱」要素に偏ったキャラクターでなければいけません。

 そして、人は皆誰しもオタクでなければいけない理由はありません。

 

 私はアニメを100回見たいから100回見るのであって、「この作品を見るなら100回見なければならない」なんてルールはありません。

 だから、別にアニメを1回流し見して葉月恋を嫌いだと思う人がいること自体は別におかしなことだと思いません。『UR葉月恋』をよく分からないと思っている人の方が多いと思います。

 でも、(もちろん、その発信の仕方にもよりますが)そうした気持ちを持つこと自体は絶対に間違ってないはずなんです。いや、間違っていたら困るんです。

 だって、葉月恋の想い、葉月恋の表現って、それが微熱だからこそ素敵なものだから、簡単にみんなに共有されてもらったら困るし、『UR葉月恋』を経てその微熱を内に留めるだけではなく外に出すコントロールができるようになった後も、それが簡単に分かるものじゃないから素敵なんです。

 

 葉月恋を嫌いだと思う人がいることは、葉月恋のことが大好きだと思うようなアニメを100回見たりする異常者の気持ちが嘘じゃない証だし、今そういう人たちがたくさんいて、葉月恋のコーレスで心を込めて名前を叫ぶ人がたくさんいることこそが、アニメを経るにつれて恋の心情や恋の表現にみんなが魅かれるようになり、青山なぎささんのパフォーマンスがそんな恋のハイコンテクストな表現が私たちにしっかり伝わっていることを何よりも証明しているんだと思います。

 

 

秋あかね 歌にいざよう 葉月恋 想いはいまだ 十六夜なり

 

 

 1期10話『チェケラ!』から産まれた恋のコール&レスポンス。

 ラブライブ!シリーズの自己紹介の中でいちばん完成されていると思うんですけど、この魅力が分かる人って、そんなにいないと思うんですよね。

 

 和歌を知っていて、古語を知っていて、知らなくても知ろうとして頑張って調べて、そういう人だけがこの良さを知ることができる特別感ってあると思います。

 

 そしてその特別感って、たぶん「みんな分かってないんだろうな」って気持ちが生み出していることって、たぶん間違いないんですよね。

 

 だから、それと同じで、恋の「好き」の特別感の中にも、みんなこの子のことなにも分かってないから「嫌い」なんだろうなっていう気持ちって絶対あると思うし、私はそれがなるべくしてなっているもの、そうならなければ成立しないものだと思っているから、その「嫌い」は絶対にこの世界に必要なんだと思うんです。

(繰り返しますが、もちろん発信方法は考えて)

 

 そして、今「嫌い」だった人が、これから新しい物語に触れたり、今までの作品を見返したり、ライブを見ていく中で、葉月恋のことを少しずつ知って好きになっていくのって、私はすごく素敵なことだと思うんです。

 

 それって、何よりも歌の力や、結ばれる想いの力、そして、ラブライブ!スーパースター!!の表現の力が素晴らしいことの証になるって、私は信じてるから。

 だから、今葉月恋が大好きな人も、今葉月恋が嫌いな人も、葉月恋がよく分からない人も、その気持ちを否定せずに大切にしてあげてください。

 だって、青山なぎささんが言ってるんだから、公式が言ってるんだから、『葉月恋はラブライブ!シリーズを応援してくださってる方全員に嫌われる人でいて欲しい』は絶対に間違っていないんです。あなたのその気持ちは、誤読とか間違いとかじゃなくて、持つべくして持っているものだから。

 全員が当たり前のように好きでいられるようなキャラクターは、それは葉月恋じゃないと思うから。あなたの「嫌い」があるからこそ、このキャラクターは私たちにとって魅力的なものとして受け取ることができるから。

 

 そして、それを2年越しに語った青山なぎささんも、それを理解したうえでそんな難しい役回りを演じ切ることができたすごい人だから。

 心無い声がなかったはずなんてないけれど、それは心無い伝達手段が悪いのであって、「嫌い」と思うことは別に悪いことなんかじゃない。

 それはなによりも、あの舞台で『葉月恋はラブライブ!シリーズを応援してくださってる方全員に嫌われる人でいて欲しい』と言われたことを青山なぎささんの口から語られたことが裏付けていると思います。

 

 だって、そうやって走り続けて来た結果辿り着いた今こそが、いつだって最高だと思える今で、そして

ずっと終わらないで 時がとまればいいのに
いま目の前にひろがる この景色あと少し見ていたい
きっと気づいてるよね? ほら君と僕の鼓動が
ぴったり重なり響いた!
絶対に忘れないよ いっしょに奏であうメロディ

と言える最高の瞬間だと思うから。

 

 

 事実として、「微熱」的な要素が強いキャラクターだからこそ、言葉で分かりやすく説明する物語を必要としている人には嫌われる人でいて、そして、「微熱」的な要素が強いキャラクターだからこそ、そんな嫌われる人のことを知りたいと思ったり、彼女の紡いだ物語、彼女の表現、パフォーマンス、そして、葉月恋というキャラクターと青山なぎさというパフォーマーが、私は大好きだから。

*1:あくまでも「恋が強すぎる」のであって、「かのんが足りていない」ではありません

*2:実際、梨子に代わって練習していた部分のダンスは、互いに歩幅を合わせる形ではなく、背中からぶつかり合って反動でポーズを決めるものと変更されています

*3:自主的に練習に混ざったり、四季から水を受け取って笑顔を見せたりしている描写があります