#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

この瞬間もいつか想い出になるの?

 時が止まるって、どんな感覚なんでしょう。

 心が死んでいくって、どんな感覚なんでしょう。

 

 何回も傷ついて、大切なものをたくさん失って、いつしか、何かを奪われることや会いたい人に会えないことが当たり前になってしまって。

 

 「どうせ開催できなさそうだから」「どうせ中止要請が出るから」って考え方がみんなの中で当たり前になってきて、その度に、心の傷がちょっとずつ見えなくなっていく。

 

 

 

 そうやって、時が止まって、心が次第に何も感じなくなってきて。

 きっと、今回のライブが奪われたとしても、私たちもAqoursのみんなも、つまごいが奪われた時や、ドームツアーが無くなった時、AZALEAやperfect worldが無くなった時ほどは傷つくことはなく、思い出したら辛くなるAqoursの事なんか忘れて年末を過ごしていたのでしょう。

 

 2年間。

 そうやってみんなの心が感じる事をやめてしまうのには、それは充分すぎる期間で。

 それまでと比べたら確かに遅いけれど、確かに進んでいた一歩でさえも、心が死んでしまってちゃ届かない。

 いっぱい新曲も出してきた。たくさんMVだって作られてきた。それでも、心はずっと2年前で凍りついたまま。

 ライブ前日に公開されたスクスタの最新章はAqoursにスポットライトが当たっていたけど、みんなクリアしてないでしょう?

 

 

 時が止まるって、私たちの中のAqoursが2年前から更新されなくなるって事で、それは単純に情勢の問題だけじゃなくて、そんな情勢のなかで傷ついた私たちの心が受け取るのをやめてしまったこととか、何もかもが当たり前のように受け取れたあの頃にしがみついてしまうこととか、そういう要因もあると思います。

 

 

 そんな私たちの時間は今日やっと動き出しました。もしかしたら、彼女たちの姿を見ても何も感じないほどに心が死んでしまった人もいるかも知れないけれど、それでも、彼女たちにとっての時がまた動き出したという事実が意味を持たないはずはないから。

 

 何度も何度も傷ついて、メンバーが揃うことがない時間が続いて。それでも、今までそうしてきたように、その傷だって糧にするんだって叫び続けて。

 信じるっていう事が意地みたいになって、半分やけっぱちみたいな、そうなってしまった人もいると思う。彼女たちの舞台が奪われないいつかの未来だったり、傷ついた今の経験がいつかそれも無駄じゃなかったって言える日が来るときだったり、そういったものを信じることが妄信のように思えてしまって。

 

 

 

 傷ついて、泣いて、悩んで。

 裏切られて、奪われて、失って

 傷ついて、傷ついて。

 

 

 

 

 

 

 

 「世界の中で変わっていくこと」は、私たちの大好きな彼女たちの物語そのものだけど、今日ステージの上に立っていたのは、そんな世界の中で2年間を過ごしてきた人たち。

 あのステージにたどり着くまでの2年間のことを思うと、胸が張り裂けそうで、それを簡単に「それも乗り越えて」とか、「それにも意味がある」だなんて言いたくないぐらいで。

 

 

 

 

 

 でも、『心の羽よ君へ飛んでけ!』を歌う彼女たちを見たとき、何て誇らしそうに歌うんだろうって思いました。3年前に「たくさん頑張ってきた時間が愛おしい」って歌っていたダイヤさんに特にそれを感じました。

 刹那的な笑顔じゃなくて、心の底から今までの時間を慈しむような表情で、なんかそれを見てすごく感情があふれて出してきて、わけわかんなくなってて。

 

 アニメ2期11話『浦ノ星女学院』の鞠莉ちゃんの、「未来に向けて、歩き出さなきゃいけないからみんな笑うのだろう。」っていうのを思い出して。

 あぁ、変わんないな、って。

 どんなときにも、最高に明るく、最高に楽しく、最高に声を出して、前に進み続けてきた彼女たちだから、今しかないこの瞬間と、そこまでたどってきた軌跡たちを全部全部抱きしめて。

 この2年間をなかったことにしたいって言っても誰も責めないのに、2年間負い続けたたくさんの傷を愛おしそうに撫でながら。

 私たちが彼女たちを大好きだって思う気持ちって、本当に残酷だと思うし、呪いだと思う。だって、私たちがそんな姿を大好きだって言い続けるから、彼女たちはどんどん色んなことで傷ついてしまうような生き方をしてしまうんだから。

 でも、そうやって歩んできた道を、彼女たちが嬉しそうに歌にのせてくれるから、私たちは責任を持って「大好きだよ」って言わなきゃいけないなって。

 

 

 

 なんというか、今って、ライブで声が出せないから、大好きだよって言えないんです。1日目の話に限るけれど、「Yes!」って言えないから『君のこころは輝いてるかい?』は披露できないし、「I live, I live Love Live days!!」って言えないから『未来の僕らは知ってるよ』もできないし。

 でも、2年間で一回り大きくなっていた彼女たちは、いつの間にか私たちの「声」すら必要としていなくて。

 だって、「伝えなくても伝わればいいな」「僕は信じる君を信じるよ」って、私たちが声を出さなくても、彼女たちは勝手に私たちが大好きでいることを信じてくれているから。

 会えない間に離れてしまうんじゃないかって不安な気持ちになることもあったとは言っていたけれど、それでも、舞台を去るときは、私たちの手を強引に引っ張るような勢いの『Future flight』を披露して。

 なんというか、彼女たちの軸になる曲が変わったなって思いました。お互いに声を掛け合う確認作業の曲である『君のこころは輝いてるかい?』から、確認なんかせずにただ互いに信じあう『Future flight』へ。

 そう気づいたら、今なら、会えない時間にも意味があったんだ、会えなかったからこそ、言葉なんかなくても信じあえたんだって言えるような気がしました。

 

 

 

 傷つかない人間は幸せだという考え方があります。傷つかない人が強い人なんだっていう考え方もあります。

 自分はそう思えなくて、なんというか、心が反応していない状態がいい状態だとは思えない。悲しむべき状況で悲しめない人を、幸せな人間だと思えない。だってそれは、こころの危険信号に気づけないって事だから。そして、自分の悲しみを知ることなしに誰かの悲しみを知ることなんてできないから。

 傷ついたりすることは厳密には手段でしかないけれど、それでも、結局誰かを思う気持ちって、自分のこころの傷からしか生まれないと思う。

 挫折したり、傷ついたり、悩んだり、そうやってボロボロになりながらも、その都度傷を受け入れてきたこころが、誰かを思えたり、自分を支えたりすることができる、強くて、美しいこころなんじゃないかって思います。

 

 今回のAqoursの、特に伊波杏樹さんの紡いだ言葉や、その在り方は、本当に揺るぎない強さを持ったものだと思うけれど、それは何も寄せ付けない鉄壁のような強さなんじゃなくて、すべてを受け入れてなおそこにあるしなやかなものだなぁって思いました。

 なんというか、あれだけ声を張り上げて、強い言葉を使っていても、そこに圧力を全然感じなくて、ただ優しさと愛と思いやりで溢れているような印象を受けて。

 ただただいっぱい傷ついてきたんだな、苦しんできたんだなと思ったし、だからこそ、そうやって歩いてきた人の紡ぐ言葉というか、声の出し方、立ち振る舞い、発信の仕方が、なんて美しいんだろうって。

 なんというか、そうやって、傷つくこと、失うこと、悩むこと、苦しむことを全部全部受け入れて、それでも前に進み続けてきた彼女たちだからこそ、私はあの人たちを世界で一番強くて美しい人たちだと思います。