#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

Only my Love Live! days!!

 わたしを叶える物語が始まる前に、すこしだけわたしの話をしよう。

 

 桜内梨子と、哲学

darkphoenix505pianoles.hatenablog.com

 

 『証明』の箇所には少し続きがある。

 

 出逢いや出来事に自分の中での意味を見出すということと、それを誰かに伝えることで、その人の見える世界が少しでも変わるかもしれないということ。

 

 梨子から貰った素敵な言葉たちは、自分の中でラブライブ!の中だけでは完結しなかった。

 梨子みたいな人になりたい。私と出逢った誰かの物語を、梨子みたいに意味を見出して輝かせられるような、そんな生き方がしたい。

 

 浪人1年目に梨子から受け取った在り方は、2浪目(←!?!?)のなかでぼんやりとしたものから少しずつ自分の中で「誰かの物語を輝かせられる人になりたい」という夢へと変わっていった。

 

 

 

 そのために、まずはいろいろな「ものの見方」を知りたいと考えた私は、(結果的に第一志望ではなかったにせよ)哲学科に進学し、そこで主にフランスやドイツの哲学を中心に履修しているところである。

 

 

 哲学と言う単語に馴染みのない人向けに一応補足しておくと、宗教や哲学、美学も含めてそれらは結局は「人間のものの捉え方、考え方」である。意識、認知しているかはさておき、私たちそれぞれが持っているものを一般化しただけのものとも言えるし、それを知識として体系化したものであるとも言える。

 

 

 哲学はいわば瞳であり、眼鏡である。

 

 同じものを見て、誰かが「カットフルーツ」と言い、誰かが「赤いリンゴ」「ウサギリンゴ」「果物」「ばなな」「サンふじ」と異なった言葉で認識している可能性があるのも、それぞれで視点やそれを受け取る基準が違うから。

 

 同じように、例えば「死」という同じ言葉を考えても、「忌避されるべきもの」と考える人もいるし、「どのように死ぬべきか」を考える人もいる。「物語を完結させるための機構」と捉える人もいれば、「物語を中断するもの」と捉える人もいる。

 

 「夢」「人生」だってそう。

 信長にとっては「人間五十年」だし、私たちにとっては80年、90年かもしれない。同じ夢でも、走る人もいれば歩く人もいる。寄り道する人や、来た道を戻る人も。少年には遠回りをする時間が与えられているし、老人には近道を知る知恵が授けられている。みんなそれぞれ、自分に合った歩き方があるし、そうした「生き方」「ものの捉え方」を人は哲学と呼ぶのである。

 

 

 純粋に、自分自身と、自分の周りや物語の中の人間のほんの一部しかその哲学を知らないからこそ、よりたくさんの生き方を知るためには、学問と言う2000年以上の積み重ねに頼るのがいちばん合理的なのだ。

 梨子はその類まれな感性で誰かの哲学を感じ取ったけれど、私が彼女と同じように誰かの哲学を見つけるためには、梨子には決して届かない感性を補うだけの知識や経験が必要なのだ。

 逆に、違う道を通って違うやり方だからこそ、高海千歌渡辺曜津島善子らに私は必要ないかもしれないけれど、梨子の旋律が届かない人でももしかしたら私の言葉なら届くかもしれない。それだけでも、意味があると思っている。

 

 そうやって学んでいく中で、「誰かの物語を輝かせられる人になりたい」という漠然とした目標は、徐々に具体性を帯びていった。

 先生みたいにみんなを導く人でもいいけれど、やっぱり自分が言葉を届けたいのは、みんなから外れたひとりの人だから、そういう人のための仕事がしたい。

 そうしてできた新しい目標が、心理カウンセラーになることで、その資格を取るために心理系の大学院に行く事だった。

 心理学と哲学は近いようで全く違う学部の専攻で、哲学科から目指すのはかなりイレギュラーな道ではあるけれど、でもきっと、それにも意味があると思っている。

 

 

 

 

 そうして、2019年から哲学を学び始めて、その年の年末に出逢った私にとってもうひとり大事な存在。また、そのころから少しずつ世界が狂い始めていく中で、梨子の「証明」はただ「知る」だけじゃダメなんだという事も思うようになってきた。

 

 

上原歩夢と、伝える事

darkphoenix505pianoles.hatenablog.com

 

 伝えようとしなければ、伝わらない。

 

 虹ヶ咲のテーマとして何度も描かれ、そして、狂ってしまった世界だからこそ、このことを強く感じるようになった。

 

 「わたし」が「あなた」を好きだと思っても、「あなた」にそれが届かなければ、「あなた」は自分自身を認めてあげられない。それを思い知らされた1stライブ。

 

 侑/あなたと歩夢、栞子と薫子、せつ菜やランジュと同好会。「言葉だけじゃ足りない」のに、その「言葉すら足りない」から、先輩たちと同じ轍を踏み、すれ違った人たちがたくさん。

 

 

 それは物語の中だけじゃなくて、私の周りにも同じような人たちがたくさんいて。

 

 打ち明ければ少なくとも進展はするはずの悩みを人に打ち明ける事ができずに、1人で苦しみ続ける人。

 たった一つの視点に縛られたり、見える範囲の世界が狭すぎたりして一人窮屈な思いをしている人。

 「知らない」から、「分からない」からというたったそれだけの理由でお互いを敵だと思って傷つけあう人。

 自分自身が傍から見てどう見えるのかに全く気付いていない人。

 人類の2000年以上の歴史の中で積み重ねられ、そして多岐にわたって展開されてきた思想のなかのほんの一端だけを絶対的な真理だと思い込み、孤立していく人。

 世界の波に取り残され、その悲痛な叫びがいつしか誰にも届かなくなってしまった人。

 

 

 世界が壊れていくと同時に、私の身近な人がそうやって傷ついたり、ひとりぼっちになったり、そういう状況をこの一年でたくさん見てきた。

 

 

 

 自分はそんな中でも比較的強く生きていた自覚があった。確かに傷ついたり傷つけたりしたこともなくはなかったけど、それでも人よりは色んな考え方を知っているから、基本的に分かり合えない事の方が少なかったとは思う。

 

 でもそれ以上に大きかったのは、自分の近くに常に大切な人がいてくれたからだと思う。

 ずっと隣にいてくれるポケモンや歩夢には、物語のなかで何度も助けられてきた。

 趣味を追いかける時も、学校で勉強しているときも、自分のことを理解してくれている人が同じ方向を向いて隣にいてくれた。

 自分が傷ついたり、泣きそうになった時に真っ先に相談に乗ってくれる人が何人もいたし、その人たちに話を聞いてもらって、共感してもらえたり、そして一番必要な言葉をかけてもらえたり。

 

 ひとりで夢を追いかけることは簡単なことではなくて、だからこそ何度も躓きながら生きてきたけれど、でもその時はいつも大事な人が支えてきてくれたことを、歩夢ちゃんを好きになって、そして世界が今みたいに狂い始めてから今更わかりはじめてきた。

 

 

 それは、きっと自分だけじゃなくて、今自分の周りで苦しんでいる人にも同じことで。

 苦しんでいるのを知っている、見てる側からしたらどうしたらいいのかなんとなく分かる。人より詳しいからそれは確かに「わかる」し、もしかしたらその「わかる」は悩んでいる当人よりも解像度の高いものかもしれない。当人が無意識のうちに隠して、目を逸らしているものまで見通せているかもしれない。

 

 それでも、それを知っているだけじゃ何の意味もなくて。梨子だって、自分の中で「理解」できただけじゃなくて、それを証明して「みせた」から、千歌や曜や善子の生き方が輝き始めたように、どんな手段でも伝えなければ意味がない。

 逆に、「分かるよ」「信じてるよ」「大好きだよ」「私が見てるよ」って、それだけでも絶対に伝える意味があると思うし、たったそれだけで奇跡が起こる瞬間を、私は歩夢と何度も見てきた。

 

 梨子はそれは言葉だったり、ピアノだったり、歌だったりいろんな伝え方を持っていた。私にとって伝える手段は限られてはいるけれど、それでも、伝えられる言葉は絶対に伝えたほうがいいと気づけたのは、歩夢がいてくれたからだと思う。

 

 最近は伝えたい誰かの事を想いながら文章を綴るようになってきたけれど、そういう相手が増えたのも素敵だなと思ったりもしている。

 

 

澁谷かのんと、夢

 そんな感じで生きてきた中で、Love Live! Days vol.16で伊達さゆりさんのインタビュー記事を読んだ時、私は衝撃的な一文を見つけてしまった。

 

高校2年生の冬だったのでもうすでに進路も決まっていて、心理カウンセラーになろうと思っていたんです。

 

 

 

 ・・・マジか。

 

 

 それも、一度大好きなことを諦めて、見ないふりをしようとしていた子。

 

 

 ・・・マジか。

 

 

 そして、かつての私と同じように、μ`sのファンとして、AqoursのNo.10として、そして虹ヶ咲の「あなた」として、同じように舞台を見上げていた仲間だった子。

 

 

 ・・・マジか。

 

 

 

 見えない力はきっとあると思う。

 きっと、瞳を通して見えていたものは少し違うかもしれないけれど、それでも同じ景色を見てきた仲間で、同じ想いを分かち合ってきた仲間だったと思う。だから、伊達さんがカウンセラーになろうと思った気持ちのどこかに、梨子や歩夢と追いかけた夢の欠片があるかもしれない。

 澁谷かのんとして生きていく彼女は、きっとその歌声でまた誰かの人生を輝かせていくのだろう。だからこそ、彼女が叶えていたかもしれないもうひとつの夢を追いかける私の夢は、おしまいにする選択肢なんてなくなってしまった。

 ラブライブ!は伊達さんに任せるから、カウンセラーは自分に任せてほしい。そんな気持ちになってしまったから、また、自分の中で大切なものが増えてしまったし、これからもっと彼女たちのことが大切になっていくのだろうなと期待している。