#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

【ラブライブ!11周年】今の私だから言える よかった今で…

 気が付いたら11周年を迎えていたこのコンテンツ。

 ポケモンで言えば今年リメイク版が登場するダイヤモンド・パールが発売してから1年後ぐらい。共に第4世代である。

 

 今回はタグ企画へのお誘いを頂いたので、自分の『ラブライブ!』への好きの在り方を3キーワードで纏めていく。

 

 

 

真理

言葉だけじゃ伝えきれないよ どうする?

こんなとき歌うよ歌うしかない

 

ユメを語る言葉より

ユメを語る歌にしよう

それならば今を伝えられる気がするから

 

言葉じゃ足りないから

歌に乗せるんだ

あなたに届いてほしいよ

Beating my heart

 

 

 ラブライブ!と言うコンテンツの表現は複合的だ。

 映像、音楽、言葉はもちろん、舞台の上だけでなくその外側まで。さまざまな媒体や表現手段、たくさんの表現者、クリエイターたちがその専門分野を駆使して作品が形作られる。

 

 そうして描かれるのは、物語や、物語という枠組みすら超えた、いわばラブライブ!という概念。そうして描かれた物語や概念さえも、また次の表現の題材となり、そうしたたくさんのものが凝縮されたものが作品として私たちに提示され、圧倒する。

 

 

 言葉という表現手段の中でも軟弱な媒体では把握しきれないぐらいに、それは大きすぎる概念だ。そこにあるものに、言葉という狭いプールの中で最適と思われる名詞を当てはめただけで理解した気になってしまうような、脆くて不器用な表現だ。

 

 だからこそ、ラブライブ!は複合的にたくさんの表現手段で作品を描こうとする。

 言葉と言う不便な表現手段、しかも思春期の少女の貧弱すぎるそれでは表現しきれないぐらい繊細に揺れ動く心を、様々な専門分野のエキスパートが集まって、総力を上げて表現してみせようとする。

 

 

 私たちは、例え何か秀でた才能があるにしても、桜内梨子のような類まれな感性があるにしても、提示されたものが表現であり、「なにかを表現したもの」である以上、その表現の奥にある「なにか」そのものを100%理解し把握しようなど到底不可能だ。

 

 例え言葉に関する能力が飛びぬけて優れていたとしても、完全に表現の意図を把握し、クリエイターと全く同じ思考回路で表現を読み解き、その奥にある「なにか」に辿り着いたとしても、私たちの思う「なにか」とクリエイターの思う「なにか」が完全に一致することなどありえないのである。

 

 私たちは、「リンゴ」という言葉を聞いて、ある程度同じ系統のものを想像し、それでコミュニケーションに困ることはほとんどないが、だが私たちそれぞれが想像する「リンゴ」が厳密な意味で全く同じものであることなどありえないのである。

 

 

 

 それでも、完全に理解し得ないものであると分かっていたとしても、私の心を動かし圧倒したラブライブ!というものをもっと知りたいと思ってしまうのは、ごく自然な欲求だろう。

 

 100%の理解はできないかもしれない。だが、そこに限りなく近づいていく事ができる。

 全く同じリンゴを想像することはできないにしても、視覚や言葉、嗅覚、味覚、知識等の様々な媒体を駆使することで、品種すら違うものを想像していたかもしれない私たちのリンゴは、限りなくおなじリンゴへと近づく事ができるのである。

 

 仮に今のラブライブ!への理解度が20%だとして、それを1%でも向上させるために、私はいろいろなことを知りたい。

 楽器や音楽を知っていたほうが、音という媒体の表現への解像度は当然明るいものとなる。音と言う媒体を通して描かれる「リンゴ」を、よりクリアなビジョンとして受け取る事ができるのだ。

 

 そうして、私はその「リンゴ」をどんどんクリアなものにしていきたい。私を圧倒したのは何だったのか、これを作ったクリエイターは何を表現したかったのか。

 

 それはある意味、宗教における「真理」のようなものだ。「存在するもの」として定義され(まあクリエイターがいる以上確実に存在するのだが)、修行や信仰によってそれを掴もうとする。それは神でなければ決して届かない存在ではあるが、すこしでもそこに近づいていこうとする。

 

 

 私は、内浦の三津浜が好きだ。

 Next SPARKLING!!で描かれる三津浜が好きだ。

 そこが、ラブライブ!サンシャイン!!というコンテンツの始まりの場所で、この物語を描こうとしたクリエイターたちの「真理」のすべてがそのままそこにあるからだ。

 

 あの砂浜の波間からクリエイターたちが感じ取った「真理」がラブライブ!サンシャイン!!のすべてであり、その「真理」に一番近い場所である三津浜は、文字通り「聖地」だと思う。

 

 

 私はある意味でマッドサイエンティストだ。作品を評価という軸で見ていない。作品に対して、こうあってほしいという希望がほとんどない。

 ただただ、もっと知りたい、もっと「真理」に近づきたい。そういう追いかけ方をしている。*1

 

 

『大好き!!!』

 虹ヶ咲のOSTのタイトルにも使われているこのキーワード。

 初代から一貫している『ラブライブ!』全体のテーマであり、そして、私がこのコンテンツに強烈に魅かれるようになった無印アニメ2期第8話『心のメロディ』の核となるキーワードである。

 

 1期からずっと、それぞれの「やりたいこと」=「好きなこと」が描かれてきた無印アニメ。

 1期では穂乃果、花陽、絵里、ことり、2期では真姫、にこ、凛、希にそれぞれ焦点が当たり、そして8人それぞれの「やりたいこと」が出そろった上で、それを「頑張る事が大好き」な園田海未に還元して描いた『Snow halation』。

 

 衝撃だったのを覚えている。

 

私だってそうです!

二人の背中を追いかけてるだけじゃない、やりたいんです!

私だって、誰よりもラブライブに出たい!

9人で最高の結果を残したいのです! 行きましょう!

 

 あの無印の物語で描かれてきたすべてが、「大好き」という言葉に還元されて9人の口から紡がれた時、今まで自分が追ってきた物語すべてが1度にどっと襲い掛かってきたような。これまで何度も描かれてきた彼女たちの想いが「大好き」というキーワードで繋がり、個々の独立した物語ではなくμ‘sの物語として完成されたような。

  そんな『心のメロディ』は、今でも変わらず無印アニメのなかで一番好きな話である。

 

 

 『心のメロディ』で描かれた「大好き」=「やりたいこと」。

 次の世代になっても、ラブライブ!というコンテンツは変わらず「大好き」を貫き続けた。

 

1番大切なのはできるかどうかじゃない。やりたいかどうかだよ!

 

 奇しくもその言葉は、同じく作詩担当の言葉だった。

 

 そのまた次の世代では、ダイレクトに大好きを叫ぶ優木せつ菜が登場。物語の中心で活躍し、あなた/高咲侑、上原歩夢、中須かすみ、三船栞子へと大きく影響を与えていくようになる。また、スクスタではμ`sとAqoursが担っていた主人公の始まりのトキメキの瞬間を、アニメでは「大好き」を掲げる彼女が担っていたのも象徴的だ。

 

 そして、先日公開されたスーパースター!!のPVの中での唐可可の台詞。

 

好きなことを頑張ることに、おしまいなんてあるんですか!

 

 今までこのコンテンツが描き続けてきたことが凝縮されたような一言だと思った。

 

 そんな、「大好き」については、過去に一度記事にしたことがあり、そこですべて語り尽くしてあるため、そちらを参照してほしい。

 

だって、昔も今もこれからも、私たちは夢とダイスキを歌うラブライブ!がダイスキだから。

ダイスキなメロディの繋がりだよね - #てつがくのドンカラス

 

 

 

証明

私ね、もしかしてこの世界に偶然ってないのかもって思ったの。

いろんな人が、いろんな想いを抱いて、その想いが見えない力になって、引き寄せられて、運命のように出逢う。

すべてに意味がある。見えないだけで、きっと。

そう思えば、素敵じゃない?

 

 

 

 私の1番好きなキャラクターは、桜内梨子だ。

 

 偶然という言葉がある。何の因果関係もなく、予期せぬことが起きることを表す言葉。

 バタフライエフェクトという言葉がある。例え小さな振動だとしても、その影響が色んなものに影響し合って、気づけば大きな力になっているかもしれない。そんな問いを投げかけた言葉。

 

 因果関係のない現象など実際は絶対にあり得なくて、結局それは「予期せぬこと」であり、私たちの観測の範囲外に因果関係があったというだけの話。

 例えば完全に運であるとされるゲームのガチャだって、私たちが観測できず干渉もできないだけで、実際は乱数によって排出されるカードが決められているのであり、理論上は据え置きゲームのように乱数を観測し、任意のカードを引けるよう干渉する事は可能なのである。所謂TASとか乱数調整の原理がこれ。

 

 桜内梨子Aqoursの出逢いだって、それは偶然のように見えるけれど、梨子がピアノから逃げだして内浦に来て、そして千歌がスクールアイドルに憧れたからこそあの出逢いは成立したのである。

 ただすれ違っただけの2人の会合を本当の意味で運命のような出逢いにしたのは、紛れもなく彼女たちの抱える想いそのものだった。

 

 

 「ピアノから逃げた」「スクールアイドルに憧れた」「蝶が羽ばたいた」。一般論として、それは「運命的な出逢い」の理由には成り得ないし、天候を左右する要因には成り得ない。

 それでも、梨子は「そう思えば素敵」だと言った。蝶が羽ばたいたことは一般的に天候を説明する理由には成り得ないけれど、羽ばたきによって起きた、一般的には目に見えない影響の連鎖をその類まれな感性で1つ1つ拾っていって。

 まだそれが地球の反対側の嵐になるかどうかは分からないけど、その小さな羽ばたきの意味、出逢いの意味を見つけた、いや、意味を見出した。

 

 例えば、「美しい」なんて要素はこの世界には存在しない。存在するのは、ものに対して「美しい」という意味を見出している人間だけである。*2

 世界なんてそんなもんだ。何かはそこに「ある」。ただそれだけ。それを認識し意味を与えているのは結局は人間。世界に意味があるのではなく、世界に意味を見出せるか。ただそれだけのことなのである。

 

 

「梨子はピアノから逃げて内浦に来て、そしてピアノと向き合う事ができた」

「千歌はスクールアイドルを始めたくて、ピアノの弾ける梨子を誘った」

 

 偶然のように見えるけど、これって、音楽が繋いだ運命なんじゃない?「ピアノがあったから」「スクールアイドルをやりたかったから」2人は出逢ったんじゃない?

 だって、それは一般論から外れるものかもしれないけれど、梨子にとっては、梨子が意味を見出した世界は確かにそうなのだから。

 

 

 すごく素敵な考え方だと思ったし、当時受験勉強で何度も現代文を読まされる中でなんとなく感じていたことが、自分の中で1つの哲学として形作らされた。

 

 そして、「自分に何もない」と嘆く仲間の歩んできた道に、梨子の目で観測した意味を伝えることで、千歌にとってもそれが意味のあるものに変化し、そしてバタフライエフェクトが起きたのである。

 梨子の思想、哲学、彼女の世界観が仲間の世界を輝かせる、本当に凄いものを見せられた。

 

 

 

 

 そして、彼女はそれを自分自身の道の上で起こそうとする時、『証明』という言葉を使った。

 

 

私、自分が選んだ道が間違ってなかったんだって、心の底から思えた。

辛くてピアノから逃げた私を救ってくれた千歌ちゃんたちとの出逢いこそが奇跡だったんだって。

勝ちたい。 ラブライブで勝ちたい。

この道でよかったんだって証明したい。

今を精一杯全力で、心から。 スクールアイドルをやりたい!

 

 バタフライエフェクトの証明。

 自分が「運命」を見出したあの日の出逢いに、奇跡という意味を付与するために舞台に立つ。ラブライブ!で優勝して浦女の名前を残すことで、そうやって生きてきた彼女自身の道が間違っていなかったと証明する。

 

 凄く素敵な考え方で、美しい生き方だと思った。そして、自分もそういう生き方がしたい、梨子みたいになりたいと心から思った。

 

 自分の感性や、自分の哲学、思想、世界観で読み解いた、色んな人との出逢いや出来事たちと、そこに自分が感じた意味や繋がり。

 

 それを証明するために生きる彼女の生き方があるから、今の私がいると言っても過言ではない。

 私は2年も浪人したのに、第1志望には合格できず、そのせいでAqoursの4th以前のライブにはひとつも参加できなかった。

 そんな過去を否定せずにいられるのは、「浪人した時に梨子と出逢ったから哲学に興味を持て、だからこそ今哲学を学ぶ事ができる」「そんな過去を経て、カウンセラーになって誰かの見える世界を変えたいという夢を見つけた」「ずっとライブに行けなかった過去を経験しているからこそ、今コロナでライブに参加できない人の気持ちと、本当にその人に必要な言葉が分かる」と、自分の中でしっかりと意味を見出せているからだ。

 

 ライブに行けず悔しい想いをしたあの2年も、私にとっては絶対に必要な時間だったと思いたいし、そう思える日まで、実際に私がカウンセラーになって誰かにとっての梨子みたいになれるまではまだ遠いけれど、だから僕らはがんばって挑戦していくしかないのである。

 

 

 そうやって、桜内梨子に人生を狂わされてしまった私の、ラブライブ!というコンテンツの追いかけ方、特にアウトプットの仕方の核にあるものは「証明」である。

 私を圧倒し、強烈に「なにか」を訴えかけてきたこのコンテンツの作品たち。それが私にとってどのように見えて、どのように感じたのか、私という証明者の感性において、何がどう輝いていたのか、確かにそこにあった「なにか」が輝いていたことを証明したい。

 

これまでの道のりが決して嘘ではないとこれからは少しずつ証明するよ

 

僕の見た君を君に伝えたい

君がいることを君に伝えたい

 

 自分の瞳に映った景色を記録し伝えることで、それが輝いていると証明したい。

 それはどのコンテンツを追いかける時も、日々を生きていく中でも変わらない、私の生き方であり、そして桜内梨子から貰った、ラブライブ!を追いかける中で1番大事にしている事である。

 

 世界は変わらなくても、自分が変われば世界の見え方が変わるなら、私は誰かが変わるために必要な言葉を紡げるようになりたい。

 

 きっとそれは、これを読んでいる人全員に必要なものではないのかもしれないし、万人に受け入れられる考え方ではないと思うけれど、それでも、きっと私の言葉、梨子の想いを必要としている人がいるなら、私はその人にとってひつような「あなた」であり、桜内梨子でありたい。

 

 アウトプットにおいて劣悪な手段である言葉しか持たない私が、それでもなお言葉を使って、万人には受け入れられないニッチなものを発信し続ける理由は、きっとこの文章を必要としている人がいる、たったそれだけであり、そのためである。

 

 

 

 

 

あとがき

 この手の記事は久しぶりだったが、思ったよりスラスラと筆が進み、自分でも驚いている。

 実は明後日提出のレポートと1週間後提出のレポートに全く手を付けておらず、かなりピンチではあるのだが、この速度で書き上げれば終わるかなと楽観視してしまいそうな自分が怖い。

 

 今回、自分の好きなキャラクターたちについてあまり触れることができず、自分の中で特別な桜内梨子を除きほとんどノータッチだったが、彼女たちについては過去記事等で何度も語ってきたつもりではある。

 

 さて、このブログで次に触れることになるのは、西木野真姫桜内梨子上原歩夢と並ぶ、4代目のキャラクターである澁谷かのんについて。

 彼女についても、私のパーソナルな部分に大きく関係するキャラクターであるので、次回の記事も合わせて読んでいただけると幸いである。

*1:

それはある意味では無関心ではあるし、思考停止と蔑まれても否定できないものではあるが、ただ私にとって、100%の理解ができない以上このコンテンツに対して無知である私は評価者に値しないし、嗜好と異なるなら私自身がその表現を届ける対象から外れていたというそれだけの話である。

私自身、ラジオという媒体と絶望的に相性が悪いが、それはそういう表現が悪いとかそういう問題なのではなく、私にラジオを聴くだけの適性がないのである。

だから、「適性がないならなやるべきではない」は、その主張自体は行き過ぎとはいえ正しいもので絶対に必要なものだと思うし、そういう考え方ができる三船栞子が好き。

*2:だから、同じように月を綺麗だと思える人は素敵なのだと思う。