#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は『ラブライブ!』である

 2019年12月に開催された『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 First Live “with You“』から、3年。

 4シリーズで唯一、「First Love Live!」名義で開催されることのなかったこのライブによって、シリーズの中で虹ヶ咲は「ラブライブ!」シリーズ内での立ち位置を獲得し、そして1ヶ月後のラブライブ!フェスで、ようやくラブライブ!シリーズの一員として迎え入れられたような、そんな印象を持っている。

 当時は虹ヶ咲を応援している人なんて全然いなくて、ホームであるはずのスクスタもμ‛sとAqoursのためのゲームのような捉え方をされていて。

 

 あの頃からたくさんの物語を紡いで、たくさんの大好きを咲かせながら、私たちはこの3年で出逢ったすべての夢を抱きしめながら、虹が咲く場所へとまた導かれることとなった。

 

 今回は、『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 First Live “with You“』とアニメ2期13話『響け!ときめき――。』内で開催された『With You』及び『5th Live! 虹が咲く場所』との間で、虹ヶ咲というシリーズが何を獲得したのか、そして、虹ヶ咲がなぜラブライブ!シリーズの一員として存在しているのかについて、「愛」をテーマに読み解いていく。

 

なぜ「愛」なのか

 まず、「ラブライブ!」は大会の名前として認知されている傾向にあるが、本来ラブライブ!とはプロジェクトタイトルである。

 スクールアイドルの大会がラブライブであることが明かされたのは 無印の漫画版*1が初出であり、それまでラブライブという言葉は、μ'sという名前ができる前のアーティスト名以上の役割を持ってはいなかった。

 大会名として登場する以前から存在したラブライブ!という言葉であるが、それは一般的に使われている言葉ではなく、このシリーズの始まりと同時に作られた造語であり、またそれがタイトルとして冠されるものである以上、そこには何らかの作品における核心的な意味合いが込められているはずである。

 

 そして、そのラブライブ!という言葉を直訳すると、「愛」「生きる」である。

 もっと詳しく見てみると、『Love』の意味として、「愛」「挨拶」「恋」「えっち」「好きなもの」「好きなこと」「あなた」*2、『Live』の意味は「一緒にいる」、「生きる」「燃えている」「現在進行形の」といったものが挙げられるようだ。

 ラブライブ!シリーズを通しても、虹ヶ咲を通しても共通するテーマに近い言葉であると言えるが、その中でも直訳の「愛」はピンときそうでいまいち言葉にするのが難しいものである。

 

 また、1stライブのキービジュアル及び、当時の虹ヶ咲の最新の曲は『Love U my friends』であり、ここでも、「愛」「ラブ」が登場し、あの段階での虹ヶ咲にとって大切なものであったことは間違いないだろう。

 また、メンバー全員が揃った4thの表題曲は『Love the Life We Live』。ボブ・マーリーの名言に照らし合わせるなら、「私たちが生きる人生を愛せ」となるのだろうか?これも、愛がテーマであると言える。

 

 そして、今回「愛」をテーマとした理由として何より大きいのが、私の推しが歩夢である事だ。

 

今は小さな小さな蕾だけど

あなたがくれた愛を 育んで

力いっぱい 空に伸びてゆくんだ

いつの日にか きっと咲かせましょう大輪の花

どんなときにもね まっすぐにね

愛を込めて 歩いていこう 

 

 ご存じの通り、私たちあなた/高咲侑は上原歩夢にたいして尋常でない重さの愛を注いでいる。

 上原歩夢を語るにおいて、愛というテーマを抜きに、彼女を理解する事はできない。私と上原歩夢の関係性とは愛であり、運命を共にするパートナーなのである。

 

 このように、虹ヶ咲という作品がこれまで紡いできた物語と、ラブライブ!という看板の共通点として「愛」があり、そして、特に私自身の推しが上原歩夢である事から、今回のテーマとして「愛」を掲げる事とした。

 


ラブライブ!において「愛」とは何か?

 今回、企画への寄稿という事で、メンバーと色々とディスカッションをしてからの執筆となった。

 ラブライブ!シリーズにおいて、特に虹ヶ咲における「愛」とは何だろうという話を企画者とのトークで読み解いてきたので、そのまま抜粋させていただく。

 また、メンバーもそれぞれ記事をアップするので、テーマ及びリンクも掲載しておく。

 

 ちなみに、このトークに関しては結論を最後に纏めているので、トークはあくまでも思考過程、というか本論の補強程度に捉えて頂きたい。

 

黒鷺(筆者) 愛

SUN スクールアイドル像

のっぴ 象徴表現

ぎぬま 劇伴

しろやぎ 夢

 

黒鷺 「愛」って言ってもざっくりした話になっちゃうから、意味としては同好会メンバーの「2人だけの感情のやり取り」とかが近いのかな。例えば、2期 第12話だったら、「ロンドン行ってくるから、侑ちゃんも追いついてね」っていう歩夢の言葉に対して、「私もピアノコンクールに出る」っていうやり取りとかね。これがなんで「置いていっちゃうよ」という意味になるのかというと、歩夢が「侑ちゃんの隣にいたいから、一緒に隣を歩いてほしい」という意味を含めたと思っていて、だから侑が「隣を歩きたいから私も頑張ります」というやり取りをしているわけだから、そういう感情のやり取りを「愛」って定義してみようと思うんだよね。そう定義してみると、ラブライブ!には愛は太陽じゃない?、夢が僕らの太陽さという、「太陽って何?」みたいなのが分かる曲があって、それを並べた時に、「愛」と「夢」って近くにあるものなんじゃないかなって思うんだよね。

 

しろやぎ お互いじゃなくてもいいけど、「思い合う」みたいな感情だと、トワイライトっていう曲が思い浮かんで……。あれも歌詞を見る限り、お互いがお互いを気にかけて、「一緒にいるよ」みたいな意味があるのかなって。ソロだけど、感情は1つというか。

 

ぎぬま うんうん、分かる。同じ思いだったらいいなっていう部分は、「愛」っていうか、一緒にいたいっていう気持ちは共通しているものだと思うし、そういう意味だとHurray Hurrayとかも近いと思う。

 

黒鷺 感情のやり取りっていうものをもっと絞っていくなら、愛=太陽で「誰かを照らすことができるよ」って、まあ言ってるのは穂乃果なんだけど。これって夢が僕らの太陽さの「僕らの照らす光」も、誰かを照らすものって、愛であり夢でありみたいなところがあると思う。すごくざっくり言うと、人間関係の中で生まれて何かを照らすものみたいなことになるのかな。

 

しろやぎ ちょっと脱線するかもしれないんですけど、2期見てる中で「愛」って言われたら「家族愛」のほうが思い浮かぶんですよね。それも輝いてほしいじゃないけど、そういうニュアンスに近いものを持ってるなって思います。

 

のっぴ しろやぎさんが仰った「家族愛」って、例えばどういうものが思い浮かびますか?

 

しろやぎ まず、三船姉妹があるじゃないですか。あとは近江家があって、これは家族じゃないけど、愛さんと美里さんとか? その同好会メンバー内の愛もあるけど、その周りからもらう愛もあるし、逆に周りに与える愛もあるなって思います。

 

のっぴ もっと広げる話をすると、愛=太陽=夢という等式があって、それに家族愛とかを含めた時に、もっと細かいものが要素として入ってくると思っていて、「夢」とか「愛」っていうのは大きいものだけど、それを構成している要素は相手への期待とか、敬意、憧れとか、嫉妬の感情とかがあって、だから自分はどうしたいか、みたいな行動につながるものだと思うんだよね。

 

ぎぬま それこそ「愛」っていうものを「一緒にいたい気持ち」として考えるなら、エマが果林や嵐珠を気にかけたりするのも太陽のような温かさがあると思う。

 

黒鷺 確かに確かに。家族ではないけど、家族愛にだいぶ近い気がする。

 

SUN

 家族愛の話で1つ思い浮かんだのが、中川家もそうだよね。菜々からお母さんへの矢印で考えると、自分のことを認めてほしい、知ってほしいという気持ちがあると思うし、逆にお母さんから菜々への矢印は、尊重してあげようという気持ちとか、さっきのっぴが言った「期待」っていうものも要素に入ってくるんだよね。

 

黒鷺 ある意味で「期待されている」ってことは「愛されている」ってことなのかもね。

 

SUN もちろん、期待している側も、愛しているからこそだと思うんだよね。ひとえに「愛」って言っても、そこに含まれている個々の感情って違うから、それを紐解いていくのが面白いかもね。

 

黒鷺 もう1つ要素を出しておくなら開花宣言の歌詞に「あなたがくれた愛を 育んで 力いっぱい 空に伸びてゆくんだ いつの日にか きっと咲かせましょう 大輪の花」っていう歌詞があるんだよね。「大輪の花」って何? とか、空に咲かせるものって虹じゃない? とか、そういうものがいっぱいあるんだけど、とりあえずそこをふわっと置いておくにしても、それをやるためには「愛」が必要ってところに行き着くと思うんだよね。

 

ぎぬま 「あなたの声は水となって あなたの笑顔は太陽になる」って歌詞もあるもんね。

 

しろやぎ 「愛」ってエネルギー的なものに近いのかな。

 

ぎぬま 「何かになりたい」という原動力になるのであれば、それが「夢」って表現されても納得するかも。

 

黒鷺 「太陽」って原動力になるものかもね。

 

SUN というか、原動力になれるものを「太陽」って表現しているのかも。

 

のっぴ そうね、そっちだろうね。そう形容してるというか

 

黒鷺 イコールというより、原動力って部分を愛と夢が共有してる、という方が近かったね。あ、だから『SUNNY DAY SONG』なんだ!

 

ぎぬま 「どんなことも乗り越えられる」

 

黒鷺 「夜が明けた空には太陽」

 

のっぴ ぜんぜん違う方向の理解が進んでるw太陽って憧れとか遠いものとかそういうイメージだったけど、自身の中にある原動力って風に定義すると面白いかもしれない。全部自分の中にあるものだしね。

 

しろやぎ サイコーハートの歌詞に「太陽染まってくよ Ah今キモチひとつだね」って歌詞があるんですけど、愛だしキモチひとつだし……。

 

黒鷺 え、もしかしてそういう性質のキャラだから宮下愛って名前なの?オレンジだし。でも愛さんの「愛」要素ってどこなんだろうってずっと思ってて、友情の方が近いと思ってたんだけど、何かを動かそうとか何かをしたいって感じの他人に対する原動力になれる力を持ってるって考えたら、宮下「愛」ってそういうことかって思った。

 

ぎぬま 一緒の気持ちになる事において一番共有しやすいのってたぶん「楽しい」だもんね。

 

のっぴ いろいろすっきりしたかも。最初黒鷺が言ってた「愛=太陽=夢」って話が全然しっくり来てなかったけど、「愛」とか「夢」っていう自分の中にあるものを太陽っていう原動力に形容しているって言うとめっちゃしっくりくる。愛は太陽の一要素、みたいな。

 

黒鷺 あー。イコールで結ぶんじゃなくて「愛は原動力じゃない?」って置き換えるぐらいがしっくりくるかも。太陽は一旦原動力で考えちゃうけど。

 

のっぴ ちょっとなんか『夢が僕らの太陽さ』の歌詞見たくなってきた。……まって、これ「だから夢が僕らの太陽さ」になってるね。「だから」って順接の接続詞だから、その前に理由付けが無いといけないわけじゃん。

 だから、「想いがたくさんあって 繋がることで元気になる」だから「自分のこころ強く変われ」頑張ろう「”だから”どんな時も夢が僕らの太陽さ」って続くから、想いのやり取りとか、相手への感情のやり取りで自分も強く頑張ろうって願うことが夢=太陽って言える理由付けになってる。

 

黒鷺 あー、夢があっても、それを実際に叶えたいって思えるぐらいの原動力に直結するかってところはイコールじゃないけど、そこに例えば歩夢の隣を一緒に歩いていって欲しいっていう気持ちとか、同好会のみんなの応援とか、そういうものがあるから、夢っていう物が太陽=原動力になりえるものになってる、そういうことなのかな。というか、そういう気持ちがたぶん「愛」なんだよね。誰かを想う気持ちで、それで夢を僕らの太陽にしてくれているもの、たぶんそうだと思う。

 

 このように、「愛」とは相手の事や何かの事を思い慕う「大好き」な気持ちであり、そしてそれは、ラブライブ!というシリーズにおいて、何かを掴みたい、何かを届けたいという願いや想いを叶えるんだ、頑張るんだという原動力になるものだと言える。

 

「愛」と2019年『with You』

 さて、そんな「愛」であるが、2019年開催の『with You』のとき、虹ヶ咲というシリーズにおいてそれがあったとは言えなかっただろう。

 確かに、物語の側、作品の側にはそれは存在した。直前にリリースされた『Love U my friends』、2nd楽曲に関連するキズナエピソード、あなたのことや中川菜々を想う人たちの*3物語、そして、それらの物語を知って欲しいと訴えるキャストやスタッフたち。そうした姿の中にあったのは、間違いなく、大好きだという気持ち、「愛」であっただろう。

 

 しかし、そうした「愛」で満たされているはずの場所であったとしても、ひとつだけ、そうした「愛」が欠けているものがあった。そして、ラブライブ!シリーズにおいて、それを欠かすことはできず、言ってしまえば、それがなかったからこそ、当時の虹ヶ咲にはラブライブ!を名乗る資格がなかったと言ってしまっても過言ではないだろう。

 それは、私たち「あなた」からの「愛」だった。

 2017年にPDPとして発足した虹ヶ咲だったが、スクスタのリリース遅延や、サンシャイン!!の隆盛、そして、当時シリーズとしての展開が浸透していなかった*4こともあり、今のようにファンに支えられている作品であるとはお世辞には言い難いものであった。

 何度も事前にクリアしておくようにとのアナウンスがあったにも関わらず、キズナエピソードをクリアせずにライブに来た人間も多く、当時の虹ヶ咲は、完全に私たちにとって興味のあるものだという扱いを受けておらず、無関心という逆境に立たされていた。

 もちろん、初期から応援していた人間もいないわけではない。*5しかし、現シリーズの中でファンと作品の距離感がいちばん近い*6シリーズとして、それは全く十分なものだとは言えなかった。ライブ内で近江彼方役の鬼頭明里さんが言及していたように、虹ヶ咲の競争的な面でヒートアップしたファンが互いの好きなキャラクターを蔑みあったり、所謂亜流と呼ばれるような立ち位置であることからシリーズそのものを蔑むファン、逆に亜流であるからこそ無印やサンシャイン!に敵対意識を燃やすファンがいたり。当時の虹ヶ咲を取り巻く環境は、お世辞にも良いものだとは言えなかった。*7

 

 そんな状況に明確に変化があったのが、『with You』とラブライブ!フェスだった。

 物語に対してどこか一歩引いた目線から観測する事は、作品に対する向き合い方としては珍しいものではない。しかし、虹ヶ咲に関しては、明確に「あなた」を必要としている以上、そうした他人事のような目線、彼女たちの手を振り払うような行為は、時にはそれが絶望的な喪失につながることすらある。

 

with youって言葉の意味を強烈に感じた気がした。

想いは伝えなきゃ届かないって事は知ってたけど、想いが伝わらずに涙する人がいるって事の残酷さが苦しいぐらいに身に染みた。

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 First Live “with You” 感想 - #てつがくのドンカラス

 

 物語には、人生には、その人が生きた意味を証明する手段がたくさんある。無印ラブライブ!は、『僕たちはひとつの光』によって、伝説として語り継がれることで、μ'sicForeverと歌い継がれることでその軌跡が今も輝き続けている。サンシャイン!!は憧れを胸に憧れを背負い続ける事で、リビングレジェンドとしてシリーズを牽引し続けている。

 しかし、虹ヶ咲は彼女たちの物語や生き方だけでは、その生きた証を残すことはできないのである。なぜなら、虹ヶ咲は『あなたと叶える物語』であり、私たちが生きた証を残すことでしか、虹ヶ咲はその存在を証明する事ができないからである。

 

 だからこそ、虹ヶ咲はラブライブ!として『with You』に臨んだのではない。私たち虹ヶ咲のファンが生きた証を残すために、彼女たちを愛しているという証を残し、ラブライブ!になるために『with You』に臨み、そしてそれは大成功した。

 期待されず、関心も持たれず、支えてくれる人もいなかった虹ヶ咲が、本当の意味で彼女たちの事を思い、彼女たちのことが大好きであるという気持ちを持った「あなた」を獲得した時。「あなた」の「愛」(ラブ)という、虹ヶ咲が生きている(ライブ)証によって、この時やっと虹ヶ咲はラブライブ!となったのである。

 

 このように2019年の『with You』は、虹ヶ咲にwith Youする気持ち、つまり愛を獲得する事で虹ヶ咲がラブライブ!となるためのライブであった。そして、ようやくラブライブ!となった虹ヶ咲は、ラブライブ!フェスに参加する事で、彼女たちへの愛を爆発的に獲得していく事となったのである。

 

なぜなら、ラブライブ!フェスの舞台の上で紡がれたのは、ラブライブ!愛する人間なら全員知っているはずの、『夢への一歩』と『ダイスキ』の物語だったからです。

ダイスキなメロディの繋がりだよね - #てつがくのドンカラス

 

 

「愛」と2022年『虹が咲く場所』

 さて、そんな『with You』で得た「愛」を育み続けて3年。彼女たちの獲得した新しい物語の中で、『with You』はリメイクされる形でまた私たちの前に現れた。

 前回は「愛」を獲得するために開催されたが、今回の彼女たちを取り巻く環境には、かつてのように切実さを感じる程の愛の欠乏は感じられない。

 個々とのキズナエピソードが前面に押し出されているわけでもなく、一見『with You』要素は見当たらないかもしれない。

 アニメ13話『響け!ときめき――』に関する記事でも、どうして『with You』足りえるのかについては掘り下げる事ができたものの、当初なぜ『with You』として描いたのかよく分かっておらず、疑問に思う方も多いのかもしれない。

 

それに対して、この作品は具体的な個々とのエピソードが先行していた。

侑が個々人や集団と向き合い紡いでいくエピソード群から、そのエッセンスだけを抜き出して一般化する。「あなたと叶える物語」というテーマが先行し、それをどんどん具体的なものとして行くのではなく、具体的なエピソードから希薄化して、抽象化して、特定個人だけではなく「みんな」に当てはまる普遍的なテーマを導き出す。

そんなボトムアップ形式で描かれたのがこの最終話であった。

昨日とは違う風が心を締めつける 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期13話『響け!ときめき――。』 - #てつがくのドンカラス

 

 

 しかし、これまで本記事では『with You』で獲得したものが「愛」であり、そして、その「愛」を注ぐ主体が私たち「あなた」である事を論じて来た。そうした上で、アニメ13話の描写に照らし合わせて考えると、まだ私たちの物語の中で、ひとつだけ獲得できていないものが存在する事が分かる。

 『with You』以降に虹ヶ咲が獲得したものとして、「三船栞子」「ミア・テイラー」「鐘嵐珠」「高咲侑」「Liella!(後輩)」等が挙げられるが、それらに「愛」を送り続けていた私たちは、13話で登場したとある人に対して、まだ「愛」を注いでいないはずである。

 

 それは、高咲侑……ではなく、高咲侑が代表となる「あなた」全員、そう、私たち自身である。

 

 それまで描かれたのは、あくまでスクールアイドルとファンの関係性であった。言ってしまえば、ステージの上に立っている人間を大好きでいるという、非日常の特別な瞬間を切り取った、日常に帰れば忘れてしまうかもしれない、ただそれだけの関係性。

 しかし、アニメ2期及びスクスタ2ndSeasonで描かれたのは、そうした「愛」の対象であるスクールアイドルから特別性と非日常性を剝奪し、誰もが「愛」の対象であり、誰もが「大好き」な気持ちを表現できるスクールアイドルであるという、スクールアイドルの定義の更新*8であった。

 

 スクスタでは、スクールアイドルをスクールアイドルを楽しんでいる人*9たちだと定義し、アニメでは「たくさんの人にトキメキを与えられる存在」だとの発言があった。

 

同好会を始めてから、楽しい事ばっかりで。こんな幸せでいいのかなって。

 

でもね、これってきっと特別な事じゃないんだと思う。

みんなだってそうだよ!もう走り出してる人もいっぱいいるはずだし。

向いてないとか遅いとか、そんなの全然関係なくて、上手くいかないこともいっぱいあるかもしれないけど、その時は私たちがいるから元気が欲しいときは会いに来て!

 

 そして、スクールアイドルを楽しむことや、誰かにトキメキを与える事は、選ばれた誰かにしか成しえない特別なものではない。特別なものであってはいけない。誰もが心の中に絶対に持っているはずのもの、どんな人でもスタートラインに立つ権利のあるものであり、そしてそれは虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会という作品と、その作品に携わる人たちがずっとずっと描き続けてきた、虹ヶ咲の生きた証なのである。

 

 μ'sも、Aqoursも、Liella!も始まりは劇的な出逢いだった。普通な私の日常に「突然訪れた奇跡」だった。運命的に飛びこんできた「非日常」であった。しかし、虹ヶ咲に関しては、そうした出逢いが日常の延長線上で訪れているのである。

 

 境界線は常に撤廃されてきた。一番最初のせつ菜のライブだって「世界が色づいて光りだす瞬間」を見ただけで、あくまでそれは日常のワンシーン。色づいて光りだしたのは、侑の見えている世界であって、その世界自体は彼女の生きている日常でしかない。特別な場所や特別な舞台じゃなくたって、そこに何かを好きだという想いと、それを伝えようとする気持ちがあれば、それだけでスクールアイドルのステージは完成するのである。

 

 他シリーズと比べて、虹ヶ咲はそうしたライブシーンが圧倒的に多い。

 侑と歩夢の家の階段や学校を始めとした、いつもの景色。

 それがスクールアイドルの力で、愛と、それを伝えたいという想いで、どんどんスクールアイドルのステージになっていく。

 そうやって、日常が少しずつスクールアイドルのステージのように愛で溢れていく様を描いてきて、この景色は特別じゃないんだ、愛があれば、どんな景色だってスクールアイドルのステージに変わるんだと発信し続けてきた虹ヶ咲。

 


www.youtube.com

 

 そして、その特別さを否定し、スクールアイドルとして日常に寄り添い続けた、「シリーズの中で最も日常に近い作品」だからこそ、高咲侑という私たちと同じようにスクールアイドルとしてパフォーマンスを行わない人間であっても、「愛」を持ってそれを伝えることができる「スクールアイドル」であり、ラブライブ!を生きる一員として描くことができるのである。

 

 そうしてスクールアイドルの特別性を否定する事は、侑だけでなくこの作品に対して愛を注ぐ私たちに対しても意味のあるものである。

 「あなた」から派生した侑が、虹ヶ咲のスクールアイドル、虹ヶ咲を愛し、愛を伝える人間としてラブライブ!の一員となったわけだが、虹ヶ咲に対する「愛」を持っており、それを伝えてきた(=もう走り出している人)人や、これから好きになっていく人も、当然スクールアイドルと呼べる存在となるのである。

 特別な事をしなくたって、日常のほんの少し、例えば日々の生活の活力を貰うとか、通勤通学中に何となく曲を聴いているとか、共通の愛を持つ人と仲良くなるとか、日常のどこかにスクールアイドルがいるだけで、私たちはスクールアイドルでいることができるのである。

 

 そして、スクールアイドルに対する愛を持っている人をスクールアイドルと呼ぶなら、そのスクールアイドルだって、「愛」の対象になるべきであるし、そうやって「愛」のバトンが繋がっていく事こそが、2期のテーマ『______ 響け!ときめきーー。 』であった。

 川本美里から宮下愛、宮下愛から天王寺璃奈、ミア・テイラー。三船薫子から三船栞子。そして、高咲侑から「あなた」。

 

 

 アニメでは、同好会からではなく、「あなた」から高咲侑への「愛」が描かれた。そして、物語の最後には、侑から「あなた」への夢のバトン。つまり、「あなた」への「愛」が描かれて物語が締めくくられた。

 

 そして、このように作中では「高咲侑」と「あなた」が愛のやりとりをしたわけだが、繰り返すが、高咲侑のルーツは「あなた」であり、高咲侑と「あなた」の愛のやりとりは、「あなた」と「あなた」の愛のやり取りであると言える。

 それは、目の前にいる「あなた」に対する「愛」なのかもしれない。「あなた」として愛で生きている自分自身なのかもしれない。

 しかしいずれにしても、アニメ13話で描かれたのはそうした『あなた』同士の愛であり、『あなた』たちによる「みんなで叶える物語」ラブライブ!であった。

 

 これが、『あなた』をスクールアイドルであると定義し、『あなた』の日常に寄り添ってきた虹ヶ咲であるからこそ成し遂げられたものであることは言うまでもない。

 

 

 このように、『with You』で「愛」を獲得しラブライブ!となった虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、そのリメイクである『虹が咲く場所』で、「愛すること」そのものを「愛する」ことにより、「ラブライブ!with You」を達成する。

 そして、私たちは本当の意味でスクールアイドルとなるのである。

 

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は『ラブライブ!』である

 このように、虹ヶ咲は「あなた」の愛によってその生きた証を残し、そして「あなた」を愛する事でまた、「あなた」の生きた証を残す。

 そうして、互いに想い合う「愛」で繋がっていることで、彼女たちの物語はラブライブ!となる。

 なぜ、ラブライブに出場しないにも関わらず、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会ラブライブ!なのか。それは、私たち「あなた」がいるからなのである。

 

あとがき

 どうもこんにちは。珍しくあとがきを書いています。

 テーマを「愛」にしてしまったせいで、執筆後にすべてのキャラクターをフルネームに書き直さなければならなくなったことに気づいてしまった黒鷺です。

 

 知り合いのオタクが、「虹ヶ咲はオタクを描いている物語」っていう表現をしていて、それがすごくしっくり来てるんですよね。

 だから、自分の思想とか信条的には、サンシャイン!!の桜内梨子の影響がすごく大きいんですけど、そういう出逢いとか出来事に意味を見出すことに重きをおいた考え方とか、大切な人に自分を捧げるような関わり方が、虹ヶ咲とすごく相性がいいのかなって。スクスタの12章『前しか見えない!』も、わざわざ梨子だけフィーチャーされてたし、そういうのも含めて、ラブライブ!としてこの作品が好きだなって、最近はそんなことを思ったりしています。

 

 アニメも1回目と2回目でだいぶ印象が変わって、1回目の直後に毎週書いていたブログの印象から変化した部分もすごく多いんですよね。2期の13話当時は、「あぁ自分は高咲侑じゃないのか……」って思ったりして、一番近くで支える歩夢の幼馴染としての「あなた」でいたい自分としては、5thにどういう気持ちで臨んでいいのかよく分からなくなったり、もしかしたら虹ヶ咲を応援するのを辞めるかもしれないとか、そんなことまで考えたりした時期もあったんですよね。

 それでも今「自分は『あなた』であり高咲侑なんだ」って思えるのって、周りのオタクと虹ヶ咲への愛を共有したりだとか、もっと虹ヶ咲を知ろうと色々ああでもないこうでもないと話したりだとか、そんな時間があったことが大きいんだと思います。

 大切な人が増えていく事とか、夢のバトンを繋ぐこと、誰かにエールを送る事、大好きな気持ちを伝える事。そんな「愛」は、自分から作品だけじゃなくて、自分から同じように作品が好きな人に対してもちゃんと持ってたんだなって、自分が高咲侑/あなたとして虹ヶ咲を好きで追いかけ続けていた中で気づくことができたような気がします。

 

 

 それは、きっと自分だけじゃなくて、5thLiveに来ている人たちもなんとなく感じているんじゃないかなって思います。

 それぞれ推しも違うし、虹ヶ咲の何が好きかも違う人たち。それでも他のシリーズ以上に、一緒に虹ヶ咲を好きでいてくれる人たちの存在が、作品を好きだと思う気持ちに与える影響が大きいシリーズだなって、自分の周りとか、Twitterのタイムラインで見えている人、Discordやイベント会場やお台場で出逢った人たちを見ていて感じています。

 自分みたいな老害古のオタクで、たとえ周りに同じものを好きな人がいなくも1人でオタクしているタイプな人間でも、たぶんこれまでの出逢いがなかったら今ほどこの作品を好きになれてはいなかった気がしています。

 

 

 同好会のみんなの事は最初からずっと大好きなんですけど、大好きな人たちを大好きな人たちと一緒に応援できるのって、すごく幸せな事だと思いますし、そんな「愛」が同じ方向を向いてたくさん注がれているからこそ、虹ヶ咲の「みんなで叶える物語」は自分にとって本当に素敵な物語になっています。

 

 私と同好会だけじゃなくて、私以外の誰かと同好会、わたしじゃない「あなた」。*10

 虹ヶ咲の今回のライブって、そういう自分の隣にいる人たちや、これから出逢う人たち、そして、その人たちが虹ヶ咲に注ぐ愛。その人にとって、大切な人たちや、大好きな事がどんなふうに見えているのか。どんなふうに見えて、そこからどんなことを感じているのか。

 

 つまり、

 

#君の目が探す虹を

 

 好きになる、そういう場でもあると思うんです。

 

 

 

 少しだけ 少しだけ時間いいかな?

 

 私は虹ヶ咲が大好きです。

 虹ヶ咲のスクールアイドルが好き。虹ヶ咲と一緒にいる自分が好き。虹ヶ咲を一緒に応援している人たちが好き。

 誰かのために何かをしてあげたい、信じてあげたい、一緒に夢を背負いたい。そして、大切な人が大切にしているものを、自分も大切にしてあげたい。そんな誰かを想う気持ち、誰かを愛する気持ちが大好きです。

 

本当はね 本当はね ずっと言いたかった

 

 そして、今自分がこうして虹ヶ咲のことを好きでいられるのは、一緒に虹ヶ咲を好きでいてくれた人、一緒に虹ヶ咲を愛して、応援してくれた人たちがいるからです。そんな人たちと出逢えて、そして今こうして企画に参加させて頂いたり、この記事を読んでくださったりする事は、本当に奇跡のようなことだと思います。

 ありがとう、出逢ってくれて。

 

 

 さて、ここまで長々と書いて、この記事で私が伝えたいのは

みんな、大好き!!!

って事と、

君はどんな夢の中で踊りたいのかな

って教えて欲しいって事。

 

 たくさんの人の愛と、たくさんの人の想いが響き合うことで、それぞれの想いがもっともっと強くなっていくと思うし、ライブがそんな「愛」に支えられたものであると嬉しいです。

 

 そんな想いが花ひらくまで、あと5日。

 

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 5th Live! 虹が咲く場所 』

とびきりの明日へ行こう!

Love U my friends

 

 そして、次はあなたの番!!!

*1:2012/9/27 ラブライブ!① 鴇田アルミ

*2:このシリーズ、「YOU」と「愛」と「恋」がいるらしい。

*3:菜々はその手を振りほどいてしまったが

*4:Twitter公式アカウントが「ラブライブ!シリーズ」になったのは2018年8月。また、2016年からラブライブ!フェス前後までは「ラブライブ!」はシリーズ物であるという認識は今ほど浸透しておらず、「昔は無印ラブライブ!、今はサンシャイン!!」というような認識が浸透しており、そうした構造の中に虹ヶ咲が入る余地はなかった

*5:『with You』でアニメ化が発表されたということは、それまでに彼女たちを必要とする声や支えようとする人間がいたという事である。

*6:というか、私自身がラブライブ!である

*7:しかし、スクスタ作中のファン一般の描写を垣間見るに、そうした環境を前提に作られているように思う部分も少なくない。

 ボランティアを1000人集める事に際し、「あなた」及び虹ヶ咲が新人にも関わらずレジェンド2組を差し置いて代表となっていることに対して苦言を呈するSNSの反応は、当時からするとかなり生々しい反応であった。

 そう考えると、これについてはファンが悪いというより、元々大衆とはそのようなものなのかもしれない。

*8:とはいえ、無印劇場版で高坂穂乃果は「限られた時間の中で精いっぱい輝こうとする」ことをスクールアイドルであると定義づけており、実際映像の上では雪穂や亜里沙SUNNY DAY SONGに参加している。とはいえ、A-RISEも含め歌声が存在しない以上、曲自体は(μ’sという)スクールアイドルの曲であっても、スクールアイドルの定義自体は元からかなり広く捉えても問題はなかっただろう。

*9:

「それぞれが好きなことで頑張れるなら

新しい場所がゴールだね

それぞれが好きなことを信じていれば

ときめきを抱いて進めるだろう」

って歌詞が今になってまた突き刺さっているが、なんと「9」年前である(マジで?)

*10:でも、歩夢の幼馴染であり「高咲侑」は私ですが