#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

できることないか探してみようよここで 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期8話『虹が始まる場所』

前回

 

 

お膳立てによって作られた本当の嵐珠のステージ

 当ブログでは、1話の嵐珠の『Eutopia』について、彼女の本領を発揮したパフォーマンスではないものであると述べていた。

 

「分からないから理解したい」という欲求を産み出すことによって、『Queendom』は視聴者を嵐珠の得意な領域に引きずり込んだ圧倒的なパフォーマンスとなったわけだが、「分かった気になって満足した」アニメの描写は、視聴者を嵐珠の得意分野とは正反対である、彼女が最も苦手とする分野、無関心へと誘うものである。

幕開けよ!未知なる時代が 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会2期1話『新しいトキメキ』 - #てつがくのドンカラス

 

 それに対して、今回の8話の嵐珠の『Queendom』は、嵐珠の魅力を存分に発揮したパフォーマンスであったと言えるが、それは「お膳立てなんて最初から期待してないわ」との嵐珠のコメントとは逆で、むしろ結果としてお膳立てにより彼女に注目が集まったことにより成立したものであった。

 

 不安や恐怖以上に人の視線を釘付けにしてしまうものはない。それは、目を離せなくなってしまう状況に陥らせるのではなく、目を離すという選択肢を奪うに等しいものだからである。

 例えば、目の前で強盗が誰かにナイフを突きつけている時、または今にもビルから落下しそうな人が辛うじて足場にぶら下がっている時。それが仮にテレビ映像であったとしても、私たちは今にも目の前の人が死んでしまうのではないかとハラハラするだろうし、まともな倫理観のある人間ならそれに対して無関心でいる事はできないだろう。

 

 そして、嵐珠のステージの直前に不安に支配されていた観客も同じように、目線が一ヶ所に釘付けになっていた。リハーサルとは違い、ニジガク号がゴール直前で停止してしまうというアクシデントに会場はざわついていた。

 そして、それがネガティブな感情である以上、生徒たちには不安にならない選択肢も、動揺しない選択肢もない。

 

 開会の合図を告げるはずのニジガク号が到着せず、幕が上がらない。バトンが繋がらない。その場にいるものは不安と動揺に支配されるまま、動かないニジガク号を見つめている。

 そう、ニジガク号が到着しないというアクシデントによって、一点に注目が集まざるを得ない状況が出来上がっているのである。

 そして第一回の記事で述べたように、一度注目が集まってしまった後のステージとは、鍾嵐珠というスクールアイドルの最も得意とする舞台である。

 

 不安、動揺、驚愕といった、アクシデントから生まれたすべての感情が、続く嵐珠へのステージへと一気に注がれていく。

 

 「これ大丈夫なの?」「ニジガク号失敗しちゃったの?」

 それが負の感情であるかなど、嵐珠にとっては一切関係のないことである。観客が何らかの感情を抱いて嵐珠に注目さえしていればいい。少しでも目が合った瞬間に、ブラックホールのように嵐珠の支配下へと吸い込まれて行ってしまう。それが、鍾嵐珠というスクールアイドルである。

 

 そして、それはニジガク号のアクシデントがお膳立てとなっている事は言うまでもない。

 

 また、そうしたお膳立てが機能しない相手に嵐珠が徹底的に相性が悪いことも同時に垣間見える。

 

 せつ菜と比較してみよう。

 1期1話の侑は元々せつ菜を知らない人間であり、いわば無関心の状態から彼女に心酔するまでになった。優木せつ菜というスクールアイドルは自分に対して注目していない相手に対しても振り向かせて訴えかけるような、いわば外に広がっていく力を持っていると言える。しかし、それは必ずしも万人に受け入れられるものではない。かすみのように、そうした在り方を受け入れる事ができなかった人もいるだろうし、彼女の訴えは万人に届いているわけでもない。*1

 それに対し、嵐珠のエロい誘うような仕草で誘惑し、見せつけるように取り込んでしまう在り方は、一度引き込まれてしまえばほぼ対象を選ぶことはないだろう。身体は正直本能的に刻み付けられた部分に訴えかけ、強力な引力で引きずり込んでくる彼女のパフォーマンスは、人の好みや人格を問わず、ほぼすべての人に対して有効なアプローチであることは間違いない。

 しかし、それはあくまで相手が嵐珠に興味があることが前提となっているのである。

 

 今回の話で、侑がミアと会話している際、ふとした瞬間にせつ菜の歌声が聴こえてくる描写があった。彼女の歌声は意識の外から訴えかけることができるという性質があることも垣間見えるが、それとは対照的に、スクールアイドルフェスティバルの場にいて不安も感じないし動揺もしていない者は嵐珠の歌声に興味すら示さない。

 

 

 はんぺんのように、嵐珠に対して無関心であり、アクシデントというお膳立ても機能しない相手に対しては、鍾嵐珠というスクールアイドルは絶望的に相性が悪いことが垣間見えるが、同時に、相性の不利を覆すだけのパワーも持ち合わせているのも嵐珠であるともいえるだろう。

 

 もちろんニジガク号自体は無機物であるため、嵐珠に関心を持っているとは言えないだろう。しかし、はんぺんに対して無視されたとしても、ニジガク号を最後に飛び出させたのも嵐珠のパワーである。

 

 それがどんなベクトルのものであれ、相手が自分に対して関心さえ持っていれば圧倒的な引力で引きずり込み、そしてそうでなくても多少の不利はキャラパワーで覆すことができる。*2これが、スクールアイドル鍾嵐珠の真骨頂である。

 

 

 

震えてる手を握る人はいない

 3rdLIVEを思い出した人も多かっただろう。

 しかし、3rdLIVEの矢野妃菜喜に高咲侑が追い付いたという事はできたとしても、これが3rdLIVEの侑かと言われると別で、むしろ似たような状況で違う事が起きている事に意味があると言っていいだろう。

 

その上原歩夢/大西亜玖璃が、かつての桜内梨子/逢田梨香子と同じようにピアノに向き合う高咲侑/矢野妃菜喜の危機的状況をひっくり返し、『夢がここからはじまるよ』を大成功に導いた。

世界が色づいて光りだす瞬間を見た。【ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3rd Live! School Idol Festival ~夢の始まり~】 - #てつがくのドンカラス

 

 ひとつは、あの時の侑は自力でピアノを弾き切ったという事である。

 3rdLIVEにおけるピアノ演奏に関して、同好会メンバー9人、とくに上原歩夢/大西亜玖璃の力なくしてあの成功はあり得なかった。仲間に支えられることで、高咲侑/矢野妃菜喜はピアノパフォーマンスを成功させたのである。

 しかし、今回は仲間に頼るわけにはいかなかった。なぜなら、支えられることを情けないと考える嵐珠からなぜ同好会に居続けるのかと問われた侑は、「侑が同好会にいて」「そして支えあうことでしか得られないもの」を嵐珠に対する解答として用意しなければならなかったからである。

 つまり、あの時の侑はスクールアイドルのファンであると同時に、支える側として登壇している。これまで支えられてこのステージにたどり着いた侑だからこそ、ここでの侑は「ファンが支える」姿を見せなくてはならないのである。

 だからこそ、3rdLIVEとは違い、あの場での侑は一人だけの力でピアノを弾き切らなければならなかった。

 

 手が震えるという、シリーズで追っているなら3rdLIVE以外のものまで思い出すような描写を描いても、そこに彼女の仲間たちの姿は重ならない。

 

仲間に入れてもらえてすごく嬉しいです。それと、本当に皆可愛いです(笑)。

私は途中からの参加なので色々と不安でしたが、皆優しく受け入れてくれてとても嬉しかったです。

ライブでも言いましたが、皆の隣にやっと立てたのかなと。

TVアニメのアフレコを終えた時点ではまだ皆の後ろに立っているような気持ちがありましたが、ライブを一緒に作っていく経験を通して、やっと本当の意味で仲間になれたような気がします。

第10回インタビュー:矢野妃菜喜&大西亜玖璃[「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」V-STORAGE通信] | V-STORAGE (ビー・ストレージ) 【公式】

 

 3rdにおいて、矢野妃菜菜喜氏はみんなに追いつきたくて挑戦したと語っていた。実際、ステージに立つという点において、侑はこれまで同好会メンバーと同じ舞台に立っていたとは言い難い。

 1期9話『仲間でライバル』では、ステージに1人で立たなければならないというプレッシャーを味わっているという共通点によって絆が生まれ、それによって得た力が虹ヶ咲最強格である『VIVID WORLD』*3へと繋がったわけだが、ステージに立たない侑はそのエピソードにおいて果林に寄り添う側、支える側ではなく、果林から何かを受け取る側の人間として描かれている。

 

 1期では侑は同好会の(チームメイトという狭義での)仲間ではあれど、少なくともライバルとして描かれてはおらず、従ってステージに1人で立つ際に支えとなる共に戦う仲間でライバルであるとは言えなかった。

 そうした内容が嵐珠から何回か指摘されているように、本当の意味で侑が同好会の仲間となるためには、果林がそうしたように1人だけでステージに立つという経験をしなければならなかった。

 

 

 そして、これは侑が「あなた」から本当の意味で独立するための通過儀礼でもあった。

 私たちにとって、ラブライブ!は宗教かもしれないし、趣味かもしれない。己の在り方を定義づけるだけの指針となるようなものを与えたかもしれないし、明日を生きるエネルギーを与えたかもしれない。

 いずれにせよ、わたしたちにはラブライブ!の外側があり、スクールアイドルを応援するという在り方の他にも、それを成り立たせするための日常生活があるはずである。

 そして、「あなた」にとってはそれがスクールアイドル活動であり、同好会の仲間たちが舞台でパフォーマンスをするのと同等に立てる場所だと言っていい。

 

darkphoenix505pianoles.hatenablog.com

 

 仕事や勉学などは私たちにとってのスクールアイドル活動であるといっていいし、そうした自分が立ち向かわなければならない壁を乗り越えて生きてきたこの経験こそが、果林を始めとした同好会のメンバーと私たちを結ぶ絆となっていただろう。

 ゲームにおいて、育成や編成、ライブにおけるノーツ処理がスクールアイドルのファン活動、仲間としての活動に相当する*4なら、ライバルとしての活動はゲームをしていない時、つまりラブライブ!から少し離れた日常生活がそれに相当するだろう。

 

 「あなた」を始めとした私たちには、そうしたそれぞれの日常、それぞれのやりたいこと、やるべきこと、つまりはスクールアイドル活動が存在した。

 しかし、「あなた」と同じく作中でスクールアイドルを応援する瞬間のみが描かれ、そして、「あなた」から人格をもって独り立ちをすることで、「あなた」の持っていたラブライブ!に触れていない日常生活をスクールアイドル活動に置換する性質を失った侑は、同好会のみならず「あなた」である私たちからもひとり取り残される事となっていた。

 

 

 だからこそ、彼女が「あなた」から離れ、人格を持ち自分の夢を追いかけていくためには、彼女が自分自身のスクールアイドル活動を自分の力で成功させることが必要だった。あの瞬間は、侑によって同好会のメンバーは隣を走る仲間であると同時にライバルであり、果林がダイバーフェスに挑み乗り越えたのと同じように、侑”も”1人で壁を越えていく。そういう通過儀礼である。

 

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超えたい、私も。

 

 そして、そんな侑がピアノを弾くと同時に、客席にいるファンがステージに虹を掛ける。これが侑の作るステージであり、侑のスクールアイドル活動であるわけだが、これは侑を中心に虹が広がってはいるが、侑が虹を掛けたというよりも、侑が虹の一員になったと捉える方が妥当であるだろう。

 先ほども述べたように、侑はスクールアイドル活動を行う「あなた」として取り残された場所にいた。

 『スクールアイドルフェスティバル』で侑の夢は始まったが、あくまでも夢というビジョンが生まれたわけであり、夢を追いかけ、何かを成し遂げようとするという在り方は何も動き出してはいなかった。

 そんな中、2期では8話掛けて、夢を持った侑がどのように生きていくのかを、メンバーと比較しながら足りないところを浮き彫りとする形で描かれ続けた。

 そして、それまで侑に足りていなかった『仲間でライバル』のライバル的要素を手に入れ、やっと侑は本当の意味で虹ヶ咲の仲間として、「あなた」の代表として、色とりどりの虹として、『TOKIMEKI Runners』として隣を走り始めることができたのである。

 

 だから、第1回スクールアイドルフェスティバルでは「夢」、第2回では「虹」が始まることとなったのだろう。

 

その他雑記

 3年生と栞子の前で幼児退行する私。

 栞子は年下ではあるが、このようにバブみを感じる精神的には自分の方が下であることが垣間見えて面白い。

 

 

 

 カラフルなスカート履いてるみたいに見える栞子ちゃん。

 

 

 

ぽむ

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かわいい。

 モーニングコールとは言わず、毎日起こしに来てほしい。お着替えもぜんぶ歩夢にてつだってもらいたい。朝ごはんは歩夢のあまーいあまーい卵焼き。顎をクイッって持ち上げられて、そのままちょっと開いた唇の先にチュッとした後に、やさしくあーんして食べさせてほしい。

 私の事が大好きなメイドさんに一生甘えながら幸せに暮らしていきたい。

 

 添えられた手の丸みが好き。

 

 ここが虹が始まる場所か……。

*1:「他の人の大好きを大切にできていますか」との問いが他者の在り方を攻撃する用途で引用されることも多くなったように、実際優木せつ菜の在り方が私たちファンの中に本当の意味で生きているかと言われると、そのように言える人間は半分もいないだろう。

*2:例えるなら、先制で攻撃が通りさえすればすべてを粉砕でき、仮に攻撃を受けたとしても生半可なものであれば耐えてからの反撃で充分戦うことができる、メガガルーラやウオノラゴンに近いのかもしれない。

 逆に技範囲が広く、たくさんの相手に対して有利に戦うことができるせつ菜はゲッコウガやエースバーンに近い。

*3:『無敵級*ビリーバー』が筆頭で『MONSTER GIRLS』『VIVID WORLD』『CHASE!』『Say Good-Bye 涙』が続くイメージ

*4:ノーツ処理に関してはオートでこなすことも出来るが、昨今のファン活動が一定のテンプレ化した行動をなぞるものとなりつつある点と重ならなくもないように思える。