#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

「歌」と「勇気」の描写がエグすぎて深夜に吠えた【幻日のヨハネ感想】

 Switchで 『-BLAZE in the DEEPBLUE-』が発売されました。

 ヴァイスでもヨハネのカードが登場し、この手のテーマと相性のいいヨハネの展開がアニメを皮切りに本格的に始まってきたなと、今自分の中ですごく波が来ています。

 

 

 ラブライブ!シリーズの中で好きなエピソードを挙げろと言われたら、今は『そして今日も』が1位になるレベルで最終話がヤバいぐらいブッ刺さりしていて、今自分の中でいちばん熱い作品となっています。

 

 

 自分はラブライブ!シリーズだったら何でも見るタイプで、好きな理由も「ラブライブ!」だからでいいやって思ってる側なので、ラブライブ!シリーズの中の「〇〇らしさ」が必ずしもじぶんのためのものでなければいけない理由なんてないとは思ってます。

 だから、ライブ後とかにシリーズ内の別作品の話とかも、やろうと思えば平気でできちゃう側だと思います。タブンネ

 

 

 今回も12話まではわりとそんな感じで見てたんですけど、13話で今までの物語が全部「ヨハネの物語」の刺さり方に変わって、「マジでこの作品やべぇぇぇぇ!」ってなりました。

 

 

「勇気」の描写がヤバいぐらい刺さった

 

 『La la 勇気のうた』が、初見で声出して横転するぐらい刺さったんですよね。誇張抜きで。

 

 ここまで12話掛けてヨハネにとって「うたとはなんなのか」をテーマに描いてきて、そして最終話ではそのうたを武器に異変に立ち向かうわけなんですけど、このシーンに凝縮されているポイントがいっぱいあります。

 

 

 

 まずは、これが「勇気」の「うた」であること。

 シリーズ内でもヨハネでしか描けない内容だと思います。

 

 困難に立ち向かうためのもの、諦めないこころ。一般的にはそうしたものが「勇気」と呼ばれ、ラブライブ!だけではなく様々な作品で描かれ続けられてきたテーマとして取り扱われていると思います。

 

 そして、それは特別なものであると同時に、誰もが胸に持っているものであるということも、「勇気」をテーマにした作品では描かれつづけてきました。

 

 

 

 

 

 「勇気」、そして「勇者」をテーマとして扱った日本の作品だと、ドラゴンクエストシリーズが有名ですが、「勇者とは何か」というテーマを真正面から扱った11以前の作品でも、勇者の定義はある程度なされていたように思えます。

 

 「勇者のチカラ」といったような、他者にはない先天性の力が備わっており、闇を払うのにその血統の力が必須となるような展開は、ドラクエシリーズでは多く描かれてきました。

 

 このことから、「世界を救うことができる勇者」とは「選ばれし者」であるというように考えられますが、そのような描き方をされる作品でも、「選ばれなかった者」が「勇者」となる展開も、無視できないほどに並行して描かれています。

 

 6、7では、主人公が生まれつきの特別な素質を持っており、伝説の武器が主人公の実が装備できる代物だったり、オールスター系の作品に出張した先で明確に「勇者」として扱われていたりと、「選ばれし者」として描かれています。

 しかしそれとは別で、ジョブとして「勇者」が設定されており、育成次第で全てのキャラクターが勇者になれるようなシステムになっています。

 

 漫画『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』では、特別な力を持つ「勇者ダイ」が主人公ですが、「持たざるもの」が勇気を奮い立たせることでダイを支え、再起のきっかけを作るシーンが何度も登場しました。

 

 

 

 そして、「勇者とはなにか」をテーマに作られた11では、魔王に1度敗北を喫し特別な「勇者のチカラ」を奪われた勇者が命からがら落ち延びた先で襲撃を受け、海底の女王がその身を賭して勇者を逃がすとき、ドラゴンクエストシリーズにおいて「勇者とは何か」という問いの核心に至るような描写がありました。

 

 

 

 また、最終決戦の直前にも、初期からの仲間から、「自分が主人公に着いてきたのは、『選ばれた勇者だから』ではない」という趣旨の言葉が掛けられます。

 

 

運命を共にする 勇者……
それが お前だったから
どこまでも 一緒に行こうと思ったんだ。

 

だから 頼んだぜ 勇者さま。
オレにも見せてくれよな。
魔王をぶっ倒す 勇者の奇跡ってヤツをさ。

 

 

 

 このように、「勇者のチカラ」自体は特別なものとして描きつつも、「勇者であること」の条件として「特別なチカラ」は必要なものとして扱われていません。

 あくまで、「世界を救う」「魔王を倒す」といった、目標を達成する手段として特別なチカラが必要となり、それを持っている者が物語の主人公となるだけで、彼が「勇者にふさわしいかどうか」は別軸で描写されていることが分かります。

 

 また、「世界を救いたいという意志がある」「あきらめない心を持っている」といった「勇気」を持っている者はすべて「勇者である」という描き方をされており、そして、そうした「こころのちから」は普遍的なもの、誰もが持ち得るものであるとされています。

 

――なるほど。そういう意味では、堀井さんの考える「勇者」の定義ってなんなんですか?

 

堀井氏:
 「諦めない人」ですね。


 人間だから、やっぱり失敗もします。でも諦めない、めげない、挑戦し続ける――そういう人は、みんな「勇者」だと思います。今回もそうですけど、「ドラクエ」の主人公は悲惨なことが多いですからね。

 でも最近の傾向として、みんなが「勇者」になりたがっている気もするんですよ。

 

――どういうことでしょうか?

 

堀井氏:
 最近、「リアル脱出ゲーム」みたいなイベント参加型の遊びが増えていますよね。そして、インスタ(Instagram)があって、Twitterがあって、みんなが自分のプロフィールを持っていて、ネットで冒険に出ている――そんな気がしませんか。僕は、誰もが「楽しもう!」と思っている時代に生きている気がするんです。「どんどん、やろうよ!」ってね。

 だから、勇者という存在は、今とても身近なものになっている気もしますね。

 

【堀井雄二インタビュー】「勇者とは、諦めない人」――ドラクエが挑んだ日本人への“RPG普及大作戦”。生みの親が語る歴代シリーズ制作秘話、そして新作成功のヒミツ  より引用

 

そして身命を賭けて救援活動にあたられている自衛隊、消防隊の方々

そのほか、この国を守ろうと日夜頑張ってくれている多くの方々に感謝します。

あなた方こそ、まことの勇者です。

 

堀井雄二さんからのお見舞いメッセージ (ドラゴンクエストIX情報ブログ) より引用

 

 

 ドラクエの話したかっただけじゃね?と思われそうなんですけど、この後ちゃんとヨハネの話するので許してください。

 

 

 つまり、「勇気」とは「選ばれた者のみが持つ特別なチカラ」ではなく「誰もが胸に持つことができるもの」だということができます。

 

 

 

 

 そしてそんな「勇気」が、ファンタジーな世界観の中で「うた」を通して異変への対抗手段として描かれたのがまずひとつ目のポイントです。

 

 こういう紋章が湧いてくる足場、RPGの最終決戦でよく見るやつ~!

 

 歌声に反応してドガーン!バーン!って水飛沫は飛ぶし、なんか大量に虹が架かるし。

 虹ヶ咲の1期1話の『はじまりのトキメキ』とかは、「侑にはそのように感じられた」という意図で、演出面でやりたい放題やっていたと考えられますが、こっちでは「魔法がある世界だから」という理由で同じようにやりたい放題できるのがいいですね。

 

 演出のリミッターを解除して、歌の力を画面演出として好き放題詰め込まれているのが、ヨハネならではの描写だ!って思わせられるのと同時に、とてもパワフルで圧巻でした。

 

 本当に興奮しちゃいますね。

 

 

 サンシャイン!!及び無印とスーパースター!!の脚本を務める花田十輝先生は、挿入歌を必殺技であるかのように使うことが多いですが、今回は比喩でもなんでもなく本当に「必殺技」になっていて、音楽の力が異変に対する切り札になっているのが、本当に好きなポイントです。

 

 そして、そんな「勇気のうた」がヨハネの魔法によって「異変に対抗するための切り札」として描かれながらも、一見「ヨハネの魔法=歌のチカラ」に見えて、実はそうじゃなくて、そんな特別なチカラである「勇気」はみんなが持っているものだという描き方が本当に好きで、というかヨハネの好きポイントの8割を占めるぐらいに大事な要素だったんだと思ってるぐらいには好きです。

 

 

 

 ヨハネたちの歌に反応して、ヌマヅの人たちがみんな歌いだすんですよね。

 

 

 初見でここで「えええマジで!?」って叫んだポイントです。

 

 確かに、歌を必殺技にできるのがヨハネの魔法で、ヨハネがいなかったら異変に対抗できないのは事実だと思います。

 でも、ヨハネの魔法は、ただ「歌をチカラに変える」だけで、歌というものそのものは誰もが持っているありふれているものでしかないんですよね。

 

 

 その誰もが持っている「歌のチカラ」は、同時に人のこころを動かすことができる特別なものであることは、きっとラブライブ!シリーズを知らない人でもなんとなく人生経験から分かることなんじゃないかなって思うんですけど、そんな「歌」というモチーフをそのまま「勇気」に重ねてきたのがこのシーンなんですよね。

 

 

 「諦めない気持ち」という「こころのチカラ」である勇気って、歌と同じように、きっと誰もが胸に持っている気持ちだと思うんです。

 

 コハクを始めとするメインキャラクター以外の人たちの奮闘が数多く描かれてきたように、異変をどうにかしたい、誰かの助けになりたい、ヌマヅを救いたいって気持ちって、決してヨハネたちやライラプスだけのものじゃないんです。

 

 ヌマヅに住んでいるみんなが、例え特別なチカラを持っていなかったとしても、ヨハネたちと同じようにヌマヅを救いたいと願って、そしてそんな「地元愛」と「諦めない気持ち」が「勇気」というこころのチカラになっていく。

 誰もが持っている想いが、誰にでも持つことができる特別なチカラになって、そしてそれが「歌のチカラ」という誰もが持つことができる特別なチカラであり、ラブライブ!シリーズの最強のチカラになっていく。

 

 これが本当にすごくて、だって、「この場所を守りたい」という願いそのものに、既に「地元愛」と「諦めない気持ち」というラブライブ!シリーズやその他の作品でも大切にされてきたテーマが詰まってるんですよね。

 しかも、歌を本当の意味で必殺技にできてしまう『幻日のヨハネ』だからこそ、そういう気持ちから生まれた「勇気」を、「誰もが持っている特別なチカラ」という共通点を持つ「歌」に変換することにより、ヌマヅ人全員が特別な必殺技を扱えるようになっていることになります。

 

 

 初見で本当に驚きました。

 だって、12話かけて、ヌマヅに生きる人々の暮らしや想いを丁寧に描いて、そしてそれら全部が最終話で必殺技を撃つために必要な「こころのチカラ」の根源だったわけですから。

 ヨハネの物語を描くための舞台装置ぐらいに思っていたものが、実は全部全部、ヨハネの物語と同じぐらいありふれていて、そして同じぐらい守りたいもの、同じぐらい「勇気」に変わるものだったんですよね。

 

 まじか~って思いました。まさか「勇気」の理由に「地元愛」を持ってくるなんて予想してなかったですし、「勇気」のメタファーとして「歌」を使うなんて予想できませんもん。

 演出のパワーもすごいし、その作劇上の役割もすごいし、現在文句なしでラブライブ!の中で最強の楽曲だと思います。

 

 13話のこの曲が物語の結末としてある以上、そこに辿り着くまでのストーリーの見方も、13話を見た以上変わってくるんですけど、見返すと初見では気にも留めなかったシーンもグサグサ刺さるようになってくるんですよね。

 ハナマルのパンを買いにきたおばちゃんの言葉とか、初見ではなんとも思わなかったけど、今見返すとそれはおばちゃんにとって「勇気」をくれるような「守りたいもの」で、それがラブライブ!シリーズの歌という大事すぎるものに直結してるんだなって思うと、全てのシーンがグサグサ刺さってきます。

 

 そして、そんないろんな「勇気」のかけらたちがヌマヅのいろいろな所に散らばっているのを見ていると、改めてこの作品のテーマが好きになるんですよね。

 

この世界は歌である。

 

って。

 

 

喜びも悲しみも、怒りも叫びも全ては歌になる。

歌は変わっていく、流れる水のように。

世界は歌である。

そして今日も、今日を生きていく

 

 

 ヨハネライラプスのバディ関係が刺さったとか、ひとつしかない「音」が合わさって「歌」になるとか、他にも好きなポイントはいっぱいありますし、それらも記事としてまとめたさはあります。

 でも、ライブ前に推敲無しで大急ぎで書いてるのと、個人的にいちばん『幻日のヨハネ』らしいなっていうポイントだと思ったので、今回はこの「歌」と「勇気」についてだけ書いてみました。

 

 今回は熱量だけでゴリ押した感がすごいので、タイミングがあったらもうちょっとしっかりまとめてみたいなぁとも思います。

 それでは。