前回のラブライブ!
ニジガクジャーナルの上原歩夢のTwoLettersなんて拾うんだ~とか呑気な事を考えていたら、Wonderzoneを思い出してしまった。 2013年は手紙だけど、2022年はメールなんだ……(9年前!?)
風はもう輝いてる 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期11話『過去・未来・イマ』 - #てつがくのドンカラス
ほんとにTwoLettersだった……。
これは余談だが、英語を見ているのに日本語で読み上げる歩夢の描写が、1期1話『DREAM with You』を思い出させるものだった。
言葉とは記号である。伝達したい「なにか」を言語という記号に置換し、そうして置換された記号を受け取り手が読み取ることによって、「なにか」(に近いもの)が伝達する。そういう物である。
だからこそ、かつて歩夢は自らの揺れるこころについて「言葉じゃ足りないから歌に乗せるんだ」と歌っていたわけだ。言葉そのものよりも、それが言葉になる前の「なにか」「まだ名もない気持ち」の方に直接触れて大事にする人間なのである。
だからこそ、文章を読み上げるとき、英語で読みながら意味を頭の中で組み立てる、「意味→英語→日本語→意味」という順序ではなく、受け取ったものを自分の母国語に変換して読み上げる「意味→英語→意味→日本語」という形になるのがとても歩夢らしいと思ったし、単純な彼女の能力の高さも垣間見えて、見ていてゾクゾクする描写だった。
音ノ木と浦女と結ヶ丘の気配を感じる。
4位。μ’sと同じ順位だ……。
25日のクリスマスでオンライン配信での地区予選との事で、凄まじい既視感が。
このサイズの筆で曲線を書きまくる彼方。
ピアノコンクールの話と、留学の話。
「押してくれた手のぬくもりは残るよ」
「スクールアイドルはすごいって伝えるために留学してくる!」
「作曲コンクールに参加して、自分を試してみる!」
露骨に意識させにきている気がする。
そういえば、13話が放送される6/25は、AqoursのライブとLiella!のファンミーティングもある日だが、その13話の内容は「年越しカウントダウンライブ」らしい。
忘れなければ消えない。
歴代シリーズを意識するなら、おそらくお台場周辺のスクールアイドルたちは、地区予選を突破できてはいないだろう。なぜなら、12/25日のオンライン地区予選の突破者と言えば、優勝したSunny Passionであるからだ。
また、薫子の代の紫苑が予選落ちしており、その紫苑は嵐珠に魅了されていたという事からも、紫苑を含めたお台場周辺のスクールアイドルたちの実力は、少なくとも嵐珠以下であることは間違いないだろう。
ラブライブ本線とは、現状シリーズ最強格である鹿角聖良の在籍するSaint Snowですら予選落ちの可能性があるレベルのハイレベルな舞台であり、並みのスクールアイドルではその舞台に立つことすら許されない。
そして、今までそんな舞台に立ってきたスクールアイドルたちは、ただ自己実現のみを目的としたスクールアイドルとしてだけではなく、それぞれ背負うべき期待や覚悟をもってステージに挑んできた。
μ'sも、Aqoursも、Liella!もSunny Passionも*1、皆学校の名前と、自分を支えてくれた学校の人たちの期待を背負い、そうした想いのすべてを懸けた決戦としてステージに挑んでおり、特にAqoursは敗北=詰みといえる状況で「相手なんか関係ない」と言い放つほど、舞台そのものよりも大きすぎる意味をステージに見出していた。
ラブライブは、そのぐらいやらないと勝てないのである。同じように夢を抱いたスクールアイドルは星の数ほど散らばっていて、彼女たちを屈服させ頂点に立つためには、夢も、目標も、想いも、覚悟も、喜びも、悲しみも、すべてにおいて圧倒的大差をつけて上回っていなければならない。*2
そして、ラブライブで栄冠を手にするスクールアイドルは、たった1グループのみ。アンコールで再登場する彼女たちの足元には、数多くのスクールアイドルたちの屍と、披露されることのなかった楽曲たちが積みあがっているのである。
そして、優勝したグループと違い、屍たちの名前が記録として残ることはなく、それは彼女たちを見届ける者たちにとってもそうである。
スポットライトは勝者にしか当たらない。
この文章を読んでいる内の何人が、μ's、A-RISE共に予備予選を抜けたスクールアイドルの名前を覚えているだろうか?東京で雪辱を味わったAqoursと同じイベントに参加していたスクールアイドルや、Aqoursと共に予選を抜けたスクールアイドルの名前を全て覚えている人間は何人いるだろうか?
少なくとも、私はこの記事を書くにあたってネットの知識に頼ることになった。これを覚えているのはクイズを趣味としている人間ぐらいだろう。
しかし、ではお台場のスクールアイドルたちが、作中で彼女たちと同じように忘れ去られていく存在になってしまったのかというと、そういうわけではない。
3話でも触れたが、人間とは単体で完結しない存在である。
例えば、徳川家康が実際に生きていたのは1616年であるが、彼が生命活動を終えたからと言って、徳川家康の伝記はそこで終わるわけではない。 家康の開いた江戸幕府は1867に15代将軍慶喜によって大政奉還され終わりを迎えるが、そうした幕府が250年以上続く太平の世をもたらした事を欠かすことはできない。
「徳川家康」という人間が何者であるかという事を考察する際、250年続いた江戸幕府やその時代を生きた人々の中にある、今生きているこの時代を作ったのは徳川家康であるという事実を抜きに考える事はできず、むしろ、後世を生きる他者の存在によって、彼は歴史に名を遺す偉人として存在していたのだといえる。
出会いって謎だらけ いつから決まってたんだ 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会2期3話『sing! song! smile!』 - #てつがくのドンカラス死者とのこのような共同存在においては、故人その人は事実的にはもはや「そこに現に」存在していない。
しかし共同存在ということはあくまでも同一の世界のうちでの共同相互存在ということである。 故人はわたしたちの「世界」を立ち去ったのであり、そこをあとに遺していったのである。
この世界のほうからみれば、遺された人々はまだ個人とともにいると言うことができるのである。
あの日、東雲、藤黄、Y.G、紫苑はおそらく予選で敗北しているのだろう。仮に、それがLiella!やSunny Passionが出場したのとは別の大会であったとしても、本選に出場できるのは1グループだけ。
そして、ライバル同士でありながら互いに励ましあわなければ立っていられないほどに緊張しており、虹ヶ咲がいなければまともにパフォーマンスできる気配がなかったあの4校が、予選を突破できるとは思い難い。
今まで、5校が協力し合って1つの結果を成し遂げて来たスクールアイドルたちであったが、逆に言えば5校協力しなければスクールアイドルフェスティバルは成し遂げられなかったのである。彼女たちの在り方の基盤は、ラブライブというスクールアイドル同士が戦う舞台においてあまりにも不利な環境である。
しかし、彼女たちは敗北したとしても、それは決して悲しいエピソードになる事はない。*3
なぜなら、彼女たちがあの日スクールアイドルとしてラブライブの舞台に立ったこと、東雲、藤黄、Y.G、紫苑のスクールアイドルがあの人あの場所で生きていたことは、虹ヶ咲のスクールアイドルにとって、特に高咲侑と上原歩夢にとって、そして視聴している私たちにとっても忘れられない記憶として、想い出の中に刻まれたからである。
それは、1期1話と3話において、侑がせつ菜の最期のライブを『はじまりのTOKIMEKI』として認識した時も同じだった。
仮に本人にとってそれが忘れたいぐらい悔しいものだったり、思い出したくないぐらい悲痛なものであったとしても、それを見る人にとって必ずしも同じように受け取られているとは限らない。
仮に、あの後侑や歩夢とせつ菜が出会うことが無く、同好会もなくなったままだったとしても、エマにとっての『哀温ノ詩』がそうだったように、せつ菜にとっての最後の曲は、彼女の知らないところで始まりの歌であり続けていただろう。
同じように、ラブライブの結果がどんなもので、それを彼女たちがどう受け止めたかに関わらず、それが虹ヶ咲の物語の1ページに刻まれたことによって、少なくとも、虹ヶ咲の13人が生き続ける限り、あの日ラブライブに挑んだ4校のスクールアイドルがいたということは、消えることなく残り続けていくのだろう。
もちろん、それは私たちにとっても同様である。
それが、大切な物語の中で欠かせない1ページになると同時に、私たちが虹ヶ咲の仲間たちの名前を全員覚えているのと同じように、東雲、藤黄、Y.G、紫苑の名前を忘れる事はないのだろう。
侑ちゃん、ピアノコンクール出てほしい。
上原歩夢というキャラクターの魅力は、彼女と侑/あなたの切っても切り離せない宿命的で絶対的な結びつきにある。
それゆえに、1期では違う方向を向くことに対する恐怖と向き合うこととなったが、2期で向き合うことになったのは、いつか離れてしまう時が来るかもしれないという可能性と、そうした可能性の高い選択をすることへの躊躇いであった。
しかし、上原歩夢と侑/あなたが他のキャラクター同士の関係性と一線を画している点として、彼女たちの人格は既に互いの存在を前提とし、互いに互いが存在しなければキャラクターとして破綻するといっていいほどに依存し合っている事が挙げられる。
そして同時にこの関係性こそが、シリーズの中で虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のみが成しえる唯一のものであり、このシリーズの誇る最大の武器の1つであると言っても過言ではない。
上原歩夢というキャラクターの性質として、侑/あなたと幼馴染であることが挙げられる。そして、それは互いの中に互いが内在し、お互いの夢が叶うためにはお互いに夢が叶う事を必要とするような、一心同体で運命共同体のような関係性である。
こうした事から、虹ヶ咲の代表とは、「穂乃果ちゃんと千歌ちゃんに"並ぶ"のではなく、花陽ちゃん、凛ちゃん、ルビィちゃんのように彼女たちの輝きを"受け継ぐ"者」であると言える。そして歩夢ちゃんがそうした存在になれるのは、「ステージに立たない『あなた』の夢を託される者」であるからだ。
なぜ上原歩夢ちゃんは虹ヶ咲の代表なのか - #てつがくのドンカラス
このように、特定の他者と濃密な関係性を構築する事により、自分自身と他者が混ざり合い、結果としてそれぞれの在り方を互いに変化させうるような、そんな関係性は他シリーズにも存在した。
千歌と梨子やかのんと千砂都のように*4、運命共同体と呼ばれる関係性は存在した。だが、プレイヤーであり、作品の外側にいるはずの受け取り手である私たちとそのような関係を結ぶことができるのは、上原歩夢以外には存在しないし、上原歩夢なしにこの「あなたと叶える物語」は成立しない。
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会が「みんなで叶える物語」でありつつも、他の誰でもない「あなたと叶える物語」であることができるのは、上原歩夢というキャラクターが私たちを物語に引き込み、互いの在り方を変えてしまうような運命共同体のような関係性を構築しているからであり、そしてそれが、他シリーズにはないこのシリーズだけの魅力であると言っていい。
『絶対絶対 変わんない将来』という、他シリーズからしたら耳を疑うような曲*5ですら、上原歩夢というキャラクターのソロパートであることで成立させてしまうのである。
そして、それは「あなた」から産まれた侑に対しても同じことがいえ、そして今回はそれが顕著に現れた回であった。
侑ちゃんもどんどん進んでいってくれなきゃ、置いていっちゃうんだから。
もし失敗したら……励ましてね。
私もそうするから。
要はピアノコンクールに出ろと言っているのである。
「どんどん進んでいってくれなきゃ、置いていっちゃう」という発言は、当然2人が同じ歩幅で夢に向かって歩んでいく事が前提となっていると言える。
そもそも、「置いていく」という言葉は同好会において成立しない。始めた時間も、進んでいく速さもバラバラであり、全員が1つの目標に対して団結しているわけではないからだ。
しかし、そんな中で歩夢は侑に対して「置いていく」と発言している。侑と歩夢にかんしては、歩幅が一致している事は大前提なのである。
そして、そうした前提は、侑と歩夢が運命共同体のように互いに混ざり合っている事によって生まれたものである。
歩夢にとって、一番大切な「あなた」は侑であり、仮に別の道に行く事になったとしても、侑がこの世界に存在しているという事が彼女のスクールアイドル活動の大前提である。
そして、そんな侑の夢が叶わず、侑が前に進めなくなった時、それは同時に侑を最大の目的として活動している運命共同体である歩夢の夢も潰えることを意味するのである。
また、同時に歩夢の夢が潰える事も、侑の夢が潰える事を意味する。
侑の夢は第一回スクールアイドルフェスティバルでそして、9人が「願いは叶うよ!」と歌った事から侑の夢は始まった。また歩夢は侑が躓いても乗り越えられる理由として「あなたには私がいる」事を挙げたが、もし歩夢の夢が叶わなかった時、それらの説得力は途端に完全に失われてしまい、同時にそこから始まった侑の夢も失われてしまうのである。
そもそも、夢が叶わなかったスクールアイドルがいる時点で「みんなの夢が叶う場所」が破綻しているのではあるが、「あなたには私がいる」と言った歩夢は特にそれが顕著である。
侑と歩夢は、このように互いに混ざり合うことで夢を追いかけているからこそ、どちらかが倒れたときは共倒れとなってしまうのである。
しかし、だからこそ、このように運命共同体のような関係性を構築しているからこそ、歩夢が前に進んだときは、侑も前に進まなくてはならないのである。例え躓いたとしても、前に進まなければ先に行く相手の隣に立つことはできない。
1期では、先に進んでいく侑に取り残されることに苦しんだ歩夢だったが、今度は歩夢が先に進むことで、先に進まない選択をしようとしていた侑が前に進まざるを得ない状況を作った。
要は相手に対して決断を要求している訳だが、そこには「それは相手の決めたことだからそういう物として受け止める」というようなリスペクトはない。むしろ、「コンクールに出ない」という自分にとって都合の悪い決断を否定するようなものである。
しかし、それは歩夢だからこそ成立するのである。極論、侑の夢が叶わなくても同好会の他の11人*6にとっては問題はない。しかし、歩夢にとっては他人事ではないのである。
歩夢と侑はもはや混ざり合い、互いの区別が曖昧な関係性だからこそ、侑の決断はもはや歩夢の決断でもあり、歩夢の決断は侑の決断なのである。
先に進んでいこうとする歩夢に対して、取り残されそうになることを理解してから、覚悟を決める表情。
このような、「何かをしたい」を超えて「何かやらなきゃ」と思わせてしまうほどの一体感。夢を託し、夢を押し付け。夢を押し付けられ、夢を託され。
夢を叶えたい思いと同時に、大切な人の隣にいたい、大切な人の夢が叶ってほしいから足を止めたくないと思わせてくれるような。
私が虹ヶ咲の中で一番好きなキャラクターが上原歩夢である理由がこれでもかというほど詰まっていて、そして、歩夢の「あなたと叶える物語」の大切なページがまた増えたような、そんなエピソードだった。
大好きの選択を
最前線で遥を応援しない彼方から、彼女の複雑な心境が垣間見える。
まず、彼方はラブライブに出ていたかもしれない人間である。
もしせつ菜とかすみが衝突しなければ、侑や愛が現れなければ。虹ヶ咲の代表として、東雲の遥と同じステージに立っていたのかもしれない。
ラブライブに出ないという決断をした虹ヶ咲や彼方に対して、遥がどのような感情を抱いたかは想像の範疇を出ない。もしかしたら、姉妹で争わなくていいと安心したのかもしれないし、姉が出場しないからこそ焦っていたのかもしれない。
いずれにせよ、彼方がラブライブに出場せず、遥のみが出場するという状況が、姉妹の間に何らかの感情を産み出している事は間違いないだろう。
また、彼方も曲りなりにもラブライブに出ようとしていた経験があるし、そこで結果を残せなかった薫子のことも知っている。だからこそ、1人で抱え込んで根を詰め、本番直前に他校と一緒に緊張しているような状況の妹が、予選を突破できないのだろうという事がなんとなく分かってしまっているのだろう。
そして、自分たちのエールが、ライバル同士での一体感を産んでしまったことで、それを決定づけてしまったこともなんとなく察しているのだろう。
侑たち虹ヶ咲の送ったエールは、もはや誰かの勝利を願うものではない。虹ヶ咲にとって、どの学校が予選を突破できるかは重要な問題ではなく、ただ彼女たちがステージの上で悔いを残さぬよう、最高のパフォーマンスができることを願うものである。
しかし、彼方としては、東雲に勝ってほしいに決まっている。藤黄、Y.G、紫苑ではなく、遥の在籍する東雲だけを応援したかったはずである。
それでも、彼方は遥の勝利よりも、侑の叶えたかった「夢を追いかけてる人を応援する」という夢と、「スクールアイドルフェスティバルの主催である=スクールアイドルが大好き」な虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会であることを選んだ。
妹の勝利よりも、虹ヶ咲のスクールアイドルであることを優先し、そしてそれを通して、同好会の仲間である侑と歩夢の背中を押すことを選んだのである。
そして、それほど大切な同好会の夢、侑の夢でさえも、最後に背中を押すのは自分ではない事を理解しているのである。侑の代わり、歩夢の代わりになる事はできない事を理解していても、それでも二人と同好会の夢を追求する事を選んだのが、近江彼方という人間なのである。
歩夢と侑を見守りつつも、一歩離れた場所で。そして、遥たちを応援する集団から一番遠い場所で。
この瞬間の彼方がいったいどんなことを感じて、何を考えているのかに想いを馳せる程、美しいはずのこの景色が、途端にどうしようもないぐらいに切なさまで感じさせるような、そんなワンシーンに思えてならない。
それでも、姉である事よりも、スクールアイドルであることを選んだ彼方のこの選択こそが、遥が守ろうとしたスクールアイドル近江彼方の「わがまま」なのだろう。
その他雑記
2本←わかる
4本←わかる
5本←なんで?
6本←まあわかる
(座ればいいのに)
一瞬ヒヤッとする角度。
今回のエピソードで、過去に自分が作詞した曲のフレーズがパッと連想されて。
自分が歩夢の事を好きでいるこの気持ちが間違ってなかったと思えたし、やっぱり私は歩夢の「あなた」なんだって改めて心から思えた。
これからもずっと
あなたと同じ歩幅で歩いていきたい。
*1:直接描かれたわけではないが、ラブライブ!サンシャイン!!と環境が酷似していること、そうした名前を背負うことの意味にかのんが気付く前に仄めかしていたことから読み取れる
*2:優勝したAqoursにとって、一番叶えたかった夢はラブライブ優勝ではなく、学校の存続であった。しかし、ラブライブにはどうしてもラブライブで優勝したかったグループがたくさんいたはずである。しかし、その「一番叶えたかった夢」よりも、Aqoursの「一番ではない夢」の方が熱かったなら、「一番叶えたかった夢」は打ち倒されてしまうのである。だからこそ、夢が大きくなるほど立ちはだかる試練を乗り越えるのは、「胸の熱さ」なのである。
*3:むしろ、虹ヶ咲という作品がそういう作品だからこそ、他4校は「勝たなければいけない」理由を失ってしまったのだともいえる。
*4:穂乃果が脱退したとき、穂乃果がいないなら意味がないという理由で続けないことを選んだ真姫や、スクスタ、アニメ共にかすみに救われているしずくも、一方的ではあるが当てはまる
*5:1番、2番は「僕らの友情が将来変わらない」という意味でなるが、Cメロに関しては文字通り「将来変わらない」という意味
*6:せつ菜や栞子、ミアは問題かもしれない