#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

優木せつ菜は迷わない

 にじたびが終わったらアップするつもりでした。

 気がついたらめっちゃ時間が経っていました。

 

 

 半分ぐらいの公演は配信で見て、東京のDay2は現地で参加しました。

 

 優木せつ菜/中川菜々役が楠木ともりさんから林鼓子さんに引き継がれたのもあり、新しい「せつ菜」はどんな姿を見せてくれるんだろうと、そういうところも見どころとしてあったと思います。

 またおそらく、私たちといちばんキズナレベルが低い林さんに、キズナレベルをブーストする意味合いもあったんじゃないかな。よくよく考えたら、最終決戦以外は別にせつ菜がいなければいけない理由はとくにないんですけど、レジェガクの主人公だからということが全通する理由になっているのが上手いなあ、と。

 

 

 さて、今回は林さんが全18公演のパフォーマンスを終えたということで、前任者とも比較しつつ、思ったことを書いていこうと思います。

 面白くてためになることを書いているので、降板に関して複雑な気持ちを抱いているオタクも、今のせつ菜ちゃんも大好きな人も是非ブラウザバックせずに読んでください。

 

 それでは。

 

 

 まず、一番最初に林さんのパフォーマンスを見たときに、一番最初に「全然違う」と思いました。

 楠木さんはビブラートや高音を駆使して、曲を突き刺してくるようなパフォーマンスをされるのに対して、林さんはパワーのある歌声を面の圧力で押し当ててくるような歌い方をされるんですよね。

 野球で例えるなら、楠木さんは変化球、林さんはストレートみたいな。もちろんプロなので両方使えてはいるんですけど、どっちがメインかと言われたら、それぞれ全く別方面だと思います。

 

 

 だから、パフォーマンスとしては別物だったと思いましたし、今までの優木せつ菜はもういないんだなとも思いました。

 

 ここで終わってしまったらオタクとして弱すぎる面白くないので、もう少し言語化してみましょう。

 

 

 

 

 まず、これまでの優木せつ菜のパフォーマンスの特徴として、「感情の震え」と「殺気」が挙げられると思います。

 

 楠木さんの突き刺さるような、吐息の拍が分かるぐらい波打つような歌声は、障壁だらけの優木せつ菜の物語と結びついて、悲痛さや切実さを嫌というほど思い知らせてくるかのようでした。

 

 ステージの上で涙なんか流していないのに、まるで泣きながら歌っているように聴こえる悲痛さとか、別に無理して声を出しているわけでもないのに、まるでそれが絞り出しているかのように聴こえてしまう切実さとか。

 

 また、壁を乗り越えた後で披露した『Just Believe!!!』や『Infinity!Our wings!!』では、その潤った声の高音が喜びを噛み締めているかのように聴こえて。

 

 そういう、抑えている感情が溢れ出しているかのようなパフォーマンスは、楠木さんの水気があってビブラートが特徴的な歌声によって成立しているものでした。

 

 また、目が笑っていなかったり、真顔でパフォーマンスしていたりするのも、楠木さんのパフォーマンスの特徴でした。

 まるで観客が敵であるかのように、一度も目を合わせずに絶叫するその姿に、怖いという印象を持った人だっていると思います。

 

 

 

 それに対して、林さんのパフォーマンスは「安定感」と「忠実さ」が特徴として挙げられます。

 

 声の輪郭がくっきりしていて、なおかつ強弱はあっても浮き沈みしない歌声は、地に足がついているかのような安定感があります。

 声を張り上げる箇所も、楠木さんなら高音を差し込むようなところですが、林さんは歌声をより力強くすることで対応しています。

 例えるなら、楠木さんならスキルを使うところを、林さんは「通常攻撃 強」を使っている、みたいな。

 

 単純に腹の底からの出力を上げている関係上、地面からパワーが突き上げられてくるように感じるんですけど、それって面の圧力なんですよね。突き刺さってくる楠木さんんは点なのに対して、林さんは面で戦ってるみたいな。

 だから、不安さや切実さでが漏れ出してくるんじゃなくて、抑えずに表に出した感情でプレスされているような、そんな感覚になるんだと思います。

 

 

 そして、林さんは楠木さんと比較して原曲に忠実です。

 楠木さんは、結構歌いながらせつ菜としての自我を出してくるタイプのパフォーマーで、だからこそ、歌の内容以上のものをパフォーマンスに盛り込んでくる印象があります。

 例えば、1stでは『CHASE!』と『MELODY』を凄まじい殺気で歌い上げる姿には、その曲で直接的に表現されている内容を越えた、「優木せつ菜の物語」「虹ヶ咲の物語」を背負っている人間としての想いがありました。

 

 同じ曲でも、パフォーマンスの内容を変えることもありましたが、それらは元々曲のなかで描かれている物語の外に要因があったと思います。

 

 MC等で、「せつ菜だったらこういう気持ちで歌うんじゃないか」といった話をすることが多く、曲そのものよりも、どちらかというとそれを歌っているせつ菜本人の方に軸があるため、本来の曲単体では存在しない要素、例えば、『CHASE!』や『MELODY』で笑顔を見せるとか、そういったアドリブを入れることが多い印象があります。

 

 それに対して林さんは、せつ菜自身よりも、せつ菜がこの曲に「どんな思いを込めたのか」を軸足としている印象があります。


 例えば、『CHASE!』や『MELODY』の曲及び、そこに付随するストーリーには、気持ちを分かってくれない人たちに対する憤りや悲しみ、そんな世界を変えようとする想いはあったとしても、そんな世界や人々に対する敵意は元々なかったものだと思われます。


 そして、それらの曲を披露する時の林さんは、楠木さんのように殺気を丸出しにして披露するのではなく本来の曲のテーマに忠実に歌っていたように受け取ることができました。

 


 一度だけ、アドリブを入れたことはありますが、それが顕著だと思ったのは、『CHASE!』の2番Bメロです

 

努力と継続 眠いない夜だって
「笑顔が見たい」 そう、みんながいれば

 

 

とあり、ここからサビへと繋がっていきますが、ここの歌詞を文法的に読み解くなら、

 

(私は) みんながいれば 「笑顔が見たい」

 

となり、本来強調されるべきは、「笑顔が見たい」となるはずです。

 

 修飾語句を誤字ってるのは許して

 


 前後の歌詞も、どんな気持ちで目指したい場所を追いかけているかについて言及しているため、具体的にそれを明示しているこの箇所は、この部分でおそらく軸になる箇所であると考えられます。

 

 そのため、ライブで楠木さんが「そう、みんながいれば!」と叫ぶ部分は、本来の曲の趣旨とは違った文脈でのパフォーマンスだと言えます。

 


 しかし、実際の曲の趣旨とは違っても、それが披露される時や場所だったり、それをどんな状態のせつ菜が披露するかによって、背負ってくる文脈は変わってくるものであり、楠木さんのパフォーマンスは決して間違ったものであるとは思いません。

 むしろそれが「間違い」ならつまらないと思います。

 

 


 ですが、一種のお約束、ライブの定番アレンジとなっていたその部分を、原曲のまま歌う林さんのパフォーマンスは、結果として、原曲の文脈を大切にしているものとなっていると言えます。

 

 

 

 さて、ここまでそれぞれのせつ菜の歌い方の特徴を纏めてきました。

 言語化してみると、2人の歌い方は全く別タイプであることが分かります。

 

 さらに、それらの特徴によってせつ菜がどのように見えてくるのかについて、もう少し言語化していきましょう。

 

 

 楠木さんのせつ菜は、より曲を披露するせつ菜自身の悩みや葛藤に寄り添ったものだと言えます。楽曲を披露している「せつ菜を演じている」という印象です。

 それに対して、林さんは、曲そのものが元から持っている文脈や想いを大切にしていると言えます。せつ菜として「曲を歌っている」といったところでしょうか。

 

 

 

 さて、ここからが本題です。

 楠木さんと、林さんのせつ菜の演じ方は全く別のものだということが分かりました。

 そして、その演じ方の差によって、「違うな」と思ってしまい、せつ菜を応援するのを辞めてしまった人は事実として何人もいると思います。

 

 実際、ここまで言語化してきた通り、私自身も、明確に「違う」とは思います。

 ですが、せつ菜のキャスティングを決めた人たちにとって、そんなことは最初から分かっているはずなんですよね。

 

 ここでは、なぜ、林さんのような演じ方をされる方が「せつ菜役」として採用されたのか、採用することができたのかについて探っていこうと思います。

 

 

 楠木さんのせつ菜の演技によって私たちに突き刺さってきたものは、せつ菜が悩んだり、苦しんだり、そして、そんな試練を乗り越えていく姿でした。

 そして、それらは、時には楽曲そのものがもつ文脈の外側にあるものでした。

 

 そして、それが「せつ菜推し」と呼ばれる人たちの中には、「推しになる理由」となる重要な要素だった人も多かったと思います。

 

 そして、そんなせつ菜の苦悩を表現することは、優木せつ菜を演じることにおいて必須であったと思います。

 しかしそれと同時に、そんなせつ菜役に、そういう演じ方をしない林さんが採用されたことは、それが必ずしも必要ではないとも言えそうです。

 

 どういうことなのでしょうか?

 

 

 

 ここでひとつ、考えてみましょう。

 今、優木せつ菜は悩んでいるでしょうか?

 

 楠木ともりさんが演じていた頃、2022年中盤、アニメ2期が終わるまでの間は、せつ菜は常に悩み続けて、苦しみ続けていました。

 

 2019年は、自らの野望と現実との乖離、そして、自らの生徒会長としての姿とその理念の乖離の中で苦しみ続けていました。

 2020年と2021年は、自分の大好きを叫ぶあまり、仲間の大好きを傷つけてしまっていたことをひとりで抱え込んだり、誰かの想いを自分の歌で背負おうとして失敗したりと、不器用さの中でもがき続けていました。

 2022年は、両親と向き合うことができなかったり、誰かに助けを求めることができなくて、1人で抱え込んで、苦しんで、苦しんで、悩み続けることとなりました。

 

 

 でも、2023年はどうでしょう?

 今、「優木せつ菜」は苦しんでいますか?

 理想と現実の乖離とか、不器用さだとか、孤独さだとか。そういうもので、追い詰められている、どうしようもなく悲しいキャラクターだったでしょうか?

 

 

 

 

 きっと、違うと思うんです。

 

 確かに、今までずっとせつ菜は苦しみ続けていました。

 

 

 でも、今の世界はあの時と同じですか?誰かの大好きが簡単に否定されてしまうような、酷い世界のままですか?

 今のせつ菜は、あの時と同じように、やりたいことができる環境を作りたいと語りながら、やりたいことができていない矛盾した生徒会長ですか?

 仲間の大好きを傷つけてしまうような、周りが見えないリーダーですか?

 他の誰かの大好きを代弁しようとしたり、他の誰かの期待を背負って歌って失敗するようなスクールアイドルですか?

 

 せつ菜は今、両親に自分の大好きを隠し続けていますか?

 

 今の優木せつ菜は、中川菜々は、ひとりぼっちですか?

 

 

 

 

 今のせつ菜って、もうそういう不器用なキャラクターじゃないはずですよね。

 それは、今までせつ菜が悩んで悩んで、そして頑張って前に進み続けて来たからなんだと思うんですよね。

 



 

 

 にじたびで林さんの『LIKE IT!LOVE IT!』を聴いたとき、すごくいいなって思ったんですよね。

 この曲を獲得するために、確かにせつ菜は何度も躓いてきたし、楠木さんの歌い方はそうやって頑張ってきた日々を思わせるようですごく好きなんですけど、それでも、僕はこの曲を歌っている林さんのせつ菜が、どうしようもないぐらいにいいなって思ったんです。

 

 だって、もし着いていくとしたら、悩みまくって躓きまくる人よりも、不安なんて微塵も感じさせずに、ただただ遠くへ自分の想いを届けようとする人の方が、安心できると思うんです。

 

 大好きで溢れる世界を作るために「足掻く」せつ菜は、確かに楠木さんのパフォーマンスからの方が感じられると思います。

 でも、これまでのせつ菜のことが大好きで、一緒に大好きで溢れる世界を作るための仲間がいる今、よりそんな世界を作ることが「できそう」なのは、林さんのせつ菜だと思うんです。

 

 あんなにまっすぐに、あんなに正直に、自分の気持ちを遠くまで伝えようとしている姿と、そんな林さんのせつ菜が持つエネルギッシュなパワー。

 それが、野望に向かって先頭で旗を持って突き進んでいくせつ菜の姿とすごく合うって思ったんです。

 

 

 そうして、ぼんやりと思ったのが、こうやって、先頭で旗をふる姿を演じるのにマッチする人が、せつ菜役としてキャスティングできること、せつ菜でいていいこと。

 優木せつ菜というキャラクターの苦悩や葛藤を表現することが軸ではない人がせつ菜役でいてもいいということ、つまり、優木せつ菜が今苦悩も葛藤もしていないということは、それだけ、これまでのせつ菜が悩んで、苦しんで、そして乗り越えて来た証なんだなって思いました。

 

 これまで1人目のせつ菜役の楠木さんが、悩めるせつ菜の姿を演じて、そして演じ切ったからこそ、今のせつ菜、2人目のせつ菜役の林さんのせつ菜は、悩まないし苦しまないんだなって、繋がって見えたんですよね。

 

 

 優木せつ菜役のキャストに2人目を迎え、せつ菜の所属する虹ヶ咲の物語はこれからも続いていきます。

 きっとそこで描かれていくのは、大好きで溢れる世界を作ることができなくて涙しているせつ菜の姿じゃなくて、迷うことなく自由に進んでいくせつ菜が、本当に「大好きで溢れる世界を実現させていく」姿。

 

 

 

 林鼓子さんのまっすぐで、くっきりしていて、そして地の底から湧き上がるような力強い歌声は、きっとどんなに遠い空だとしても”届く”歌声だからこそ、それはこの世界にいる誰よりも「優木せつ菜」でいる証なんだと思います。

 

 

 

 

 最初は、せつ菜の野望って叶わないものだと思っていました。

 だって無理でしょ。世界が大好きな気持ちだけで溢れて、その気持ちが誰にも否定されないだなんて、できるはずがない。

 

 でも、そんな無謀な夢でさえも、今はもしかしたら叶うんじゃないかなって、ちょっとだけ思っています。