#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

【あと9日】これが私の『Kakushiaji!』

 この曲を初めてフルで聴いたとき、一番最初に印象に残ったのは、2番の

ちょっと、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だピーマン嫌い!

の部分だった。「大好きで溢れる世界」を掲げるせつ菜の参加する曲で「嫌い」って表現が入ることについて当時はかなり驚いたのを記憶している。

 

 

 

 

 A・ZU・NAと言えば、よく分からないユニットだという印象を持っている人も多いだろう。

 

 宇宙をモチーフとして互いに高めあうことがテーマとなっているDiverDiva。

 ある意味で虹ヶ咲のテーマのアンチテーゼと言える調和を掲げ、ハーモニーが魅力のQU4RTZ。

 才能とパワーを兼ね備えた追加キャラ3人が複数の言語を使い分け、宝石箱をモチーフとしたR3BIRTH。

 

 他ユニットと比較しても、A・ZU・NAは一見いろいろな要素が他ユニットと被りパッと説明がつきづらいような、そんなイメージを持っている人は多いのではないだろうか?

 

 『Dream Land! Dream World!』のドラマパート『A・ZU・NAランドへようこそ!』やアニメ2期5話『開幕!ドリームランド↑↑(*'▽')』で言われているような、遊園地にいろんなアトラクションがある事を「七変化」と多様性につなげるにしても、元々虹ヶ咲のテーマ自体がそれであるため、他3ユニットとの差別化としてはふさわしくない。

 スクスタ26章『薫子がやってきた』第7話『おもちゃ箱な私たち』で使われた表現であるおもちゃ箱も、印象だけなら宝石箱の下位互換に見える。

 アニメやスクスタで描かれているような、他者との関係性の中で新たな可能性を探るということも、そもそもユニットというコンセプトそのものに共通して言えることである。

 

 

 しかし、事実上の主人公格である歩夢に加え、スクスタ2章『チャンスをつかめ!』で初期同好会9人の中で大会で入賞した実力者として描かれていた2人であるせつ菜としずくを擁していることから、他のユニットにはない何かが3人の共通点であることは間違いないだろう。

 また、歩夢とせつ菜に関しては、主人公である侑/あなたと特に関係が深いキャラクターである。

 

 

 今回は、そんなユニットであるA・ZU・NAっていったいどんなユニットなのだろうという事を、『Kakushiaji!』を起点に探っていく。

 

 

 

 

 

「大好き」な気持ちは時に人を傷つける

 さて、『Kakushiaji!』ではクリームシチューにタバスコを入れることが真っ向から否定されたが、そもそも、せつ菜はなぜクリームシチューにタバスコを入れようと思ったのだろうか?

 まずは、歌詞を丁寧に読んでみよう。

 

今夜のメニューはクリームシチュー
(クリームシチュー ×2)
でもちゃんとおいしくできるかな?

牛乳は150ml(牛乳 ×2)

ってそんな細かく気にせず

もっと自由に作ろう!


例えば

タバスコ 入れてみる?

いや、ダメダメダメダメ絶対違う!

 

 まず、最初にクリームシチューをおいしく作りたいというところから曲がスタートする。そして、おいしくするための試行錯誤が続いていく。

 牛乳の量やタバスコ、後に出てくる星形のにんじん、お皿選び、盛り付け、ピーマン、食器なども含めて、それらはすべてクリームシチューをおいしくするための手段として提示されている。

 

 となると、ひとまずタバスコやピーマンは、おいしくするためにふさわしくないものである、という理由で否定されていると言えるだろう。

 

 

 

 さて、ここでひとつ考えて頂きたいのは、「おいしくするための提案」と「おいしくするためにふさわしいもの」は必ずしも一致しないという事である。

 せつ菜がタバスコを入れようとしている目的は、クリームシチューをおいしくすることである。しかし、実際にタバスコをクリームシチューに入れてもおいしくはならない。*1

 

 そして、これは優木せつ菜の表現として多用される表現である。

 『Dream Land! Dream World!』のドラマパート『A・ZU・NAランドへようこそ!』では、同好会メンバー全員がせつ菜のチョコを食べて昏睡していたが、そのチョコには美容のために漢方を煎じて入れていたらしい。

 26章『薫子がやってきた』10話『合宿最後のトラップ!?』で創造性を生かして創作中華をメンバーに振る舞っていたり、アニメ1期10話『夏、はじまる』では璃奈が絶句するようなスープを作っていたが、これらに悪気があるとは思えない。

 

 そして、こうした描写は料理だけではない。せつ菜は目的のために取った行動が裏目に出やすいキャラクターである。

 スクスタでもアニメでも、5人の同好会が空中分解した原因はせつ菜にあったが、もちろんここに悪気があるはずがない。単純に、同好会のためを思って取った行動が同好会のためにならなかったのである。

 

 

 

 また、それは別にせつ菜に限った話ではない。

 

 2番では歩夢もしずくにピーマンを食べさせようとしているが、これも、「おいしいサラダを作りたい」という目的と「(しずくにとって)ピーマンを入れることでおいしくならない」という結果が乖離したということであると言える。

 

 スクスタでは、『みんなの夢のために』行動していたあなたは、同好会のみんなにとっては一緒に部活をしてくれる方が嬉しいのだという事が分からず、結果的にそれが歩夢がスクールアイドルを辞める原因になってしまった。

 

 キズナエピソード34話『フライヤー大作戦!』のしずくや、46章『差し伸べて、答える』のツムギも、自分が応援のためにした行動が相手の活動を邪魔をしてしまったのではないかと早とちりし、ショックを受けることとなっている。

 また、21章『悩めるしずくのイノセント』では、かすみに敵わないと思い足りないものを見つけるためスクールアイドル部に転部したしずくは、結果よりかすみと自分との差を思い知らされることとなった。

 1章時点でも、同好会で力不足を実感したしずくは修行のために演劇に専念していたが、結果としてそれは同好会空中分解の一員となっている。

 

 

 これらを一般化すると、「目的のために行動すること」と「目的のための行動」は必ずしも一致しないということが言える。

 

大好きを叫びたかった私が他の人の大好きを傷つけた

私がなりたい自分は、こんなのじゃなかった。だから……

 

アニメ1期3話『大好きを叫ぶ』

 

A・ZU・NAもドリブルが上手い

 しかし、「目的のために行動すること」が「目的のための行動」と一致しなかったとしても、それは「できない」という事を意味しない。

 そして、私はそれこそがA・ZU・NAというユニットの特色、他ユニットとの差別点を探すうえでの鍵であると考える。

 

 『Kakushiaji!』では、確かに「おいしくするために」タバスコやピーマンを入れることは、「おいしくするための行動」としてはふさわしくなかった。しかし、それは「おいしくならない」という事を意味しない。

 タバスコやピーマンがだめなら、別のものを入れればいいのである。

 

無限に広がる レシピとチョイス
オリジナルフレーバー
奇跡のような組み合わせ
まるで君と私みたい
みんなで笑ってる

時間が大好きなんだ

 

 そして、この可能性の七変化こそが、A・ZU・NAの3人を結ぶものであり、他ユニットには存在しえないA・ZU・NAのみの表現を生み出しているといっても過言ではない。

 なぜなら、ユニット活動はラブソングが中心となる傾向があるが、それらの曲は大抵不器用な恋心がテーマとなっている。一般的に「好きという気持ちをどうにかするための行動」と「その行動でその気持ちがどうにかなるか」は別問題であり、その狭間で苦しむこととなりやすい。

 

 一方的な想いを拗らせたPrintempsとBiBi、告白できないまま残された時間を過ごすことを選んだlily whiteを擁するμ’sのユニットはすべて、恋心を伝えることがよい方向に進むことはなかった。*2

 Aqoursのユニットは、アルバム楽曲時点では「好き」が伝わって少なくとも現状ハッピーな結果になっていると言える。しかしスタート地点を見ると、CYaRon!は素直になれず、AZALEAはトキメキの種類に気づいたばかり。Guilty Kissは恋の駆け引きをしている。

 虹ヶ咲のユニットでは、DiverDivaは三角関係、QU4RTZは寂しい想いに胸を痛め、R3BIRTHがステージの上でプロレスをしているように、他のユニットは自分の気持ちで精いっぱいの中、A・ZU・NAだけは恋心を相手に伝えることを応援する曲を歌っていることからも、その特異性が分かるだろう。

 

 

 そもそも、A・ZU・NAの3人は、ソロ活動のテーマが「どのように想いを伝えるか」という点であった。*3

 

 歩夢がスクールアイドルを始めたのは、スクールアイドルなら大切な人への想いを伝えることができるからであった。

 そして、侑と歩夢がそれぞれたったひとりのためだけではなく、みんなのために進んでいく事で、「大切な人(=侑)に想いを伝える」という事ができなくなってしまうと思った歩夢は、一度足を止めてしまったが、それでも「貫く」ために、侑を含めた大切な人たちに寄り添い続けるという選択をした。

 歩夢は、自分の持っている「大好き」を「侑の側を離れない」という行動に繋げることができないからといって、我慢したのではない。「大好き」を「侑を含めた大切な人すべてに寄り添い続ける」という行動によって貫き通したのである。

 

 しずくも、幼少期に自分の空想が受け入れてもらえなかったことから、そうした自分を隠して生きて来た。しかし、どの媒体でどのような道を辿っても、最終的には自分の空想を躊躇なくさらけ出し、それは一応人々に受け入れられる形のものとなっている。*4

 また、キズナエピソード9話『鳥を演じるには!?』では、お芝居が上手くいかないのは「動きを真似て」いるからであり、大切なのは「気持ちを理解する」ことであると気づいたが、これも「できるようになった」という話ではなく、「正しいやり方に気づいた」のであるのだと言える。

 

 

 せつ菜が一番わかりやすいだろう。

 まず、アニメとスクスタ共に、自分の大好きの暴走が元で招いた同好会空中分解を、ソロを中心に活動するという方法で解決してもらっている。

 キズナエピソード10話『本心に触れる夜』では、両親を論理的に説得しようとするあまり、自分自身のスクールアイドルが大好きな気持ちを伝えていなかったことをあなたに指摘され、19話『熱い気持ち』では、誰かの気持ちを代弁しようとするのではなく、自分自身の大好きを叫ばなければせつ菜は本当の意味で熱くなれないのだという事を栞子に指摘されている。

 そしてその結果、自分の大好きをそのままぶつけた『MELODY』『LIKE IT! LOVE IT!!』によって、共に目的を達成している。

 

 また、2期6話『大好きの選択を』では、「スクールアイドルフェスティバル」「学園祭」という二つの目的を同時に達成することが困難であった時、どちらかを諦めるのではなく、他校に協力を仰ぐという方法を見つけることで両方を達成することができた。

 自分のやりたいことを実現する手段として「虹ヶ咲だけでスクールアイドルフェスティバルと学園祭の両方を行う」がふさわしくなかったとしても、だから「できない」と判断しどちらかを諦めるのではなく、別の可能性を模索し、ふさわしいものを見つけることができる。それがA・ZU・NAの3人を通して描かれた物語であった。

 

空を見上げてみて

チョイスもミライも無限に広がっています!

ぜーんぶ抱きしめちゃいましょう!

そう!どこまでもいこう!

 

 そして、2期8話『虹が始まる場所』で侑が自分のときめきに気づくことができたのも、このA・ZU・NAの『Infinity! Our wings!!』がきっかけであった。

 1期1話『はじまりのトキメキ』で、侑はせつ菜から「夢を追いかける」ことの魅力、歩夢は「想いをまっすぐ伝える」ことを吸収し、そして歩夢は後に「自分のやりたいことを貫き通すこと」つまり「夢を追いかけること」の方も獲得する事となった。

 そして、2期では、侑がスクールアイドルとしてみんなに追いつきたいと思った時に獲得したものが、「自分を表現すること」であった。

 

 目いっぱい自分を表現している同好会のメンバーから夢を貰った侑が、自分らしい表現、自分にしかできない表現とはなんだろうかと悩んでいる時に聴こえてきた曲こそが、「想いを伝えること」がテーマとなった3人組が「目的を実現するための手段はひとつではなく、可能性は無限に広がっている」と歌う曲であった。

 だからこそ、侑は自分にしかできない表現とは「同好会のメンバーが自分らしくいることが大好き」であることを表現した曲、つまり「同好会のメンバーが歌うための曲」であると気づくことができた。

 

 ここで侑がA・ZU・NAのライブを通して気づいたのは、「私のときめき」を私らしく表現する手段である。侑はこの時、「自分にしかできない曲が作れるようになった」のではない。「自分にしかできない曲を作るための手段を見つけた」のである。

 

 

 これらのことから、A・ZU・NAは、何かしらの想いが芽生えたときにその扱いに長けているユニットであると言える。

 ときめきが産まれたとき、そのときめきを拗らせたり押し殺したりせずに上手く行動に昇華することができ、それがこのユニットの特徴であり長所である。

 七変化ユニットA・ZU・NAの魅力は、感情表現の器用さである。

 

 

実は不器用じゃない形をした隠し味

 そして、そんなA・ZU・NAの器用さがいちばん顕著に現れているのが『Kakushiaji!』であると言える。

 タバスコやピーマンで愛情が伝わらないからと言って、そこで停滞するのではなく、それ以外の手段を使ってしっかりとおいしい料理を完成させ、しっかりと自分の愛情を相手と共有できる形で伝えることができている。

 

 

 さらに言うなら、A・ZU・NAの器用な所は、その愛情表現を前面に押し出すのではなく、あくまでも隠し味にできることである。

 「好きです」という言葉で愛情を伝えるのは、それが実行できれば簡単な事である。しかし、本当の意味で愛情が伝わっているなら、そこに言葉はいらないはずである。

 

 アニメ2期10話『かすみん☆ワンダーツアー』では、歩夢が侑に対して月が綺麗だとコメントするシーンがあったが、単純に「好き」と言うよりも、このように互いに同じ気持ちを共有していることを確認している方がよほど愛情が伝わるのだと思う。

 

 愛情というものは一番大切で、どうしようもないぐらいに大切で、それを伝えようとするときはどうしてもそれを押し出してしまいがちである。

 でも、そこであえて隠してみる。主張が激しくならないぐらいに、それでいて味の決め手になるぐらいには大切に。そして、一方的に愛を押し付けるんじゃなくて、相手の幸せに繋がるためのきっかけになる形で。どうしたら大切な人が喜んでくれるかな?どうしたら大切な人が幸せになってくれるかな?と試行錯誤を繰り返す。

 

 そうした結果が、この通りである。

 

ごちそうさま おなかが幸せ

みんなの愛情で満腹

優勝!これは優勝!

君の笑顔っている調味料が何よりも

美味しい魔法のような隠し味

何気ない日常が宝物

 

 幸せを通り越して愛情のキャッチボールが発生している。

 相手を笑顔にしたいと想う愛情が、料理に隠し味をするという愛情表現として出力されることによって、実際に相手の笑顔にするだけでなく、そうやって産まれた笑顔が自分にとって最高の隠し味になって、自分も一緒にハッピーになれる。

 愛情を上手く出力できれば、大切な人がその愛情で幸せになって、自分も幸せになった大切な人の笑顔に愛情を感じることができる。

 

 愛情を何らかの形で表現として出力する手段は多い。しかし、その愛情を相手に上手に伝える表現として、この『Kakushiaji!』に勝る表現はないのではないだろうか?

 

 

 大好きな気持ちそのものに替えが利かないことは、シリーズを通して作中で何度も何度も描かれてきた。

 

 しかし、大好きを相手に伝える方法はいくらでも替えが利くものである。

 例えばにんじんの形がハート形だろうが星形だろうが、愛情は伝わるし、相手によってはピーマンやタバスコでも愛情はしっかり伝わって、そして一緒にハッピーになることができるはずだ。

 そして、替えが利くからこそ、「伝わらない」と思った想いだって伝えられるかもしれないし、「もっともっと」素敵な形で伝わるかもしれない。

 

 そんな中で、大切な人と一緒に幸せになれる表現として、「大好き」を上手に伝えることができる。

 『Kakushiaji!』は、ありったけの大好きが暴走することなく、それでいて愛情がいちばん素敵な形で詰め込まれた、A・ZU・NAの最高傑作なのである。

 

 

あとがき

 こんにちは。黒鷺です。

sun-kotori0912.hatenablog.com

からバトンを受け取ったみたいです。

 

次は

yui-hina.hatenablog.com

 

 よろしく!!!!!

 

 記事ではA・ZU・NAは器用だよねって話をしてたんですけど、それっていちばん有効な手段を探せるってだけで、別にあの子たち言葉で伝えるのはそんなに上手くないので、それを言語化しようとすると大変で大変で。

 これは自分の癖なんですけど、気がついたらテーマが複数並行していたり、直接的に関係がなくても近いテーマまで話を膨らませて余計なことを書きたがったりするので、今回は『Kakushiaji』って愛情表現として完成されてるよねってところに絞って書いてみました。

 

 

 

 さて、唐突ですけど、「一緒に夢を見る」ってどういうことだと思いますか?

 「大好きを大切にする」とか、「気持ちを理解する」とか。

 

 そういう物の大切さは、みんな身に染みて分かってると思うんです。だって、ずっとずっと描かれてきたし、ずっとずっと訴えかけられてきたことだから。

 でも、分かってても、たぶんまだこの世界ってそんなに良くなってないと思うんです。今この瞬間も誰かの大好きは虐げられているし、今この瞬間もすれ違う想いに傷ついている人がいる。自分だって例外じゃない。この記事を読んで絶望する人だっているかもしれません。

 1年ぐらい前まで、ちょうどアニメのキービジュが発表されたぐらいの時は、「なんで虹ヶ咲のオタクって『他人の大好きを大事に』って言葉で他人の大好きを傷つけるんだろうな」って不思議に思っていたんですけど、今ではその理由もなんとなく分かってきたような気がしていますし、だからこそ自分の役割もちょっと見えている気もします。

 

 そう、みなさんが今ちょうど読んできたアレです。「大好きを大切にしたい」って思ってする行動と、それが「大好きを大切にする行為としてふさわしいか」って違うんですよね。

 でも、「どうしたら裏切らないでいられるのか」とか、「どうしたら他の人の大好きを否定しないであげられるのか」「気持ちが理解できるのか」って、直接は描かれないし、時と場合によって変わるものでもあります。

 だって、同じ「ピーマンをあーん」でも、僕にとってはハッピーでもしずくちゃんにとってはハッピーじゃないし、誰かを救う言葉は他の誰かにとっては心を殺す言葉になるかもしれません。

 同じ行動をして裏切られたと思う人もいれば、幸せになる人もいるみたいに、時と場合によって正解や不正解なんて変わって行くものだし、それを一般化することなんてできません。

 

 じゃあ、どうしたらいいんでしょう?

 私たちは大切な人の夢を背負い続けることも、他の人の大好きを大切にすることも、他の人のこころに触れることもできないんでしょうか???

 

 違いますね。これはあくまで「一般論」として答えが出せないという話です。

 

 

 例えば、私はピーマンが嫌いじゃないけど、しずくちゃんはピーマンが嫌いです。ここから、「ピーマンは愛情表現に適しているかどうか」なんて答えは出せません。でも、それはあくまでも一般化された「愛情表現」のお話です。

 でも、しずくちゃんに対する愛情表現だったら、答えは出せるはずです。ピーマンではしずくちゃんは幸せになりませんし、しずくちゃんに愛情は伝わりません。

 

 

 これって、「しずくちゃんはピーマンが嫌い」って事を知っているから出せる答えなんですよね。この愛情表現が適しているか、それとも適していないかって、愛情を注ぐ相手の事をいっぱい知ることでしかできないと思うんです。

 

 それは、「夢を背負うこと」や「大好きを大切にすること」でも一緒だと思います。

 夢がどんなものなのかを知ろうとしなきゃ一緒に夢を見ることなんてできません。相手の大好きな気持ちとか、相手がされたくないことがどんなことなのかを分かろうとしなければ、他の人の大好きを大切になんてできるはずがありません。

 

 そして、それは愛情を注いでもらう側も同じだと思うんです。

 『Kakushiaji!』だって、隠し味である愛情に気づいてあげなければ、そもそも愛情のキャッチボールなんて発生しません。

 そして、そんな愛情に気づいてあげるためには、その人がどんな愛情表現をするのか、どんな愛情表現ができるのかを知ってなきゃいけないと思います。

 

 

 結局、私たちって、自分の知っていることを更新し続けるしかないんですよね。すべてを分かった気になって立ち止まるんじゃなくて、「もっともっと」知ろうとし続けなければ、一緒に夢を見ることも、心に触れることも、大好きを大切にすることも出来るはずがないんです。

 

 

 

 

 

 

 それは、私たちの人間関係だけじゃなくて、私たちと作品との関係だってそう。

 

 

 

 このライブに向けて、いろんな想いを抱えた人がいると思います。

 いろいろな想いを抱えながらも、そんな想いと一緒にその日を迎える、そんな人たちがいると思います。

 後悔したくないとか、見届けたいとか、これで終わりにしようとか。想いの形はたくさん。それを否定することなんてきっと誰にもできないはずです。

 

 でも、その想いをどんな行動に結びつけたらいいのか、今抱えている感情をどう出力したらいいのか。それって、答えが出せるものだと思うんです。

 

 

誰よりも味方でいてほしいあなたへ

心の奥まで届きますように

今日も信じて歌うよ!

 

あなたの理想のヒロイン いつの日にかなれますように

アドリブが苦手な私を 素敵なシナリオで導いて

繰り返し覚えた台詞も きっと目をみては言えないから

ずっと側で ただの後輩を演じさせてください

 

言葉じゃ足りないから

歌に乗せるんだ

あなたに届いてほしいよ

Beating my heart

 

 

 

 歌に込められた強い願いも、言葉じゃ足りないほどに揺れるこころも、勇気も持ってさらけ出したこころも、「あなた」が気づいてあげることができれば、それはなかったことになんてならないんです。

 

 

 

 

 

 目が笑っていない『MELODY』とか、花ひらく前の『開花宣言』を知ってるから、『MELODY』の中の笑顔とか、『開花宣言』がその直後に来ることに意味があるんだって思える。

 

 栞子が『ランジュの想い』を分かってあげられなかったこと、嵐珠がミアの小さな声に気づいてあげられなかったのを知っているから、『Queendom』と『I'm Still...』を歌う栞子や嵐珠が、なんであんなに泣きそうな声なのかを知ることができる。泣きそうになりながらも2人が今伝えようとしている想いに触れることができる。

 

 あんなに可愛くて、一見涙するような要素なんてないように思える『Infinity!Our wings!!』で副会長が号泣しているのだって、彼女が「あなた」と同じぐらい優木せつ菜と中川菜々のことを想っていたから。

 苦悩する菜々を一番近くで支えてきて、せつ菜を好きになってからは何度も動画を見てその野望を一緒に背負ってきたから。だから、「優木せつ菜が笑っている」というそれだけのことが、副会長を何よりも幸せにしてくれる。

 

 そこに込められた愛を知っているから、マカロンは何よりも素敵な応援になる。自分の進むべき道を照らす光になるし、未来へ進む勇気をくれる。

 

 

 

 

 大切な人たちがステージに立つとき、その愛情は隠し味になって、パフォーマンスの色んな所に散りばめられています。

 言葉なんかじゃ足りないけど、きっと「あなた」ならそれに気づいてくれるはずだって、そういう信頼関係があるからこそ、愛情は隠し味になってステージを素敵なものにしてくれるはずです。

 

 

 アニメ、スクスタ、にじよんを始めとして、虹ヶ咲にはたくさんの作品があり、たくさんの物語を積み重ねてきた人たちが、私たちの前でステージに立っています。

 知らなければなかったことになったかもしれない愛情も、あなたの世界から忘れらされてしまったかもしれない物語も、ライブまでに触れておけばそれはもしかしたら隠し味として幸せを導いてくれるかもしれない。

 気づいてあげられなかった小さな声も、分かってあげられなかった大好きも、触れられなかったこころだって、元々はあなたのための隠し味だったから。だから、大切な人の知らない物語にもっともっと寄り添って、もっともっと知っているものを増やせたなら、その隠し味がちゃんと宝物になってくれるんですよね。

 

 

 いろんな媒体を見て。いろんな物語を知って。夢を、想いを、大好きを全部抱きしめて。無理して詰め込む必要はないと思うけど、でも触れられるものをなかったことにしないようにして。

 今日この瞬間に公開された新しい物語も、これまで紡がれてきたたくさんの物語も、今からでもできるだけ触れておくことが、何よりもみんなの愛情を受け止めるための準備になる。

 

 そして、愛情を受け止める準備をすることこそが、今私たちができる大好きな気持ちの出力の仕方として一番意味のあることだと思うんです。

 

 今私たちにできること、A・ZU・NAへ抱いている愛情を隠し味にする方法は、泣くことや嘆くこと、ましてや目を逸らすことなんかじゃない。

 泣いてたって、せつ菜の大好きは分かんない。嘆いたって歩夢の想いは分かんないし、目を逸らしたらしずくの心に触れられない。

 後悔したくないなら、まだ知らない大好きと想いとこころを知っておくしかない。

 今までをなぞって、触れられてないものに触れて、想い出じゃなかったものも想い出にして。

 

 

 

 かつて、「他の人の大好きを大切にできていますか?」という言葉が投げかけられました。

 でも、今思えばそれって、本来私たちがやろうとしているべきことだったんです。だって、それまで優木せつ菜はずっとそれを訴え続けてきたんですから。

 せつ菜は大好きで溢れる世界を作るためにステージに立っていたのに、彼女の物語に触れて、彼女の歌声を聴いてもなお、楠木ともりさんの言葉を聞くまでその想いに気づけなかった。無視していた。自分に対して投げかけられているのに、他人事のように思っていた。

 せつ菜の隠し味を、おいしいって言ってあげられなかった。それが、2019年の私たちでした。

 

 でも、今はそうじゃない。あれから3年経った今なら、私たちとA・ZU・NAの愛情は、ちゃんと最高のライブの隠し味になるんだって、私は信じています。

 

 もう、隠し味に気づかない、気づこうとしない「あなた」じゃないはずです。

 

 

 

 そうやって、お互いに愛情を上手く伝えあえる関係が、「わたし」と「あなた」だけじゃなくて、もっともっと広がって行って。

 

 世界中の人と、互いを想う気持ちを上手に通わせ合うことができるなら。大好きでできた隠し味を美味しいって思えたのなら。きっと

 

  #世界は青いはず

 

だって、そう思うんですよね。……でも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……でも。

 

 

 

 

 

 歩夢ちゃんの隠し味を知ることができるのは、幼馴染である私だけなんですけどね!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



*1:インターネットでレシピを調べると、本来はそんな奇抜なレシピではないようである。しかし、ライブでせつ菜が持っていたタバスコの量が常軌を逸していたことや、タバスコがメシマズキャラの料理表現のステレオタイプであることを考慮し、ここではふさわしくないものとして話を進めている。

*2:『同じ星が見たい』を獲得したlily whiteはそうでもないように見えるが「同じ星を見る」ではなく、あくまでも「見たい」である。

*3:言葉を借りるなら、

 

A・ZU・NAの皆はそれぞれ自分の中の"大好き"と格闘していました。

【あと10日】Cheer for you!!【唯一無二の”大好き“を世界へ】 - 太陽のつぶやき

 

*4:本当にヤバい妄想は見せていい人の前でしか見せない、という受け取り方もできる。

 いずれにせよ、結果としてしずくの空想が受け入れられているということは事実である