#てつがくのドンカラス

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昨日とは違う風が心を締めつける 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期13話『響け!ときめき――。』

 総括、感想等はアニメ2期全体としてまとめるとして、今回も話単体について触れていく。

 

 

みんなで叶える物語

 歩夢の留学とステージに上がる侑は綺麗な対比構造で、そしてある意味でそれはとても残酷な描写だ。

 1期では侑がメンバーそれぞれと個々に関係を築いていく姿、いわばスクスタと同じように「あなたと叶える物語」が描かれ、そこから生まれた侑の夢も、「あなたと叶える物語」の関係性が逆転した形として描かれた。

 

 しかし、2期の描写及び結末に関しては、言葉は似通っていてもスクスタとは全く異なる印象を受けた。

 侑自身もスクールアイドルであると語る事自体は同じであっても、その根拠が違う。スクスタの方では、「好きな気持ちを持っている」事を根拠に描かれたのに対して、アニメでは「何かを与える側である」事が根拠となっている。

 当ブログでは、8話で嵐珠が侑を認めた理由について不明であるとしていたが、ここで、嵐珠のスクールアイドル観が変化したのではなく、侑が嵐珠の言う与える側になった事である事をようやく理解する事ができたが、筆者がそうした点を見落とすぐらいには、スクスタの方で何かを与えているか否かについては触れられていないテーマであり、虹ヶ咲において特に重要なポイントだとは思っていなかった。

 

 そして、侑の夢、侑のやりたいことの描き方に関してもスクスタと別物の印象を受けた。

 スクスタのメインストーリー、及び既存ラブライブ!シリーズはトップダウン方式で描かれてきた。

 「叶え、私たちの夢」「輝きたい!」「あなたと叶える物語」「私を叶える物語」といった抽象的なテーマが先にあり、物語の中だけでなく物語の外側でもそれらのテーマがどんどん具体的でリアリティのあるものとなっていく。

 

 それに対して、この作品は具体的な個々とのエピソードが先行していた。侑が個々人や集団と向き合い紡いでいくエピソード群から、そのエッセンスだけを抜き出して一般化する。「あなたと叶える物語」というテーマが先行し、それをどんどん具体的なものとして行くのではなく、具体的なエピソードから希薄化して、抽象化して、特定個人だけではなく「みんな」に当てはまる普遍的なテーマを導き出す。そんなボトムアップ形式で描かれたのがこの最終話であった。

 

 要は、それぞれのやりたいことや大好きなことを一緒に好きになり応援する「あなたと叶える物語」を30人のスクールアイドルそれぞれと紡ぐ事で、「みんなで叶える物語」を実現するスクスタに対し、それぞれのやりたいことや大好きなことを応援する中で自分自身のやりたいことや大好きなことを見つけ、そして自分に夢を与えた人間と同じように夢を与えられる存在になる事で、自分と同じ立場にあった私たちにバトンを繋ぎ、「次はあなたの番」と告げる事で「みんなの夢が始まる場所」を作り、結果として「みんなで叶える物語」を実現したのがアニメの物語である。

 スクスタの「みんなで叶える物語」は、「あなたと叶える物語」の延長であるのに対して、アニメの方はいわば「あなたが叶える物語」を与えて応援する事で「みんなで叶える物語」を実現しようとする。そんな作品だと言える。

 

 これまでの物語は、終盤になるにつれてかけがえのない物語だったが、アニメに関してはそうではない。なぜなら、同じ曲を披露しているのに物語だけがすり替わっているという現象が起きているからである。*1

 例えば、μ'sの『KiRa‐KiRa Sensation!』やAqoursの『WATER BLUE NEW WORLD』、Liella!の『Starlight prologue』は彼女たちの個別の経験に基づいた物語の楽曲である。

 『WATER BLUE NEW WORLD』を歌うAqoursの痛みは彼女たちだけの物語の中にあるもので、μ'sやLiella!がこの曲を披露したとしてもAqoursのように壮絶で絶対的で理不尽までに美しいものになる事はない。他の楽曲も同様である。しかし、『TOKIMEKI Runners』『Love U my friends』『未来ハーモニー』に関してはそうではない。そこにたどり着くための物語が全く別の物語であったとしても、それはそれぞれの固有性に依拠しない事が、終盤のストーリーによって裏付けられた。

 これも物語の普遍化である。アニメ化2017年から2020年の時期の、わたしと虹ヶ咲が歩んできた固有の物語の中で生まれたこの楽曲たちは、私たちの歩んだ物語に依拠する事がなくても、むしろ誰でも自分自身の物語の象徴として掲げられるように普遍化され、抽象化され、そして一般化された。

 

 こうして、「私たちのあなたと叶える物語」という固有の物語は、誰にでも当てはまる一般的であるという意味での「みんなで叶える物語」へと変遷を遂げた。

 

 そして、それを顕著に表すのは、それを告げる侑の言葉である。

 

えっと、今日は同好会のライブに来てくれてありがとう。
私、本当に嬉しくて、同好会を始めてから楽しいことばっかりで、こんな幸せでいいのかなって。
でもね、これってきっと特別なことじゃないんだと思う。 
みんなだってそうだよ!もう走り出している人もいっぱいいるはずだし
向いてないとか遅いとかそんなの全然関係なくって
上手くいかないこともいっぱいあるかもしれないけど
その時は、私たちがいるから!
元気が欲しい時は会いに来て!

 これを聞いて思い出されるのは、1期で『夢がここから始まるよ』直前のせつ菜の言葉である。

 

今までみんなに支えてもらった分、次は私たちが、みんなの夢を応援します!

 

 「あなたと叶える物語」を「みんなで叶える物語」、「あなたが叶える物語」を応援する物語へと変えた侑の在り方は、侑のはじまり、優木せつ菜の在り方そのものである。

 

 スクスタでは、あなたがスクールアイドルフェスティバルで見ていたのはスクールアイドルの姿だったが、アニメの果林のステージ及びスクールアイドルフェスティバルで侑が見ていたのは、スクールアイドルにときめくファンの姿だった。どこまでも1:1の関係性の延長であるスクスタに対し、アニメではファンの姿、要は「みんな」を見ているわけだが、この違いはそのまませつ菜と歩夢の違いに置き換える事ができる。*2

 

 他の誰でもない個に寄り添う事を誰よりも得意とし、1:1の関係性のスペシャリストである歩夢は、1期2期通してそうした彼女らしさを貫き通し、「みんなの夢を応援します」と言ったせつ菜の隣で「あなたには私がいる」と、ただ一人侑だけを見つめており、2期でもパートナーである自分と同じ歩幅で歩けるように半ば強引に背中を押した。

 そして、スクールアイドルとしてもそうした在り方は変わることはなく、その場にいる不特定多数の「みんな」ではなく、メッセージをくれた他の誰でもない「あなた」のためだけに海を渡りロンドンへ駆けつけるような、そんな姿を見せてくれた。そういうところが大好きだ。

 

 それに対して、「みんなの夢を応援」するせつ菜は、どこまでいっても不特定多数への発信に特化したキャラクターである。声を大きくするためのマイクをアイコンとし、自分の知らない場所にさえも影響を与えながら、一般化されえない経験を叫び声に込め、一般化されたメッセージを発信し続ける。

 

 楠木ともり演じる優木せつ菜に、私たちがどうしようもなく魅かれてしまうのは、そんな不器用でまっすぐなアーティストとしての存在感だ。彼女自身の人生、存在意義、そして掲げる野望のすべてを込めた魂から放たれるその叫び声だ 。

 叫ぶことでしか訴えられない、叫んでも伝わらない。それでも、何かを伝えたい、何かを変えたい。誰かに届いてほしい、誰に届くか分からない。 そんな切実さ、必死さ、苦しみ、葛藤、焦燥、苛立ち、不満……優木せつ菜を構成するすべてが乗せられた叫び声が、私たちのこころに迫ってきて、抉って、反響して。

 それが優木せつ菜というスクールアイドルの在り方で、そうやって叫び続けなければ、スクールアイドルで居なければ彼女自身でいられないのも、優木せつ菜という存在の在り方だった。

その気持ち 託しましょう!ふわりと舞って 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期6話『大好きの選択を』 - #てつがくのドンカラス

 

 ある意味で与える事に特化した姿、アーティスト的な姿、「みんな」に対して訴えかける姿は、最終話で「次はあなたの番」と語る侑の姿にも見て取ることができた。

 そして、歩夢から始まったスクスタと違いアニメではこうした結末へ辿り着いたのも、侑の始まりが「野生のスクールアイドル」である優木せつ菜であったからなのだろう。

 始まりが『CHASE!』だからこそ、この物語は「あなたが叶える物語」を積み重ねることで実現する「みんなで叶える物語」へとたどり着いたのである。

 

アニメ版with you

 そして、そんなせつ菜から始まった物語であることは、アニメでのWith youで何が起きていたかが象徴しているように思われる。

 せつ菜のキズナエピソードにおいて、「あなた」はあまり重要な役割を担っているとは言えない。*3「あなた」は彼女の物語を見ているだけで、せつ菜が1人で語って答えを見つけたり、彼女が周りのスクールアイドルと語り合うことで答えを見つけたりと、そうした描き方が軸となっている。

 また、そうした末に彼女が導き出した答えはそのまま曲に反映されており、彼女の物語、彼女の痛みや苦しみ、想いを知らない人でもシーンやフレーズを切り抜いて投影できるような、そんな構造となっている。

 

※後半はアニメであると本人から訂正が入っている。

 

 このように、どこまでも「みんなで叶える物語」の象徴のような彼女の楽曲、彼女の在り方は、歩夢の描き方及びこれまでのラブライブ!シリーズの描き方とは全く対照的である。

 これまでは、ライブで曲を披露するにあたって、なぜライブという舞台に立つのかという事がテーマとなってきた。*4物語では舞台に立つまでの過程が描かれ、そして最後にそれらを全て落とし込んだ挿入歌で物語を締めくくるという形でストーリーを展開してきたが、せつ菜に関してはそういう描き方をされない事が多い。

 『CHASE!』をやることで侑の夢が始まる、『MELODY』で両親に自分の「大好き」を伝えるというような、彼女が歌うことで何かが変化するといった描写が多い。

 そもそも正体が謎に包まれたキャラクターとして描かれていたのもあり、せつ菜は物語によって彼女の物語を示すよりも、ライブによって物語を紡ぐような、そんな描かれ方をされるキャラクターである。

 『LIKE IT! LOVE IT!』『DIVE!』『ヤダ!』も、彼女の在り方はすべて曲中に落とし込まれ、そこに至るまでの物語なしにも意味のあるものとなっている。舞台の外で意味のある物語を拾うとするなら、むしろ終演後の描写の方が意味があると言ってよい。

 

 

 このように、優木せつ菜というキャラクターは、「ステージに立つ理由」(=キズナエピソード)よりも「ステージに立つことで何が起きるか」に重点を置いたキャラクターであり、そしてWith Youのヘッドライナーであった。

 そして、アニメのこの物語は、優木せつ菜から始まった物語である。だから、そういう意味もWith Youは私たちの知る物語とは全くの別物のように感じられたし、別物だからこそあのような形で成立しているのだろう。

 

 例えば、キズナエピソードよりもステージに立つことで何が起きるかが重要視されて描かれた描写として、璃奈のライブが挙げられる。

 

 ここで描かれたのは、「あなたと璃奈が何を築き上げたか」ではなく、「璃奈のライブで何が起きたか」である。

 

 ミアが『Toy Doll』を披露しているのも、それゆえに成り立っていると言える。

 そもそもミアが作ったはずのこの曲を侑が作っていることから、なぜステージに立つのかという理由が成立しているとは言えない。

 しかし、この物語で描いているのは、「なぜステージに立つのか」ではなく「ステージに立って何が起こるのか」である。

 

すごいよ、

璃奈も凄い、ファンも凄い!
スクールアイドルって、最高だ!

 

 栞子の『翠いカナリア』も、スクスタで描かれた「なぜ歌うのか」に着目するなら、せっかく距離を縮めようとしている嵐珠を突き放し帰国させてしまうような楽曲になるが、「歌うことによって何が起きるのか」に着目するなら、「もう未熟な栞子ではない」というアニメでも成立するメッセージが産まれる事となる。また、栞子が自分はもう未熟な駆け出しスクールアイドルなのではなくではなく対等なのだとこの曲で主張する事により、『MONSTER GIRLS』がそこで披露される流れも同時に担保される事となる。

 




 『オードリー』で歩夢とせつ菜が登壇したり、『友&愛』で果林が登壇したりするようなシャッフェスのような描写も、彼女たちが歌う動機よりも結果が重要視されたことを端的に表すものである。

 

その他雑記

寒そう。

 

 

 

 ライブの終盤に破裂して銀テぶちまけるやつ。

 

 

 筆者はAqoursの名古屋公演に行っていた時期だったので実際に見てはいないが、虹ヶ咲の4thライブで本来客席に虹が掛かるはずだったらしい。

 そう思って企画する事が間違いだったら、こんな描写はされなかったと思うんですけどね。

 

 

 日常と非日常が交わりあっている。普段通りの日常の中でスクールアイドルに出逢って世界が変わり始めたみたいに、いつも通りドアを開けたら胸部の大きな生徒会長とお尻の大きな後輩の交わり合いにときめいて。これが「世界が色づいて光りだす瞬間」か……。

 

 

 その場所をスクールアイドルの力でステージに変えてしまう力、「世界を色づけて光らせる力」、1期では前半5人に固有のものだったけれど、2期では全員が獲得してる。

 

 

 何が起きているか理解できていない顔。

 そうなるよね……って思うし、でも歩夢ならそうするって信じられるところも好き。

 

 

 

 

 全体的な感想とか、所感とか、そういうのは別記事で書くことにする。

*1:もちろん、エッセンスが同じなら違う物語だとはいえないという考え方も十分に理解している。筆者も、キズナエピソードとアニメ1期が違う物語だとは思わない。しかし、With Youに参加していた人間としては、「自分が応援しないと彼女たちはどうなってしまうんだ」という危機感、使命感すら感じたあの壮絶な2019年スクスタ黎明期の虹ヶ咲のWith Youと、アニメのWith Youが同じものだとは思えなかった。

*2:スクスタの「あなた」の始まりは歩夢の『夢への一歩』(29章8話『思い出した最初の一歩』)であり、せつ菜の『CHASE!』から始まったアニメとはそもそもスタートが違う

*3:筆者が歩夢推しである以上、基準値が間違っている可能性はあるが、そもそもスクスタの物語のはじまりが歩夢であるためこの比較が間違っているわけでもないだろう

*4:花田十輝氏が「曲は必殺技」と発言しているが、出典が分からなかったので引用しない