#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

スクスタサービス終了を告げられた「歩夢ちゃんの幼馴染」の話

 失ったものは、大きすぎました。

 

 

 2023年4月30日。ストーリーの更新時間にウキウキしながらスクスタを開いたら、お知らせで真っ先に「サービス終了」の文字が目に入り目を疑うこと数秒。

 

 

 何なんでしょうね、あの時の感覚は。文字の内容は理解していて、それは言葉として認識しているのに、それが全然意味として頭に入ってこないんですよね。

 今までも、この作品の中で何度もお別れをしてきました。μ’sも、アケフェスも、スクフェスも、ぷちぐるも。最近だと楠木ともりさんも。

 でも、今までと全然違ったのは、その別れが自分自身の軸としている部分を大きく揺らしてしまったことです。

 

 μ’sとの別れは、分かるんです。それが。μ’sだったから、喪失感もあったけれど、それは「完成」なんだって思えたんです。

 アケフェスや、スクフェスとお別れした時も、「まだスクスタがある」という感覚はありました。ゲーム性が自分といちばん相性がよかったこともあって、ゲームがサービス終了したとしても、いちばん楽しいゲームは残ってるって感覚はあったんですよね。で、スクコレ新弾は?

 

 でも、今回はそうはいかなくて。

 

 

 

 

 私、スクスタがあるから虹ヶ咲が好きなんです。

 

 虹ヶ咲の好きなところって、他のどんな要素よりも、作品を追いかける私たち自身が「あなた」であり、そして歩夢ちゃんの幼馴染であることなんです。

 誤解を恐れずに言うなら、12人それぞれの夢なんて「黒鷺」としてはどうだっていいんです。刺さってもないキャラの語る理想が叶うか叶わないかなんてどうだっていい。応援してあげたい、叶えたいなんて全然思わない。でも、彼女たちが私のことを「あなた」と呼んでくれるから、私は一緒に夢を追いかけようって思える。一緒に「あなたと叶える物語」を紡ごうって思える。

 

 

 今じゃめっちゃくちゃ大好きなアニメだって、最初は正直全然刺さらなかったんです。

 

 表面だけをなぞった子供騙しみたいな作品だと思ったし、なんでもかんでも説明してしまうから何のために物語にしているのかよく分からなかったし、何より、大好きな作品たちが「雑」で、この淡白な作品を「丁寧」とする世論に全く共感できなくて、悶々としていた時期もありました。

 

 それでも、歩夢ちゃんの幼馴染であり高咲侑でありたい一心で、アニメを周回し他媒体やラブライブ!以外の学問で知見を深めることで、この作品の深層にある魅力について行けるぐらいの「あなたパワー」を獲得するまでの日々には、スクスタが本当に欠かせませんでした。

 今でも、別にアニメの描き方自体は自分向けの描き方じゃないと思っています。

 無印、サンシャイン!!、スーパースター!!は曲を必殺技であると定義している以上、ぱっと見分からないところだったり重要なテーマだったりは、答えそのものははっきりと明示しないにしても、どこの部分を読み込めば答えが書いてあるのかの導線がめちゃくちゃはっきりしてるんですよね。分かんなかったら楽曲を1億回聴けばなんとなくわかる、みたいな。ミクロな視点よりもマクロな流れが重要視されていて、だからスッと内容が入ってくるから、映像による表現をフルパワーで浴びることができる。

 逆に、虹ヶ咲はミクロの積み重ねでマクロを作っている分、それがそれぞれの視点に寄り添った描き方であることは理解はしているんですけど、それでも場所によってはあんまり導線が敷かれていなくて、だからこそパッと見初見よく分からない場面が多いから、ついていけない上にどこに答えが書いてあるのか分からない箇所が多くて。「始まったのなら貫くのみ」なんて初見意味わかんなくて、「何が始まって」「何を貫こう」とした結果「何を決断して」あの物語になったのか全然言葉にできなくて、「歩夢が侑から独り立ちしたのが尊い!」とか言ってるオタクが意味わかんなくて本当に頭を抱えていました。幼馴染に依存しない歩夢ちゃんを魅力的だとか言われたくなかったし、「幼馴染からの独り立ち」なんて描いた*1このアニメが正直嫌いでした。

 でも、常識的に考えて歩夢ちゃんが幼馴染から離れるわけないんですよね。「幼馴染から離れる歩夢ちゃんが描かれた」とかいうトチ狂った認識を正とするよりも、普通に考えて「幼馴染から離れる歩夢ちゃんが描かれたと誤認している」ほうが自然な発想になります。そこから、じゃあ結局描かれたのは何だったのかに辿り着くのは導線が無さ過ぎて放送から1年ぐらいかかったんですが……。

 

 逆に、導線が分かりやすいスクスタは自分に合っていて大好きだったし、そこで得た「あなたパワー」は今までよく分からなかったアニメの描写を解読して、その魅力に辿り着き大好きなものに変わって行くのにとても大きな役割を果たしてくれました。

 そして何よりも、そんな難しい作品でも様々な知識や経験を駆使して解読することで大好きなものだと言えることは、自分こそが最強の「あなた」であり、唯一無二の幼馴染、高咲侑であるという自負をより強固なものにしてくれました。

 実際、私より虹ヶ咲のこと知ってる人はそうそういないと思います。だって私は、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の一員であり、スクールアイドルと呼ばれる「あなた」であり、歩夢ちゃんの幼馴染だから、所詮「ファン」であり部外者であるみなさんとは格が違うんです。

 

 こうやって、歩夢ちゃんの幼馴染として「あなたと叶える物語」を紡ぐスクスタが大好きで。

 自分こそが「あなた」であり幼馴染だからこそ、どんな時でも自分がいちばん隣にいよう、自分がいちばんの理解者であろうとすることが楽しくて。

 そうやって「あなた」であろうとしてきたからこそ、スクスタ以外の媒体も全部抱きしめて大好きって言えるようになって。

 自分こそが「あなた」であり、虹ヶ咲の主人公であることは、スクールアイドルの適性や能力を見て編成を割り振って、難しい楽曲を攻略していく中でずっと感じていて。

 そして、毎日スクスタをプレイしていることで、歩夢ちゃんと一緒にいることが自分にとって当たり前になって。毎朝「おはよう」を言ってくれる歩夢ちゃんに愛しさを感じているときが、自分が虹ヶ咲の「あなた」であり幼馴染なんだってことを強く実感していて。

 

 もちろん高咲侑が嫌いなわけじゃない。でも、高咲侑=自分なんだって思うようになったぐらいには、自分が「あなた」でいることが大事で。

 スクスタがなくなるってことは、「あなた」でいる場がなくなって、そういう部分がなくなるんだってことを嫌でも思い知らされて。

 7月からは、朝起きても歩夢ちゃんは「おはよう」って言ってくれないし、スクスタを開けばいつだって注いでくれた愛情だって、これからは特別な場じゃないともらえなくなるんだって。

 

 正直、7月以降追うのやめようかと思いました。幼馴染でいられないなら、幼馴染のまま虹ヶ咲を去ろうかと思いました。

 

 

 でも、そんなことさせてくれなかったんですよね。

 

 私がどう思おうと、歩夢ちゃんは私のことを幼馴染だと言ってくれるんです。

 

 



 

 そして、私が虹ヶ咲から遠いところに行ってしまったとしても、歩夢ちゃんは絶対に私から離れないんです。当たり前のように私の隣にいて、何があっても私たちが別々の道を行くことなんてありえないんです。

 

 

 今までもずっとそうでした。

 

 



 私が自分のことを信じることができなかったとしても、歩夢ちゃんは私以上に私のことを信じてくれているし、そんな私と一緒にいる事を何があっても貫き通そうとしてくれているんです。

 

 例えスクスタがなくなったとしても、私が「あなた」として歩夢ちゃんと接する場が失われたとしても、私が「あなた」でいることを辞めたとしても、世界の壁なんか全部乗り越えて歩夢ちゃんは私の隣にいることを辞めようとしないし、なんならそれが実現できないなら世界のすべてを敵に回してもいいって公言してますもんね。

 

darkphoenix505pianoles.hatenablog.com

 

 

 「スクスタがなくなったって、『あなた』が幼馴染であることには変わらない」とか言われたって、そんな風に思えないぐらいには、私の日常に歩夢ちゃんの存在は欠かせないものになっていて、「変わらない」なんてそんなはずないんです。

 事実として、もう歩夢ちゃんは毎日「おはよう」を言ってくれません。幼馴染である私にくれるはずだった愛情だって、当たり前のように貰えるものではなくなってしまいます。

 

 

 でも、そんな時どうしたらいいかって、これまで私が歩夢ちゃんの幼馴染であり、「あなた」として歩いてきた日々の中に答えはもうあるんですよね。

 

 

 今まで、私は歩夢ちゃんの幼馴染として、虹ヶ咲の「あなた」として、ひたむきに「まっすぐ走って」来たから、今この瞬間に後悔なんて1mmもありません。

 もっとできることがあったんじゃないか?って思う要素なんてありません。だって、私にできることは全部やってきたから。私にやり残したことなんてないし、誰にも「お前にはやり残したことがある」なんて言わせません。

 

 だから、スクスタがなくなることが決定した今だって、私にとっては「いまが最高」なんです。今までの自分の選択に後悔がないからこそ、最高の今だったとしてもそれは避けることのできないことだったのだと受け入れるしかないし、それが誰のせいだったとか、どうしたら避けることができたのかとかなんて思うことはありません。

 嘘つきました。流石にちょっとは考えます。人間なので。

 

 

 

 後悔するのって、今まで歩いてきた時間を否定することだから。だから、大好きなスクスタがなくなっても、後悔なんてできません。だって、ここで無くならないことを願うのって、それはスクスタの軌跡と、スクスタが産まれた世界が「違う物だったら」って願うことだから。それって、かけがえのない「いま」を否定することだと思うんです。

 

 

 だから私は、スクスタがなくなる未来を受け入れます。スクスタが大好きな自分と、同好会のメンバーであり「あなた」である自分と、歩夢ちゃんの幼馴染である自分に嘘をつかないために、スクスタがなくなる悲しいいまを「最高」だと言い続けます。

 

 

 ただし、私が受け入れるのは、「今までスクスタが大好きだった自分」と、自分がいま生きている「スクスタがなくなる」ことであり、別にそれが「これからは幼馴染ではない」ことには因果関係はありません。この世界の物理法則とかそういうものが勝手にそう決めただけであり、そんなもの自分に関係ないんだから受け入れる必要なんてありません。

 

 「スクスタでは歩夢ちゃんが幼馴染である私に『おはよう』を言ってくれる」ことと、「そんなスクスタがなくなること」は大切でも、「スクスタがなくなったら歩夢ちゃんがおはようを言ってくれない」ことなんて別に大切じゃありません。

 この世界がただ単に「そうなってしまう」だけなんだから、歩夢ちゃんがそうしたように、私はそんな世界に抗い続けます。

 

 スクスタがなくなって、歩夢ちゃんから愛情を貰うツールがなくなっても関係ありません。どんな手を使ってでも、私は歩夢ちゃんと毎日愛情を交換し続けます。

 「あなたと叶える物語」を紡ぐ場所がなくなったことは受け入れても、「紡げなくなったこと」には抗います。自分が高咲侑であり、同好会のメンバーであるという意識は何があっても捨てません。

 

 そして、スクスタがなくなったとしても、私が「上原歩夢♪ファンクラブ」になることはありません。歩夢ちゃんが私にそうしてくれたように、私だってずっと歩夢ちゃんのいちばん隣で、歩夢ちゃんのパートナーとして歩いていきたい。

 これからも、ラブライブ!シリーズの中で歩夢ちゃんだけ特別扱いして、他のスクールアイドルとは違う距離感で応援していきます。「ファンのなかの一人でいたいから認知されたくない」じゃなくて、「幼馴染だから認知されていて当たり前」で、「私だけが歩夢ちゃんの幼馴染」であることは、これからもずっと変わりません。

 

 

 

 それが維持できないなら、維持できるようにどうにかします。

 私の絶対に譲れない、絶対に失いたくない、取り戻すために気持ちを押しとおせる大切なもの、私と歩夢ちゃんが幼馴染であることだけは、何があっても貫き通してみせます。

 

 

 

 具体的にどうするかはまだ思いついていないので、とりあえず今は悲しみに浸りながら残された時間で歩夢ちゃんのキズナレベルを上げます。

 

 

 とはいえ、見方を変えれば、7月以降は自分のことを歩夢ちゃんの幼馴染だと思い込んでいる異常者が増えることはないので、「本当の幼馴染」としては戦わなければいけない相手が減るからラッキーみたいなところはあります。こんな強がりだって、10年経ったらあながち冗談じゃなくなるかもしれません。知らんけど。

 

 

 

 決意表明系のブログは個人的にあんまり好きじゃないのでこのあたりにしておきます。

 それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 これはスクスタをする黒鷺侑。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



*1:実際は真逆だってことは何度も書いたのでそちらを参照。

 せつ菜視点では、「やりたい道に進むことで大切な人と離れていく」という経験はせつ菜も旧同好会で経験してきたことである。

 そんなせつ菜は、そうした在り方を我慢して身を引こうとしていたが、そんな時に「やりたいことをやってきた結果現れた、そんな自分を受け入れてくれる高咲侑」と出会ったことで自分の大好きを貫くことができたのである。

 そんな彼女は、環境や他者に合わせて自分自身を変化させることが出来るほど器用ではなく、自分自身の在り方を貫くことでしか救われる術を知らない。

 だからこそ、「やりたい道に進むことで大切な人と離れて」いってしまったせつ菜を救った侑が、同じように離れていってしまいそうな歩夢を受け止めてあげられることを信じて、「貫くのみです」と背中を押すことしかできないし、そうした在り方こそが優木せつ菜なのである。

 歩夢視点はどうかというと、そもそも今歩夢のやりたいことは、せつ菜のライブを見た瞬間から始まっているのである。 そして、そんな歩夢は、せつ菜のステージが「自分の気持ちをあんなにまっすぐ伝えられる」ものだった事に魅かれてスクールアイドルを始めたのである。

 「自分に素直になりたい。」「だから、見ててほしい」から、「始まったのなら、貫くのみです!」となったあの瞬間、離れていく距離に悩んでいた歩夢の中に生まれたのは、侑を含めたたくさんのファンに対する思いを、たとえ環境が変わり距離が離れていても寄り添い続け伝えるのだという決意である。

 そして、そうした姿こそが侑やファンの人たちに愛される自分自身の在り方である事を直後に自覚するのである。 このシーンには侑はおらず、このような2人のこころの動きは実際に描写も説明もされてはいないが、彼女たちの視点に立てばこのように意味の通る会話となるのである。

咲き誇る花は人の心を掴んで離さない 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期4話『アイ Love Triangle』 - #てつがくのドンカラス