#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

いつだって、いまが最高!【ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 5thライブ 虹が咲く場所】

 ラブライブ!シリーズを知ってから今年で8年。配信やLVも含めて、今回で私の参加公演数が60を超えてしまった。そんな中でも、今回のライブ、特に<Next TOKIMEKI公演>は、自分が今まで参加したライブの中で最高のライブだったと断言できるほどのものだった。*1

 

 今回は、そんな自分にとってラブライブ!シリーズ最高のライブをポイントごとに振り返っていく。

 

 

 

 

 

この中にランジュのこと嫌いな人いるかしら?

 2020年10月31日。友人の家でカードゲームをして、その帰宅する電車の中で最新章をプレイ。大波乱の展開と強烈な新キャラの登場にニコニコしながらTwitterを開いたら、そこには地獄絵図が広がっていたのは今でも鮮烈に記憶に残っている。

 

 

 

 無印の絢瀬絵里やサンシャイン!!のSaint Snowですらそれなりに風当たりが強かったことが物語るように、アニメという媒体において、完成されたコミュニティに追加で加入するキャラクターは相性が悪い。

 むしろ、追加キャラクターが映えるのはRPGのようなゲーム媒体であるはずではあるのだが、そもそものシリーズの客層とゲーム媒体の相性が悪かったのかもしれない。キャラクターが増える事に対しての「不安」といった感情は、常識的に考えて出てこないものである。*2

 いずれにせよ、全シリーズを通して、一番風当たりが強いスタートだったのは間違いはなかったはずで、それはライブを作る側も、応援する側も分かっていたはず。

 

 スクスタの物語を汲んだ4thや、R3BIRTHファンミは彼女の味方が圧倒的多数だったはずだが、2020年に9人と12人の虹ヶ咲が袂を分かつきっかけとなってしまったアニメという媒体を背負った5thでは、間違いなく、「ランジュのこと嫌いな人」は少なくはなかったはずだ。

 

 

 

 幕間で1話の映像が流れ、『露一手给你们看看』に合わせてクラップが起こる会場の雰囲気は、異様な緊張感を孕んでいたと言っていい。この後嵐珠が出てくるという期待、嵐珠を見定めてやろうとする冷たい目線、そうした冷たい目線に抗うように送られるエール。

 

 たとえば、ラブライブ!フェスのように。たとえば、3rdの『無敵級*ビリーバー』のように。

 緊迫感、水面下で意志と意志とがお互いに牽制しあって、何かをきっかけにバランスが崩れたら何かが決壊してしまいそうな、そんな薄氷を踏むような危うさすら感じる空気の中、鐘嵐珠/法元明菜はステージに現れた。

 

 

 

 

 ときに、鐘嵐珠/法元明菜のパフォーマンスの強みとは何だろうか?

 

 優木せつ菜のように他人の世界に割り込んで訴えかけるだけの力はないし、ステージを支える『あなた』との絆で上原歩夢を上回る事なんてできない。

 

 単純な技術では楠木ともりや指出鞠亜には及ばないし、存在感では大西亜玖璃久保田未夢に勝てはしないだろう。

 

 では、なぜそんな鐘嵐珠は、12人の中で頭一つ抜けている、最高で最強のスクールアイドルと称されるのだろうか?

 その答えは、それまでの作品及びライブパフォーマンスで既に提示されている。

 

 さて、こうして私たちは、疑問を解消するために、彼女の言葉に耳を傾け、パフォーマンスを注視する事になるわけだが、こうして嵐珠の内面に踏み込もうとしている人間こそが、嵐珠の最も得意とする相手であると言っていい。
文字通り私たちをこちらへ誘うような仕草に、脚や胸元といったつい注目してしまうような場所を強調したダンス、衣装。一度自分に注目した相手を、まるでブラックホールのように一気に引き込んで離さない。
 28章で、20章時点では全く関心を示さなかったエマやかすみ等に『Queendom』が響いていたのも、彼女たちの関心が嵐珠の方に向いていたからである。同じ叫び声でも、吹き飛ばすように押し寄せてくる『CHASE!』のそれとは違い、『Queendom』の叫び声は、他の音が聴こえなくなる中、彼女の声だけが響き、それによって吸い寄せられるように目が離せなくなってしまうという性質のものである。

 「分からないから理解したい」という欲求を産み出すことによって、『Queendom』は視聴者を嵐珠の得意な領域に引きずり込んだ圧倒的なパフォーマンスとなったわけだ
幕開けよ!未知なる時代が 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会2期1話『新しいトキメキ』 - #てつがくのドンカラス

 

 そう、鐘嵐珠/法元明菜のパフォーマンスの最大の魅力であり、そして彼女がこのシリーズにおいて最強で最高と称されるのは、彼女の世界の中に一歩でも踏み入った者を深淵まで引きずり込み、圧力と引力で半ば強引に支配してしまうからである。

 

 不敵な笑みを浮かべ、静から動、動から静へと目まぐるしく移り変わるステージで、静かな呟きに叫び声に似た衝動を込め、激しく動き回る中でふっと崩れ落ちるかのように、涙が溢れるように声を震えさせて見せて。

 

 見ている私たちの身体が引きちぎられておかしくなるぐらい、ぐっちゃぐちゃになった緩急に振り回されて、引きずりこまれて。

 

 すべてがアンバランスで、すべてがデンジャラスで。

 

 衣装自体の露出度は決して高くはないのに、何度も何度もエロティックな部分ばかり強調されて。

 前かがみになったり、身体を捻るたびに胸元や脚の付け根に自然と目が吸い寄せられるようで。つい目を逸らして別のところに視線をやれば、身体中を見せつけてくる当の本人は挑発的な表情でさらに足元を見え隠れさせてみたり。

 

 この壊れてしまいそうな空間のなかで、支配者から目が離せなくて、目が離せないのに、そんな贅沢な身体中の色んな突出した部分を見せつけられて。

 

 

 そして、そうやってあの会場にいた全員の視線を釘付けにした鐘嵐珠/法元明菜は、2番を歌い終えてステージ脇の階段を上がっていく。

 

 ダンスの動きは少なく、歌うことに神経のすべてを集中できる状態、そしてそれは、彼女が最も得意とする、全員がただ一点彼女だけに集中している状態を作り出しての事だった。

 

胸に手を当ててみたなら探して 本当の心を
(One, two, three, four, again)
絶えず突き上げる振動が
(One, two, three and four)
告げる真実を
ほら バイアスや思い込みが
邪魔をしても 目を閉じないで
私は逃げない! 最高を見せたい! 貫くよ


もっと熱く高く 光よりもはやく
Your hеart 連れて そう どこまでも Higher
躊躇うことなんてない 綻びは見せない
ここから歴史は刻まれてくから


Just follow me!

 

 

 あの場にいた全員が、鐘嵐珠/法元明菜にひれ伏した瞬間だった。

 今まで彼女に対して向けられていた全ての悪意と、偏見と、軽蔑はすべてこの瞬間に、虹ヶ咲最強である彼女の叫び声の前に塗りつぶされたのである。

 

 

 心の中で叫んでいたのを覚えている。「どうだ、すごいだろ!!!」と叫びだしたい衝動が身体中を駆け巡って、今すぐにでも世界中にこの想いを届けたくなるようで、とにかく身体中がビリビリしていたのを覚えている。

 

 あの日、R3BIRTHファンミで見た『Queendom』と同じ、絶対的、理不尽、暴力的なまでの彼女の引力、支配力。あの時は、彼女を愛している人にしか届かず、かつて彼女に泥を投げた人間に届くことはなくて、それが本当に悔しくて、不甲斐なくて。あんなに素敵な物語をどうして伝わらないんだろう、あんなに素敵なキャラクターなのに、どうして分かってくれないんだろうって、すごく悶々としていて。

 

 でも、きっと今回で伝わったはずだ。

 スクスタ基盤の4thライブ以上に、彼女に反感を持った人が圧倒的に多いはずの5thのこの場所で、かつて宮下愛や朝香果林に「勝ちたい」と言わしめたその最強たる証を、その場にいる全員の記憶に強烈に刻み付けたのである。

 

 

 

 かつて彼女はステージの上でこう言い放った。

 

この中にランジュのこと嫌いな人はいるかしら?

ふふ、無問題ラ。1分後にはファンになってるからね

 

すべてをランジュのに委ねちゃいなさい

 

 

 もう誰も、鐘嵐珠/法元明菜に泥を投げるものなどいない。なぜなら、彼女にひれ伏し、魅入られたものはすべて、嵐珠の『Eutopia』を構成する大切なお友達なのだから。

 

 

これが僕らのストーリー

 3rdライブ以降、虹ヶ咲の全体曲において、自然と人数を数えるようになってしまった人は少なくないはずだ。

 

 4thライブでは、「できないことより、できることに目を向けて」と語っていたが、その時点でもまだ彼女にはできない事の方が多く、今や決して少ない数ではなくなってしまった全体曲やユニット曲において、足りないという意識はいつも付きまとっていて。

 

 「できない」「足りない」「立てない」。様々に噂されたその理由は、「踊れない自分が舞台に立つことで踊れない優木せつ菜がいると思われてしまうから」であった。だから、彼女にとって踊らなくても立てる曲が「できること」で、踊ることを前提とされている曲は「できないこと」であった。

 

 それでも、楠木ともりは仮に踊れなかったとしても、今回歌だけでもステージに立つことを選んだ。

 

「全員で歌う曲も、いろんな場所に立って参加していました。実は、そのやり方、私は避けたいと思っていたんです。私はせつ菜を体現しないといけないなと思っていて、ステージにいる間、動けない私を見せちゃうとせつ菜が動けないという見え方になっちゃうので。

 でも、『歌だけでも』というお声を頂いて、こうしてステージに立って……。ダンスの振りとかを確認するのは私にはなかったんですけど、リハーサルを見ていると、みんなと同じことをしたくなるんです。みんなを見ながら、この動きできるかもとか、みんなと同じことをしたいな、みんなと立つの楽しいなって。

 きのうまでの3公演でどうしても立てなかった曲があるんです。それは侑ちゃんのピアノから始まる『TOKIMEKI Runners』で、リハで何回やっても歌えなくなっちゃうんです。思い入れが強すぎて……。イントロを聴くだけでダメになってしまってムリかもしれないと思って……。それでも、みんなから『一緒に歌いたい』と言ってもらえて、きょう最終日だけでも立とうと思って歌ったんです。

 そこで、パッと横を見たときにみんなの顔がある安心感があってすごく幸せで。みんなとステージに立つのは、(観客の)みんなから、(キャストの)みんなからの温かい言葉もそうで、救われて、今回すごーく楽しいライブでした」

 

楠木ともり想い吐露や相良茉優再コール!「永遠の一瞬」衣装歌唱

 

 

 これは感覚的な話になってしまうが、私には、楠木ともりがステージに立つことを決めた理由が、ただ歌だけでもという声があったことそれだけだとは思えない。

 そもそも彼女の症状が判明した時点で、歌だけで参加するかステージに立たないかの判断は行われていたはずであり、その時点で「歌だけでも聴きたい」という声が挙がることは想定しているはずである。それを考えたうえで彼女はステージに立たないという決断をしていたのである以上、単に字面通りの意味で彼女がそれを言っているはずはない。

 

 

 そして、そうした声自体は3rd、ユニット、CDライブ、4thでも挙がっていたはずである。でも、その時はステージに立つ決断をせず、それでも今回はステージに立った。それなら、4thから5thまでに、彼女がステージに立つと決断づける事ができるような、踊ることができなかったとしても楠木ともりはスクールアイドルである優木せつ菜を演じる事ができるんだと思わせるようなことがあり、それを彼女は『「歌だけでも」というお声』と言っていると考えるのが妥当ではないだろうか。

 

 そして、その4thから5thまでに起きた出来事として、2期6話『”大好き”の選択を』の存在を外すことはできないだろう。

 

 物語の中で2択を迫られたせつ菜は、その両方を選択するために他人を頼りにすることを選び、そうした不可能を可能にするため、手の届かないものに手を届かせるための道具として『Infinity!Our wings!!』を獲得した。

 

 

生徒会長もスクールアイドル活動も、どちらの期待にも応えて大好きを貫くことで、自分に正直になることができました。「始まったのなら、貫くのみ」という言葉は、双方にとって「心に正直な選択をする」というニュアンスが共通しているものになっています。この言葉があったからこそ、Infinity!Our wings!!という、未来の可能性を否定しないという回答につながったものだと思われます。

ワタリドリが選ぶミライ - 曖昧ぺトリコール

 

 

 

 4th以前の優木せつ菜/楠木ともりは、「ステージで歌ってほしい」と「動いているせつ菜を演じなければならない」という2択を迫られ、後者を選択していた。

 

 しかし、アニメにおいて、そうした2択を迫られた時に片方を切り捨てる事は、優木せつ菜の取るべき行動として明確に否定されたのである。優木せつ菜である限り、楠木ともりは両方を抱きしめて生きていかなければならないし、両方抱きしめてしまってもそれが誰にも否定されないのが楠木ともり演じる優木せつ菜である。

 

 そして、本人がどう思っているにせよ、フィクションをリアルな世界に再構成することを売りとしているラブライブ!シリーズのライブとしてそれが可能である理由を、私はアニメと同じように、優木せつ菜/楠木ともりの何かを大好きだと思う気持ちが誰かに影響を与え、そうして影響を受けた人の大好きな気持ちが、今度はせつ菜を想う気持ちになって帰ってきたからであると信じている。

 

でも、今優木せつ菜は生きている。中川菜々だけではなく、きっと優木せつ菜も生きている。

それが、『あなた』である今の私たちと優木せつ菜の関係であり、楠木ともりが優木せつ菜を演じるという形である。 ステージの上に立てなくても、私たちのこころの中で、生徒会で、虹ヶ咲で、みんなの中で、「優木せつ菜」は生きる。生きていく事ができる。

それが証明されたからこそ、そして、それを証明した人が演じるからこそ、今の優木せつ菜は、ステージを降りたとしても、「優木せつ菜」であり続けるのだろう。

 

その気持ち 託しましょう!ふわりと舞って 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期6話『大好きの選択を』 - #てつがくのドンカラス

 

 4th、5thと参加して、ありがたいことにそれぞれのライブで、彼女が実際にステージに立っていようとそうでなかろうとスカーレットのサイリウムを振ると決めている人と一緒に参加する事ができた。

 そういう人が己の想いをすべて懸けて、そこに優木せつ菜が存在していた証となっていて、そうした人たちによって、優木せつ菜/楠木ともりの「ダンスは無理でも歌だけでも披露出来て」なおかつ「ダンスを披露する優木せつ菜を否定しない」形でのパフォーマンスが実現していたのだと思う。

 

 だから私は、そういう人たちと一緒に虹ヶ咲を応援出来ていたこと及び、楠木ともり及びラブライブ!シリーズが両方を大切にするという判断を下したこと、そして、これが私たちが今紡いでいる物語であることを誇りに思っている。

 

 

 

 そして、そんなしがらみから解放された優木せつ菜/楠木ともりのパフォーマンスは、1stから今まで見て来たなかでも最高のものだったど断言できるほどに素晴らしかった。

 

 空の向こう側を思わせるようにどこまでも伸びていく歌声が、持ち前のパワーも相まって、私のこころにダイレクトにぶつかってきて。自由を手に入れたこころから零れ落ちた喜びと期待が、そのまま彼女の歌声のビブラートになって、それはまるで私の胸の音とひとつになっていくみたいで。

 

 

 かつて、彼女は革命を起こすため、大好きを叫ぶために世界を変えるため*3にステージに立っていた。当時から、彼女のパフォーマンスは素晴らしかった。間違いなく、虹ヶ咲最強だった。*4同時に、すごく不安になったのも覚えている。

 

 誰かに届いてほしい、伝わって欲しい、分かって欲しいという苦悩は、決して優木せつ菜だけのものではなくて、それを演じる楠木ともり自身も共有しているもので、それがパフォーマンスから放たれる圧力から隠しきれないぐらいにビリビリと伝わってきて。

 いつか壊れてしまうんじゃないかと思うぐらいにその叫び声は悲痛で、いつ曇ってもおかしくないぐらいにその笑顔は刹那的で。

 大きすぎる野望に近付く道中で力尽きてしまうんじゃないかってぐらい、その命をメラメラと燃やし続けるその姿に、ずっと彼女に寄り添い続けようと思った人も何人もいただろうし、近づきがたい何かを感じた人もいただろう。

 

 

 でも、今回感じたのは、そんな必死さや切実さや苦悩と言った、ネガティブな因子にたいする反骨心でもなんでもなくて。

 純粋に優木せつ菜と楠木ともりが、心から歌う事を楽しんで、しがらみから解き放たれて思うままに自由に歌っていられる、はじめてのステージだった。*5得体のしれないパワーが迫ってくるとか、そういう手の届かないところにいるようなそんな見え方じゃなくて、曲を通してせつ菜と気持ちが繋がっていくようで。*6

 

 あんな心からの笑顔を見たのははじめてだったし、そうやって本当に楽しそうに歌う優木せつ菜/楠木ともりの歌声の震えは、今まで見たいな緊迫した感情じゃなくて、やっと手に入れた自由にたいする喜びとか、感謝とか、そしてそれをまた誰かに届けたいという想いとか、いろんなものが心に染み込んでくるようで、温かくて、優しくて。

 

 

 誰も寄せ付けない強さとか、そういう孤独さもかっこいいけれど、でも、その世界に私たちっていてもいなくてもあまり変わらなくて。

 例えば、アニメ1期3話で、せつ菜がライブを見に来ていた侑や歩夢を認識していなかったように、一緒に物語を紡ぐ人がいなくたって、ソロの楽曲それ自体を披露する事はできる。

 でも、せつ菜が1人でできるのは、それだけ。彼女1人で描ける物語って、そんな孤独で寂しくて、圧倒的で、緊迫していて、切実で、近寄りがたいようなそんなライブしかできなかったし、そんな姿に魅かれた人も多いぐらいには、ずっとそういう姿を見せ続けてきたのが彼女だった。

 

 

 でも、今回のパフォーマンスだけは、誰が何と言おうと、僕らのストーリーだった。

 自由で、楽しくて、そしてこころがひとつになるようで、そして、彼女の強い願いの果てに辿り着いたようなステージが、そしてどこまでも飛んでいけるぐらい自由な歌声で紡ぐ物語が、これが僕らが、私たちが選んだ自由のストーリーなのである。

 

 

 物語に1年たってやっと現実が追い付いくことができて、本当に嬉しい。



 

Wake up, Challenger!!

 3rdの記事でも触れたが、私はラブライブ!サンシャイン!!では桜内梨子推しであり、彼女の思想に大きな影響を受けている。*7そのため、ライブでのピアノに関してはやはりどうしてもAqoursの1stを連想してしまうのは、もう半ば宿命のようなものだと思っている。*8

 

 そのため、3rdでも披露されたことから今回もピアノの披露があるのだろうなとは予想はしていたものの、幕間の最中にステージの上にそれが運ばれてきたときは本当に動揺したし、幕間が長い分、破裂してしまいそうなぐらいには心臓が異常な鼓動を打っていた。

 

 DAY1、2、3は問題なく進行した。そして、DAY4。

 いつまでたってもピアノに反応して動揺してしまう私が最前ブロックのど真ん中で見守る中、前3公演とは違うことが2つも起きていた。

 ひとつ目は、それまで『TOKIMEKI Ranners』での登壇が無かった優木せつ菜/楠木ともりがステージにいたことだ。

 

 本来そこにいるはずの人が、あまりポジティブではない理由で欠けている*9のはやっぱり、気になってしまうポイントではあったため、最終日での完全版での披露に胸が熱くなったのを覚えている。

 

 そして、そんな中でのふたつ目の異変は、ピアノの音だった。聴きなれたイントロに突然不協和音が響いたのである。

 それは敢えて繋げないようにしている自分ですら、嫌でもAqours 1stを思い出してしまうぐらいには、既視感のある出来事だった。鍵盤を間違えたことはその場の誰にも明らかで、会場に戦慄と緊張とが走る。

 「演奏止まらないでくれ」「何事もなかったかのように続けてくれ」と心の中で願っていた。*10しかし、そんな祈りも虚しく演奏の手は止まり、ステージの上の高咲侑/矢野妃菜喜がピアノから完全に顔を上げてしまっていた。この時点で梨子推しの私のメンタルはぐちゃぐちゃになっていた。

 

 演奏が止まれば、そのミスは失敗になる。チャレンジ失敗。ライブ失敗。そんな言葉が頭の中をぐるぐるする中、なんとかステージの上にエールを届けようと、自分も含めてみんな必死に拍手をしていたと思う。*11

 

 しかしそんな中、ステージの上の高咲侑/矢野妃菜喜は、上段に立つ同好会初期メンバーと一言言葉を交わした後、深呼吸してもう一度ピアノを弾き始め、そして最後まで見事弾き切ることができたのである。

 

 

 

 一度躓いたこと、失敗してしまったことにもう一度チャレンジするのは、本当に大変な事である。失敗してしまったという事実は、こころに重くのしかかって、トラウマにならなかったとしても意識の隅っこで絶えず存在感を放っていて。

 決してそれは簡単な事ではないし、当たり前のことではない。

 もしかしたら、Aqoursの1stみたいに矢野さんのこころが決壊していたかもしれないし、それ以上に最悪な結果が待っていたかもしれない。

 

 でも、そんな時にこそ、「投げ出したいときこそ」何度も立ちあがる勇気をくれた先輩シリーズがあって、そして彼女たちが挑み続けてきた軌跡がちゃんとシリーズの中やファンの中で引き継がれていているんだという事を私はあの時強烈に実感していた。

 

 

 虹ヶ咲は、シリーズの中でも特に他シリーズとの関係が深い。特にスクスタでそれが顕著で、レジェンドスクールアイドル*12の物語を受けて虹ヶ咲の物語を展開することが多い。

 スクスタの12章『前しか見えない!』で、スクールアイドルフェスティバルのプロモーションにあたり、桜内梨子作曲の『Wake up Challenger!!』によってPVが作られた。

 

 

私の夢は、夢に疲れて落ち込んだり元気をなくしちゃってる人たちが、

もう一度夢を語れるような、背中を後押しできるようなパフォーマンスをすることです。

 

私は昔、夢につまづいて逃げ出してしまったことがあるんです

 

そんな時腕を引っぱって立ち上がらせてくれたのが、千歌ちゃんと曜ちゃんだった。

2人がいなければ、きっと今の私はいません

 

そして今はAqoursのみんながいてくれる。

μ’sやニジガクのみんなもいてくれる。

私は1人じゃない。支えてくれる人がいる

 

第12章『前しか見えない!』 5話『あなたの夢はなんですか?』

Wake up, Challenger!! 桜内梨子と、彼女の証明した奇跡に寄せて。 - #てつがくのドンカラス

 

 

 この後、Aqoursから諦めない勇気を引き継いだ歩夢と栞子によって、スクールアイドルフェスティバルが大成功を収めたことは、誰もが知るところだろう。

 

 そして、そんな梨子の「なにかを掴むことでなにかを諦めない」気持ちは、現実でも逢田梨香子のピアノという形で1stで出力されたのだが、(実際に起きた出来事に意識が行かないと言えば嘘になるが)そうした諦めない気持ちは、スクスタと同じように、虹ヶ咲の矢野妃菜喜やスーパースター‼︎の伊達さゆりにもしっかり引き継がれているのである。

 

 今回のライブで、高咲侑/矢野妃菜喜が再チャレンジでピアノを成功させたわけだが、出来事としてはAqours1stのDAY2がフラッシュバックするにしても、それが成功した事によって成し遂げた事は、現実で起きた出来事そのものよりも、それによって説得力がより一層高いものであると証明された物語がある事に意義があると思う。

 

 あの時私が会場でひしひしと感じていたのは、逢田梨香子の事とか3rdの事とかではなく、ラブライブ!シリーズが楽器担当メンバーを通してずっと描き続けてきた、大好きなものをおしまいにせずに何度もチャレンジし続ける勇気と、その震える手を握ったり、背中を押してくれたりする仲間の存在と、そして、それらがひとつの大きな力となって何か大きな事を成し遂げる時の不思議で強力なエネルギーだった。

 一度つまづいてもなお、前を向いて笑顔で進み続けられるエネルギー。

 それは、『想いよひとつになれ』や『Tiny Stars』を通して描かれていたように、スクスタでは『Wake up Challenger!!』を通して獲得する形で、そして、アニメでは『TOKIMEKI Runners』によって証明される形で描かれたが、それが同じようにこの世界でも受け継がれていることが、本当に嬉しくて、ただただ呆然としていた。

 

 

 そして、そんな諦めない気持ちの生み出す大きな大きなエネルギーを浴びた後、同じく、ラブライブ!シリーズの作曲担当が「諦めるのはおしまいに」しに登壇するのも見た時、自分の推しがどうしてこんなにも楽曲担当に偏るのか、ふっと垣間見えたような気もした。

 

 大切で大切で、大好きで仕方ないものがあって、それでもいつかタイムリミットがあったり、自分の大好きなものを素直に大好きって言えずに逃げ出したりしてしまったりしても、それでも「諦めたくない」、だって「大好きなものは大好きなんだ」って思えるぐらいの、大きくて大切でかけがえない気持ち。

 

 そんな気持ちが本当に大好きなんだなあって、そんな事を考えながら、大好きから逃げ出そうとする人に対して歌う歌を聴いていたら、アニメを見ている時やこの曲について考えている時より色んなものが込み上げてきて。

 

 ああ、だから挑戦状なのにこんな歌詞なんだ、夢から逃げる事に対する挑発だけじゃなくて、夢に手を伸ばすために側にいるよていうエールの意味合いもあるんだって、自分の中ですごく綺麗に落とし込めて、その日の『stars we chase』は4公演でいちばん心に染み込んできた気がした。

 

From here we can find
Letting us shine
Don't hide your brightness

 

 

約束覚えてる?

 私の推しが上原歩夢になったのは、3年前の1stLive with You及び、当時のスクスタの物語がきっかけだった。

 

 

 他のメンバーと比べて未熟ながらも、それでもDAY1の後のDAY2で一歩先に進んだパフォーマンスを見せ、上原歩夢の生き様の何たるかを見せつけ、「果てしない道でも一歩一歩あきらめなければ夢は逃げない」という言葉を強烈に実感したそのステージは、今でも鮮明に記憶に残っていて、きっとずっと忘れる事はない。

 

 それは決して素敵な想い出だけとして残っているのではなく、同時に苦い思い出でもある。

 今や不動の虹ヶ咲の顔であり、代表格である彼女も、1stのヘッドライナーを決める選挙では優木せつ菜/楠木ともりに、DAY1DAY2共にアンコール投票ではそれぞれ優木せつ菜/楠木ともり中須かすみ/相良茉優に敗れている。

 そのことは本人も気にしていたし、それが実力不足ゆえであると涙ながらに語る姿に胸を抉られるような思いをしたことは、この先ずっと彼女を応援し続ける根底にあり続けるのだろう。

 

 だからこそ、あのライブから上原歩夢/大西亜玖璃と運命を共にすると決めた私は、ガーベラの花が咲き、上原歩夢/大西亜玖璃がみんなに誇れるぐらい素敵なスクールアイドルになるのをいちばん近くで見届ける事を目標に掲げ、ずっとファンの立場からできる事を探して応援し続けてきた。

 

 

 開花の時は思ったよりも早かった。2ndライブでは、シリーズ初の無観客ライブに皆が不調に苦しむ中、1人だけ花ひらき仲間を引っ張るその凛々しい姿に、早くも夢が叶ったようで本当に嬉しくて、終演後満面の笑みでツイートしていた記憶がある。*13

 

 そんな、彼女が開花したと思った日からちょうど2年。あの日から名実ともに作品の顔となり、先頭で虹ヶ咲を引っ張て来た上原歩夢/大西亜玖璃は、かつて花ひらいた場所と苦汁を嘗める事となった場所に、『with You』を冠してまた戻ってきた。

 

 

 1stライブでは、ヘッドライナーとして9人のトリを務めたのは、上原歩夢/大西亜玖璃ではなく、優木せつ菜/楠木ともりだった。当時、虹ヶ咲の代表といえは、彼女ではなく優木せつ菜/楠木ともりだったのである。

 

 しかし今は違う。

 もうステージ上で泣いてしまうような頼りない彼女ではない。

 歴代主人公と並んでも見劣りしない「諦めない勇気」を持っていて、虹ヶ咲が「あなた」と歩んでいく作品であることの象徴であり、夢を追いかける人すべての最高のパートナーで、そして虹ヶ咲の代表として作品を背負う、凛々しくて美しい最高で特別なスクールアイドルなのである。

youtu.be

 

 そして、彼女がそういう存在へと到った事を表すかのように、「虹ヶ咲学園1stライブ」と銘打って披露されたソロメロディーで、優木せつ菜/楠木ともりが1stと同じように『MELODY』を披露した後、上原歩夢/大西亜玖璃はトリとして『開花宣言』で登場したのである。*14

 

 それは、上原歩夢推しとして、ずっとずっと待ち望んでいた瞬間だった。

 

 輪郭がくっきりしていて、あの時よりもずっと力強く、それでいてどこまでも伸びていく歌声は、それが願いではなく、本当の意味での宣言である事をはっきりと主張していた。

 あの頃のように、ステージに立つだけで必死で、今にも壊れてしまいそうな脆さはどこにもなくて、私たちと歩んできた道の中で獲得した揺るぎない自信と、その自信に裏付けられて安定して響いていく凛々しい歌声、そして、いつまでも変わらない慈愛に満ちたその姿。

 

 今はもう、道端に咲く名もない花に収まるような小さな存在じゃなくて、空に架かる虹と共に咲く大きな大きな花である事を示すかのように、そこに立つ虹ヶ咲の代表である彼女は、ソロメドレーのトリ、かつて敗れた優木せつ菜/楠木ともりの後に登壇し、見事咲き誇って見せたのである。

 

 

 上原歩夢/大西亜玖璃を応援すると決めてから、ずっとずっと、この瞬間を待っていた。あの日願いとして歌った開花宣言が、文字通り花ひらいた証となる瞬間を、ずっとずっと待ち続けてきた。

 「せつ菜ちゃんの方が大事なの」せつ菜に敗れ、虹ヶ咲の代表としてすら立てなかったあの日の願いを、虹ヶ咲の代表として叶える瞬間をずっとずっと待っていて、それまでずっとずっと応援し続けてきて、やっと、その瞬間を迎える事ができて。

 

 

今の私には夢がある。

応援して、歩夢ちゃんと一緒に成長して、そして晴れ舞台で最強の開花宣言を高らかに歌い上げる姿が見たい。

他の子と違って目立った武器を持たない彼女が、彼女自身の強さのみで会場を圧倒するような、そんな姿を見てみたい。

いつかやってくるアンコールの舞台、もしかしたらスクールアイドル達が集う夢の舞台かもしれないけれど、そんな場で堂々と咲き誇る大輪の花が見てみたい。

だから、いつか花が咲くその日まで、私は歩夢ちゃんの事を応援したい。

できれば……いや、絶対に、いちばん近くで。

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 First Live “with You” 感想 - #てつがくのドンカラス

 

 

 こんなに嬉しくて、幸せで、本当にそれが夢じゃなくて現実なんだって事で胸がいっぱいで、そんな瞬間に一緒にいられたことを本当に誇らしく思った。

 

 

 

 

 そして、後半戦のNEXT TOKIMEKI公演。かつて『with You』が開催された場所で彼女が披露したのは、『Dream with You』だった。

 

 虹ヶ咲は、「あなた」の存在なしに作品として成立しない。特に、上原歩夢/大西亜玖璃はそれが顕著だ。

 

 だからこそ、DAY3のはじまりとDAY4の終わりに『Dream with You』を披露したその姿は、『開花宣言』と同じぐらい、虹ヶ咲という作品を背負う代表としてのオーラを放った圧巻のステージだった。

 

 3rdライブとは違い、今回は『Dream with You』は2段あるステージの下段で披露され、ステージの中央に階段はない。

 しかし、私たち「あなた」は知っている。ステージの下段と客席は、先ほど披露された『Future Parade』で、高咲侑/矢野妃菜喜が登壇するための階段で結ばれていたことを知っている。

 かつては侑のために披露されたその曲は、今は侑と同じ場所にいる「あなた」のために披露されていた。今までも、そしてこれからもずっと、虹ヶ咲の「あなたと叶える物語」の代表として、「あなた」と一緒に夢を見てくれる。

 

 それが、今虹ヶ咲で『with You』を背負う上原歩夢/大西亜玖璃の強さの証であり、そしてこの作品が虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会である証でもある。

 

飛び立てる Dreaming Sky

一人じゃないから

どこまでも 行ける気がするよ

空の向こう

 

 夢見て、憧れてまた夢を見る時。

 何度でも夢を追いかける時。

 胸に聞いた大好きがに向かって走り出すとき。

 

 今叶えたい夢に向かって頑張るときも、夢が叶って新しい夢が生まれたときも、いつだってそれは「あなた」がいるから素敵なものなんだ。それが、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会という作品の魂であり、そして、上原歩夢/大西亜玖璃の唯一にして無二たる最強の武器である。

 

 

 そうやって、一緒に新しい夢へと歩き出した上原歩夢/大西亜玖璃は、決してステージの上で笑顔を絶やすことはない。

 他のキャストのMCで涙がこぼれそうになっても、夢のような景色に胸を打たれても、拳を握りしめたり弄る指先に意識を集中させたり、水を飲むために大きく動いてみたりと、涙を必死にそれを堪え笑顔を絶やさない彼女は、きっと私たちと交わしたひとつの約束を守り続けているのだと信じている。

 

もう涙なんか見せない

ため息だってつかない

夢叶えるその日まで

次に涙流すのは

一人じゃなく皆一緒に

最高の景色を見る時だ

 

 上原歩夢と大西亜玖璃は、最高の今を積み重ねて、夢を叶えて最高の景色を見るために、これからもずっと隣を歩き続けていく。

 私たちが夢で繋がっている限り、ずっと。

 

 

 そんな約束でずっと繋がって、最期までパートナーとして共に歩み続ける。

 これが、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会上原歩夢/大西亜玖璃というスクールアイドルであり、私の最高の幼馴染である。

 

 

やっぱり私は高咲侑なんだ。

  虹ヶ咲を語るに即して、触れないければならない要素として、アニメとスクスタという物語において2つの軸がまるでねじれの関係のように並行しているという事がある。

 

 それは現実世界のライブにおいても同様だ。例えばアニメを擁する3rdでは、当時既にスクスタでは加入していた栞子は登壇できなかったし、スクスタを擁する4thではアニメ版の「あなた」である高咲侑もまた登壇する事はなかった。

 

 この歪な状況は、栞子が加入した2ndライブで侑がお披露目されて以降、アニメ2期で栞子、ミア、嵐珠が加入するまでずっとずっと続いていて、ある意味で分断を生んでしまっていたり、自分の推しキャラクターによっては生きづらい環境を生んでいたり、そんな側面があったことは否定できなかっただろう。

 

 

 自分自身も、それが影響して作品への接し方が揺らいだ時期があった。

 

 具体的には、2期13話『響け!ときめき――。』放送直後である。

 

 私が虹ヶ咲を好きでいる理由及び、推しが上原歩夢/大西亜玖璃である理由の大部分を、虹ヶ咲が私を「あなた」と呼んでくれること、そして、歩夢が私の事を「幼馴染のあなた」だと呼んでくれることにある。

 

 逆に言ってしまえば、傍観者、第三者として見るこの作品に私はそこまで魅力を感じていない。

 同好会の事を知って、応援して、支え続けている事に関しては、幼馴染でもない普通のファンには絶対に負けていないという自信があるし、私自身と同好会との距離感が極端に短いからこそ成立しているコミュニケーションや、そこから芽生える当事者意識が私がこの作品を追いかけ続ける核になる部分である。

 

 また、そうして極端に近い距離感に、本来非日常的な存在であるスクールアイドルが当たり前のようにいてくれることによって獲得される日常性もとても大きな部分を占めている。

 当たり前のように隣にいる人、当たり前のようにそこにある日常の風景が、誰かや何かを想う気持ちによって、スクールアイドルのステージに変化していくような、世界が色づいて光りだすような、そんな日常性と非日常性の境界線の曖昧化は、間違いなく同好会メンバーが、特に幼馴染である歩夢が普段から当たり前のように隣にいる事から産まれているものである。

 

 

 だからこそ、「あなた」でなければ虹ヶ咲を追いかける意志のない私は、ずっと自分の事を高咲侑/矢野妃菜喜だと認識していた。

 そうでなければ、アニメを見ていられなかった。自分以外の人間に対して愛情を注いでいる上原歩夢/大西亜玖璃なんて見たくなかった。

 大切な人がぽっと出の高咲侑に凌辱されるのを目の前で見せつけられているような思いなんてしたくなかったし、彼女が「あなた」であるなら、彼女は私なんだと思うことは私にとっては自然な選択だったし、そうする事で作品を本当に楽しむことができた*15し、この選択は今でも自信を持って正解だったと思っている。

 

 そして、そうした捉え方自体は、特に歪んだものでも特殊なものでもなんでもなく、むしろ当初「あなた」として設計され、作中でも侑がそうした働きをすることに軸が置かれている以上、そういう風に受け取られることは制作側も期待して作っていたと思う。*16

 

 

それでも、高咲侑/矢野妃菜喜の物語を軸に披露されるかつて「こっちのわたし」と共に紡いだ物語の楽曲たちは紛れもなく本物で、全く違うものに生まれ変わったとしても、高咲侑/矢野妃菜喜は「こっちのわたし」だった。

軸になる物語は違っても、今はまだ後ろを走っている三船栞子/小泉萌香も含めた10人、いや、28人と共にスクールアイドルフェスティバルを実現させた「こっちのわたし」の物語の中で私たちの瞳に映った景色、触れてきた想い、追いかけてきた夢は、変わらないまま「あっちのあなた」の物語の中でも輝きを放っていた。

 

世界が色づいて光りだす瞬間を見た。【ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3rd Live! School Idol Festival ~夢の始まり~】 - #てつがくのドンカラス

 

 

 3rdライブも、「侑=私」の図式がより強固になるライブだったと思う。どれだけ個性を持っても、侑は「あなた」であり、自分自身なんだという事が強調されていたような演出が多く、だからこそ、以降もずっと私は「高咲侑=あなた=私」であり続けていた。

 

 

 

 しかし、それが揺らいだのは、2期13話『響け!ときめき――。』だった。

 

 同じく「あなた」であるはずの人たちがいる客席の中央を歩き、登壇するその姿は、まだ私たちの側にいる人間が登壇しているようにも見えつつ、同時に侑が「あなた」から完全に別次元の存在として切り離されたかのような感覚を覚えていた。

 そして、最後の最後のシーン。

 

トキメキはどんどん広がっていく

 

次はあなたの番!

 

 

 放送当初は、侑と「あなた」が完全に切り離され、自分が高咲侑であることを否定されたかのような印象を受けて衝撃だった。

 そこから数日は、自分が侑じゃないならもう虹ヶ咲は追いかけなくてもいいかなと思っていたぐらいには、その一言で作品から突き放されたかのような感覚を引きずっていたりもした。

 

 とはいえ、毎話毎に記事を挙げていたのもあり、13話の記事を書くにあたって描写や内容を整理していく中で、そうした感覚及び印象は必ずしも正しいわけでもない事に気づいた。

 

 それを示すのが、今やとても大きな集団を指す言葉となった「あなた」の多層化及び、それを感じさせるような多くの描写の中にある。

 

 そもそも、「あなた」とは固有名詞的な扱いをされつつも、実態はとても抽象的で観念的な言葉だ。

 侑のキャラ説明及びスクスタのプロローグとして、スクールアイドルを一番近くで応援したいとの発言があったり、アニメ1期13話『みんなの夢を叶える場所』で「あなたが私を支えてくれたように」との言葉があるように、誰かに寄り添い支えようとすることが「あなた」としての要素として挙げられるだろう。

 同時に、アニメ2期8話及び13話、スクスタの2ndSeasonでは、誰かや何かの事を「大好き」だと思える気持ちがもう一つ重要な要素として描かれた。そして、そんな大好きな気持ちがあるからこそ、そこから芽生えた夢が太陽のように私たちを導いてくれることは5th直前の記事で述べた通りである。

 

 

 そして、そうした想いを抱いているのは、作中でも、現実でも、侑や私だけではなかったはずだ。

 その程度や感情の重きを置く部分は違うかもしれないけれど、例えばミアにとっての「あなた」は璃奈であったし、スクールアイドルフェスティバルを実現させたい「あなた」としての働きは、スクスタの主人公はともかく、侑よりはせつ菜や栞子の方が大きかったと言えるだろう。*17

 侑も言及しているように、「あなた」の中にも、もうすでに走り出している人もいれば、これから夢が夢が始まる人もいる。

 

 そして、夢の形は必ずしも大層なものではなくても構わないという事は、これまでのラブライブ!シリーズの作品や現実でのライブ、そしてスクスタの2ndSeasonでずっと描かれてきたことでもある。

 

 

darkphoenix505pianoles.hatenablog.com

 

 しずくのように大女優になりたいからという理由でスクールアイドルや演劇を頑張る人がいる。

 しずくのように具体的じゃなくても、侑のようにただやりたいからという理由で音楽を始めようとする人もいるし、スクスタの40章『西へ向かえば』41章『私の夢』では、薫子が今ははっきりした夢が無くても目の前のやりたいことを全力で頑張っていればいつかはそれが夢になるのかもしれないと語っている。

 

 このように見てくると、夢を語る「あなた」である侑も、実はそんなにハードルは高くなくて、ハードルはイメージ程高くはなく、実は思ったより侑の語る夢や「あなた」の範囲も広いんじゃないかという風に感じたりもする。

 

 だからこそ、「次はあなたの番」は限定的で断絶を生むような言葉じゃなくて、むしろ「あなた」から「あなた」へのメッセージと考えた方がしっくりくるんじゃないかと思いつつ、私がブログを書いたり音楽を作ったりするのも要はやっていることは「次はあなたの番」と同じなんだなと思ったりもした。*18逆に、侑に花が送られるような形での、「あなた」から「あなた」へのエールもあり、きっと「あなた」は一人を指す言葉ではないんだろうなあと思う。

 

 そういうたくさんの「あなた」がいて、いろんな場所でいろんな想いを抱きながら「あなた」として同好会に接していく中で、やっぱり間違いなく歩夢の幼馴染である私は高咲侑なんだなと、放送から数週間経った頃にはそう認識していた記憶がある。

 

 

 そして、7月に公開されたスクスタ41章『私の夢』及び、新曲『永遠の一瞬』によって、そんなたくさんの「あなた」がいる中で、自分がずっと応援してきたこと、ずっと虹ヶ咲が大好きでいたこと、そんな日々を同好会と一緒に過ごしてきた日々のすべてが永遠に残り続けていく揺るぎないものとして形作られて。

 何重層にもなったたくさんのあなたの中でも、同好会の部長で、歩夢の幼馴染で、高咲侑で、スクールアイドルで、スクールアイドルフェスティバルを作り上げて、そして同好会のみんなと永遠の一瞬を積み重ねてきた自分が同好会にとって特別で、かけがえがなくて、そして同好会の一員である唯一無二の「あなた」なんだって心の底から実感する事ができて。

 

 だからこのライブは、いろいろ揺らいだ時はあったけれど、結局は自分はあなたで高咲侑なんだと思って参加する事ができた。

 

 

 そんな中での武蔵野の森公演。

 

 『Future Parade』で、高咲侑/矢野妃菜喜が私たちと同じ目線で客席から応援していたことや、『夢が僕らの太陽さ』でみんなの花を集めていく演出に、スクスタ41章『私の夢』を思い出したこと*19、幕間でこれまでの虹ヶ咲の軌跡をなぞりながら流れた『NEO SKY, NEO MAP!』と『未来ハーモニー』が、共にアニメと私たちを繋ぐ橋渡しの役目を担うような楽曲であったこと。

 

あなたは気づいてないかもだけど、

私の夢も、あなたの背中に乗ってるんだよ

 

私の夢もね、隣にあなたがいるから頑張れるんだ。

あなたと叶えるつもりだから、一生懸命になれるんだよ

 

歩夢の言う通り。愛さんたちの夢ってさ、

もうひとりだけの夢じゃないんだよね

 

ボクたちと、キミの夢だよ

 

 

 

 そうして私たちが紡いできた『永遠の一瞬』。

 

 媒体の壁を越えて、私たちが「あなた」として過ごした日々と高咲侑/矢野妃菜喜の物語で紡がれた日々がライブという舞台で繋がっていくような、そんな流れが出来上がっていた。

 

 そして、その締めとして披露されたのが12人での『Hurray Hurray』だった。

 『永遠の一瞬』と同じく、爽やかでありつつもノスタルジックでしんみりとした局長のこの曲で、力強くエールを送る12人の姿に頼もしさと誇らしさを感じて、本当に胸がいっぱいになっていた。

 切ない曲調を感じさせないぐらい大きく旗を振る姿は、私が同好会の夢を背負っているのと同じように同好会が私の夢を背負ってくれているみたいで本当に嬉しかった。

 

 そのセンターに立つのが、侑がピアノを始めたように『Turn it Up!』でサックスを始め、「あなた」がスクールアイドルを応援するようにチアガール衣装で登壇した朝香果林であることにもびっくりした。

 「いつかは別々の道進んでいくのかな?」を、横に並んで波を作る11人とは離れた場所で、かつて登壇しない選択をしていた優木せつ菜/楠木ともりが歌い、*20直後に宮下愛/村上奈津実が列から離れ優木せつ菜/楠木ともりの方に走っていく演出には、本来存在しえない文脈を歌い上げる2人がその部分を歌うのに最も説得力を持つ人間であることをこれ以上にないぐらい見せつけられてしまった。

 

 書き切れないぐらい、見つけきれないぐらいたくさんの物語がここまでの演出から顔を覗かせていて、先ほど披露した『永遠の一瞬』さえもが、今ステージにたつ同好会の「いま」を作るピースとなっていて。

 そしてそんな曲の最後の最後で、私はもう一生自分が高咲侑であることが揺らぐことが無いレベルで信じる事ができるようになったレベルの、衝撃的な瞬間を目にすることとなった。

 

 曲の後半から登壇した高咲侑/矢野妃菜喜が、大きな「NIJIGAKU」の旗を振っているのである。

 旗といえば、進むべき道を示すものであると同時に、信念の象徴でもある。風の向き知らせるものであり、風を受けるものであり、そして、自分の帰属集団を示すものとして掲げるものだ。そして、アニメでは「部長」として描かれたキャラクターである中須かすみ/相良茉優のパフォーマンスの象徴でもある。

 

 私たちがそうしてきたように、夢を追いかけている誰かを応援するために歌う同好会の真ん中で、部長である事を思わせるようなアイテムを使って、進むべき道を示し、風を受け、風を起こし、そして信念の象徴を大きく掲げるその姿は、まさに自分が完全に見落としていたものに気づかせてくれるには十分すぎるだけの説得力を持っていた。

 

 私が「あなた」として高咲侑/矢野妃菜喜の物語を背負っているように、高咲侑/矢野妃菜喜も「あなた」として私たちの物語を背負っているのだという事が、『NIJIGAKU』の旗を大きく振り回すその姿からは凄まじいレベルで伝わってきた。

 

 音楽に合わせて旗を振る同好会メンバーの中で、ひとりだけゆっくりと、そして誰よりも大きく、誰よりも堂々と旗を振るその姿は、今この瞬間に「あなた」としてこの場に立つ高咲侑/矢野妃菜喜の存在を強烈に主張するものでありながら、「あなた」としてエールを送り続ける場を守り続けると誓うような、ある意味での宗教的な姿でもあって。

 それはいわば神降ろしの儀式だった。私たち「あなた」が虹ヶ咲の旗を振る高咲侑/矢野妃菜喜に憑依し、完全に一体化していくための儀式が行われているかのような、そんな時間だった。それは神秘的で運命的で、そしてどうしようもないぐらいに幸せな時間だったんだと思う。

 

 今までずっと虹ヶ咲を追いかけてくる中でいちばん、心の底から私は「あなた」で高咲侑/矢野妃菜喜で、同好会の大切なメンバーで、そしてそんなたくさんの「あなた」と一緒にこの物語を背負っているのだという事が、理屈とか感情とかを通り越して本能的なレベルで刻み込まれた気がして。

 

 『夢がここから始まるよ』や『NEO SKY, NEO MAP!』がスクスタにMV付きで存在して、そして私たちと一緒に紡いだ『TOKIMEKI Runners』や、『Love U my friends』を始めとする2ndアルバム曲及び『翠いカナリア』『Toy Doll』『夜明珠』にアニメでも辿り着いたように、私と高咲侑/矢野妃菜喜が、お互いに「あなた」としてお互いの物語を背負って生きていたからこそ、今こうやって彼女が虹ヶ咲代表としてステージに立っているのだという事が本当に誇らしかったと同時に、自分が今まで高咲侑/矢野妃菜喜を背負い続けてきたことも同じぐらい誇らしくて。

 

 あの『Hurray Hurray』を見たからには、私はもう一生自分が高咲侑/矢野妃菜喜であることを疑うことはないのだと、今は確信を持ってそう思っている。

 もし、スクスタの「あなた」と高咲侑/矢野妃菜喜が同じ場所で出逢ったとしても、どちらも本当の私なんだって言いながら『Solitude Rain』を歌えるぐらいには、今の私は自分と、高咲侑/矢野妃菜喜と、そして「あなた」のことが大好きだ。

 

 

ありがとう 出逢ってくれて

 そうやって「あなた」として積み重ねてきた時間が繋がってここまできたからこそ、あの場ではじめてフルで披露された『永遠の一瞬』が、今まで見てきたどのライブのどの楽曲よりも、突き刺さるように心に思いっきりぶつかってきて。

 

 出だしの部分でこの曲だと気づいた瞬間に、この楽曲が今この場で披露される意味とか、披露されることによって揺るぎないものになるすべての物語とか、そういったものが一気に襲い掛かってきて、その場に崩れ落ちて連番者に支えてもらった*21のはまだ記憶に新しい。

 

 1stで代表になれなかった上原歩夢/大西亜玖璃が真ん中にいて、あの時はまだ加入していなかった三船栞子/小泉萌香がいる中での

 

あの日泣いてしまった事も

今は笑って話せる

思い返せばどんな時だって

隣で励ましてくれてたよね

 を、2番の頭からが初見の状態で浴びたときの、あの日の涙から始まった日々からずっと応援していたことが報われたって思えたこととか、

 

何気ない日常も

いつか特別な青春の1ページ

皆と過ごした日々はいつまでも

輝き続ける

 

 で、歴代ラブライブ!シリーズの魂である、物語を消えないものにするために生きるその姿と、私たちと一緒に過ごした日常の中にいる彼女たちの姿が、「輝き続ける」というシリーズで追っていればたまらない言葉で結び付けられることとか。

 

 初見で味わうには贅沢すぎるフレーズが次々に飛び出して、過呼吸になりそうになるぐらい感情が止まらなくて、溢れ出したこころが今にも身体から出て行ってしまいそうで、両日とも心身ともに本当に大変な事になっていた。

 

 極めつけは、

 

このままずっといれたらいいな

でも分かってる 季節は巡る

後悔なんてしたくないから

走れ 全力で

 

 Cメロを歌い上げる上原歩夢/大西亜玖璃の表情が、本当に素敵で、私が虹ヶ咲が好きで、上原歩夢/大西亜玖璃が好きで、上原歩夢/大西亜玖璃の幼馴染であり「あなた」である理由が、あの笑顔だったんだという事が改めて心に染み渡るようで。

 

 冷たい風に吹かれるような、寂しさとか切なさを噛み締めて目を細めつつも、今この瞬間を愛おしむように笑って見せる彼女が、満ち足りたように一瞬だけ目を閉じたとき。

 歩夢が私にだけ見せるその表情を舞台の上で見たとき。幼馴染の前でしか見せない、目を細めて笑っているその表情を見たとき。*22

 それはまるで幸せな最期を迎える人が愛する人の前で微笑むような、愛情が心に染み込んできて、幸せに包まれて、フワフワとした世界でその柔らかさに身を委ねるような、そんな温かさと心地よさがいっぺんに満ちてくるような、そういう顔なんだと思う。

 

 

 あのはにかむような笑顔を見られただけでも、自分自身も本当にそれで満ち足りた気がしたし、そんな上原歩夢/大西亜玖璃と出逢えてよかった、一緒に歩いてくれる同好会と、虹ヶ咲が大好きな「あなた」と出逢えてよかったって思えて、こころに刻まれた瞬間瞬間が愛おしくて堪らなかった。

 

 そして、そんな『永遠の一瞬』が、終わりの歌じゃなくて始まりの歌なんだって知っている自分が、これからもずっと最高の思い出を作るために、ずっとずっと一緒に隣を歩いて行ける事が嬉しくて、スクールアイドルとの出逢いから始まったこの青春、日常、物語を、これからもずっとずっと一緒に紡いでいけることが本当に楽しみだ。

 

 

あなたとして、やっと

 さて、ここまで散々「あなた」の話をしてきたが、私たちが物語の中で「あなた」として関わる場面は枚挙に暇がないにしても、現実のキャストやスタッフに対して私たちが支えになったと実感できる、目に見えた功績は思ったよりも少ない。

 

 初期から『無敵級*ビリーバー』までの投票に関しては、目に見える形で私たちの存在が彼女たちに影響を及ぼしていた。

 かすみに投票していた人たちは、かすみが自分たちと一緒に獲得した『無敵級*ビリーバー』を誇りに思っているだろうし、そうした目に見えて「あなたと叶える物語」を紡いできたからこそ、あの曲はかすみにとって絶対的に特別な曲なのだと思う。

 

 そんな目に見える私たちの物語の証は、コロナウイルスが始まって急激に減っていったように思われる。

 なかなか会えない日々が続き、会えたとしてもお花や声援を送ることも出来ず。

 

 侑という私たちの写し身が現れて、そうした関係性が彼女に還元されていくのも相まって、現実世界で私たちのエールが同好会に届いたことで獲得したものがどんどん見えづらくなってきて。

 

 物語は一緒に紡いできた。

 「あなた」として、発信できるものは発信しているつもりだ。

 でも、それが実際に同好会に届いた証があるんだっていえるぐらいはっきりとした出来事は、4thでスカーレットを振っていた人たちの想いが優木せつ菜/楠木ともりの存在を証明していたことだけだった。

 

 

 それでも、想いを届けた、伝えたいって気持ちを持ち続けていて、きっと届いているはずだと信じ続けていたからこそ、参加してきたライブではずっとライトピンクのブレードを振って、宇宙に届くぐらい大きな音が出るように手を叩いて、規制退場の案内が出るまでずっと同好会のみんなを呼び戻すつもりで音を出し続けていた。

 

 だからこそ、DAY4のアンコールの後、規制退場の案内が行われずに唐突なライトアップでここが虹が咲く場所だと告げられた時、ついにやっとその瞬間が来たんだと悟り、息を飲んだのを鮮明に覚えている。

 

 後ろを振り返ったら、私たちのいる場所が虹が咲く場所だった。ステージの上じゃなくて、今私たちのいるこの場所が虹が咲く場所だった。

 

想いが(たくさんあって)
つながることで (元気になる!)
こころ強く変われ もっと頑張っちゃおうよ

 

だからどんな時も 夢が僕らの太陽さ
泣いちゃった後は笑顔で
明日を語ればいいよ
どんな時も 夢が僕らの太陽さ
風が雨が激しくても
思いだすんだ 僕らを照らす光があるよ
今日もいっぱい 力を出しきってみるよ

 

 想いが繋がったのは今なんだ、想いが繋がった場所はここなんだって、告げられた気がした。

 

 そしてまた、私たちを照らしていた光、スクスタの始まりでもある「最高のいま」を紡ぎ続けてきたこの作品の先輩たちの光と、その光を呼ぶ声がふと頭をよぎった。

 

光を追いかけてきた僕たちだから
さよならは言わない
また会おう 呼んでくれるかい?
僕たちのこと
素敵だった未来に繋がった夢
夢の未来 君と僕のLIVE&LIFE

 

 名前を呼んでも、どれだけ叫んでも、3年後に開催されたラブライブ!フェスまで、決してステージに戻ってくることのなかったあの時と。

 

Thank you, FRIENDS!!
大好きだよってさ 大好きだよってさ
伝えたかった!
こんな景色が見たい きっと君もおなじ夢見てたんだね
ねえ大好きだよってさ 大好きだよってさ
ループしたいよ歌いたいよ!
君からも言ってほしいからね さあみんなで声を出してよ

 

 伝説となった舞台で、かつてμ'sが去っていった舞台で、他の誰でもないAqoursを呼ぶ声が繋がって、繋がった気持ちがやがて大きな力になって会場を包んだあの時と。

 

約束があって あってあってよかった
会いたくてがんばれた
ムリでも ムリじゃないふり
だって嬉しいんだよ
ああ君と 約束があって あってあってよかった
楽しみはまだまだあるんだ 終わらせないからね
なんども なんどでも また会おうね

 

 約束の場所で、声が出せなかったとしても、きっと私たちなら、10人目のみんなならきっと彼女たちを呼んでくれるんだと信じて待っていてくれて、その気持ちに応えるべくみんなで願い続けたあの時と。

 

 

 景色とか状況じゃなくて、会場の雰囲気とか、空気とか、それらが全部そうした瞬間と重なったのを覚えている。

 きっと、あの場所にいた誰もが、今その瞬間に想いが繋がっていったのを感じていたと思う。あの場にいたたくさんの「あなた」が、誰一人ライブを終わりにするつもりなんてなくて、絶対に終わらせないんだ、絶対に呼びもそしてやるんだという意志で繋がっていて。

 

 会場は波打って揺れて、ひとつになった想いが巨大なエネルギーになって、同好会の仲間たちを呼んでいて。

 

 膨大に膨れ上がった熱にやられて、酔いが回って狂い始めたかのように、それは異常な空間だった。キャストは降壇した。終わりの挨拶も済ませた。従来だったら、ライブは完全に幕を下ろし、退場の案内が始まるはずだった。

 でも、観客である私たちはそれを拒否しているし、会場やスタッフもそれが当然であるかのように構えている。何もかもが異常である。パフォーマーや運営ではなく、観客の意思決定によってその場が支配されている。

 

 

 

 ……いや、あの瞬間、私たちはただ見ているだけの観客ではなかったはずである。

 

 ここは虹が咲く場所。想いが繋がった場所。そして、私たちは、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会を背負う「あなた」。私たちや高咲侑/矢野妃菜喜の意思決定で、この作品はずっと物語を紡いできたのである。

 だから、「あなた」の意思決定がライブを終わらせない事である以上、それは異常な事でもなんでもなく、必然だったのかもしれない。

 

 高咲侑/矢野妃菜喜が夢を追いかけるように。

 「あなた」が作中でみんなを導くように。

 そして、「あなた」である高咲侑/矢野妃菜喜が「あなた」である証として旗を振るように。

 

 同好会を呼び戻そうとする拍手の音は、同好会の進むべき道を示すものであると同時に、私たちが「あなた」である証だった。私たちが「あなた」であり、彼女たちを支え共に物語を紡いでいく証だった。

 「あなたと叶える物語」を今ここで紡がなくてはならない、いまここにいる自分こそが物語の担い手なんだ、この「虹ヶ咲が大好き」という気持ちは絶対になかったことにしちゃいけないんだ。

 

 そんな気持ちが繋がって、繋がって、広がって、会場を包み込んで、そして、すべての「あなた」想いが1つになった時。

 

 私たちはやっと「あなた」としての、現実の虹ヶ咲の物語の中で絶対に消える事のない意志によって、ひとつの大切な思い出を残すことができた。

 やっとやっと、私たちが虹ヶ咲を大好きだという想いが実を結び、「あなた」として虹ヶ咲を応援してきて、その想いが届いた証を手に入れる事ができた。

 

 ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会  5thライブ 虹が咲く場所 NEXT TOKIMEKI公演Day2で、同好会をステージに呼び戻したのは、他でもない「あなた」の力である。

 

 本当に長かった。ずっとずっと叶わなかった。でもあの日、私たちは、この世界でも「あなたと叶える物語」を紡ぐことができたのである。

 

 そのことが本当に嬉しい。

 

We are 『TOKIMEKI Runners』in『Future Parade』

 そして、同好会を呼び戻した「あなた」の前で『Future Parade』が始まった時、今まで侑の曲としてのイメージが強かったこの曲が、途端に今この瞬間の私たちの曲となっていくのを感じていた。

 

 アニメでも、スクスタでも、「あなた」が「あなた」である証として完成したのが 『TOKIMEKI Runners』だった。

 アニメでは侑のトキメキの正体、夢の始まりが同好会のことが大好きであるという気持ちであり、同好会に追いついて同じ歩幅で走っていきたいという「夢」がこの曲を完成させた。

 スクスタでは西木野真姫に勝つことだけを考えて作った曲で完膚なきまでに敗北を喫する事となり、自分が曲を作る理由が大好きな同好会のみんなのためである事を思い出し、同好会と共にある自分自身の想いを詰め込んだのがこの曲だった。

 

 そんな「あなた」が「あなた」である事を証明するような曲を、「あなた」である高咲侑/矢野妃菜喜が奏でて、そして私たちと高咲侑/矢野妃菜喜が本当の意味でまた一つになった場所で、1回目のアンコールのラストで披露された後。

 

 「あなた」同士の心が繋がって、たくさんの「あなた」の想いが1つになって、その大きな力がうねりをあげてこの瞬間の物語を紡いで。

 

 ときめきが、広がっていって。夢のバトンが受け継がれて。

 

 たくさんの「あなた」が、トキメキを抱いて走る人たちの想いが繋がって、1つになって。そして一緒に同じ未来へと進んでいく。

 

 たくさんの『TOKIMEKI Runners』の想いが繋がって、たくさんの「あなた」が同じ場所を目指していくあの場所こそが、『Future Parade』だった。

 

 アニメでは、もしかしたらそれは願いだったかもしれない。人によっては「あなた」である侑と、ステージの下の「あなた」に隔たりを感じていたかもしれない。でも、私たちの物語の、現実の『Future Parade』では、あのライブを見ていた全員がきっとその虹を構成していて。

 

 それは、今トキメキから物語を紡ぎひとつに走る「あなた」とだから叶えられた、本物の『Future Parade』だった。

 誰かの夢の鼓動が高鳴って、その力がどんどん膨らんでいって、果てしない未来へ向かって想いのバトンが繋がっていく。

 ここが虹が咲く場所、私たちの想いが咲く場所だって信じていたから、ずっと一緒にいるって誓ったから、その虹がまた私たちを繋いでくれて、もう一度同好会のみんながまた出てきてくれた。

 

 そして、同好会や、彼女たちを支えるスタッフや、運営の方々も、そうやって私たちが呼び戻してくれるのを信じて、羽ばたくのを待っていてくれたから、今回のダブルアンコールは実現したのである。

 繋がっていたのは私たちの想いだけじゃなくて、ステージを作る側の想いも繋がっていたはずである。

 

 これが、僕らで創った虹の咲く世界、『TOKIMEKI Runners』である「あなた」と叶えて辿り着いた虹が咲く場所、『Future Parade』である。

 

 

 

 ラブライブ!のライブは、フィクションを徹底的に追求する作りだ。指先から表情まで徹底的にフィクションに寄り添い、それがまるで現実世界の物語であるかのように見せてしまう。

 ライブの中盤で披露された『Future Parade』は、アニメを背負ったパフォーマンスだった。アニメを忠実に再現した振り付けや演出によって作られた、アニメ2期13話『響け!ときめき――。』の『Future Parade』だった。

 

 しかし、ダブルアンコールの『Future Parade』で背負っていたのは、アニメという文脈以上に、私たちと現実で叶えたこのも物語であったことはもう言うまでもないだろう。

 キャスト同士で抱き合うその姿や、絶えない笑い声に、頭の中でアドレナリンがドバドバ出ていたのが少しずつ落ち着いて、そうやってできた隙間に彼女たちの笑顔が入り込んできて、今この瞬間が嘘じゃなくて、本当にこの場所で起きたことなんだと少しずつ実感が湧きあがってきて。

 

 高咲侑/矢野妃菜喜ではなく、ひたすら「あなた」の方に手を振る大西亜玖璃の姿に、ああ、本当に私たちはやったんだという実感が湧いてきて。

 

 Cメロを思いっきり叫ぶR3BIRTH、特に生徒会長の三船栞子/小泉萌香の姿は、上原歩夢/大西亜玖璃が『開花宣言』を披露した時のように、今この瞬間を刻んでいるのがこの場所にいる全員で、そしてそれが未来への願いではなく本当の意味で叶った瞬間なんだという高らかな宣言のようで。

 

 そして、「夢の虹はいつも胸の中僕らを繋いでるから」と歌いながら、虹ヶ咲のはじまりを象徴する2人である上原歩夢/大西亜玖璃と優木せつ菜/楠木ともりがぎゅっと手を繋いで、目と目を合わせて頷いていた時。

 これまでせき止められていた感情が一気に溢れ出るみたいに、喜びとか達成感とかいう言葉じゃ表せないぐらいたくさんの感情が涙と一緒に流れ出て、とにかくその場所にいられることが幸せで幸せで仕方なくて、涙と熱気で視界が揺れる中、ずっとずっとその姿を心に焼き付けていた。

 

 

 きっとこれが、輝いてるって事なんだと思う。

 

いつだって、いまが最高!

 さて、ここからが本題である。

 ライブ直前に当ブログでは、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、「あなた」と愛によって繋がることにより、ラブライブ!シリーズの中でその生きた証を残すと述べた。

 

このように、『with You』で「愛」を獲得しラブライブ!となった虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、そのリメイクである『虹が咲く場所』で、「愛すること」そのものを「愛する」ことにより、「ラブライブ!with You」を達成する。

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は『ラブライブ!』である - #てつがくのドンカラス

 

 端的に書くと、その認識は何一つ間違っておらず、むしろそれ以上に説明ができる言葉がないぐらいに、どこまでもそれはラブライブ!以外の何者でもなかったのである。

 

 DAY3は『Level Oops! Adventures』、DAY4は『トワイライト』が披露された後、一旦キャストは裏へと戻っていき、幕間映像が流れ始めた。

 

 

 DAY3は『NEO SKY, NEO MAP!』が流れる中、今までの虹ヶ咲の軌跡がダイジェストで流れ始めた。

 それは文字通り、私たちの今までを辿る地図だった。最初のキャスト発表から、直前の『Colorful Dreams! Colorful Smiles!』公演までのリアルイベントをなぞる、同好会の軌跡、同好会が生きた証だった。

 

 DAY4は『未来ハーモニー』の中、同じようにダイジェスト映像が流れたが、それはただ歴史を辿るだけのものではなかった。

 そこに、私たちがいたことをはっきりと感じさせるような、本来「あなた」がいる場所から撮影された映像だったのである。

 ある時は舞台の裏側から。ある時は、ステージの後ろから。一番近くで応援している人が見ていた景色、虹ヶ咲を応援してきた私たちに見えていた景色が、私たちが生きた証として、そして、虹ヶ咲がずっと『with You』を掲げる作品であり続けた証として目の前で流れていたのである。

 

 そうして、かつては高咲侑/矢野妃菜喜が「あなた」と重なった曲として、またある時は世界を跨ぐ架け橋となった曲として披露されたこの2曲と共に紡がれた私たちの物語は、ラブライブ!シリーズ全体の魂であるような、そんな大切で大切な言葉で締めくくられた。

 

いつだって、いまが最高!

 

 

 なぜ「いま」が最高なのか?

 それはラブライブ!シリーズを愛している人にはもうDNAに刻み込まれているレベルの、この作品において最も重要なテーマであると言っていい。

 

時をまきもどしてみるかい?
No no no いまが最高!
だってだって、いまが最高!

ココロに刻むんだ この瞬間のことを
ココロに刻むんだ この瞬間のことを 僕らのことを
イマを重ね そしてミライへ向かおう!

さあ深呼吸して 熱い想い解き放とう

いつもと違う自分 出会えるように

全部受けとめあおうよ もう二度とはない「いま」を

これ以上はムリだと 言えちゃうくらい楽しもうよ

 

 今までのすべてが積み重なって、奇跡のように繋がって、運命のように結ばれて、そしてそのすべてを抱きしめた先にあるのが、「いま」なのである。

 

 今まで自分が辿ってきた道、頑張ってきたもの、大好きなもの。今の自分を作り上げてきたすべてが「いま」この瞬間を導いてきてくれたから、だから、「今まで」よりも「いま」がもっともっと素敵で最高なのだ。

 

 そして、そんな最高の「いま」は、いつかは想い出になってしまうが、「いま」が過ぎ去ってしまっても、それは決して消えたりはしない。

 「今まで」が「いま」を作っているように、いつかは想い出になってしまう「いま」も、きっと次にやってくる「いま」を導いてくれるから、全部自分の中に残っている。

 「今まで」と「いま」全部抱きしめているからこそ、その先の「未来」がやってくるのである。

 

 そして、そうした「いま」の積み重ねを人は物語と呼び、それを語り継いだり、引き継いだりすることで、その積み重ねた「いま」は永遠になる。だから、いまが最高!

 

 

 それが、私たちの大好きなラブライブ!シリーズである。

 そして今回、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会と私たちの物語は、その最高の「いま」を獲得した。

 

 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、「あなたと叶える物語」である。しかし、100年後に見たとしてもその作品としての価値が色褪せる事のない*23他作品とは違い、他の誰でもない「あなた」を必要とする特性上、永遠という観点とは相性が悪かった。

 

 例えば、虹ヶ咲の1stライブを実際に見た人と、後から記録映像で見た人が感じるものの差は、シリーズのどの作品よりも圧倒的に大きなものとなるだろう。

 なぜなら、後から記録映像で見た人にとって、「あなた」とはあの時応援していた人たちであり、映像を見ている自分ではないからである。

 虹ヶ咲の「いま」は、物語として意味を持つのは、本当にその「いま」を共有した人たちに限られるものであった。未来からの声援は過去には届かない。2022年の上原歩夢/大西亜玖璃を知っている人は、過去の大西亜玖璃がどれだけ涙を流し、どれだけ頼りない姿を見せても、そこに本当の意味で当事者意識を持つことは絶対にありえない。

 

 しかし、そんな虹ヶ咲の物語を後から辿ったとしても、その意思が過去のものではなく「いま」この瞬間に語り掛けてくるものとして、永遠に残っていくものへと昇華することのできる物語を私たちは獲得したのである。

 

 そう、今この瞬間の私たち自身を表す曲である『TOKIMEKI Runners』と、時代や読み手に依存しない物語となった、青春賛歌『永遠の一瞬』と『Hurray Hurray』、そして、そうした意志が「いま」この瞬間のものであり、そしてその最高の「いま」を未来へと繋ぐ曲『Future Parade』である。

 

 私の上原歩夢/大西亜玖璃への想いは、歴史には残らない。そしてこの作品は、そうした歴史に残らない想いに、どの作品よりも依存している。*24しかし、それらの想いを全て抱きしめた曲たちは、これからもずっと、100年経っても、1000年経っても残っていく。

 私の上原歩夢/大西亜玖璃への想い、虹ヶ咲への想いを、1000年後の人たちは知る由もないけれど、私たちの「いま」を詰め込んだ曲を聴けば、それは最高の「いま」として歴史に残っていく。

 

 これは決しておかしな話ではなく、例えば哲学において古代から議論されてきた不死性についても同様の回答が提示されている。

 

 しかし、ぼくは思う、そういった正義その他に関する事柄が、真剣な熱意のもとに扱われるとしたら、もっともっと美しいことであろうと。

 それは他でもない、人がふさわしい魂を相手に得て、哲学的問答法の技術を用いながら、その魂の中に言葉を知識とともにまいて植えつけるときのことだ。

 その言葉というのは、自分自身のみならず、これを植えつけた人をもたすけるだけの力をもった言葉であり、また、実を結ばぬままに枯れてしまうことなく、ひとつの種子を含んでいて、その種子からは、また新たなる言葉が新たなる心のなかに生まれ、かくてつねにそのいのちを不滅のままに保つことができるのだ。

 そして、このような言葉を身につけている人は、人間のみに可能なかぎりの最大の幸福を、この言葉の力によってかちうるのである。

 

 

朴一功『魂の正義―プラトン倫理学の視座』内引用より 

 プラトンパイドロス』(276E4~277A4)

 

 共有される言葉、そしてこの作品において言葉では足りないものをより正確に伝えうる歌によって、私たちの言葉や感情は、誰かに届くこととなり、その原動力となったり、新しい夢を産み出しうるものとなる。

 そうして、そうした言葉を持つ私たちの物語は、ある意味で個体性を脱し、永遠なるものへと変貌と遂げるのである。

 

 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会という作品は、現実のファンの存在に依存しながら展開されていくコンテンツである。そのファンに依存した物語を、その関係性に依存しきったまま、そのファンがいなくなったとしても永遠に残っていく作品になった。

 

 100年後の虹ヶ咲、私たちもキャストもこの世界からいなくなった後の虹ヶ咲は、もう「最高だった」作品ではない。

 私たちのキャストへの想いそのものは残らないかもしれないけれど、想いが詰まった楽曲が残れば、その成し遂げた軌跡が残れば、それを辿っていくことで、いつだってそこに新しい物語が生まれる。

 何百年経ったって、虹ヶ咲を知った人は『TOKIMEKI Runners』になれるし、もしかしたら先頭にいた人間はもういないかもしれないけれど、永遠に続いていく『Future Parade』の列に加わることができる。

 

 トキメキが生まれて、輝きに魅かれて走り出したなら、例えどんなに時が過ぎ去ったとしても、「あなた」として走り出すことができる。

 そうすれば、いつだって最高の「いま」を生きていくことができる。

 

 それが、「いま」の私たちと、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会があの日共に刻んだ『永遠の一瞬』である。

 

 

 

あとがき

 こんにちは。

 ライブ関係の記事は翌日に挙げるか大幅に遅刻するかの2択になりつつあります。

 

 

 ライブ関係の記事で時間をかけて書いたとき、結構パフォーマンスにリアルに迫るような描写ができていたと思うんですけど、これとかこれと比べたらやっぱり感情面とか概念的な話が多かったなあと思います。

 でも、やっぱりそういう比率が多くなるライブって本当に重要だと思うんですよね。

 

 作品にとってもファンにとってもターニングポイントになり得るようなライブであることには間違いないですし、そういうある意味で宗教儀式のような部分をよりリアリティを持たせるためにパフォーマーのリアリティが求められると思うんですよね。

 

 でもそういうリアリティを産み出す空気感とかって、絶対にパフォーマンスの中から産まれているはずなんですけど、如何せん13人同時に視界に入れる事はできないので……。

 基本的に、私と高咲侑/矢野妃菜喜、私と上原歩夢/大西亜玖璃の話が主になっちゃうんですよね。1人だけみてればよかった逢田さんのソロライブとか3rdと違って、わりとフワフワした話が多いのは、そういうのもあるのかも。

 

 

 さて、私実は1人でも虹ヶ咲を好きでいられるんですよね。2020年とかそんな感じでしたし。

 でも、虹ヶ咲のファンとしてそれってたぶんベストではないんですよ。だって1人で12人も見れないし。

 そして何より、スクールアイドルと同じぐらい、隣にいる「あなた」の事も好きになって欲しいって願いも作品に込められていると思うんですよね。スクールアイドル以外の人の描写が他の作品に比べて圧倒的に多いですし。

 

 実際に、自分は一昨年の冬あたりから流行りだしたAmong USをするために、ブログやツイートでしか交流のなかった人たちと実際に話したりするようになったんですけど、そうやって人と繋がるようになる前と後では好きな気持ちのレベルが全然違うんですよね。

 

 スクスタの4thSeasonでは、自分が応援する事で誰かの力になる事を信じる事ができない加藤ツムギが登場します。

 『Our P13CES!!! 』がリリースされ、歌詞カードにはたくさんの「あなた」の名前が乗せられています。*25

 虹ヶ咲の物語の焦点はいよいよ舞台の上のスクールアイドルから、舞台に上がらない人へと移っていっているんですよね。

 

 

 だから、ライブも最高だったし、そのライブを大切な人たちと分かち合えたのも本当に嬉しかったんですよね。自分は本当にご縁に恵まれて、いまたくさんの方と関りを持たせていただいているので、本当に感謝しています。

 みんな、本当に出逢ってくれてありがとうね。

 

 

 

 

 

 

 ここまでは明るい話で、ここからはちょっと暗い話。

 先ほど、元々は一人でも作品を好きでいられるって書いたんですけど、なぜそういうスタンスだったのかって話。

 

 自分って、端的に言うとそんなにオタクの事好きじゃないんですよね。むしろ嫌いって言った方が正確かもしれない。

 隣にいる「あなた」の話を散々しておいて何を言っているんだって思う人が多いと思うんですけど、本当の話。だって、他人の事よりラブライブ!の事の方が大切なんですから。

 

 これまで8年間作品を追いかける中で、いろんなオタクを見てきて、そんな中で一般的に言われるオタクとかラブライバーっていう大きな集団に対するイメージがどんどん下がって行ってるんですよね。

 自分の好きなものの品位を下げられるとか、不当に傷つけられるとか、そういう事が許せなくて、それに対して敏感で、警戒心が強いんだと思うんです。

 はじめて会った人とか、はじめて話す人とか、そういう相手に対して「この人は自分の好きなものを攻撃したりしないだろうか?好きなものの品位を下げたりしないだろうか?」という探りから入る感覚って、結構共感してくれる人が多いんじゃないかなって思います。

 

 何回も何回もそういう経験をしてきて、その度にオタクという大きな主語を嫌いだと思う気持ちが大きくなりながらここまで来たんですよね。

 

 μ'sありがとうプロジェクトの時とか、サンシャイン!放送時からドームまでは本当に酷かった。

 どうして周りが見えないんだろう?どうしてそれを発信する事で相手がどう思うかを考えられないんだろう?どうして相手の発信したものを分かってあげようとしないんだろう?

 

 虹ヶ咲でもそういうのは全然変わらなくて。

 1stで優木せつ菜/楠木ともりが言及していたように、他者への配慮ができない人間が本当に多かったと思います。*26

 アニメやスクスタに対してもそう。

 ハイコンテクストな見方をしようとすると歴代でも一番難しいのは分かります。だって13視点分物語があるんですから。自分だって初期同好会組の気持ちは全然分かんないし共感できませんし。

 大好きな歩夢の話だって、「始まったのなら貫くのみです」とか初見意味分かんなくて首傾げてたのを覚えています。*27*28

 

 自分はスクスタは最初からずっと好きで、アニメは初見しっくり来てなかったんですけど、でもスクスタと同じぐらいアニメを見返して、曲を聴きこんだりした結果今アニメが大好きです。

 でも、別にみんながみんなそうしなきゃいけない理由なんてなくて、別によく分からなくて刺さらないならいなくなるのも自由だと思います。でも、よく分からないからといって「分からない」を理由に攻撃するオタクを今まで何人も見てきたんです。無印も、サンシャイン!!もそう。

 虹ヶ咲のファンの中でもそう。スクスタの事をいくら悪く言ってもいいサンドバッグだと勘違いしている人。アニメの事を駄作だと主張し続ける人。そして、虹ヶ咲を好きだという気持ちで正当化して、他の作品を攻撃する人。

 

 それ以外にも、周りが見えない人とか、周りに対する思いやりがない人を何人も見てきました。

 

 作品の中で何かを好きな気持ちが何度も何度も描かれてきて、本当に大切にしているものだからこそ、「大好き」を盾に他の人やものを傷つけたり、迷惑をかけたりする人が本当に苦手なんです。

 作品の中で描かれた大切なものが、下賤で卑劣な行動の理由にされたりとか、何かを否定するための道具として用いられることは冒涜以外の何物でもないと思うんです。

 

 

 

 だから、すごくこれからの作品展開は楽しみなんですけど、作品を取り巻く環境は正直不安なんですよね。

 

 

 あんなに素敵なライブで、隣にいる仲間や、「あなた」や、一緒に同好会を呼びもどしたオタクの事が大好きだって心の底から思えたライブの終演後ですら、会場の外で大声で騒いでいるオタクが不愉快で、この人たちを同じ「あなた」だと思いたくないって感想を持ってしまったんです。

 

 ライブが終わってから1ヵ月。それからもいろいろありました。

 

 一緒に虹ヶ咲に愛を注いでいたはずの人が、同じ口でスーパースター!!を罵りはじめ、それを正当化する理由に「自由」とか「大好き」を掲げだしたり。

 虹ヶ咲が大好きなはずの人たちが、お台場の立ち入り禁止区域に集団で侵入したり、深夜にサイリウムを振り回して騒ぎ立てたり。

 

 周りへの迷惑とか、そういう行動が周りからどう見られるかを全く気にすることのないようなそういった言動に、私はどんどんオタクが嫌いになっていっています。

 

 

 

 でも、私が「あなた」であるなら、高咲侑/矢野妃菜喜であるなら、そういうのも受け入れていかなきゃいけないんだろうなって思います。

 これから紡がれていくのは、加藤ツムギという、「あなた」である自覚がない人と関わっていく物語です。

 ある意味では、自分が嫌いだと思った人間と近いのかもしれません。だって、そういう人たちも、加藤ツムギも、それがポジティブがネガティブな差はあれど、「自分自身の行動が他者に影響を及ぼし、その在り方をも変容させうる」という自覚がないという点については変わらないんですよね。

 

 だから、「あなた」としてツムギと向き合っていく以上、現実世界の私も、そういう嫌いなオタクの事を嫌いだからといって切り捨てるのではなく、その形式はどうあれ、少なからず向き合っていかないといけないんじゃないかな、自分の世界には要らないから、必要ないからって切り捨てちゃいけないんじゃないかなって思っていて。

 

 

 たぶんそれって、今まで「あなた」として作品を追ってきた中でも、難易度のレベルが格段に違う本と思うんです。

 歩夢を応援するとか、みんなを呼び戻すとか、そんな次元じゃなくて、心身ともに疲れ果てて嫌になる事があるかもしれないぐらい、本当に大変な事だと思います。

 

 

 でも、それが私が「あなた」であり、高咲侑/矢野妃菜喜である証なんだって思うと、ちょっとだけワクワクしている気持ちもあります。

 

 知り合いで、ラブライブ!を追いかける上で大切にしている事に「好き嫌い」をあげている人がいました。

note.com

 

 優木せつ菜/楠木ともり推しの人が、彼女の「大好き」を自分が背負う上で、同時に「嫌い」も背負わなくてはいけないんだと話していたこともありました。

 

 

 次は、私の番!!!

*1:それまでは、『Aqours EXTRA LoveLive! ~DREAMY CONCERT 2021~』がトップだった。

*2:変わらないもの、安定しているものを求める人間は、ただ流し込むけで完結し、許されるようなコンテンツを好みやすいが、そうした在り方はラブライブ!、特に虹ヶ咲と相当相性が悪いが、伝説となってしまったμ’sとの相性はあまり悪くなかった、というのも要因なのかもしれない

*3:First Live "with You"パンフレットより。

*4:最強何人いるの?とそろそろ突っ込まれそうではある

*5:一応4thの『ヤダ!』も自由を獲得した優木せつ菜の歌ではあるが、楠木ともりにとっては結果的にそれが自由を獲得するための曲になっていたと思う

*6:もちろん上原歩夢/大西亜玖璃や桜坂しずく/前田佳織里もステージにはいるが、彼女たちとひとつになる感覚自体は何度も味わっているし、こころの深部で繋がれるところが彼女たちの強みでもある。このふたりだからこそ優木せつ菜が自由を獲得できたのかもしれない

*7:特定の誰かを想う気持ちと、特定の誰かの生き方を肯定する在り方という点で、渡辺曜桜内梨子は虹ヶ咲と本当に相性がいいと思っている

*8:とはいえ、シリーズで追っていたら誰でもそうだとは思う

*9:例えば、Aqoursの『想いよひとつになれ』だったら、欠けていても落ち込む要素はない

*10:実際、どこか1公演に「音間違えた?」と違和感を覚えたことがあったかもしれない

*11:とはいえ、そのせいでステージ上の会話は最前でも何を話していたか聞き取れなかったが。それはそれとして、何を話していたかは当事者だけが知っていればいいという気持ちもあったり。

*12:9/30放送ラブライブ!Annの米女メイの発言より

*13:当時こんなにニコニコしていたのは私ぐらいで、今交流のある当時の人間は推しの不調に心が張り裂けるような思いをしていたらしい

*14:アニメと同じ順番ではあるが、アニメ当時はその意味に気づいていなかった

*15:ネガティブな理由を挙げてはいるが、むしろこちらが本命。どう考えても私は「侑=自分」だと捉えて鑑賞したほうが楽しめる事は、放送前から自明であった。

*16:むしろ、自分が真の高咲侑だと対抗してくる人間がいない事に驚いている

*17:栞子に関しては、私は「あなた」及び侑のほぼ完全上位互換であると認識している。誰かに寄り添い支えること、自分の意志の固さ、そして、それらを実行するための能力、表現手段のどれを取っても単純に能力で見たときに「あなた」や侑がそれを上回ることはない。ただし、それらを完全に覆しうる絶対的な要素が上原歩夢/大西亜玖璃が幼馴染であるという事であると思う。

*18:そういえば、幕間で侑が語彙力が足りないと言っていたことに対して、「私は自分の言葉で表現できるが……?」と勝ち誇った表情をしていたら、嵐珠が私に挑戦してきて思わず吹き出しそうになってしまった。

*19:この演出は全公演共通である

*20:この曲の視聴動画が公開されたのは2021年の5月、楠木ともりさんの発表が4月であることから、パート分け自体は偶然だと考える

*21:後から聞いた話だと、連番者とは反対側の隣の人も崩れ落ちていたらしい

*22:正確には、アザラシに対してもこの表情を見せたことがあるが、それに対して「あなた」は敵意を剥き出しにして嫉妬していた

*23:例えばライブの緊張感といった面では変化があるかと思われるが、そのテーマが普遍的で抽象的なものである限り、それは時代を超えても色褪せる事はない。例えば、時代背景が移ろうと源氏物語が読み継がれているのは、「もののあはれ」という思想が時代に依存しないからである

*24:ただし、このブログに書くことで歴史に残っていくのである。私自身がラブライブ!であり、これが高咲侑の表現手段である

*25:高咲侑/矢野妃菜喜の名前が載っていない以上、私の名前は敢えて載せていません。私はたくさんの「あなた」の言葉から実際に曲を作る同好会メンバーであり、高咲侑/矢野妃菜喜です。

*26:そして、楠木ともりさんの発言そのものも、競争を主とした体制への攻撃材料として利用されたり、自分の我儘を通すための言い訳として使われたりした。

*27:もちろん、侑視点だとそこは大事じゃなくて、「なんか知らんけど歩夢が前を向いてくれた」でも話としては成立する(歩夢の話は別に侑に音楽を始めた決意表明を補強するものである、という程度でも一応シナリオとしては最低限成立する)んですけど、具体的になぜ歩夢が前を向いたのかを読み解こうとすると、歴代作品の中でも難解度は非常に高い、という話。

 なぜなら、他作品はそこがシナリオとしての核になっている分、ある程度の理解力があれば初見でも十分落とし込める程度の描写がなされているが、虹ヶ咲はそれ自体は核とならないため、歩夢が前を向く過程を細かく描写する必要性は薄い。結果、歴代でも屈指の難しい作品となっていると思う

*28:

 

 せつ菜視点では、「やりたい道に進むことで大切な人と離れていく」という経験はせつ菜も旧同好会で経験してきたことである。

 そんなせつ菜は、そうした在り方を我慢して身を引こうとしていたが、そんな時に「やりたいことをやってきた結果現れた、そんな自分を受け入れてくれる高咲侑」と出会ったことで自分の大好きを貫くことができたのである。

 そんな彼女は、環境や他者に合わせて自分自身を変化させることが出来るほど器用ではなく、自分自身の在り方を貫くことでしか救われる術を知らない。

 だからこそ、「やりたい道に進むことで大切な人と離れて」いってしまったせつ菜を救った侑が、同じように離れていってしまいそうな歩夢を受け止めてあげられることを信じて、「貫くのみです」と背中を押すことしかできないし、そうした在り方こそが優木せつ菜なのである。

 

 歩夢視点はどうかというと、そもそも今歩夢のやりたいことは、せつ菜のライブを見た瞬間から始まっているのである。

 そして、そんな歩夢は、せつ菜のステージが「自分の気持ちをあんなにまっすぐ伝えられる」ものだった事に魅かれてスクールアイドルを始めたのである。

 「自分に素直になりたい。」「だから、見ててほしい」から、「始まったのなら、貫くのみです!」となったあの瞬間、離れていく距離に悩んでいた歩夢の中に生まれたのは、侑を含めたたくさんのファンに対する思いを、たとえ環境が変わり距離が離れていても寄り添い続け伝えるのだという決意である。そして、そうした姿こそが侑やファンの人たちに愛される自分自身の在り方である事を直後に自覚するのである。

 

 このシーンには侑はおらず、このような2人のこころの動きは実際に描写も説明もされてはいないが、彼女たちの視点に立てばこのように意味の通る会話となるのである。

咲き誇る花は人の心を掴んで離さない 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期4話『アイ Love Triangle』 - #てつがくのドンカラス