#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

夢への一歩を抱きしめて

 楽しくて楽しくて仕方がない。そんなステージを創り上げるために、舞台の上のスクールアイドルたちが、彼女たちを支える人たちがどれだけ大変な思いをしてきたことか。

 虹ヶ咲を「あなた」として追いかけてきた私たちは、それを痛いぐらいによく知っているはずだろう。

 

 

 彼女たちの歩んできた物語ではなく、彼女たち自身が演者として物語を演じる事に軸を置いた4thアルバム楽曲は、いわばそうした彼女たちがステージに立つまでの過程が普段より見えづらい構成となっていて。

 彼女たちが生きた物語からは少し外れた、校内フィルムフェスティバルというイベントを軸に展開された4thライブ。それは見方によっては、ラブライブ!としては喪失かもしれない。他の同好会の物語を表現することと、紡ぎ続けてきた「虹ヶ咲の物語」から離れていく事は表裏一体で。

 ラブライブ!のライブとして、そうした彼女たち自身の物語から離れていくことは、ともすれば彼女たちが彼女たちである事すら見失ってしまうかもしれない。

 3rdアルバムまでのストーリーの延長線上とは言い難い、いわば他者の物語を演じることを求められるそのコンセプトに、演者にも観客も、そうした不安の声は確かに存在した。

 

 

 ステージに立つことが難しく、パフォーマンスを制限すると発表されたメンバーもいた。現状公開されている映像からも、ライブタイトルでありアルバム曲とは違いメインストーリーを軸にした楽曲である『Love the Life we Live』に参加することが困難であることは明白だった。

 1stライブ、およびそれに準ずる物語では同好会を引っ張っていく立場にあり、また同好会の中でも嵐珠やかすみ、歩夢ら並ぶ最強格のひとりである彼女が欠けることは、彼女たちがL!L!L!において2ndseasonの物語を背負っているという点において、少なからず影響を及ぼさないはずがない。

 私の今回のライブの連番者は、両日とも優木せつ菜/楠木ともりさんに決して少なくはない影響を受けている人間だった。彼らの心情をすべて汲みつくすことなんてできないけれど、それでも、彼女が舞台の上にいないということ、立つことができないということは、12人曲を披露する際にはどうしても空いてしまった一人分の穴に意識がいかずにはいられなかった。

 

 

 言ってしまえば、今回のライブのコンセプト自体は、虹ヶ咲の掲げる「あなたと叶える物語」からは少し離れたものだった。だった、というより、そうなってしまったというのが正しいのかもしれない。私たちと歩んできた物語とあまり繋がりのないソロ楽曲。そして、今まで共に歩んできたメンバーが欠けた中披露される、「あなたと叶える物語」の楽曲。

 それは、もしかしなくても、スクスタリリース前のイベントも含めたどのライブよりも、一緒に歩いてきた「あなたと叶える物語」を感じづらいものだった。わたしたちと歩んできた物語を、わたしたちと歩んだその景色のまま披露することは、もはや叶う事のないものとなってしまっていた。

 

 

 

 でも、虹ヶ咲のみんなが、そして私たちが背負っている物語は、ラブライブ!シリーズの物語であって、そして、そこで行われているのはラブライブ!のライブだったから。

 彼女たちが紡いできた物語は、私たちと歩んできた物語は、ステージの上で披露されるのが直接は関係ない物語であることや、それを築いてきたメンバーがそこにいないということで色褪せてしまうような、その程度のものなんかじゃなかった。

 虹ヶ咲4thライブは、「あなたと叶える物語」として、過去最高級に完成されたものだった。

 なぜなら、その道のりそのものを楽曲として披露していないのにも関わらず、楽曲を披露する彼女たちのその姿からは、私たちと歩んできたその道のりをどうしようもないぐらいに強烈に感じてしまって仕方がなかった。

 だって、普段とは違って等身大の姿の女子高生をテーマにした『Turn it Up!』や『コンセントレイト』だったけれど、それを披露する彼女のその姿は、ありのままの自分のまま、みんなと同じ目線で横に並んで前に進んでいく事ができるようになった、私たちと一緒に紡いだ物語の中で変わっていった姿だったから。

 『エイエ戦サー』や『Diabolic mulier』を披露した2人の姿は、自分自身の手で決断して、何かを掴むために進んでいく「主人公」そのものだったし、そしてどうして今彼女たちが「主人公」になれるかって事は、一緒に物語を紡いできた私たちが一番よく知っているはず。

 『ヤダ!』や『ToyDoll』みたいにしがらみから解き放たれた2人の姿だって、私たちと一緒に紡いだ物語がなければ見ることはできない姿だ。彼女たちが自分の中で押し殺していた気持ちは、きっと私たちと出逢えなければいまもずっとそのままだっただろう。

 『First Love Again』や『いつだってfor you!』で、誰かに寄り添う姿を見せた2人。でも、2人とも最初からそれができたわけじゃなくて、気持ちを伝えることや、相手を尊敬することは、私たちと紡いだ物語の中で得たものだった。

 『TO BE YOURSELF』『夜明珠』は、他の人の意見を取り入れて試行錯誤の結果生まれたパフォーマンスだったり、相手に問いかけ答えを求めるような描写があったけれど、2人とも、最初から人の話を聞ける子だったわけじゃなくて、私たちと歩いた物語の中でそれができるようになった。

 そして、『Break The System』や『Silent Blaze』で見せた、イメージとは違う二人のかっこいい一面。でも、彼女たちの芯の強さや、大事な時に見せる力強さは、私たちが一番よく知っているし、それに何度も助けられてきたから。

 

 たとえ、私たちと歩いてきた物語がそこで披露されなかったとしても、それらは絶対に消えたりなんかしない。

 今の彼女たちを作り上げているその物語たちは、ずっとずっと彼女たちの中、私たちの中に残っている。むしろ、それが当たり前のように残っているからこそ、意味があると思う。物語そのものを披露されるよりも、その物語から離れてもそれが彼女たちの中で生きているという事の方が、そうした物語そのもののを提示するより、それが今の彼女たちを作り上げていて、それが切っても切り離せないことを強烈に感じさせてくれて。

 

 

 直接描かなくてもきっとあなたなら受け取ってくれるという、クリエイターがファンを信頼してくれる感じとか、物語が一過性のものじゃなくてそれぞれの中で意味を持って残っていることとか、そして、ステージの上では直接は描かれていないもの、ステージの上に立ってはいない人のことを、私たちがそこにあるんだって思えることが、本当に嬉しかった。

 姿は見えなくても、語ることはなかったとしても、一歩一歩歩いてきた私たちの物語が、今この瞬間を作りあげているということ、そんな瞬間が特別なんだということを今までで一番強烈に感じて、自分があなただという実感がもっともっと強くなったし、あなたとして今まで一緒に歩いてきたことが本当に誇らしかった。

 

 それが物語の中だけじゃなくて、小泉さんがこれからも一歩一歩進んでいくんだと語ったことや、「楽しい」ではなく「大好き」という言葉で想いを叫んだ村上さん、そして、ステージを去っていく楠木さんを見送る凛々しい大西さんの姿の中からも感じ取ることができて、あの場にいたみんなの中に、虹ヶ咲のみんながいて、一緒に紡いだ物語が消えることなく輝き続けていることが伝わってきて、そんな姿が見られたことが、今まで虹ヶ咲を応援し続けていた意味があったというか、彼女たちに出逢えたことがキセキのように思えたというか、本当に、ラブライブ!シリーズの虹ヶ咲の物語の中に自分がいるんだってことを強烈に実感できたことが嬉しかった。

 

 

 

 

 私たちの物語がどこにつながっているかなんて分からないし、躓くことも道を間違えることもあると思うけれど、心がトキめくほうへまっすぐ走っていけば、きっと素敵な宝物が待っている。

 そうやって信じさせてくれるみんなだから、私はずっと隣を走り続けるあなたでいられるんだと思う。