#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

仮面ライダーを全く知らない俺の、『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』感想

 タイムラインで延々とこの作品の話をしている人がいたり、いろんな場所でキャプが使われているので、全く知らないのに何故か見たことがあるというよくわからない存在だったが、今100円で見れるという事でせっかくだし視聴してみた。

 

 

 

 

 

この筆者、何者よ?

 なんとなく、いつも閲覧しない層にも読まれるんだろう後の感想内で名前が出てくるであろうという事で軽く。

 普段の生息地はポケモンラブライブ!シリーズ。時点でドラクエデュエルマスターズTCGではジョニー志向。

 Aqours桜内梨子に人生観を狂わされた結果、大学で哲学倫理学を専攻している。

 

 

 ライダーの話は主にタイムラインからミームだけ摂取していたのみ。

・なんか知らんけどUSAの人たちがスクールアイドルで、『限られた時間の中で精いっぱい輝こうと』してるらしい。

・PvsPのコンテンツで「平成」が蔑称になる事の発祥はここらしい。(エースバーンにぶっ飛ばされるポケモンとか)

・QU4RTZがいるらしい。

 

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 f:id:Darkphoenix505pianoLes:20201203004614j:plainf:id:Darkphoenix505pianoLes:20201203004625j:plainf:id:Darkphoenix505pianoLes:20201203004633p:plain

f:id:Darkphoenix505pianoLes:20201120171050j:plainf:id:Darkphoenix505pianoLes:20201121010939j:plainf:id:Darkphoenix505pianoLes:20201120162807j:plain<お前たちのスクールアイドルって、醜くないか?

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 一回作品を見てしまうと、上の予備知識紛いの画像を見て「お前だいぶ知ってるだろ!」と突っ込みたくなるのは分かる。でも、本当にミームしか知らないので、だいぶも何も全く知らない側の人間とだけご理解の程を。(実際、視聴中は「アレってこれかよ!」みたいな反応もしていたので……)

 

 


「祝え!旧時代の歴史を塗り替え、新時代の幕を開ける令和の象徴、その名も仮面ライダーゼロワン、まさに生誕の瞬間である!」

 「しかし、今や令和の世を迎え~」の語りが滑らかで、聴いていて心地よかった。

 表現に忠実と言うか、イメージを表現に落とし込むことに妥協が無いというか。マッチョが太鼓叩いてるのとか、サントラがそのまま画面に映ってるみたいですごく印象的。

 ONE-PIECEのどん!とか、ジョジョのドドドドドドドドドとか、そういう感じなのかな?

 画面からの圧が最初から強くて、あっこの作品面白いぞ!っていう謎の確信を得たりした。

 

 

 

 

 

 というか展開はやっ!

 始まってから10分で安土桃山時代に飛ばされるテンポの良さ。

 冗長になりがちな世界観の説明及び目的設定を一瞬で終わらせて、さっさと物語を動かしていく姿勢。

 すごく見やすくて好き。

 

 普通の感覚だと、たぶん過去にタイムスリップしたら5~10分は観光パートというか、物語の内容に深くは関わらないにしてもその時代ならではの物を体験するパートがあるものだと思うが、この作品ではそんな余計な描写もなくサクサク信長と対面。信長も信長であんなんだし、この歩幅がこの作品と一番マッチしてるのだろうなと思う。

 

 

ゲイツたちにとっては過去でも、俺にとっては今なんだ」

 うわーーーーーこれ知ってるーーーーー!!!

 この作品では、織田信長を使って『歴史』をテーマに「観測者と役者で物語の意味は変わる」というエッセンスを描き、後半につなげる形を取っているけど、これ、歴史を学んだことがある人や物語を読んだことがある人なら誰しもが向き合った事のある内容なんだよなーーーー!!!

darkphoenix505pianoles.hatenablog.com

 2年前の記事なのであまり貼りたくない。

 受験で日本史を勉強しながら思い浮かんだことを書いた内容が、ドンピシャで描かれててびっくりしたと共に、やっぱりこの手のテーマって常に何処かで描かれ続けられるような、ある意味1つの真理のようなものなのだなとも思った。

 

 それにしても、壊れた十字架に蘭奢待刺す事だったり、御免どろん!だったり、「物語の作り方が上手い!」と思わせる描写を連続で叩きこんでくるのも、見ていてニヤニヤできた。

 

「これが、平成ライダーの歴史の最後の1ページです」

 さて、ここからこの物語が一気に加速し始める。この作品しか見ていないから設定とかそこまでの経緯とかよく知らないけど、でも自分が実は『常盤SOUGO』替え玉で、今までゲイツを信じてきたことも、ライダーの力を継承してきたことも全部がQuartzerの思惑どおり、手のひらの上だったことを突き付けられた絶望感がすごい。

 ISSA氏演じるSOUGOのあの偉そうな感じ、典型的な魔王らしいというか、見ただけで「主人公を一度絶望させる存在」だ!って分かるぐらいの「それらしさ」が異常。

 

 この作品、というか仮面ライダーというコンテンツがそうなのかは分からないけど、演出がぜんぶそれっぽいんですよ。銅鑼みたいなノリでマッチョが太鼓叩いてたり、いかにもな感じで整列する敵集団。玉座とかいう露骨すぎる舞台。騙りのようなナレーションをする、本持ってクールな出してるゲイツ

 歌劇のように、いかにも演技のように語られるパワーのある台詞たち。内容なんて分かんなくてもそうした演出だけで方向性は伝わるぐらいには、場面自体の圧が凄い。

 

 趣味で能楽を見ているときは、これがどういうシーンなのか分かっている状態で、それをどう演じているのかという観点で鑑賞している(謡に馴れていないので、話そのものを舞台の上で楽しもうとしても何言ってるか聞き取れずついて行けない)が、たぶんこの物語なら、どういうシーンなのか予め分かっていない状態でも楽しめると思う。

 この物語、特に後半が全部外国語になるとか、謡になったりして何を言っているか分からない状態でも、分かろうとしない人でも何が起きているか理解できるぐらいに、場面ごとの「そういう演出」が露骨なほどに強烈で、それ単体で訴えかけてくる。

 

 

 ポケモンラブライブ!ドラクエ等、完全にクリエイターの自由に世界を構成できるコンテンツばかり見てきたので、どうしても特撮という表現にチープさを感じたりする。

 同じフィクションでも、アニメーションは画面の中で嘘を吐けるけれど、特撮はあまり嘘を吐けない。

 背景や気候だったり、影や光の使い方、さりげなく挿入される比喩的なカットで私たちの無意識のうちに情景を訴えかけたり、そういった技法はおそらく特撮だと物理的にも表現的にもあまり有効に働かないのだろう。

 

 例えば、自分の大好きなシーンだと、ラブライブ!サンシャイン!!secondseason第6話『Aqours WAVE』。

 輝きを追い続けてきた主人公が、自分自身の「勇気」という最強の武器に、その「勇気」に魅かれた者たちの手でやっと自覚するシーン。(なんとこのシーンも「ソウゴだったから託したんだよ」ってシーンだったりする)。

 そのシーンの中で、

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 しれっと入ってくる「人工光」のカット。届かない星だと思っていた輝きは、この時人の手によって作り出せる物になったことを暗示するかのようで。

 まあ、この演出自体は、とても好きなシーンだから何回も見てるうちに気づいたものではあるが。(でも、フィクションのそういう演出たちは無意識に働きかけるものなので、気づいていなくても人はその影響下にあるものだとも思う)

 

 こういうの、たぶん特撮でやったら不自然なんだろうなと思ったりする。

 でも、そうした無意識的に働きかけるような演出が無くて、自分なんかは背景に空白を感じたりはしたぐらいだけれど、それでも描ける箇所は過剰なまでの圧で迫ってくるので、物足りなさは感じなかった。

 演技が掛かった、まるでお芝居のような台詞たちも、おそらく特撮だからこそ魅力に感じるのだろう。

 生身の人間をそのまま使っているという特撮ならではの魅せ方が刺さる演出として存分に発揮されていて、この辺りは長寿コンテンツが長寿たる所以だとも思う。

 

 

 

平成ライダーを背負っているのは、お前だろ! 

 うわーーーーーーーーーー!!!!!!大好き!!!!!!

 「嫌いじゃなかったよ、君を我が魔王と呼ぶのは」からの、「仮面ライダーに選ばれたんだよ、お前は」からの、「王様だから渡したんじゃない。お前だから渡したんだ」 のこの流れが完璧すぎる。

 

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運命を共にする勇者・・・・・・

それがお前だったから

どこまでも一緒に行こうと思ったんだ。

だから頼んだぜ勇者さま。

オレにも見せてくれよな。

魔王をぶっ倒す勇者の奇跡ってやつをさ。

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他の誰でも、今のAqoursはつくれなかった。

千歌ちゃんがいたから、今があるんだよ 

 

 ここ、めちゃくちゃ好き。

 Quartzerの登場シーン、シュミレーション仮説に似た考え方を思い出したんですよ。この世界はいわば箱庭。上位の存在がまるで物語でも描くかのように作り出した世界が私たちの世界である、みたいな。履修外であるのであまり引き合いに出すのはよろしくないけれど、マトリックスの世界観とかまさにそんな感じって予備校時代の教師が言ってた。

 ソウゴに突き付けられたのは、そうした上位者からの自分の信条や価値観の否定だ。自分のやってきた事はすべて奴らの手のひらの上。自分は「平成ライダーの力を奪って」いた。

 絶望するのも当たり前。そこから、奴らに否定されたものを、今まで自分が信じて歩んできた軌跡によってまた肯定・再定義されていく。

 それを牢屋の中→隣の牢からの叱咤激励→牢屋からの脱出っていう中で描いていくこの流れがとても綺麗で、一言一言にすごく力があって、彼の歩んできた軌跡をなんとなく察する事しかできない私でも目頭が熱くなったのを覚えている。

 

 しかも、その直後に、実際にソウゴの在り方に魅かれ仲間になった人間たちがまた、彼の在り方を肯定しているのがまたいい。「君と私は似た者同士」じゃないんだよなぁ。ニクいね!

 自分自身の在り方、美学、目標を追い求め走っていく中で、その姿が知らず知らずのうちに周りの人たちに影響を与えていく。

 「お前が主人公」なのではなく、「お前だから主人公」「お前に惚れたんだ」という、先導者として描かれる主人公像への最大級のエール。やっぱり好きだな……。

 

 

「 みんなバラバラで当たり前だ!」

 バールクス(調べました)と交戦する中、平成ライダーの力が通じず、しまいにはソウゴ自身もやられて吹き飛ばされてしまう。ここからの展開が本当に熱かった。

 

 替え玉の王と蔑まれたソウゴが、誰かのためでもなく、己の意志のままに立ち上がり覚醒する姿は、王道真っ直ぐだが、でもそれが主人公としての姿だとも思う。

「他の人や平成ライダーなんて関係ない!俺が王になりたかったのは、世界をよくするためだ!」

f:id:Darkphoenix505pianoLes:20201210162533j:plainぶっちぎりで優勝する!相手なんか関係ない!アキバドームも、決勝も関係ない!

 己のエゴのまま突っ走る主人公って、見ていて本当に気持ちがいいし、その走るまま、生きるままに広がる物語はいつの時代も色褪せないもの。それにしても、そういうシーンを演出する上で、「変身」できるのほんと相性いいなこの作品は……。

 

 そうして、ついにオーマジオウとなったソウゴの姿に満足するかのように、「今までご清聴ありがとうございました」と言い放ち、Quartzerとしての彼の使命を破り捨て、自分の思うままに戦い始めるウォズ。

 あぁ……、思うままに生きる主人公と、先導する彼に触発されすこしずつ変化していく仲間たちだ……。

 

 

 一冊の本などに纏め切れぬ芳醇な歴史、ソウゴと同じく思うままに生きた者たち(もしかして彼らに触発され変わった者もいるのかな?)が溢れ出してくる。

 なんかタブレットから飛び出してくるライダー、「憧れたフィクションのヒーロー」が助けに来るみたいでエモいな……。

 異様に頭に残る「キワミアームズッ!!!!」。

 ウォズやられてんじゃん!!!口上の最中に攻撃するのはダメって言ったでしょ!!!!

 エキストラも戦い始めるの、やっぱりライダーだけじゃなくて、ライダーを愛した人たちも思うままに生きてるってそういうメッセージなのかな……。

 

 この辺りは何も知らないので、ほえーなんかかっこいいな~と、小学生のような感想を漏らしていた。

 

勝手に纏めるなよ!

俺も、ゲイツも、平成ライダーのみんなも、瞬間瞬間を必死に生きているんだ

みんなバラバラで当たり前だ!

それを滅茶苦茶とか言うな!

平成ライダー……キーーーーーーック!!!!」

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 演出が強すぎるだろ!!!!!!!!

 

 「意味がない」とか「凸凹だ」とか蔑まれた平成ライダーたちが瞬間瞬間を思うままに生きた結果、その物語が証明されるかのように。

 「平成ライダーキック」と纏められたようで、タイミングも位置もバラバラなキックが、結果として貫いた箇所が平成の文字を形作るっていう演出、笑ってしまうほど分からされてしまった。

 私にとっては「レジェンドとソウゴと仲間たち」だけど、そのレジェンドたちの歴史の瞬間瞬間を追ってきたファンからすると、まさにみんなの物語、群像劇の果ての「生きた証」だったのだろう。

 舗装しなくても、美しくなくても、そうして生きてきた証が「平成」になるというワンシーン、流石に作品を作るのが上手すぎる。

 

 

 ちなみに、現在筆者が大学で学んでいる内容と丸被りする部分でもあった。「女性」「障害者」「被差別側」「マイノリティ」といったカテゴリーに勝手に纏め、それに当てはめて認識するのではなく、そうした不自由を経験した個人の経験に着目し、そこから特有の事象へ立ち返るべきだという学問である。つまりフェミニスト平成ライダーなんですよね。

フェミニスト現象学入門―経験から「普通」を問い直す
 

 

 

 

「本に書いてあるわけじゃないんだから」

 このセリフ、本当に好き。

 物語の中で『現実は小説より奇なり』って言う開き直り様に清々しさも感じるし、でもそういう『どんなミラクルも起き放題』な物語がやっぱり素敵だとも思う。

 この辺りのシーン、全部ソウゴが言いたいことを言ってしまっていて、本当に書くことが無い……。

 あえて書くなら、ある意味では物語のエッセンスとして表現されるべきことがそのまま物語の内容になっていて、登場人物が全部説明してしまうような、そんなシーンではあるけれど、そこに興醒めしたりくどさを感じることなく、しっかりと見せ場として描けているあたり、話の流れの作り方や匙加減が上手かったりするのだろうか。(これも書くのも野暮な気もする)

 

 

 

 

 

 

 

 総評として、とても面白かったし、いい作品だと思う。ある意味では、「物語ってこうやって紡ぐんだよ!」という意思、ある意味では「物語ってこうだから素敵なんじゃない?」という価値の証明、ある意味では「全てがあって今がある」という出逢いや経験を意味づけるような、フィクションかノンフィクション関わらず、全ての「物語る」行為に対してエールを送るような、パワフルで凸凹してメッセージ性の強い作品だった。