#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

答えはいつでもこの胸にある Aqours 6th LoveLive! <WINDY STAGE>

 自分の話しか書きません。

 

 

 私がAqoursのライブに初めて参加したのは2019年6月の5thライブからだった。μ'sfinalに高2から高3に上がるタイミングで参加した私は、受験と浪人の関係でAqoursの1stから4thを経験していない。

 

 

 物語は色褪せる事なく残り続けるが、この瞬間はいつかは想い出に変わってしまう。私のように、彼女たちと同じ場所にいられるのが遅れた人間は、同じように物語を読み解いていくことはできる。しかし、彼女たちにとって「いま」だった瞬間は、私たちにとっては想い出として辿ることしかできないのである。

 

 

 1stライブや3rdライブに参加できなかった事は、自分の中でそこまで重荷にはなっていなかった。ピアノやロンバクのように、リアルタイムでしか味わえない経験もあるかもしれないけれど、それでも、そこに懸ける想いや、背負う物語自体は、今この瞬間でも全く色褪せていないからだ。

 だから、Aqoursに会えるようになってから、何のしがらみもなく追いかけられるようになってから、物語が紡がれる場にいなかった事に対する負い目が消えていくのは時間の問題だった。ライブ映像も見た。アニメも何回も見た。19年以降に紡がれた物語だって、ほぼ取り逃がしがないぐらい手を伸ばしてきた。物語が紡がれる場に私がいたし、リアルタイムで受け取れなかった物語だって後から自分の中に落とし込んでいくだけの時間があったし、それをやる時間も楽しい時間だった。

 

 でも、4thに関してはそう思えなかった。

 4thで描かれたのは、永遠に色褪せる事なく残っていく物語ではなく、「いま」この瞬間だと思ったからだ。

 逆風の中、どんな言葉を浴びせられても、自分と仲間だけを信じて憧れの舞台に立つ彼女たちの姿は、間違いなく2018年の彼女たちにとっての「いま」だったし、そこに立つ事で変化した環境の中にいる私たちにとって、それは想い出の中にあるものだった。

 

 今や、Aqoursラブライブ!シリーズの中で最強のスクールアイドルである事を疑うものはいない。

 体力面において虹ヶ咲トップクラスの実力を持つ宮下愛と、おそらくAqoursでも下位に位置する桜内梨子がほぼ同等なのである。そして、実力だけで言うなら、聖良の評価において8割以上を占めるレベルで、3年生が圧倒的に抜きん出ている。

 鐘嵐珠や優木せつ菜なら、もしかしたらソロなら対等に立てる相手はいるのかもしれない。しかし、レベルが違いすぎるのだ。全員が揃ったフルパワーのAqoursラブライブ!優勝グループであるAqoursに、シリーズの中で敵うのはSaint Snowや Sunny Passionぐらいである。

 そして、名実ともに世界にそれを認めさせたのは、Aqoursの4thライブがきっかけだった。

 

 だからこそ4thライブは、私にとって「いま」ではなく想い出だった。彼女たちを舞台に呼び戻したあの瞬間の奇跡は、どんなに彼女たちの物語を辿ったとしても、どんなに今のこの瞬間の彼女たちの「いま」を生きたとしても、絶対に自分が触れることのできないものだと思っていた。

 

 

 だから、2回目の東京ドームは、欠けたピースを取り戻すような、そんな心持ちで参加していた。

 私だって、Aqoursの「いま」を作る瞬間にいたい。『No.10』になりたい。もう一度、彼女たちを呼ぶ声になりたい。彼女たちと共に「駆け抜けてきた素晴らしい季節」を生きた仲間になりたい。仲間だと認めてほしい。

 でも、私はそんな事を思いながらも、自分は『No.10』である自覚も自信も持っていた。だって、自分は19年からのAqoursの「いま」をずっと生きていたし、16〜18年の受験期間と比べて今はちょっとだけ夢に近づくことができている。自分と同じように、あの瞬間を共有できなかった仲間が『No.10』になれないと嘆く中、それが本当の意味であの瞬間を共有した10人目である事とは少し違うのだろうなとは思いつつも、それでも自分は『No.10』なのだと思っていた。

 4thに参加していない事で自分の中に欠けたものはあったかもしれないけれど、それでもあの場にいた人たちと自分は、差があるにしても確かに『No.10』なのだとは思っていた。

 

 

 

 

 そうして、『No.10』である私は、何か欠けたものを埋めるためにライブに参加していた。

 あの日自分が居合わせることの出来なかった『Thank you,FRIENDS!!』『No.10』、ダブルアンコールという穴を埋める何かがある事を期待しながら参加していた。

 

 

 

 

 

 結論から書くと、私はこのライブから新しく受け取ったものは殆どない。ただ、約束をして帰ってきた。たったそれだけだったと思う。

 でも、自分の中にひとつ大切なものを変化させる事ができた事も同時に自覚している。

 

 

 今回のライブにおいて、東京ドームに立つことそのものに意味がある曲はそれほどなかった。『なんどだって約束!』『未体験HORIZON』に関しては、約束の地でまた会うという約束や、ここでセンターに立つという約束を果たす事ができたから、東京ドームである事に意味があったかもしれない。

 でも、それ以外は?東京ドームでやる事に意味がある、東京ドームだから映える。本当にそうだろうか?

 例えば、μ'sのfinalが、ラブライブ決勝の地がSSAだったら?そうしたら、私たちが東京ドームに対して感じていたものって、本当はμ'sに対して感じていた事になるのかもしれない。アキバドームのモデルは東京ドームだけれども、東京ドームは秋葉にあるわけじゃない。

 三津浜や長井崎は、ここじゃないとダメなんだ、ここから産まれたんだって思えるけど、ドームに関してはそうでもなくて。きっと、開演前のアナウンスがあれば、そこはラブライブ決勝の場所になるんじゃないかって思うし、ただそこにあるだけじゃ聖地にならないから、アナウンスがあの人だったんじゃないかなと思っている。

 同じように、ドームがいちばん広い会場だからといっても、それが今大事なのだとは思えない。だって、諏訪ななかさんが、4年前より狭く感じたと仰っていたから。

 確かに、私は虹ヶ咲やLiella!がドームに立つときは特別な感情を抱くかもしれない。だって、彼女たちにとってそれは挑戦だから。

 でも、私はAqoursに対してそうは思わない。だって、事実として私たちはAqoursをドームに呼び戻したのだから。逢田さんは2回奇跡が起きたと仰ったけれど、でも奇跡のような事はこれから何度でも起こせると誰もが確信しているだろう。

 だって、Aqoursがいかにすごい人たちかなんて今やみんな知っている。初音ミクとコラボした時に、誰が「初音ミクってどのぐらいすごいの?」と思っただろうか?全く知識がなかったとしても、イチロー大谷翔平の偉大であるという事は誰でも知っている。

 私たちがずっと好きでいる事が当たり前でないことなんて百も承知だ。当たり前のように見えて、当たり前じゃない事なんて分かっている。でも、ファンがいる事が当たり前じゃなくても、「たくさんのファンがいる“ぐらいAqoursがすごい人たちだ”」という事は、当たり前なのだと思う。

 Aqoursが東京ドームに立つことは当たり前じゃないけど、彼女たちは既に「ドーム級」なのだし、むしろ今は東京ドーム程度では収まりきらないと思う。だって、東京ドームより彼女たちの魂であるあの海の方が何百倍も広いから。

 

 

 ライブの途中から、なんとなく感じていた。もしかして、「東京ドームである事」自体は彼女たちの物語にとってそんなに大事ではないのかもしれないと。

 最初の2曲以外に彼女たちのパフォーマンスにここが東京ドームである事を感じる事はなかった私は、同時にこのライブが、「自分に欠けている穴を埋めるもの」ではない事に気づいていた。

 

 そして、それはライブが進むにつれて確信に変わった。『Next SPARKLING!!』が披露されたが、それは5thの穴を埋めるような演出ではない。それは前座だった。物語を背負う曲ではなく、次の曲で背負うべき物語であった。『i-n-g, I TRY!!』を披露するにおいて必要なパーツであった。

 『Next SPARKLING!!』を見せるための『Next SPARKLING!!』は、5thライブで披露されたが、今回はそれを盛り立てる演出はない。『i-n-g, I TRY!!』を見せるための『Next SPARKLING!!』なのである。

 

 そして、極め付けは、多くの人が期待し、自分に欠けていると感じていたであろう『Thank you,FRIENDS!!』も『No.10』も披露されなかったのである。もしかしたら、その影響でまだ仲間に入らないのかと嘆いた人もいるかもしれない。

 しかし、終演後の私は全く逆のことを考えていた。あぁ、最初から欠けてなんかいなかったんだ、自分があの瞬間にいなかった事って、決して「欠けている」「埋められない」ものじゃなかったんだ、と。

 私が『Thank you,FRIENDS!!』や『No.10』の場にいなかった事と、その場にいた人たちの間に、何一つ差なんてなかったんだ、取り返さなくても、埋めなくてもよかったんだって。

 あの日彼女たちを呼び戻した人たちと全く同じように、あの場にいなかった私も『No.10』だったんだ、そこに何の違いもありはしなかったんだって。

 ステージの上のAqoursのみんなから貰わなくても、最初から必要なものは持ってたんだって、自信を持っていう事ができた。

 

 

 ステージの上では、Aqoursと浦の星交響楽団が、私たちのよく知る曲を全く知らない音で披露する。大好きな曲たちが生まれ変わって、今この瞬間に生まれ変わって、新しい歌になっていく。

 「いま」この瞬間のAqoursのライブを見ながら、私は一滴の涙も流さなかった。ただひたすらに楽しかった。素敵な音に囲まれて、その音とひとつになる感覚がただただ楽しかった。

 大切なものを受け取ったり、羽を受け取ったりするようなそんな感覚は一切なくて、ただAqoursとひとつになる感覚が楽しくて楽しくて仕方なかった。

 

 

 そして気づいた。私はAqoursなんだって。Aqoursの想いも、夢も、音も、涙も、悲しみも、喜びも、輝きも、全部全部私はもう持ってるんだ、今の私の中でAqoursが生きていて、Aqoursが私を作り上げてくれたから。

 だって、私はAqoursをずっと好きでいたし、ずっと手を伸ばしてきたし、ずっと近くにいたし、ずっとAqoursと共に生きてきたから。

 会えない時間に離れていった人たちもいるし、それに苦しんでいた人たちもいたけど、そんな時間にも彼女たちが止まらなかった事の方が私には大切だった。

 私は、会えない時間の話より、その間にAqoursがどんな物語を紡いでいたかを語るのが好きだ。その苦しみを語るより、そんな時間にも彼女たちが生きていた事を証明したい。

 だから、彼女たちが「いま」生きている物語と共にずっと生きてきたから、きっと、「いま」の彼女たちの羽は、きっと私の胸の中にもあるんだと思う。

 

 AqoursのEXライブの彼女たちの言葉は、私にはいまいちしっくりこなかった。だって、5thライブが初参戦の私のAqoursとの日々は、そんなところで止まってはいなかったから。

 

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 だから、Aqoursの、ラブライブ!サンシャイン‼︎のライブを見て、楽しいという感情だけが爆発していた事を思い出しながら、終演後に過ぎったのは、私の大好きなあの物語の中で紡がれた、彼女たちの言葉だった。

 

嬉しいことばかりじゃなくて、辛くて、大変なことだっていっぱいあると思う。

でも私、それを楽しみたい。

全部を楽しんで、みんなと進んでいきたい!

それがきっと、「輝く」ってことだと思う!

 

 今回のライブに臨んで、そして、「輝いている」彼女たちとひとつになって「楽しむ」事ができた今、私はやっと気づく事ができた。

 

 

分かった。私が探していた輝き。私たちの輝き。

あがいてあがいてあがきまくって、やっと分かった。

 

最初からあったんだ。

始めて見たあの時から、何もかも、一歩一歩

私たちが過ごした時間のすべてが、それが輝きだったんだ

 

探していた私たちの輝きだったんだ

 

 私は、最初から今までずっと心が輝き続けている『No.10』だった。

 私に欠けてあると思ったものも、足りないと思っていたものも、最初からずっと持っていて、ずっと輝いていた。

 そして、それは「いま」も、明日もずっと輝いているから、私はこれからもずっと、彼女たちとの時間を、大好きな曲を大好きな人たちと「楽しんで」行こうと思う。

 

 

 だって、もう私たちは「想いはひとつ」だから。