#てつがくのドンカラス

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But through the pain, I'll leran to love again 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期9話『The Sky I Can't Reach』

 バトンが受け継がれる瞬間がどうしようもなく私たちの心を打つのは、それは私たちがこのシリーズをずっとずっと追いかけて来た事に起因する証だ。

 そういう意味で、“辿り着いた”という感覚を覚える回でもあった。

 

前回

 

相互限定的言語表現

 詳細は4話記事へ。

darkphoenix505pianoles.hatenablog.com

 

 今回も、その二者間でしか成立しない会話があったため、整理していく。

 

璃奈「ミアちゃん……」

 

ミア「何?笑いに来たの?自信満々に持って行って、この様だからね。笑えばいいだろ」

璃奈「笑わないよ」

ミア「じゃあ放っておいてくれ」

璃奈「無理」

ミア「ウザいなあ!」

璃奈「……!」

ミア「……っ」

 

璃奈「手、痛くない?」

ミア「……ぁ」

璃奈「赤くなってる」

ミア「ごめん、熱くなっちゃって」

璃奈「そういう時もある」

ミア「でも……」

 

璃奈「そういう時は……食べよう」

ミア「ん……うん……」

 

ミア「そういえば、最近食べてなかった」

璃奈「食事は大事」

 

ミア「あの曲に、全部懸けていたんだ。ランジュが歌えば、ボクの曲をより多くの人に届けられる。アイツがパートナーなら、やっと結果が残せるって思ってたのに。」

璃奈「どうして、そんなに結果が欲しいの?」

ミア「え?」

璃奈「ミアちゃん、とても苦しそう。苦しんでまで、結果が必要?」

ミア「必要だよ!ボクはミア・テイラーなんだから。音楽で認められなきゃ、ボクに価値はない」

璃奈「ミアちゃんはミアちゃんだよ。価値がないなんてこと、ない」

ミア「ダメなんだよ。だって、ボクにはもう、曲を作るしかないんだから」

璃奈「ミアちゃん?」

ミア「テイラー家の娘として、せめてそれくらいは果たさないといけないんだ。

 

さいころ、ボクは歌が好きだった。歌うのが楽しくて、いつも歌ってた。

ある時、家族と一緒にステージに立つことになったんだ。

歌手としてのデビューさ。ワクワクしたよ。

でも、ボクは分かっていなかった。テイラー家の名はいかに大きいものかを。

何千という目が、新しいディーバの誕生を待ち望んでいた。

ただ歌が好きで、楽しむことしか考えていなかった自分が、それに応えられるのか。

 

歌えないテイラー家の娘に、価値なんてない。だからせめて、自分にできることでこの世界に居場所を作ろうとしたんだ。

ランジュを利用してまで、ようやく手が届くと思ったのに。」

璃奈「でも、ミアちゃんは今、ここにいるよね。ここは、ミアちゃんの居場所にならない?私、ミアちゃんの歌、聴きたい。」

ミア「だ、ダメだよ。だって……」

璃奈「ミア・テイラーじゃなくて、ミアちゃんの歌が聴きたいな。テイラー家がどんなものか、私は知らない。でも、歌が好きなら、その気持ちをなかったことにしないでほしい。」

 

璃奈「ミアちゃんにもっと、楽しんで欲しい。ここなら、きっとミアちゃんが望むものを叶えられる」

ミア「ボクが望むもの……」

璃奈「うん」

ミア「歌いたい。歌いたいんだ」

璃奈「うん。夢を叶えるのがスクールアイドルだよ」

ミア「そう……だね。ここが、ボクがたどり着きたかった場所なのかな」

 

ミア「……!」

回想嵐珠「いくら手を伸ばしても、やっぱりあそこには届かないって、思い知らされちゃったわ」

 

ミア「ありがとうミア。やるべきことが見えて来たよ。まずは、曲を作り直さなきゃ」

 

 まず、文章だけで理解する事ができないポイントを書き出していこう。

 ひとつは、璃奈の「ミアちゃんはミアちゃん」という発言である。テイラー家のことを含め、何者かに評価されることによって生まれるミアの像ではなく、ありのままのミアの像を指しての発言であると思われるが、そもそも対置される外からの像というものは、この後に明かされるものであり、この段階で何を指すのかがピンとこないところである。

 

 ふたつ目は、「ミアちゃんの歌を聴きたい」という言葉である。璃奈はミアの本心が歌いたいのだという事を理解したうえでそうした発言をしているが、それはある意味でミアに自分自身の心の傷と向き合うことを望むものでもある。

 なぜ璃奈がそこまでの事をミアに対して要求できるのか、そして、なぜ璃奈がそれが同好会なら叶えられると言い切れるのか、これも文章だけではいまいち分かりづらい。

 

 

 1期12話や2期4話は、言葉同士がなぜそのように繋がるのかがよく分からない会話であったが、今回は璃奈がなぜそうした発言をするのか、そして、なぜそれがミアに通じているのかがよく分からないポイントであるため、ひとつずつ読み解いていこう。

 

 

 まず、「ミアちゃんはミアちゃん」についてだが、璃奈がついてどのぐらい知っているかについておさらいすると、基本的にはスクールアイドルフェスティバルでハンバーガーを食べていた程度であり、またミアの曲を聴いている描写も多いとは言えない。

 

 

 しかし、「ボクはミア・テイラーだから」といった発言から、ありのままの自分が抑圧され、外から見られた自分自身の姿、求められる在り方に苦悩しているという事自体は十分汲み取れるものである。

 璃奈自身、自分の想いや感情を伝えることが苦手であり、1期では表情が作れない事に苦悩していたが、彼女は結局表情を作る練習をしてそれを克服したのではなく、璃奈ちゃんボードという彼女の武器を手に入れることで、それを実現する事ができた。

 こうして得た表情の代替となるボードは、伝達手段、つまり「外から見られるもの」であり、外から見られる場所で自分自身の本心を表現する事ができなかった璃奈にとって、他者の目線の存在による苦悩それ自体は十分に共感できるもの、2人の共通点であったと言える。

 

 そして、それがミアに対して伝わる要素として、璃奈の表情がある。

 璃奈がミアと話している間、最初の方は璃奈に表情の変化が見られるが、回想の前から、その表情の変化が消える。

 



 そもそも、璃奈は表情を作るのが苦手であり、ミアに笑いに来たのだろうと言われた時も「笑わない」と返しているが、正しくは「笑う事ができない」になるのだろう。

 多少意識すれば表情に変化が生れるのかもしれないが、少なくともここで会話している最中は表情を変化させる余裕がないのだろう。

 

 ミアは自分自身のコンプレックスを理由に自分自身の手で伝えることを放棄した人間ではあるが、逆に璃奈は自分自身のコンプレックスに向き合った上で「伝えようとする」ことに特化した人間であり、そんな璃奈が何かを伝えようとすることの必死さ、切実さは、ミアが表現者である以上ある程度伝わっているだろうし、それは本当の意味でミアにとって必要なものだったのだろう。

 

誰かが決めた シナリオ通りじゃ

私の声は 届かない

響かせmelody

あの大空に

Now's the time to spread my wings and fly

 

 

  「ミアちゃんはミアちゃん」という発言は、誰でもないミアそのものを知っていることから出た発言ではなく、「伝えることができない」「周囲の目線が怖い」という、外から評価される自分自身の像に苦悩してきたことに*1対して、そのようなものに捕らわれないありのままの姿も大事であるというニュアンスのものである。

 そして、ミアにそれが伝わっているのは、伝えることが苦手であっても必死に伝えようとする無表情の璃奈の、同じ苦悩を抱えながらもそれに向き合おうとする璃奈の姿が何よりも雄弁にそれを語っているからであるからだろう。

 

 

 ふたつ目の、なぜ璃奈がミアの曲を聴きたいと思い、それが同好会なら実現できると発言がなぜミアに受け入れられたのかであるが、これについてはなぜ璃奈の言葉がミアを動かしたのかから考えていく。

 

 まず、端的に言うと、同じ苦悩を抱えていた璃奈が自分自身のコンプレックスを乗り越えている時点で、ミアにとってその言葉は説得力のあるものになるのだろう。

 

 そして、ミアを動かしたものである、伝えることを恐れず、無表情のまま必死に迫ってくる璃奈のその姿は、同好会に在籍する事で得られたものである。

 

 同好会の、特に愛によって見つけて貰った璃奈であるが、彼女の姿には愛と重なる部分も多い。

 たとえば、「できないからやらないは無し」という発言であるが、愛の『めっちゃGoing!』に次のような一節がある。

 

だけどMoving now Moving now

「無理だ」って言われる方がアガる

不可能を可能に変えてみせるよ

笑われたっていい

 

 そうして知らない事や無理だと思える事に臆せず立ち向かっていく愛の姿は、人間関係においても変わることはない。

 傷つけてしまうことに臆せず、デリケートな内面にまで踏み込んで寄り添おうとすることができるのは、愛*2の特徴として描かれたが、そうした愛によって救われたのが璃奈でもある。

 

日陰で泣いている人間に強引に光を当て、笑顔になれと言いながら横っ面を引っ叩く。

咲き誇る花は人の心を掴んで離さない 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期4話『アイ Love Triangle』 - #てつがくのドンカラス

 

 そして、そのように積極的に相手に寄り添うという姿勢によって救われた璃奈のミアに対する姿勢は、まさに彼女が愛たちから受け取ったものそのものである。

 伝わらないとしても伝えたいし、たとえ傷つけても最後まで寄り添おうとする。そんな愛の在り方に救われた璃奈だからこそ、必要ならば同じように、「歌が聴きたい」というトラウマと無理矢理向き合わせるような言葉によって寄り添おうとするのだろう。

 

 そしてまた、璃奈は「同好会」および場所に関係する言葉を、地点としての場所という意味ではなく、それがどんな場所であるかという機能で認識している場所がある。

 例えば、『アナログハート』には「またここで会おうね」という箇所があるが、そもそもこの曲はオンラインで披露された曲である。だから、地点的な意味での「ここ」ではなく、「たくさんのみんなと繋がることができる場」という機能に焦点が当たった言葉である。

 また、『ツナガルコネクト』でも、「ココが私の好きな場所」というフレーズがあるが、2番では「みんなとのタイセツな場所」となっており、それぞれ違った在り方をお互いに受け入れられる場所という点においてライブや同好会を認識している事が読み取れる。

 

 逆に、そうした機能的なもの以外において「同好会」そのものに帰属意識を持っているような意識は薄い。

 例えばスクスタで嵐珠によってスクールアイドル部が設立された時、文字通り「居場所」という意味で同好会に帰属意識を持っていたエマとは異なり、部に行っても自分のやりたい活動ができるのではないかと模索する描写もあった。機能を果たしていれば、それが同好会か部であるかはあまり違いを意識していない(=考えた結果違いがあったから同好会に残る決断をした)のである。

 また、2期2話『重なる音』でも、嵐珠に対して「同好会はそんな場所じゃない」と発言しているが、これも同好会がどんな場所であるかに重点が置かれた描写であり、単に同好会そのものに嵐珠が所属するしないについては璃奈はあまり反応を示してはいない。

 

 同好会という在籍する器ではなく、同好会が「どんな」場所であり、どんなことができるかという点によって救われた璃奈にとって、彼女の在り方は同好会に還元されるものである。

 だからこそ、璃奈はミアに対して同好会が自分にしてくれたように「歌ってほしい」とコンプレックスの奥に踏み込み、同好会ならそれができると発言していたのである。

 だからこそ、2人の会話は最終的に同好会という場所に終着するのである。

 

 

「あなた」を要求する「わたし」のエゴ

 そうして愛を始めとした同好会によって救われた璃奈が、同じようにミアを受け止めてあげることができ、そして今度はそうしたバトンが今度はミアから嵐珠へと渡される事となった。やっぱ宮下愛ってすごい。

 

鍾嵐珠がそれでいいのか!?

ボクはずっと思ってたよ。

鍾嵐珠ほどパーフェクトなヤツはいないって。

歌もパフォーマンスもプライドも努力も、嫌味なぐらい全部!

そんなヤツが本当の夢には手も伸ばさず諦めて帰ろうとするなんて、らしくないだろ!

 

これはキミの曲じゃない。

ぼくもずっと、手を伸ばせずにいた夢があった。

でも、諦めるのはもうおしまいにする。

キミと違ってね。

 

歌が好きだったのに、自身がなくて目を逸らしていた。

でも、教えて貰ったんだ。スクールアイドルはやりたい気持ちがあればだれでも受け入れてくれる。

 

だったら、ボクの手もきっと届く。

ボクは、夢を掴むよ!

 

 

……キミは、どうする?

 

 清々しいほどエゴでしかない。

 嵐珠のコンプレックスでもある、他者からの視線、他者の期待を延々と突きつけた後、自分自身は自分のやりたいこと、他者の視線に囚われない自分自身の姿を見せつけることを宣言する。

 嵐珠の一番嫌がる言葉を投げかけることで、悔しかったら嵐珠も自分自身のやりたいことに正直になって同じ舞台に上がって来いと挑発しているのである。*3

 

 愛や果林に(多少は影響を受けてはいるだろうが)直接影響を受けたわけではなく、璃奈を介してのバトンであるのにも関わらず、まるでDiverDivaのような物言いであるが、これは誰かの影響というよりも、そもそも発言者がミア・テイラーであることに起因するだろう。

 また、スクスタで部に移行したのがDiverDivaと(栞子)だったように、そもそも嵐珠にはこうして挑発するような接し方の方が相性がいいのである。

 

 このように、嵐珠に寄り添うわけでもなく、むしろ突き放したような物言いで、嵐珠に自分のやりたいことに正直になれと要求するミアだが、人との関わり方において不器用な嵐珠にとっては、こうしてエゴを押し付けあうような踏み込んだ関係性こそが本当に必要だったものである。

 互いに受け止めてあげるというよりも、互いに踏み込んでいくという手段の方が嵐珠は関係を構築しやすく、だからこそミアがきっかけで嵐珠は加入へと至ったのである。

 

嵐珠が侑の事を見ていない

 さて、同好会がどんな場所であるかという事を軸に物語が展開されてきたが、しかし話の輪の中に侑がいても、内容に侑が全く関わっていないのである。

ここに来たのも、ソロアイドルならできると思ったから。

相手の気持ちが分からなくても、認めさせることはできるって。

 

ただ一人の友達の事も分からないのよ。ね、1人でいるしかないのよ。

 

ソロのスクールアイドルたちが同好会で絆を深めていたことは驚いたわ。

互いに信頼しあって、ユニットもそれ以上のことも出来る。それがスクールアイドルなら、私にはできない

 

 こうした嵐珠の言葉の中において、侑の存在は一切関係していない事が分かる。ユニット曲は侑が契機になる事はあれど、3曲とも侑が支えたことによって生まれた曲ではない。また、「ひとりだけどひとりじゃない」というテーマにおいて、嵐珠の発言は完全にスクールアイドルの中だけで完結しており、そこに侑の存在を認識しているとは言い難い。

 

 また、嵐珠が侑に投げかけた問いも、現状それが嵐珠の身の振り方に関係しているとは考え難い。

 

「誰かに支えられなきゃパフォーマンスもできないアイドルなんて情けないわ」

 

 ファンが支える側であるとのことを受けての発言だが、現状嵐珠の話はスクールアイドルの中だけで完結しており、その外側まで伸びたものではない。8話の『TOKIMEKI Runners』において一応その回答が出されてはいると思われるが、それを嵐珠がどのように受け取っているのか*4、またそれを受けてどう感じたのかは未だ不明である。

 

 

「あなたたちも同じスクールアイドルなのに、人の事ばかり気にして。私は自分の足で高みに登りたいの」

 同好会が侑、侑が同好会を気にするあまり自分自身のやりたいことがおろそかになっている、との発言だが、これに対する解答として描かれた『NEO SKY, NEO MAP!』も、嵐珠はそれがどんな経緯で創られた曲なのかを知ることはない。

 

「同好会で夢を叶える。」
そう言っていたのに、今のアナタは周りに自分の夢を重ね合わせているだけよ。
アナタはそれで満たされたとしても、何も産みだしてないわ。

 

 そして、みんなの夢が叶う場所スクールアイドルフェスティバルにおいて、侑は夢に向かって走り出しただけであって、叶ってはいないのである。まだ夢を叶えていないし、まだ何も生み出していない。しかも、そうして夢が叶っていない人間*5がいるという事実自体が、みんなの夢が叶う場所の価値を貶めているとも言っていい。

 

 

 このように、同好会という場所において嵐珠が語るとき、嵐珠の指す「同好会」という言葉の中に侑は含まれていない、スクールアイドルしか含まれていないし、嵐珠が侑に問いかけた問いはどれも現状未消化のまま終わっていることが分かる。

 

 アニメ2期は現状高咲侑の「わたしを叶える物語」であるため、この同好会と嵐珠の認識のズレがどのような物語を生むのかにも今後注目して見ていきたい。

 

その他雑記

 

 三点リーダーは2つ使いなさい!!!!

 

 

 

鍾嵐珠がそれでいいのか!?

ボクはずっと思ってたよ。

鍾嵐珠ほどパーフェクトなヤツはいないって。

 普段はランジュ呼びなのに、大事な所ではフルネーム呼びになるミア。

 なんとなく配信やブログ、ツイートをしている時のオタクっぽさを感じる。

 

 『stars we chase』後の会話はかなり長い。

 

 歌った後4分間も語り続けることになるが、これは曲を必殺技として用意したうえでの演出としてはかなり異例の長さである。

 普通なら曲にミアの想いはすべて載せてあるはずだし、歌うことによってこれ以降にミアが語る内容はすべて嵐珠に伝わっているはずである。

 しかし歌い終わった後も会話が続くということは、ミアの曲では彼女の気持ちはあまり嵐珠に伝わっていないのである。

 歩夢は「言葉じゃ足りないから歌に乗せるんだ」と歌っているが、今回は逆に歌じゃ足りないから言葉で伝えるという状況なのである。

 

 

 しかし、似たようなシチュエーションのスクスタでは、すでに飛行機に乗った嵐珠を『MONSTER GIRLS』を一度聴かせただけで引き戻している訳だが、この違いを考えると、ミアが作曲者としては一流であってもスクールアイドルとしてはまだまだであることが垣間見える。

 

  

 

嵐珠「互いに信頼しあって、ユニットもそれ以上のことも出来る。それがスクールアイドルなら、私にはできない」

エマ「ランジュちゃん、私たちがユニットを始めようと思ったのは、嵐珠ちゃんのおかげなんだよ!」

 

 エマの方がよほど他人の気持ちが分かっていない気がする……。

 みんなが受け入れてくれるかどうか不安で周りを確認する璃奈。好き。

*1:実は、璃奈とミアで因果関係が逆だったりする。「できない」から「怖い」のが璃奈なのに対し、「怖い」から「できない」のがミアである。

*2:今回は愛に焦点を当てたが、ファミ通App組の特徴だと思われる。1人1人に向き合うという事において、歩夢、愛、璃奈(侑や栞子もそうではある)は同好会内で頭一つ抜けているだろう。

 逆に、1期6話『笑顔のカタチ(⸝⸝>▿<⸝⸝)』において、1年生で距離の近いかすみはともかく、電撃組のせつ菜や果林が他人事のような表情をしていたのも印象的である

*3:曜の「千歌ちゃん、やめる?」に近い

*4:侑の掛けた虹はステージの上の人間の力によって起きたものであると受け取っている可能性もあり、むしろ現状そのような解釈が妥当だと思われる

*5:嵐珠もスクールアイドルフェスティバルで夢が叶わなかった人間である