#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

乙宗梢ってどんな子? いろは歌って何? 彼女はいる? 調べてみたのだけれど……。

 6月は雨の季節。雨の上がる瞬間が好きかどうかは知りませんが*1、少なくとも晴れの日に生まれた花帆と雨の日に生まれた梢という対比*2は本当のようで、2007年5月22日の長野の天気は晴れ、それに対して2006年6月15日の金沢の天気は雨。

長野の過去の天気 5月22日 - goo天気

金沢の過去の天気 6月15日 - goo天気

 

 

 

 

 ちなみに、私が生まれた日の天気は雨上がりの晴れです。

名古屋の過去の天気 6月15日 - goo天気

 

 

 ……誕生日一緒なんですよね。

 

 

 

 

 マジで?マジです。

 

 

 

 というわけで、この記事が上がっている頃には、私の推しの乙宗梢ちゃんの誕生日です。

 

 

 わーい!梢先輩おめでとうございます~!フラワ~~~!!!

 

 

 

 

乙宗梢ってどんな子?

プロフィール

www.lovelive-anime.jp

 

 主人公の日野下花帆とスリーズブーケを組んでいる2年生。成績優秀で特に体育は学年1位。(確か7話で花帆が言ってた)しかも、音楽一家出身で作詞も作曲もでき、筋トレが趣味なので人ひとりぐらいなら抵抗されても片手で引きずって歩くこともできます。

 



 夢はラブライブ!優勝。なおストーリー内ではいろいろあったみたいで、ラブライブ!の話はまだ出てきません。

 スクールアイドルを始めたきっかけは、小さいころに「廃校になりかけた母校を、その活躍で救った」スクールアイドルを見たことです。

 

 ハイスペックキャラではあるんですけど、基本的には努力だけの人で、生まれつきの才能が飛びぬけている綴理や、まっすぐな気持ちだけでどこまでも走り続けられる花帆のようにはなれなかったと漏らしているところもあります。

 

 ただ、スクールアイドル2年目ということもあり、初期段階での成熟度はシリーズ内でもトップクラス。

 花帆の先輩として、第1話で「自分のやりたいことを正直に伝えること」、2話では「自分が頑張る姿はやがて誰かの背中を押すということ」、3話では「自分を信じるということは、自分を信じてくれている人を信じるということ」を説いています。

 

 これまでのラブライブ!シリーズのスクールアイドルが2クール近くかかけて辿り着いた答えを最初から持っていて、隣に立つ後輩にそれを受け継いでいくという部分が、今までずっとラブライブ!シリーズを好きだった人たちにとってすごく感情移入しやすいキャラクターだと思います。

 

コラみたいで可愛い

 そんな梢の可愛いところとして、ひとつ、その立ち振る舞いとサムネイルという切り抜き方のせいで、たまにひとりだけコラ画像みたいになることがあるんですけど、それがすごくシュールで可愛い。

 

 

 表情が同じなのでコラにしか見えない。

 とはいえ、サムネなのでまあコラ画像と言えばそうなんですけど……。

 このシュールさがたまらんのです。

 

 

 

 切り抜き用の表情を作るのが苦手なのか、1人だけ浮いてるのが可愛い。

 

 

 ラブライブ!シリーズ伝統の生えてくるアレは、リンクラだと画面スライドを使って表現。身体斜めにしてスーッと入ってくるの、シュールすぎて初見は大爆笑しました。

 こうやってヌッて入ってくるために、わざわざこの姿勢取ってるって思うとめっちゃ可愛いですね。

 

 

 ライブ中のワンシーンを切り抜いた時の表情も素敵なんですけど、こういう「ヌッ」って擬音語が似合う感じの梢先輩もめっちゃ可愛いんですよね。家の襖とかに梢先輩生やしたい。

 

 

こずかほ尊い

 花帆が純粋に梢先輩好き好きしてるので、すごく尊いんですよね。

 これまでのシリーズも年の差カプはあったんですけど、先輩後輩感があるのってちかダイとか虹主人公×1年カプ、きなかの、とかがあったんですけど、この手の尊さでここまで濃いのはたぶんスリーズブーケだけなので……。

 

 スーパースター!!と比較すると、あっちが先輩たちと後輩たちの関係性だとすると、こっちは先輩と後輩1対1に特化されている感じがします。

 後輩ができたことで先輩の側にも新しいものが生まれる点も共通しているんですけど、あちらと違ってこちらは先輩集団じゃない分、先輩も間違えたり迷ったりするのも面白いんですよね。

 

 

 あとは何より、基本的に花帆が梢との交流を通して何かを獲得していくことがスリーズブーケの物語の中心にあるんですけど、その裏側、梢が花帆に何かを伝えるときに、どんな思いでその言葉を伝えているのかなっていうところがすごく好きなんですよね。

 

 梢が1年間スクールアイドルを続けたうえで、2年目のスクールアイドル活動をしているのだという事実が、彼女の言葉やパフォーマンスを支えている経験に厚みを与えていて、「梢先輩もこんな思いをしたんだろうな」って思うとすごく胸がぎゅっとするんですよね。

 

 蓮の空の伝統の曲の『Reflection in the mirror』も、もしかしたら梢先輩も去年同じように先輩の言いつけを破って先走ったのかもしれないとか、去年はこの曲を歌えなかったからこそ、花帆に衣装を進めるときに少し必死さが見えたのかもしれないとか。

 少なくとも、花帆が「答えならちゃんと見つけたよ」って歌っても大丈夫だって思える何かがあったから、2人でステージに立つときにこの曲を選んだのだと思うので、そういうのを考えている時が、いちばん梢先輩の魅力に触れられている気がします。

 

いろは歌って何?

 スリーズブーケのいちばん好きな曲が『謳歌爛漫』なんですけど、この曲が伝統の曲なのか梢のオリジナルなのかはいまのところまだ分かりません。*3

 

 この曲の歌詞に

探そう 探そう 自分だけの音を

咲かそう 咲かそう 声なき声を

枯れない想いに嘘をつかずに

生きよう いろは歌のように

 

という部分があって、なんでいろは歌なんだろ?って思ってちょっと考えてみました。

 いろは歌に例えられるのは、直前の「枯れない想いに嘘をつかずに生きよう」の部分です。自分だけの音を探すことと、声なき声を咲かすことは、枯れない想いに嘘をつかないことだと言えそうなので、それをいろは歌に対応させればもう少し深められそうです。

 

 小学生の頃にはやみねかおる読者だった方は「教授」が触れてたのでピンとくる人もいると思うんですけど、いろは歌の「声なき声」と言われると、まず「とかなくてしす」を思い浮かべました。

 Wikiから引用しておきます。

 

「とがなくてしす」

いろは歌は『金光明最勝王経音義』などの古文献において、七五調の区切りではなく七文字ごとに区切って書かれることがあるが、七字区切りで以下のように各行の最後の文字を拾って読むと、「とかなくてしす」即ち「咎無くて死す」と読める。

いろはにほへ
ちりぬるをわ
よたれそつね
らむうゐのお
やまけふこえ
あさきゆめみ
ゑひもせ

 

 作者が自分の無実を訴える無念の想いが込められているという一説ですね。

 

 また、いろはにほへとちりぬるを「色は匂へど 散りぬるを」、わかよたせそつねならむ「我が世誰ぞ 常ならむ」は、それぞれ、(花の)色はいい香りがするけれど、散ってしまった、この世の中でいったい誰が、常に移り変わらないままでいられるだろうか?という、この世界への無常観が歌われています。ラブライブ!じゃなくても、桜が出てきたらこれしかないってぐらい歌い継がれているテーマですね。

 

 そして、「うゐのおくやま」は知らなかったので調べたんですけど、これは特に地名の対する掛詞ではなく、「有為転変の迷いの奥山」ぐらいの意味でとるといいみたいです。

 そんな山を越えたということは、要は「変わって行く世界の中で戸惑っていたけれど、その迷いは晴れた」ってことだと言えます。なんかラブライブ!っぽくなってきましたね。

 

 そして、激熱レスバポイントとなる「あさきゆめみし」が、「浅き夢見し」「浅き夢見じ」なのか、つまり「浅い夢を見た」のか、「浅い夢なんて見ない」なのか。

 自分は圧倒的に「あさきゆめみし」派なんですけど、たぶん謳歌爛漫も「し」で取ってると思うので、そっちで読み進めていきましょう。まあ、スクールアイドルが夢見なかったら困るので……。*4

 

 実際、「有為転変の迷いの奥山」を超えたってことは、迷いに満ちた世界を経験してきたってことなので、文意的には浅い夢を見てきたってことなんじゃないかなと。

 

 前の方の歌詞で

遠い夢は泡沫の蜃気楼

幻だと言われるなら

どうしてまだ消えない

 って歌ってるんですけど、露骨に人生や世界の儚さを表す仏教用語の「夢幻泡影」から引っ張ってきていると思われるので、謳歌爛漫も、「人生=夢」であり、「有為転変の迷いの奥山を超えた=浅い夢を見てきた」という捉え方で作られていると考えられます。

 

 となると、「あさきゆめみし ゑひもせす」は、「無常な世界を生きて来て、今日その迷いの奥山を超えた」から「その移り変わっていく世界はまるで浅い夢のようだ。でも迷ったりはしない」と繋ぐと自然な感じになると思います。なんなら、この反復も含めてめっちゃラブライブ!の曲っぽさまであります。

 

 そして、「迷わない」とはどういうことなのかというと、

ひとひらの風が吹いて

新しい私が始まる

駆け出すその先にあるのは

涙じゃない 信じてみたい

淡い色に染まる そんな日々を

 と繋がるように、「駆け出すその先にあるのが涙じゃないと信じる」こと。迷わないために必要なのは信じることだというのは、ラブライブ!でなんども描かれてきましたし、蓮の空でも、「信じる」ができなかった花帆が「今のままじゃダメ」だと思い、梢の言いつけを破ってしまった結果あわや事故になりかけてしまったりしました。

 

 直前の「ひとひらの風が吹いて新しい私が始まる」も、冒頭の

ひらひらと舞い散るのは

幾千の刻の欠片たち

願いよ今こそ花となれ

この季節と共に

と対応し、季節という時間の経過を想起させるものと共に、願いであったものが花となって舞い散る、つまりたくさんの願いが風に吹かれて舞い散る瞬間こそが「ひとひらの風が吹く」瞬間であることが分かります。

 もちろん、風は、「羽ばたいて起きるもの」なので、歌い手自身、もしくは歌い手に影響を及ぼす人間が羽ばたいたのだろうと読み解くことができます。このあたりは、ラブライブ!の経験値で読んでますけど、風や蝶や羽と言うモチーフはラブライブ!に限った話ではないので。

 

 夢を追いかけるたくさんの人たちの願いが積り、そしてそれがまた誰かが駆け出すときの風を受け、花となって散っているから、駆け出すその先にあるのが涙じゃないと信じてみたい。

 だってその先の未来も、自分の周りで散った花と同じように、淡い色に染まっている、つまり、誰かの願いや声なき声が繋がっている未来のはずだから。

 そういうことを言っているんじゃないかなと思います。

 

 2番だと、

綺麗なままでいられたらいいのにね

踏まれながら汚れてゆく

花びら 寂しそうで

 

前に進むため そんなこと

忘れろって笑われるかもね

荷物になるとしても

切なさもやるせなさも

連れてゆくよ

 と繋がるように、地面に落ちて汚れてしまった花びらに焦点が当たります。

 無常観と言えば盛者必衰の理。叶わなかった夢も、色褪せてしまった想いもあるように、願いはきれいなものだけじゃありません。とかなくしんだ人もいるみたいですし。

 なんとなく雰囲気しか掴めていないけれど、1年の時に梢先輩がそんな経験をしてきたんだろうなっていうのも、ちらほら垣間見えてはいますね。

 

 でも、それを無視したりなかったことにするんじゃなくて、声なき声も咲かせて、切なさもやるせなさも全部連れてゆくことって、移り変わる世の中から目を背けたり逃げだしたりするんじゃなくて、そういうものなんだ、それが今の私なんだと全部受け入れることが歌われているのだと読み取ることができます。

 一喜一憂しないとか、振り回されないとか、そういう風に言い換えると「迷わない」という言葉のイメージと近くなると思います。

 

 それを受けるサビの部分も、

ひとひらの風が吹いて

人知れず何かが終わっても

思い出は色褪せないでしょ

光が伸びる あの並木道も

 と、起こったことをその結果に振り回されるというよりも、むしろそれが思い出であることに焦点があたるものとなっています。このあたりは、自分の中のラブライブ!サンシャイン!!の部分がちょっと頭を出してきそうになりますね。なんかカバーしてるし!

 

何処にいるの 彼方へ

目隠しのかくれんぼ

もういくつ 眠れば

あといくつ 巡れば

指折り数えては

 表現が巧みですね。遠くにいってしまったものを、目を隠して探している状態ですが、目を開けるまでのカウントダウンを、「指を折って」数えているんですよね。

 でも、指を折って数えるのって、一応視覚に頼る行為なんですよね。*5

 つまり、これって感覚の内の一つを奪われている状態で正しいもの(=目を開けてもいい時間)を探しているんですけど、「迷い」が発生しやすい状況だといえます。

 そんな時でも、荷物になるとしても持ってきた過去があれば、その時間を図るのを助けてくれるんですよね。ここはだいぶ飛躍しましたけど、おおむね意味自体は間違ってはいないと思います。

 

 最後には、信じてみたいものが一つ増え、

満開の空の下 私の夢を

 で終わりますが、満開の空に咲いているのは、ひとつも取り漏らさずにつれてきたたくさんの願いであり、その中に「私の夢」があることが分かります。

 

 さて、ここで質問です。

 日野下花帆の夢は何だったでしょうか?

 

 

 

 

 

 そうなんですね。花帆の夢は、人の心を花咲かせること。だから、満開の空の空の下に「私の夢」があるんですね。

 

 

 話をいろは歌に戻しましょう。

 

 謳歌爛漫の中で、この世界は移り変わっていくものであることが前提となっており、そしてその移り変わりを受け入れ、その中で潰えた願いすらも連れていって、まだ潰えていない願いと一緒に花を咲かせようとする決意を見てとることができます。

 そして、その夢を叶えるためには、「いろは歌のように生きること」つまり、移り変わっていく世界の中で、「迷わないこと」つまり今自分の周りにある願いを信じることが必要なのだと、そういう意味で引用されているのだと思います。

 

 

 つまり、いろはうたって、古文の『Reflection in the mirror』なんですね。……ホンマか?

 

彼女はいる?

 もちろんです!

 スリーズブーケの2人は運命共同体

 

youtu.be

 

 梢先輩もこう言ってるし、もう実質付き合ってますよね!!!!

 

 

 ……ん?

 

 

 

 

 ……ん?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒトリダケナンテエラベナイヨ~~~!!!!は受け継がなくていいから!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2023年6月15日。こず、かわいいよこず。

*1:2023年6月14日時点で、配信及びエピソードからは確認できません。調べたら5chの釣りらしい。

*2: デビューミニアルバム発売記念イベント「Dream Believers」のトークパートで花宮初奈さんの発言より

*3:この後CD買いに行って書いてあったら笑っちゃいますけど

*4:文法的には「じ」なんですけど、文意的にどう考えても「し」だろ!ってやつです。確かに、時代がちょっとズレるけど、平安も鎌倉も誤差でしょ使い始めと浸透する時期って違うでしょとか色々あるだろうし、相当なオーパーツにならない限り文意で取る方が自然だと思うので……

*5:目をつぶってる状態で、他の人に指を適当に折ってもらった後、今自分の指が何本立っているか当てようとしたんですけど、これが意外と当たらなかったです