#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

『救済、革命、皮肉、期待、聖地』 DOLLCHESTRAの魅力を語る。

 こんにちは。黒鷺です。

 

 ユニット甲子園にむけて、なんか始まるみたいですね。

 

 

 

  黒鷺もどこかの回で出るらしいです。

 

 

 さて、それはそれとして、たぶん結構な人がラブライブ!シリーズ内で作品をそれなりに跨いで履修していると思うので、所謂推しユニットって複数あると思うんですよね。

 

 

 で、これ1人で完走できたら面白そうだなって思って、便乗して全ユニットの魅力紹介記事を書いてみることにしました。

 企画やってる日にそのユニットの記事を上げてくぐらいのペースなら追いつけるかなーと思うので、最後までお付き合いくだされば幸いです。

 

(ここまでコピペ)

 

 前回はこちら

darkphoenix505pianoles.hatenablog.com

 

 

 第2回は、DOLLCHESTRAです。

 

 

 

差し出したその手の ぬくもりはきっと 永遠に続く絆

 出逢うべくして出逢った2人でした。

 フィギュアスケートで結果が出せず、自分に足りない表現力を探しに蓮ノ空にやってきたさやかと、さやかの「水色の輝き」を一目で見抜きスカウトした綴理。

 一見偶然のように見えますが、綴理もさやかも、お互いにお互いのことを必要としていたからこそ、その邂逅が本当の意味での出逢いになれたと、そう考えることもできます。

 

 

 「夕霧綴理であってスクールアイドルではない」と言われた綴理こそが、さやかの探していた表現力を持っている「スクールアイドル」で、そしてそんなさやかの目にスクールアイドルとして映ったからこそ、綴理は自分をスクールアイドルだと認めることができたのですが、このエピソードは他の誰であっても代わりは務まりません。

 

 

 綴理が見つけた「水色の輝き」の持ち主が、綴理の横に立てる人間で、なおかつ「スクールアイドルの綴理」に憧れたからこそ、綴理はスクールアイドルになれたんですね。

 実際、綴理の相方として梢はダメだった過去があるため、これに関しては出逢いの時点で替えが効かないんだと思います。

 

 

 

 ちなみに、このエピソードが描かれた4話『わたしのスクールアイドル』ですが、「誰かが隣にいてくれることで自分はスクールアイドルになれる」というニュアンスが近いテーマがスクスタでも描かれていました。

 それが、29章『これが私のスクールアイドル!』なんですよね。結構ビックリポイントでした。

 

 

 

確かな居場所に灯る光が 何度も悩み追い越して

 「人は誰かの代わりではない」というテーマは、DOLLCHESTRAの物語の中で多く登場しますが、そのテーマは聖地である金沢の近江町市場で頻出するものとなっています。

 

 

 5話『顔を上げて』では、近江町市場でのお手伝いをしていく中で、人にはそれぞれできることとできないことがあり、だからこそ、その期待は役割ではなく人に寄せられるのだということが描かれました。

 8話『あの日のこころ、明日のこころ』でも、それぞれが得意なことを頑張ることで、梢と一緒に目標を達成する姿が描かれたことからも、そのテーマは近いものだと考えられます。

 

 

 また、金沢の蓮ノ空の聖地として挙げられやすい建民スポレクプラザも、さやかが通っている場所であることが聖地たる所以になっており、この場所を通して、替えが効かない、他の誰でもない「村野さやかのわがまま」が描かれました。

 スクールアイドルの頑張る姿を見て元気をもらい、新しいことを始めたり諦めたものに再チャレンジする勇気を貰うファンの姿も、この場所で描かれています。

 

 

 スクールアイドルがどんな場所で歌うのか、この場所で歌うことにどんな意味があるのかという点において、DOLLCHESTRAはそのテーマを本当に大事にしているし、それに伴って聖地とも結びつきが強いなと思います。

 

 

分かったフリしないでよ

 さて、楽曲の方に目を向けると、すごく皮肉だったり厭世的だったりする歌詞が多く見受けられます。

 00年代のボカロとか、そういう感じのが好きな人にはキラーフレーズが多そうです。

 

 さやかや綴理のテーマとして「期待」が挙げられ、12話『期待はおもい!』なんかはすごく分かりやすいと思うんですけど、特にさやかを語るのには外せないものとなっています。

 

 しかし、4話『私のスクールアイドル』や6話『わがまま on the ICE!!』では、ある意味でその期待がネガティブなもの、本人の意思を縛るものとして扱われていたりしました。

 

 同じものであったとしても、評価軸を変えればその見え方がガラリと変わることは、結構ラブライブ!に限らずいろんなところで描かれているとは思いますが、DOLLCHESTRAの楽曲にはそういう表現が多く使われています。

 

 『AWOKE』や『スケイプゴート』、『Tragic Drops』は、最初の方はずっとすごくネガティブなんですけど、最後の最後はちょっとだけ情景を変化させています。

 しかし、その間の歌詞は基本的に自問自答で構成されており、結局それによって変化したのは自分の捉え方である、といった作りになっています。

 

Not a marionette…

「気付いてよ…」

 

 

Keep on searching for the answer in me

君の手を掴んだ瞬間

全感情が溢れ出す

Not a marionette

 

『AWOKE』

 

分かったフリしないでよ

教科書を読み込んだところできっと気付けない

(感情は不確かで自分すら悩ませる

似たような飾りで溢れた世界を眺めて

Ah- 重力に身を任せた

 

 

やわらかな風吹けば

肯定された気がして

視界は晴れる

 

『スケイプゴート』

 

晴れた空の向こう

伸ばす、手を

 

 

晴れた空の向こう

伸ばす、手を

握り返す手は、無くても…

 

『Tragic Drops

 

 

 また、爽やかに描かれそうなはずのテーマでも、その爽やかさに水を差すようなワードチョイスをしていたりと、固定された価値観に対する反骨精神や、自嘲癖が垣間見えて、それがスパイスとなって突き刺さる人は結構多いんじゃないかなと思います。

 

ブレーキをかけたのにまだ走ってる気分で

それはきっと心が熱に浮かされたんだろう

自転車を降りて

見えた空は雲ひとつ無い青だ

悲しいくらいに

 

Ah-腕を伸ばしても届かないよ

数センチでも

最初から全然違うものだった

つまり青春を目指したはずが

自己満足の旅で終わりそうで

Ah-だけど無駄になることはないさ


走り抜けた距離は確かにあるんだ

 

『青春』

 

 

 青い空のことを「悲しい」とか、「青春」がテーマで「自己満足の旅」とか、マッチはしてますが、そのワードチョイスにはいちいち逆張り感があるんですよね。すごく、DOLLCHESTRAらしいポイントで、その毒気がいちばんオタクに刺さるポイントなんじゃないかなって思います。

 

 ライブでの表現の仕方も面白くて、佐々木琴子さんが上から押さえつけられたような声で歌ったり、野中ここなさんが吐き捨てるように歌ったりと、結構今までのシリーズになかったような表現が多く、本当に鋭利な刃物で刺されるような感触を味わうことができると思います。

 

 

 また、ゲームでの性能に目を向けてみると、DOLLCHESTRAは結構独特。

 スリーズブーケやみらくらぱーく!のように、キャラごとに割り振られたロール自体はそこまで強いとは言い難くいです。

 

 カードパワーの高い綴理はともかく、今のところさやかはかなり癖のあるカードが多く、この手のゲームで逆張りをしたい人が好むような性能になりがち。

 

 

 強く使うためには下準備が必要なカードとか、特定の瞬間しか強くないカードとか、そういうのが多すぎるんですよね。

 

 逆張りオタクや、変なコンボを開発したがるタイプのオタクホイホイな性能してるカードが多くて、そういう使いにくさだったり、出力の低さが目立つカードを、どうにかして強く使ってみたいって感じの人は、結構好みのカードが多い気がします。

 

 

 

 ちなみに、私のお気に入りはこれです。

 

 

 「ドローしたとき」発動する特性は強力だけど、スキルは弱いので4コスも払いたくないというジレンマ。ドロー特性を使いまわすためには、スキル使って手札から吐かないといけないんですよね。

 

 なんかこの、カード単体ではいろいろ噛み合ってなくて、普通に使うと絶対弱いけどちょっと工夫したら化けそうな雰囲気してるこの感じ。

 雰囲気だけで絶対化けないカードもあるんですけど、それでも、この「化けそうな雰囲気だけ醸し出してる」感じが最高にカードゲーマ―のハートを揺さぶりますね。

 

 

 

 いかがだったでしょうか?

 

 DOLLCHESTRAの魅力が伝わったなら幸いです。

 次はスリーズブーケです。なんと、推しユニット。がんばります。