先日、『アイドキュレーションのごっつええワンマン』に参加してきました。
何も知らない状態での参加でしたが、とても楽しい場所で、一緒に参加した学友と機会があればまた来たいなあと話していました。
硬い話
自分はそれまでラブライブ!とDREAMS COME TRUE以外のライブに参加した事が無く、所謂地下の現場というものは初めてで。会場入りするとき、「あ、物理的に地下なんだ」と思ったことを覚えている。
https://twitter.com/daimarco16/status/1202198333139247104
地上波出演ってことがどういうことなのか、地下の本当の意味を思い知ってちょっと拗ねてるんだけどそれとはまた別にAqoursちゃん観れるの楽しみだから家帰ったらテレビを点けちゃうわけだ
— 十六夜まよ⚡️🏬 (@daimarco16) 2019年12月4日
便宜上「地下」という言葉を使いはするし、元々そういう意味合いは無かったのは承知している。だが、やはりこの言葉の「下」って文字がよろしくないのか、少なくとも私には心地の良い言葉ではなかった。だから、当日は誘ってくれた方にも「こういう現場」みたいな表現を使っていた記憶がある。
だから、現場の雰囲気だとかも含めて、真っ当に演者として見て理解し、評価しようと思っていた。
でも、そういうことじゃないんだなって思った。それまで、出されたものを見に行くというタイプのコンテンツにしか手を出していなかったから、一緒に場を作るという感覚がまるでなかったんだけど、でもあの場は間違いなくそういう場だった。
例えば、ラブライブ!のライブにおける観客は、いわば舞台を「よりよくする」ものでしかない。私たちは逢田さんたちに歓声をあげるし、それはあの舞台を作り上げるパーツの一つであることには間違いない。
でも、逆に言えば、私たちの歓声は別に舞台にとって絶対に必要なものであるかといわれると話は違ってくる。仮に誰もいない講堂であったとしても物語はスタートするし、仮に誰も見ることのなかったステージだとしても、それは既に物語として存在しうる。舞台装置が何であろうと彼女たちの色に染め上げて見せたステージを私たちは知っているし、逆に本来彼女たちしか見ることのなかった夢の舞台だって存在したわけだ。(まあ、だからと言って本当に不必要かと言われると話は違うので誤解なきように。)
だからこそ、ライブビューイングやブルーレイディスクにはそれらならではの価値や文脈があるだろうし、私たちはそれを消費者として享受することができる。
でも、あの現場における歓声は絶対に「必要不可欠なもの」だった。なぜなら、地下の狭い現場はその気になれば全員を一人一人暗記できるほどに閉ざされた空間だ。先ほど引用したツイートに戻るが、例えば地上波を使えるラブライブ!は「ファンを増やす」ためのアピールができる。実際私は、スクフェスという媒体からあの世界を知ったように、あのコンテンツは自らに存在を広く知らしめることができる。
それに対して、地上波に流れないあの場所は、基本的にやってきた人に対してアピールすることしかできない。私も実際知り合いに誘われてライブに参加したわけだが、果たしてその「すでにその世界の中にいる人間」を介することなく参加するってことは、本当に少ないのではないだろうか。だから、地下アイドルたちは、私たちに対して「捕らえて帰さない」必要があるわけだ。一人一人の名前を覚えて、私生活に軽く(どっぷり浸かっている人間を私は知らない)触れることで、そして、ライブではその場にいる者一人一人を全てパフォーマンスに組み込んで、必須パーツにしていく。
コールをすることの効果に、合わせることによる一体感というものが挙げられるが、場が一体になるということはそれは既にパーツとして組み込まれるということで。あんな狭い空間で、全員が一つになって同じ舞台を作り出しているんだから、逆に言えば自分がそこから抜けたらあの場は完成しないんだ。
ライブ後に聞いた話だと、アイドキュレーションは本当に競争が激しくて、先月の成績で次のフォーメーションが決まるし、今回のライブも、動員数に応じて今後の商品展開にダイレクトで影響が出るらしい。
一票ごとの重みもラブライブ!のそれとは桁違いで、本当に観客と歓声がないと存在できないような、そういう世界なんだと思う。
それを象徴するのがコールの内容だと思う。例えば、ラブライブ!のコールは、よくわからん奴らがよくわからんことをやっているのは除いて基本的には曲に合わせるものだ。曲が盛り上がるなら盛り上がるし、静かなら静かになる。例えば『恋になりたいAQUARIUM』のサビ前の空白に家虎なんて入らないだろう。それは、単純明快『恋になりたいAQUARIUM』がそういう曲ではないからというだけの話である。でも、もし地下で『恋になりたいAQUARIUM』を披露したら、そこに家虎は入れなければならないものだと思う。なぜなら、私たちは舞台の上の世界に存在しなければならないから。
ライブを見ていて思ったのが、そこで叫ばれるコールって、演者に話しかけているみたいだって事。ガチ恋口上とかオレモーとか顕著で、いわば演者の披露する曲と私たちが会話することで世界が構成されているようで。
私は所謂厄介コールは好きではないし、ブルーレイを再生しながらそうした声を出す人間のことを不愉快だと感じるタイプではある。でも、そんな私はあの場では大声でイエッタイガーを叫んだし、それを心地よいとさえ思った。だってそれはあの世界観を作り上げるもので、あの場はそれを求められているのだから。それは、物理的にも精神的にも自分の声が届く空間だからこその魅力だと私は確信している。
やわらかい話
いや、あの、ゆっきーこと澤崎柚希さんのお顔が良すぎる。
ライブの途中で、あいりちゃん主催のファッションショーがありまして。メンバーがそれぞれ、普段とは違うイメージの衣装を披露したわけなんですけど。
あのさぁ、そのゴスロリ衣装はずるいって。ただでさえ可愛いのにそんなフリフリの衣装(画像はありません)着てたら人がしぬぐあぁぁぁぁぁぁぁジャケットを脱ぐな肩をだすなぐあぁぁぁぁぁぁぁぁ(画像はありません)
その衣装のまま、ゆっきー主催のコントに突入したんですけど。
ゆ、ゆきにゃんってなに?(画像はありません)
かっ……かわいい……あっ手がネコだからマイク持ててない……。()画像はありません)
ネコを見上げるブタになってしまった……。
さて、ライブが終わったら、チェキを撮る時間だ。
……。チェキ???
実はこの筆者、チェキという言葉を最近知ったのである。
や、さっきステージの上で踊ってた子と2ショット撮れるの???
え、いや、マジでいいの?
ゆっきー「あっ、初めての方だよね?来てくれてありがとう!」
ぼく「アッ、アノ、初めて来ました、黒鷺です。いつもAlan君とカードしてます」
ゆっきー「あーAlan君!そっか、知り合いなのね!すごいなー!どうして私のところに並んでくれたの?」
ぼく「ライブ中すごく近くて、なんか目が合ったような気がして、それでビビビって」
ゆっきー「すごーい!私も見えてたよ!うれしい!」
ぼく「👼👼👼👼👼」
そして、はじめてのチェキを撮りました
閲覧注意!!!!(画像があります)
このニヤケ顔である。いや、本当に良かった。また来たいです。