#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

逢田梨香子Birthday Party2021~to ME~

 何を記録していいのか分からない、と言うのが正直なところである。

 ライブだったら、パフォーマンスの内容を自分の見た通りに書けばいい。でも、ファンミーティングとなると、果たしてそれでいいのか分からないし、記録すべき内容が何なのかも見えてこない。

 女性声優が顔面でした。ぶひぶひ。結局は、そういうところに行きつくのかもしれないし、もしかしたらそれでいいのかもしれない。

 

 

 

企画系 

※ここに関しては、面白く書ける自信がない*1ので簡潔にまとめた。

ZEPP東京2021 逢田梨香子 夏の全力運動会 

 

 開演と同時に、ジャージ姿で登壇し、カンペを見ながらの選手宣誓(夜の部は挙げる手が逆だった)。

 ジャージだったら身体の凸凹も消えちゃうし露出も少なくてブヒブヒできないじゃないか!

 

 その後、SCHOOL OF LOCK!でも共演したグランジ遠山大輔氏の司会進行の中、競技スタート。

 

 ぐるぐるバットから網をくぐってハードル飛んで麻袋ジャンプして吊るされてるパンを食べる、バラエティー番組のトライアスロンのような組み合わせの「10メートル障害」を、1分11秒の世界記録で駆け抜ける姿や、トイザらスの弓を上下逆に持ったり不正したりしながら、なんやかんやちゃんと端っこに当てたアーチェリー。

 

 そして、昼はフリースローを外し続けた挙句ダンクシュートを決め、夜はサッカーボールでのストラックアウトでなぜか1撃で隣接していないパネルを含めた5枚同時抜きを決めたりしていた。

 最後に、遠山氏から金メダルの授与が行われたが、メダルを噛もうとして怒られていた。

 

 

 

Q&R(Question&Rikako)

 気になったポイントだけ掻い摘んで。

 

 

 まず、2年前にZeepに立った時からの心境の変化について。

 あの頃より緊張せずに自分のペースで歌えるようになったとのこと。2年前のことを振り返り、歌唱前も歌唱中も緊張してガチガチだったと話していた。

 それに対して、今はあの頃からの経験に支えられ、安心して舞台で観客に身を委ねられるとのこと。

 2年前の昼の部参加の筆者としては思い出すものもありつつも、そのコメントに安心したところもあった。

 

 

 また、29年過ごしてきた実感がなく、未だに感覚が18近辺である事について、遠山氏から、「それだけ充実していたのだろう」とのコメントがあった。

 

 

 この1年に関して聞かれると、すこし生き急いでいたとのこと。時間だけが経っていく中、もっと急がなければ、頑張らなければという想いに駆られ、あまり余裕がなかったようだ。29~30の1年は、もっと気持ちにゆとりを持って自分のペースで生きていきたいとの抱負も語られていた。

 

 

霊視鑑定

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 霊視芸人のシークエンスはやとも氏が登壇し、逢田さんの霊についての解説が始まる。彼の専門分野は、要約すると人に誰の霊がついているかという事だそうだ。なんでも、幼少期に殺人事件を目の前で見てから、憑いているものが見えるようになったとか。

 

 昼の部では、逢田さん自身の霊について。まず、周りにファンの生霊が憑いているようだった。これは、「視線」「関心」ぐらいに読み替えて構わないだろう。今まで見た声優さんでいちばん(これ全員に言ってそう)愛されているらしい。

 

 そして、本人自身は頭がいいが、だからこそどうしても噛み合わない人が出てきてしまい、「違うなぁ」というのが分かってしまうらしい。だからこそ、「自分は見下されているんじゃないか」と感じている人が、彼女の周りに1~2人いるのだとか。

 話しぶりからすると、「頭がいい」というのも、要領がいいとかインプットが速いとか、そういった地頭の良さの話のようで、確かにそれは納得。

 「見下されている」という表現の真意をどこまで汲むかにもよるが、少なくとも、彼女の直近に、なんとなく合わなそうな人がいるという事もファン目線からも想像はつく。

 だが、何か治したほうがいいのかと漏らす彼女に、はやとも氏も遠山氏も、「きっとそれを変えてしまうと今の彼女では無くなるのだろう、そんな彼女だからこそ、今支持されているのだろう」との趣旨のコメント。

 

 まったくもってその通りだと思う。

 

 

 夜の部では、彼女の周りに憑いている霊にフォーカスが当たる。

 所謂、「ファン層」の中でも、彼女のファン層は、熱血家な彼女自身の人柄もあってだいぶ熱烈な人が多くて、お仕事周りでもかなり愛されていて、かなり良好的な意味で濃い霊が憑いているようだ。

 だが、その熱い(はやとも氏は「過激派」という表現を使っていた)支持層の空気感について行けず、脱落している人もいるとの事。

 まあ、真相はどうあれ、良くも悪くも過保護気味な愛され方をされてはいると思うので、もう少しファンの方は丸くなったらいいのではという指摘自体は間違ってはいないとは思う。

 

 同じものを見てインプット、言語化するまでのルートや、アウトプット方法は全く違っても、だいぶ「わかる」なぁと思ったし、受け取り方にとってはかなりきわどいラインを突くはやとも氏の解説も、筆者はかなりしっくり来ている次第である。

 

 

 ちなみに、結婚は全く向いていないそうだ。これも、わかる。

 

 

ライブパート

Dearly

 ツアーの時のような、いかにも衣装と言った感じのドレスではなく、余所行きの少しお洒落した彼女の姿を彷彿させるような、そんな衣装で登壇。

f:id:Darkphoenix505pianoLes:20210817144530j:plain※写真はイメージです

 

 足でリズムを取るたびに、パンプから露出された足の甲の血管や骨が浮き上がり、彼女の内部に触れている気がしてすこしドキッとした。

 また履物自体もリズムを取る事前提なのかかなりゆったりとした作りになっていたのを記憶している。

 

 

 

 ライブツアーの時以上に、この曲に関しては自分の世界に入り込んで歌っていたように見えた。

 ライブと言う、完成品を提示する勝負の場で披露されたそれとは違って、魅せるための演出よりも、純粋にその場を楽しんでいるかのようで。

 

 集中力のリソースを割く度合いを、ライブの時を100とすると、ファンミの時の彼女は、30…いえ、20くらい50~40ぐらいで、残りは客席に割いていたように思われる。

 

 終始笑顔なのは、この曲の雰囲気的にはそうではあるけれど、客席のひとりひとりにしっかり視線を送っていたのは確かで、なんやかんや、ライブの時よりしっくりきた楽曲だと思う。

 

ブルーアワー

 Us内で、どの曲を歌ってほしいか投票した結果、1位になった楽曲だそうだ。

 筆頭がME、対抗で君がくれた光、I will、花筵で、この楽曲はワンチャン程度だろうなと思っていた筆者は、イントロが流れた瞬間通路側の椅子から転げ落ちた。

 

 おそらく、この曲に割いていた歌唱リソースはライブと同じぐらい。

 

 

 

 この楽曲は、本来私たちがその場所にいない世界を想定されて作られた楽曲で、だからこそ、ジャケットのように青の世界にひとり立つ逢田梨香子のイメージがあった。

 Lotusのように、彼女の世界観を作品として一方的に披露されている。そんな楽曲として受け取っていた。

 

 でも、だからこそあの空間は私にとっては異常な空間だった。確かに、ライブではLotusの時には「雰囲気に合う」という理由で紫か青のライトを振っていたけれど、流石にそれはブルーアワーで青を振る事とは意味が違いすぎるだろう。

 

 

 青のペンライトを振る私たちの中で逢田梨香子がブルーアワーを歌うという空間は、「逢田梨香子の描くブルーアワー=私たち」が成立している場所だった。

 確かに彼女にとっては、心もとない夜でも、彼女を照らし生かすのは私たちかもしれないし、ファンミーティングってそういうイベントだけれども。

 

 青のペンライトを振るという行為によって、私たちは謙遜しようが拒否しようが、否が応でも自分自身が彼女の世界観を構成する一員で、そして彼女が生きるのに必要な「青」である事を認めなければならなくなってしまった。

 

 現地やLVではブレードを振ったり声を出したりするけれど、配信だと何かを食べながら、ゲームしながら、通話しながら視聴していて、普段のようなレスポンスをしない人は一定数いて、筆者自身も去年の配信のブルーアワーは何もせず大人しく座って見ていたこともあり、私たちが「青」だなんて想像もしていなかった。

 私にとって、画面内に映る逢田梨香子が青い舞台でひとり歌っているのがブルーアワーであり、だからこそファンミーティングのあの景色は本当に想像もしていなくて、ブレードの色を変える時、かなり困惑したのを覚えている。

 

 いや、マジか…。

 

ステラノヒカリ

 

  わーいぼくりきゃことおどるのだいすきー!

 

 

 ライブでも行われた振り付けレクチャーが、一瞬で終わった(みんなが秒で覚えたので) あと、曲がスタート。

 

 この曲も歌に割くリソースは40~50ぐらい。ライブの時以上に、客席のひとりひとりと目を合わせようとしていた。

 

 この曲に関して、筆者は何も考えずにお顔と足先を見ながら踊っていたので、「たのしー!ぶひー!」しか記憶していないが、それも、そういう趣旨のイベントであると判断したうえでの思考放棄である。

 

 

あとがき

 さて、分量の差で察してほしい。

 

 筆者自身、例えるなら「アーティスト=人間」というより、「アーティスト=作品を作る機械」側の人間ではあるので、彼女の作品や、それを作り上げる基となる部分以外に関しては、それを誰かに伝えたいとはあまり思わなくて。

 というか、書いてて楽しくないし、出来上がった文章も読み物として面白くない*2ものだったから、一度前半の件は全消去している。

 

 でも、彼女のパーソナルな部分に関わるところ、彼女の作品がどう表現されたかについては、しっかり持って帰ったつもりである。 

 

 

 

 誤解を恐れずに書くなら、2021年8月8日は、彼女の歴史には残らない。

 それは、「ファンがそこにいただけ」のなんでもない一日だった。なんでもない一日を、私たちと一緒に過ごしただけだった。

 初めてのソロ歌唱だった19年や、ブルーアワーという新曲を引っ提げ、唯一配信ライブと言う舞台に立った20年とは違い、今年は特別なことなんてないただのイベント。

 くだらない企画で笑って、綺麗な声の歌を聴いて、一緒に踊って帰る。たったそれだけの一日。

 

 きっと、あのイベントが初めての人だっていただろうし、何年越しに会えた人だっていたはず。あのイベントが特別な意味を持っていた人だっていただろう。

 それでも、きっとあの日はなんでもない一日。

 ここから何かが始まる人だっているかもしれないし、何かの節目になる人だっているかもしれない。

 でもきっと、あの日は逢田梨香子の歴史の中の、大切な一日ではあっても転機でもなんでもない。

 

 でも、だからこそ、あったかいなあと思う。誕生日という名目で集まって、くだらないことで笑って、楽しかったって言って解散する。そんな誕生日を毎年毎年積み重ねていく。

 誕生日なんだから、「はじめての○○」みたいに緊張してガッチガチになりながら必死に舞台に立つんじゃなくて、舞台の上でわがまま言いながらグダグダやってて、そんな空間に彼女の事が大好きなファンと一緒にいられる。

 Birthday Event、ファンミーティングってそういうものだと思うし、だからこそ、開催されたこと、積み重ねることに意味があるのであって、その内容自体ってライブみたいに必死にインプットして持って帰るようなものでもないんだなと、思っている。

 だからこそ、意味があるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 最後に、それでもこの記事を書いた理由について触れておく。

 イベントに参加できない事、直接声を届けられない事を、すごく気にする人がいる。『私は、「今の彼女」を知らないから』と、自嘲する気持ちは分かる。

 だが、まず少なくとも、私はあなたの言う「今の彼女」の事をインプットするのにだいぶ時間を要したのである。なぜかというと、書くことが全然なかったから。

 書くことがなさ過ぎて、「イベントの記事をあなたのために書くね」との約束がなかったら、書かないという選択肢を取っていたことも容易に想像できる。

 

 それが、あなたが「本当に行きたくて行きたくて死んでも死にきれないようなもの」であることを理解したうえで敢えてこの言葉を選ぶが、私はイベントで「笑って歌聴いて帰ってきただけ」なのである。

 その場にいなかったからと言って、「今の彼女を知らない」と言えるかどうかは、自分としては甚だ疑問である。

 

 

 そんなに気に病むことじゃない、なんてことは言わない。行かなくても大丈夫だったよ、とも思わない。

 

 ただ、一つ言えるのは、あの場所で披露されたブルーアワーは、元々は配信を前提に世界観が作られている楽曲であるという事だ。アルバムに入ってる楽曲だって、世界観は、アルバムを聴くという手段を前提に構成されている。

 

 

 「ありふれた毎日が特別な意味を持つ」のも、「私を生かす」青も、「私が光り続ける」ための輝きをあげられるのも、その場にいるかいないかって本当に関係ないと思うし、確かに光の海によって勇気づけられることはあるけれど。

 それでも、逢田梨香子にとっての青が、ただ視界に映っているだけの世界に限定されるなんて、そんなはずがない。

 

 その場にいないから、行く事ができないからといって、受け取った世界観そのものからは逃げないで欲しい。

 彼女の世界観に触れた時点で、あなたは逢田梨香子の新しい明日の一部になっているのだから。

 「知らない」なんて、そんな訳がないでしょう。彼女の曲を聴いて、彼女のこころの奥底からあふれる何かが垣間見えたのなら、それが、「今の逢田梨香子」そのものだから。

 

 

 

 きっと、来年も、再来年も、ずっとどこかでまたこんなイベントがあるといい。

 表現の場、勝負の場じゃなくて、彼女自身の遊び場として、なんでもない特別な日をずっと積み上げていけばいい。

 そんななんでもない、ありふれた日常の景色の中に、いつかあなたの笑顔が混ざっている事を祈って、日本で待っています。

 

 

 

 

www.uta-net.com

*1:というより、「面白かった」で完結してしまって、それ以上にも以下にもならないため、自分がわざわざアウトプットしたいと思わないし、そのアウトプットする作業に魅力を感じない。

*2:自分が書いても、面白いものの面白さを伝えられないなら、自分が書く意味はないと思っている。