【YouTube限定公開】PURE PHRASE Special MV
この曲聴いて体調崩したの、世界中探しても私だけだろ。
しーんどい。むり。しーんどい。
黒鷺㊙️情報
— あまえんぼう黒鷺にゃんこ (@AqoursJETpoke) 2020年9月21日
PURE PHRASEの梨子ちゃん見て、「あっ、ついに大きくなったラブライブ!メンバーが公式で登場してしまった…(しかも1番好きな子)」って複雑な気持ちになったりした
スクールアイドルという物語のキャラクターだから、存在するのは16歳の彼女のみ(幼児期の描写はあるけど)なんだけど、大人になった姿を見ると、知っている梨子ちゃんから今目の前にいる梨子ちゃんに至るまでに知らない物語があると思うともうしんどい
— あまえんぼう黒鷺にゃんこ (@AqoursJETpoke) 2020年9月21日
書いてて泣けてきた…
— あまえんぼう黒鷺にゃんこ (@AqoursJETpoke) 2020年9月21日
推しに男がいて死にそうになってるオタクと一緒じゃん…
本当、桜内お前そんな表情初めて見たぞ…ってのもあってダメ。
— あまえんぼう黒鷺にゃんこ (@AqoursJETpoke) 2020年9月21日
桜内梨子が美「少女」じゃなくなってしまった
— あまえんぼう黒鷺にゃんこ (@AqoursJETpoke) 2020年9月21日
視聴で、少女以上内さん聞いて「ぶりっこしやがってぶち○すぞ」とか言ってたら、本当に少女以上の桜内梨子が出てきて泣かされてる
— あまえんぼう黒鷺にゃんこ (@AqoursJETpoke) 2020年9月21日
PURE PHRASE聴いてると、自分の中の桜内梨子がキャラクターから生身の人間になっていくので、存在しない人間に対してそのリアルさに依存していくような、愛の形が歪んでいくのを感じて死ぬほど苦しいのに、この曲を聴いてないと落ち着かない
— あまえんぼう黒鷺にゃんこ (@AqoursJETpoke) 2020年9月22日
キャストがPURE PHRASEを披露するとき、フィクションの再構成ではなく本物の桜内梨子(28)が存在する事を否が応でも分らされてしまうので、もし推しが結婚したとき素直に祝えるか分かんなくなってきた…
— あまえんぼう黒鷺にゃんこ (@AqoursJETpoke) 2020年9月22日
薬とか酒って身体壊すって分かってても依存しちゃうって言うけど、飲んでる時は幸せならいいじゃん。
— あまえんぼう黒鷺にゃんこ (@AqoursJETpoke) 2020年9月22日
PURE PHRASEは聴いてるとすごく辛いのに聴かなくても落ち着かないもん
はぁ…。
私、桜内梨子に対して恋愛感情に似た憧憬を抱いていて。
暗闇に迷う人の光になるんじゃなくて、暗闇なら聴覚に頼れば大丈夫だって、世界の見え方を変えてくれる桜内梨子が好き。
例え光を見失っても、あなたには奇跡が光る音が聞こえてるでしょって、そうやって誰かのチカラを証明できる桜内梨子が好き。
誰かから貰った勇気を大きな力をに変えて、勇気をくれた人が挫けそうなときも、他の誰かが頑張りたいときも、その勇気を引き出してあげられるような、そんな桜内梨子が大好き。
あの人みたいになりたいと思ったし、あの人みたいに誰かの人生に輝かせてあげられるような生き方をしたいと思ったから今の進路に決めたし、今の自分の中で彼女の占める割合ってとてつもなく大きなものだったりする。
スクールアイドルという物語、1年間の奇跡を構成するための存在。それは1人の人間の人生から1年を切り出したんじゃなくて、幕が下がればこの世界からはいなくなるフィクションの存在。
私たちは「桜内梨子の1年をみていた」のではなく、舞台や画面の中で描かれ、そして私たちが追ってきた1年が桜内梨子のすべてだったはず。
そして、そうして描かれた「存在しないもの」であるフィクションの存在を現実に再構成してしまう、それがラブライブ!というコンテンツが化け物である所以でもある。
私たちは、それによってμ’sという刹那的神話も、Aqoursという勇気ある者の伝説も、虹ヶ咲というロールプレイも、それがフィクションであるにも関わらずあたかもリアルに存在するものとして体験することができた。
でも、『PURE PHRASE』で描かれたのは、どこか大人な雰囲気な桜内梨子。
すこしアンニュイな表情に、よく知る姿より少し伸びた背丈。周りに仲間たちはいなくて、そしてまるでそれが遠い過去の追憶であるかのように描かれる海の音。
ねえ君いつの間に眼鏡なんてするようになったの?そんな社会人5年目みたいな服着てさ。
浦ノ星の制服を着て1人桜の花を見上げる桜内梨子。あぁ…この表情はあの1年の物語には存在しない概念だ…。だって、この表情は満足でも慈愛でもなく、追憶の笑みだもん…。
ああ…、最後の鳥たちと一緒にいるときの表情…。私この顔知らない…。でもこれは高校生の顔ではない…。
なんか、サンシャイン!の物語を終えて、虹を越えて、「その後」の桜内梨子が描かれてるんだけど…。
もっと言えば、これを描くことで、幕が閉じて物語という舞台から解放されても、桜内梨子という存在がどこかで「生きている」って事になるんだけど…。
桜内梨子、フィクションだったはずなのに…。存在するじゃん…。
しーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっっっどい。
だって、この梨子ちゃん、私の知らないものを前提に描かれてるんでしょ?
それはそう。だって、この物語は1年の物語。今回はただそれをもっと先から観測したというお話だから、知ってるものだけで構成されてたら意味がないからね。
でも、私が知らないところで桜内梨子が「存在していた」ということ自体がもう苦しい。
だって、フィクションとして描かれた桜内梨子は私の中にキャラクターとして存在していても、「桜内梨子の人生の1年間を切り取ったもの」なんだよ…。
僕の知らないところで、彼女は少しずつ変わっていって、あの輝きの物語は桜内梨子にとっては振り返って慈しむ過去の存在なんだよ…。
そして、そうやって幕が下りても生きてるって事は、『PURE PHRASE』のその先の桜内梨子も存在するんだ…。
もしかしたら、私たちの知らないところで彼女は傷ついて涙しているのかもしれないし、愛する人と結ばれているかもしれない。新しい命を宿しているかもしれない。
年月が経てばその美しい容姿も加齢とともに衰えていくだろうし、そしていつかやってくる死も避けられないでしょう。
だって、桜内梨子は生きてるんだもん。存在するんだもん。幕が下りたら役目を終えて消滅するキャラクターじゃなくて、この世界に存在する人間だもん。
む、無理~!!!!たすけて。
聞けば聞くほど苦しくなるって分かってるのに、私はどうしようもないぐらいに桜内梨子が好きだから、苦しくて苦しくて仕方ないのに、それでも彼女の歌を求めて、何度も何度も動画を再生して、動画が見れない時は何度も何度もこの曲を聴いて。
ああ…好き…桜内梨子さんだ…っていいながら胸が締め付けられて涙を流してる。
え?ライブでキャストが「演じる」ことでこの物語が「演じられる」フィクションになるから楽になれるって???
バーーーカ!!!逢田梨香子さんが何年桜内梨子やってると思ってるんですか。
彼女の演技も、声も、仕草も、そこに桜内梨子を顕現させるものとして説得力を持つもので、ライブ中はそこに桜内梨子が「いる」から。
「演じる」という行為でありながら、起きていることとしてはそこにいるのは逢田梨香子であると同時に桜内梨子だから。舞台の上では桜内梨子の「演者」ではなく、「桜内梨子」だから。
ラブライブ!はそういうコンテンツだから、逢田さん(28)が『PURE PHRASE』を演じることで、大人になった桜内梨子(28)という人間が本当に存在してしまうのを、分からされるという事は明白。
むしろ、桜内梨子に抱いている大きすぎる感情を、逢田梨香子さんにぶつけてしまう…。
ライブで『PURE PHRASE』を見てしまったら、もし逢田さんが結婚したら素直に祝える気がしない…。自暴自棄になりかねない…。自分の軸が壊れる…。
たすけてください。私は今存在するけど決して手の届かない人間への愛に潰れそうです。