2020年、
世界は混沌に疲れ切っていた…!
しかし、
その混迷の暗闇を打ち払い、
迷える人々の希望となるべく、
燦燦と輝く瞬きがあった!!
(中略)
しかし、足りない…っ!!!
圧倒的に足りないっ…!!!
強大な闇の前になすすべもなく敗れ去る少女たち
それでも!
彼女たちは諦めない!
一握りの希望を胸に
一万回倒れても一万一回立ち上がるのだ!
十の輝きでさえ失われた世界に
今、繋がる!!!!
まだ誰も見たことのない愛の炎を
見逃すなんて…ありえない!!!
第21話
爆誕!!!
アナログハート!!!
はい。
時は令和。いろいろなものが変わっていきました。
失われたものもたくさんありました。
失ったものを、失ったままにしないために。例えば、「延期」を、その分だけ力を溜める期間だと言い換える人もいますし、変わってしまった世界だからこそ見せられるものを探すのだという人もいる。
それを否定するわけでもないし、むしろそうやって新しい環境に合わせていかないと私たちは生きていけないから。それらはとても尊いものだと思います。
でもね、それって結局「妥協」なんです。そんなことを言っても仕方ないじゃない?仕方ないですし、正しい判断です。
でも、それはそれとしてそれが妥協であることから目を背ける意味もないんですよね。だって、ライブやるなら配信より現地に行ったほうがいいに決まってるじゃないですか。
もしコロナウイルスが存在しない世界でも、あなたは配信のほうがよかったって言えますか?言えるはずがないでしょう?
でも、だからこそ。
偶然か運命か、こんな滅茶苦茶な世界になって、虹ヶ咲のライブも配信になって、本当はそれが完璧じゃないからこそ、妥協という形であるオンラインライブを、妥協ではなく本当の意味で「ラブライブ!」のライブにしてくれるこの子のことを知ってもらいたい。
天王寺璃奈は、このクソみたいな世界のなかで、ライブがオンラインになってしまったことを、「妥協」ではなく「強み」にできる、今最もこのコンテンツで必要とされているキャラクターです。
天王寺璃奈の物語は、まず彼女が気持ちを伝えるのが苦手であるところから始まりました。
本当はたくさんの人たちと繋がって、いろんな人と仲良くなりたいのに。
本心を顔に出すのが苦手だから、ボードで表情を作ってそれで感情を伝えよう、って。
決してネガティブではなく、むしろ自分の弱みを積極的にカバーしようとしていく彼女の物語は、「弱さを乗り越える」という形と同時に、今の璃奈ちゃんも素敵なのだという形で承認され、そして『テレテレパシー』へ辿り着きます。
だって、「ボードで感情を伝えようとする」。それだって璃奈の素敵なところで、たとえ自分の表情で舞台に立ったとしても、それは同時に相棒であり魅力であるボードを捨てていい理由にはならないでしょう?
そうやって紡がれてきた天王寺璃奈の物語は、2ndでは新たな方向へ向かいます。
ファンクラブができ、活動も軌道に乗ってきた璃奈。でも、
(部長と振り返る事で視聴者に明かされる形で描かれたシーンですが、視覚的理解のためプレイヤーネームを「オタクくん」にすることで発言者を本来の発信者に戻しています。)
それは、今まで璃奈と繋がってきた人々にとっては居心地の悪いものであるという課題を突き付けることとなりました。
本当は、無視してもいい問題ではありました。
自分の夢のため、結果として素晴らしいものを手に入れるため、たった1人のための場所を作るよりも、その他大勢のための場所を作ったほうがいい事なんて、よくある話です。
本人も言っているように、いろんな人がいるからこそ、全員に喜んでもらう事ってとても難しい事です。
でも、璃奈って、繋がりを大事にしているからこそ、この問題から逃げないんです。
心と心が繋がり合って、想いを伝えあう事の喜びを知っているから。
想いを伝えることがとても難しい事だと知っているから。
だから、彼女は全ての人に手を差し伸べようとする、そんな道を選びました。
でも、この課題に対しては、璃奈ちゃんボードを作っていたほどの彼女の技術が彼女を助けてくれました。
盛り上がる会場の空気に呑まれ遠慮してしまう人たちのために、璃奈がとった行動は、自分のライブをオンラインで行い、気が引けてしまうような「会場」なんてなくても繋がれる、そんなライブを行う事でした。
部長との通話をきっかけに閃いた、1:1だけどみんなと繋がれる、お互いに顔が見えるアプリを経由してのライブ。
本当に、「道具」の使い方が上手い子だと思います。
ボード然り、オンライン然り、この子はいつも何か道具を経由して心を伝えようとしてきます。
でも、それでもただの色物で終わらせずに。
道具を何のための道具なのかちゃんと分かっているから。ボードはあっても、心に壁を作らないから。
だから、オンラインでも、伝えるものは『アナログハート』なんですよね。
さて、そんな天王寺璃奈の『アナログハート』な物語は、本当に運命的ですが、偶然にもこの令和の御代に存在する事に強烈な意味合いを持ってきます。
(アレなんですかね。璃奈の物語を魅せるために必要だったからアベが人工ウイルスでパンデミック起こしたんですかね)
1.オンラインライブをすることに、物語的意味がある
お察しの通りではあります。
実際、この子の『アナログハート』は現地で聞くよりオンラインで披露されるほうが、文脈としては正しいんです。
璃奈に関しては、オンラインであることが「妥協」ではなく「最大出力」なんですよね。
偶然ではありますが、パンデミックの影響で会場という「アウェー」から、オンラインという「ホーム」でライブできるという、こじつけでも無理矢理でもなく、本当の意味でポジティブなラブライブ!的意味づけができる。
それが、彼女が今強烈に必要とされる理由の一つ目です。
ここから二つは、主に理由が私たちの側にある話になります。
2.「温度差問題」解決の手掛かりになる
温度差問題は、キズナエピソードでは「盛り上がっていく璃奈のまわり」に対して、「静かに歌を聞きたいファン」の居場所がないという形で描かれました。
でも、そんな温度差って、いろんなところでありますよね。
特に、10周年も迎えて、4世代も続いてるコンテンツならなおさらです。
実際ライブビューイング会場には、曲が始まっても黙って座っているだけの人だっていました。どんな鑑賞の仕方をするかなんて人それぞれ違うでしょう。でも、明らかに特定のグループ以外は興味なさそうにしている人だっていました。
ダイスキなメロディの繋がりだよね - 風見鶏の慧眼
特に虹ヶ咲って全力で追ってる人とそうでない人の温度差が激しいコンテンツです。
メインであるスクスタがRPGだから、ロールプレイ適性が無い人からすると相当しんどいと思います。
(あえて適性って言葉を使ったんですけど、この言葉にネガティブな意味合いを感じる人は特にロールプレイ苦手だと思います。)
『No.10』の時そうだったように、このコンテンツから『あなた』をロールすることを求められても、1人のキャラクターとしてしか『あなた』を見れない人だっています。
「ライブまで行くのはちょっと…」
こんな人、少なくないはずですよね。
でもね、璃奈ちゃんのキズナエピソードを通して「温度差」が描かれたという事は、ラブライブ!を作る側もそんなことは承知の上だってことの裏返しでもあるんです。
「見えてるからね~」概念ですよね。
アクティブな人だけでなく、いまいち踏み込めずにいる人たちに対して「分かっている」という意思表示。
彼女の物語を通してそれが描写されたことで、オンラインになってしまった事に対して、入り口を大きくする目的もあるんだよっていうメッセージを付与することに、何の違和感もなくなったはずです。
実際、栞子が同好会に加入する前から、ネコを通じて璃奈と栞子の繋がりが描かれていましたし、最前線にいない人、これから訪れる人と繋がる架け橋を彼女が担っているんだって読み取れなくもないんですよね。
3.「伝え方」に対する意識が変わる
璃奈の物語の中で、描かれていた感情たち。
振り返ってみると、「楽しい」「うれしい」と言った、改めて細かく描く必要があるほど特殊なものではなく、私たちの良く知っているものばかりでした。
別に、特別なことを伝えたいんじゃないんですよね。
むしろ、伝える「手段」の方にフォーカスされていると言えます。
さて、伝える手段、もっと広く言えば伝え方といえば。
例えば、ライブの中止が決まった時。
例えば、みかんのポスターが話題になった時。
例えば、政治や経済の話の時。
コロナの時代には、とても酷い言葉たちをたくさん見るように思います。
その言葉を受け取った人のことを考えていないような。
誰かを扱き下ろし揶揄するような。
本当は尊重される意見のはずなのに、いつの間にか暴走して何も生み出さない凶器になってしまったような、そんな言葉たち。
とても悲しい事だと思いますし、そうやって暴走してしまう感情だから、それを出さないように、殺すように、そうなってしまう人も多いと思うんですよね。
実際、璃奈ちゃんが感情を表にだすのが苦手なのも、感情を見せないように、ちょっとはやく大人になろうとしたから、そんな背景があったりします。
でも、そんな今だからこそ、感情の出し方、伝え方で心と心を繋げようとする物語が必要なんだと思います。
ボード使ったっていいじゃない。
オンラインでもいいじゃない。
もし璃奈ちゃんの物語がもっともっといろんな人に知られて、そして璃奈ちゃんみたいに想いを「繋げる」ことを大事にしようって思う人が1人でも増えたなら、今のこの荒んでしまった世界も、少しはまた変わってくれるんじゃないかなって思います。
さて、ここまで天王寺璃奈ちゃんが今この世界に存在する意味を語ってきました。
私自身、作品として提示されたもの以外の物に何かを見出したり、受け取り手側の事情や想いを語るのは苦手な部類であるので、これ以上あまり多くは語りません。
描写からの読み解きや、理論付けられた解説ではないので、あまりボロを出したくはないですし、やっぱりこの手の文章は「エモく書こうと」してしまうんですよね。
でも、今は事情が違います。
共有しなければならないと思いました。繋げないといけないと思いました。
やっぱり、見ないようにしていても、「現地じゃないライブなんてクソだ」とか言われると悔しいんですよ。
何も言い返せないのも嫌ですし、その言葉が正しいお気持ちみたいに思われるのも嫌なんですよ。
ラブライブ!馬鹿にすんなよ、お前が思ってるよりこのコンテンツすごいんだぞ、ラブライブ!には天王寺璃奈がいるんだぞ、って。
だから今回筆を執りました。
うーん、ここはあんまり書きたくなかったなぁ…
でも、同じことを思っている誰かに届いてほしいし、それで救われてくれるならうれしいので、残しておくことにします。
みんな、
アナログハートをすこれよ!!!!