#てつがくのドンカラス

それでは皆さん元気よく!不意打ち追い討ち?桜内!得意な技は?タイプ不一致!

強さを求めたら

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 とあるフォロワーさんのキャスを聴きながら文字書いてみようと思う。何故か私の好きな物や人たちは音楽に縁が深いようで、桜内梨子さんも西木野真姫さんもピアノをやっているし、ミラダンテもモチーフは一応ピアノだったりする。キャスをしている方のピアノの音色はとても心地の良いものだが、こういう時に賛辞や尊敬の裏に嫉妬や羨望が潜んでるのは本当に何なんだろう。

 私は所謂コンプレックスってものが多くて、自分より優れた人に対してそうした感情を抱く事が度々あって。それがモチベーションとなる事もあるけど。

 

 私は『想いよひとつになれ』に未だに苦手意識があって、それにいつかは向き合いたいとは思うけど、その機会を伺うばかりで手が出せずにいる。普段は感覚なんかよりデータや知識の方ばかり見てはいるが、だからこそそれらで測れない物は感じ取るしかないと思うし、正解へ到達する手段としてのそれは否定しない。だけど、あの場のあの場面、あの場の空気、あの場にいた人たちが感じ取ったものを私は一生感じることができない事は事実で。

 あと、早稲田に受験に行く時に何を思ってかこの曲流してたのもあって、いつのまにかこの曲は自分のコンプレックスを突っつき回す負の意味合いを持つようになっていて。

 

 でも、そうやって勝手に変な意味を付与していつまでも悶々としてるわけにもいかないし、何とかしたいと思って。自分の昔のFFにμ'sのfinalに行けなくてずっと抜け殻みたいな生き方をしてる奴がいて、そういう奴にはなりたくなかった。なんか高い装置を集めてライブに限りなく近い音声とか作ってて、内田彩さんのライブにUOを2boxぐらい持ち込んで、かといってfinalに行けなかった事実そのものとは向き合おうとしない。あいつとは縁を切ったけど、自分もそのコースに行ってたらダサいと思うし、仮にその場にいる事が出来なかったとしても、いなかったならいなかったなりに向き合い方なんて幾らでもある。

 そういう流れもあって、真姫や梨子や逢田さんを語るのに外せないピアノを練習しようと思って。死ぬ気で練習して彼女たちと同じ境地に立てたなら、もしかしたらあの人たちに見えてる世界が見えたりするのかなって。そうやって1週間ぐらいピアノを触ってたんだけど。想いよひとつになれの頭10秒ぐらいはそれで弾けたんだけど、問題がいっぱい。

 これって、機械的に手の動かし方を覚えてるだけで、楽譜の読み方だとか音符と音の対応とかそういうの全く理解してないんだよね。まあ別にそれは例えば教室行くなりどうにでもなるし、単に勉強の仕方の問題なんだけど。

 それ以上にヤバいのが、やってる中で思い出した、というか気づいたんだけど、自分って本当に音楽に興味がないんだなって。

 所謂『曲がいい』ってのが分からない。音楽をやっている人が言うならともかく、そうでない人たちが音楽から何を感じているのかが分からない。例えば曲に内包する意味だとか、背景とか、技法とか、歌詞に使われる言葉だとか、結局自分が見てるのはそこで、そういう付加要素抜きに『曲がいい』って感覚が分からない。良し悪しの定義が分からないし、もしそれがあったとしても、それが何をもって客観性を担保しているのか想像もつかない。

 思い返せば、自分は黒板を引っ掻く音に対して平気な顔をしているし、高い低いの区別ができなくてちょくちょく突っ込まれたりしていて。音を音としか認識していなくて、だから音楽そのものに対しては何の感情もないんだって気づいてしまった。

 

桜内梨子さんや西木野真姫さん、逢田梨香子さんたちの見ている景色は見たい。でも音楽はその手段以上のものじゃなくて。まあだからといって真剣な人に対して失礼だとかそういう事を無視できるぐらいの図々しさはあるんだけど、でも、興味が無いものを無理して勉強しても伸びないよねって。8歳からずっと英語習ってるんだけど、全く興味がないし魅力も感じないから全然できないの知ってる。それでも院試あるから吐きながら英語はやるけど。

 

 こうやって、勝手に抱えてたコンプレックスは何故か巨大化してしまったわけで、Aqoursの1stを見ていないってコンプレックスを乗り越えるつもりが、気がついたら自分には音楽の良さが分からんし美的感覚すら持ち合わせていないっていうどうしようもないものが現れやがって。

 なんか、ダサいし悔しいし、結局こうやって諦めてる自分が嫌になるんだけど。だからなんか音楽やってる人とかそれに関する知識がある人に対して勝手に嫉妬したりして。

 

 話は変わって、4月。長年続けてきたデュエルマスターズのグランプリに両日参加した私は、1日目は3連敗、2日目は2敗してボロボロのメンタルで5連勝し、予選は抜けれなかったけどどんなもんか実力が分かってまあ手応えはあったかなとか思ってて。デッキは両日共に1ヶ月以上前から試行錯誤したものを使ってて、一応考えてた通りの動きは出来てたと思う。

 そして、その日。決勝戦を生放送でやってたんだけど、衝撃だった。

 

 ステージの上のミスはステージで取り返すしかない、果南さんはそう言ってたし、私はその場を見ていなくてずっと悩んでたんだけど。

デュエル・マスターズ

デュエル・マスターズ グランプリ8th:『2ブロック構築』決勝ラウンド - YouTube

 

 それは間違いなく、デュエルマスターズを極めた者だけが辿り着けるステージで、一手一手が物凄くハイレベルで。己の全てを賭けたデッキと、持てる能力全てをフル回転し編み出されるプレイに魅力されない者はいなかっただろう。

 だが、ステージには魔物がいた。あと少しで、いや、もう勝ちは決まっていたはずだった。負けるはずのない盤面だった。でも、文字通り“ゲームに負けない”カードは、場にいなかったんだ。

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 支払えるマナはあった。手札にもそのカードは見えていた。そう、使い忘れただけだったんだ。だが、それは致命傷だった。だって、バラギアラって、自分が山札切れで敗北するのを"敗北する代わりにマナを山札に戻す”能力で無限のエネルギーに変えるデッキだから。

 そして、一回戦二回戦とは打って変わって、瞬く間に終了した三回戦。勝てるはずだったゲーム。掴むはずだった栄光。現実は小説より奇なりとはよく言うものだ。

 

 実際私はAqours1stを見ていないが、でも、一人の人間が、色んなものをずっと積み上げて、積み上げて、全てを賭けて臨んだ場でそれらが無慈悲にも崩壊していく瞬間ってのは、別にあの場だけじゃなくて。考えてみたら、世の中には本気で戦ってるかっこいい人たちがたくさんいて、そして中にはそれが一瞬にして崩れていくステージだって少なくはないだろう。

 あの二つの場を両方見てる方や、当事者の方々には本気で怒られるとは思うけど、たぶんあの時自分が逢田さんを見ていたとしたらこんな感覚なんだろうなってのがちょっと分かった気もした。

 

 話はまた飛んで、というか戻って。私が音楽に興味がないって話と、カードゲームが好きって話。月ちゃんみたいな話をする。

 カードゲームって、本来紙が動くだけなんだけど、でも自分と対戦相手、そしてカードゲームを愛する人たちにとって、戦場には確かに『暴走龍 5000GT』がいるっていうこの不思議な空間。そして、その『暴走龍 5000GT』も、ただ能力が書いてあるだけじゃなくて、周りのカードとの組み合わせによって、テキストには『このカードは切り札である』なんて書いてなくても、切り札として意味や役割が産まれてくる。そういうところが大好きだし、そういう意味や役割を産み出したり伸ばしたり出来る強いプレイヤーになりたいって思う。

 使ったカードは好きになるってよく言うけど、やっぱり、好きなカードってそういう役割とか、そいつにできる仕事とか、そういうところ、ある意味背景で好きになってるんだなって。ただ、美術は音楽よりは分かるんだよね。かっこいいカードはそれだけで好きだよ。

 劇場版見たり、想いよひとつになれの事で悩んだりして色々あって、ずっとなんで自分はこれが好きなんだろって考えてたんだけど、たぶん、こういう事なんだろうな。背景というか、自分が見る対象がどうしてその場に存在していてるのか、その理由に強烈に魅きつけられるんだと思う。音楽に興味ないとか分からんとか言ってても好きな曲はある。例えば『未来の僕らは知ってるよ』のあの覚悟を決めて敵を討ち滅ぼさんと睨みつけるあの感じ。強い言葉の数々に、それによって彩られるストーリー。たぶん、それだけで人は何かを好きになれるんだと思う。

 

 それ自体は分からなくても、その裏側に何があるかで人はそれを好きになれる。『WATER BLUE NEW WORLD』のオフボーカルが好きなんだけど、完全に雰囲気で。今まで生きてきた中で感じた、所謂こんな感じってやつ。大きな渦がうねりを巻いて、静かに自分の周りに集まってくる。

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もうちょっと、大人しくて、パワーに割り振ってる気はするけど。イメージは伝わるかな。音楽は分からなくても、イメージは伝わるし、たぶんそれは意図されたものだから。

 なんというか、BGMっていいよね。今更になって、OSTに物凄い熱量を見せていた人たちが見ていたものがちょっと分かった気がする。そっか、って感じ。音楽って、彩る側とか背景に回れるんだなって。確かに、自分には音楽単品を味わうだけの能力は無いかもしれないけど、でも、音楽に彩られる何かは好きになれるし。というか、私は音楽に彩られる側じゃないかな。

 

 カードにはかっこいい切り札だけじゃなくて、切り札を支えるカードもあって。私の一番得意とする水のカードには、そういうカードがとても多くて。水のカードがゲームを作ってるから、切り札が輝けるわけで。別に、好きなカードって切り札じゃないといけない理由はないの。

 カードゲームをやる事はカードに意味を与える事って書いたけど、そうやって戦ってる時って、何かに彩られてもいいよねって。実際、ゲームとかしてると戦闘BGMってあるよね。なんというか、音楽への向き合い方ってそれでいいんじゃないかなって。ピアノを弾くとか、そういうのじゃなくて、ピアノをバックに何かをする、みたいな。

 そうやって何かに彩られるからには、彩られるだけの価値がないといけない。私はカードゲームが大好きだから、元からその気なんだけど、『WATER BLUE NEW WORLD』みたいなかっこいい曲が似合うように、色んな人とデュエルして、色んなものを吸収して、強くなって、大事な舞台でかっこいい戦いができるようになりたい。

 それで。もしそうやって強くなれて、そして栄光を賭けたステージに立つことが出来たなら、あの人逢田さんたちが見えてた景色が見える気がする。どんな想いであそこに立ってたんだろう。どんな想いで立ち直ったんだろう。どんな想いで会場を後にしたんだろう。今はまだそんなに強くはないけど、でもこれからちょっとずつ強くなっていけばいい。偶然か、今年はちょうど水文明の年だし、スクコレの梨子も強いし、波が来てる感じはする。

 

 音楽が分からない、興味ないって、本当に自分はラブライブ!の人なのかって感じで認めたくなかったけど、でも向き合えてよかったなって後から思えるようにしたい。この道でよかったって証明したい。だから、こんな自分の弱さも受け入れてみようかなって思ってます。