#てつがくのドンカラス

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ラブライブ!サンシャイン!!における「じもあい」とは如何にして実現したのか?

 ※このブログは『僕らの海でまた会おう』が聴けるようになる前に書いています。楽曲の内容によっては記事の内容が爆散する可能性があります。

 

 

 

 いつのまにか、こんな遠いところまで来た。

 そう思った事すら一昔前の出来事に感じてしまうほどに、長い時間を過ごしてきたと思います。

 

 物語の中で、沼津はAqoursの地元として描かれました。それは現実世界にも影響を与え、今では沼津に行けばAqoursの姿を見ないことはありません。

 

 

 本格的に沼津の中でラブライブ!サンシャイン!!が根付いてきたころにリリースされた『地元愛♡満タン☆サマーライフ』を代表としたような、「地元愛」(じもあい)というテーマも、作中で重要な要素となっていくようになりました。

 5周年では『Aqours 5th Anniversary 地元愛!Take Me Higher Project』と題し、ドームツアーやつま恋を始めとした大きな展開が用意されていましたね。いたはずだったんだけどな……。

 

 

 

 さて、作品のテーマは何かしらのメッセージ性を持って、受け取り手である私たちに語り掛ける力を持っています。

 作品から元気を貰ったり、生きていくうえでの目標設定に関わったりと、その影響は目に見える形で様々な場所で見てとることができます。

 

 ラブライブ!シリーズは、特にそうした影響力が顕著にみられ、さらに言えば、そうした影響によって起こる現実と創作の重なりが楽しめるようにできている作品でもあります。

 また、現実の展開を反映したようなテーマ設定がされることも決して珍しくはなく、無印劇場版の人気爆発シーンや、Liella!の一般公募など、現実の出来事を作品の要素として引っ張ってくることで、より一層深みを増している部分もあります。

 

 今回は、そうしたテーマの中でも、サンシャイン!!の掲げる「じもあい」を改めて振り返ってみましょう。

 

 

 

 

 

「じもあい」の定義とは?

 さて、『地元愛♡満タン☆サマーライフ』で世に放たれた「地元愛」(じもあい)という言葉は、作詞者の畑亜貴さんの造語であり、その意味するところもある程度解説がされています。

 

 

 23年に発売された『るるぶラブライブ!サンシャイン!!』内でのインタビューでは

 

「じもとあい」って言うと重いけど、「じもあい」ならちょっとお邪魔します感を出しつつ、心の地元って呼べそうな気がします。

Aqoursの曲にあえて具体的な地名を出さないのも、この気持ちに通じるところがあります。

「じもあい」という大きなくくりで表現すれば、あとはみんなの心にそれぞれの「スキ」が浮かんでくると思います。

 

と、コメントされています。

 

 特に注目すべき点は、この言葉が「心の」地元であるという点です。

 Aqoursのメンバーの中には、沼津出身ではない梨子が含まれているように、実際に居住経験のある故郷であるかどうかではなく、自分がそこに帰属意識を持っていることが重要であることが読み取れますね。

 これ昨年もテーマとして取り上げたような記憶があります。

 

 『JIMO-AI Dash!』の歌詞だと、

 

みんな帰る場所をココロに持とう
それは自分で決めちゃいな
帰る場所をココロに持とう だいじな場所

 

となっており、ここからも、「じもあい」が心の中で持っている帰属意識のことだと読み取れます。

 

この世界での「じもあい」

 今や聖地産業の代表ともいえる程に、サンシャイン!!と沼津の関係性は深いものとなっていますが、それによって現実に起こった変化として、ファンの中に沼津への帰属意識を産み出すことに成功したことが挙げられます。

 

 サンシャイン!!の影響で沼津への移住を決めたファンも多く、そうでなくても、足しげく沼津へ通うファンや、聖地目的で沼津へ行き、そのまま地域の虜となったファンも現れるようになりました。

 作中のAqours、特に転校生である梨子と同じように、外部の人間でありがなら沼津が心の地元になるということが現実でも起こるようになり、作品とコンテンツの力、「じもあい」というテーマがくっきりした影響力を持ち始めました。

 

 

 

 「ああ、これが「じもあい」ね。知ってるよ」って人はすごく多いと思います。

 サンシャイン!!の作品展開として何度も登場しており、目に見えて分かりやすいポイントでもあるので、ここまで流し読みした人も結構いると思います。

 

 

 しかし、今回の本題はここからです。

 畑さんが「具体的な地名を出さない」と言及していたことで確信に変わったのですが、単に「私たちの中で沼津が大切な場所になった」というだけでは、今ラブライブ!サンシャイン!!が実現している「じもあい」は成立しません。

 

 サンシャイン!!のテーマである「じもあい」が、今私たちにどのような影響を与え、どのようにしてこの世界で「じもあい」を実現しているのか。

 鍵になるのは、「沼津を地元だと思える」だけの説得力だけではなく、2019年の劇場版以降に本格的に私たちの前に現れた、また別の要素たち。

 

 「夢」と「後輩」です。

 

 

 

 

 2019年6月。約3年でアニメ1期から劇場版、リアルイベントだと5thライブまでを一気に駆け抜けたサンシャイン!!でしたが、図らずもそこがひとつの区切りとなってしまいました。

 

 5thライブでお知らせが無く、キャストが次々にソロアーティストデビューしていくことで、サンシャイン!!のファンは休憩タイムに入るか、キャストの個人活動の応援をするようになりました。

 2020年には5大ドームツアーが発表されたことからも、劇場版を区切りに一度修業期間に入り、ソロ活動等でパワーアップしてからシャボンティ諸島で再結集するながれだったと予想できますが、コロナウイルスの影響もあって、その予定は頓挫しました。

 

 この結果何が起きたかというと、端的に言うと、サンシャイン!!の現役ファンが大幅に減りました。

 当時からブログを書いていたメンバーも、このタイミングで多くが他界しており、ここ数年はラブライブ!のツイートがほぼ見られません。

 

 

 しかし、2022年に開催されたドームツアーでは、他界していたはずのファンが一瞬とはいえ多く戻ってきており、他界はしたけどたまに帰ってくる、といった距離感のファンが多いことが見受けられました。

 

 こうした距離感は、サンシャイン!!に動きがあるとかなりいろいろなところで観測されることから、Aqoursそのものが「地元」になっていることが読み取れます。

 ラブライブ!サンシャイン!!という作品そのものが、帰属意識の対象、帰ってくる場所になっているんですね。

 

 

 

 こうしたことが起きる要因として、ラブライブ!サンシャイン!!という作品が持つメッセージ、現実世界に与える影響が挙げられると思います。

 

 シリーズの中でも、サンシャイン!!はスーパースターと並んで特に、焦ったり必死にならなきゃと思わされるような人が多いように思えます。

 それは、苦しみや悲しみを受け入れて前に進む選択をした彼女たちの姿が、困難と向き合わなければ獲得できないものがあると痛感させるだけのメッセージ性を持っていることに起因するのですが、同時にそれは、「趣味をやらない」理由になりやすいです。

 

 実際に作品が示しているテーマがどうかに関わらず、サンシャイン!!が一区切りついたタイミングで、趣味に割いていたリソースをすべて別のがんばりたいことに回してしまう人は非常に多く、それがファンからも美徳とされていたことで、結果としてコンテンツから他界してしまった人は、決して少ないとは言えません。

 

 ここで重要なのは、「他界したから〇〇だ」とかそういう話ではなく、「現役ファンでは無くなった」が「なにかあったら戻ってくる」人が見える形で多数存在するということです。

 なぜかというと、そういう人がいないとそこが「帰って来れる場所」かどうか分からないからです。出ていかなければ帰ってこれないという単純な理屈ではありますが、それでも、永住している人しかいなければ、そこはただその人たちにとっての地元でしかなく、「心の地元」とは呼べません。

 逆に、そういう層がすごく多いからこそ、ラブライブ!サンシャイン!!はその人たちにとって「心の地元」なのだということができます。

 

 

 そしてまた、帰ってくる人がいるだけでは、「地元」は成立しません。

 たくさんの人の心の中でサンシャイン!!が「いつだって地元と呼べる場所」であるためには、その人たちが他界している間もサンシャイン!!が動いていないといけません。

 そして、その動いているサンシャイン!!を住民が追っていなくてはなりません。

 

 趣味をやめて他界しているオタクにとっての「帰ってくる場所」で、趣味を犠牲にしない程度に頑張りながら、一生趣味を楽しんでいるオタクがいなければ、彼らを「おかえり」で迎え入れることはできないんですね。

 

 ここに焦点が当たっていたのが『幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-』だったと思います。

 「自分にしかできない楽しいこと」を「都会でビッグになること」だと決めつけ、ヌマヅを出ていって何かをつかもうとするのではなく、目標を一旦保留にして「好きな場所で、大切な人たちと一緒に、楽しいことをする」という選択を取ったヨハネの姿が、「サンシャイン!!が好きで一生趣味をやめずに追ってるファン」とすごく重なるなって思ったんですよね。

 

 『幻日のヨハネ -NUMAZU in the MIRAGE-』のストーリーでも、ラスボスの大天使ヨハネ及び鏡(盛大なネタバレ)からの「死ぬまで訪れないかもしれない『いつか』を夢見て目の前にある『憧れの自分』を手放すのか!?」という問いに対して、ヨハネはそれを真っ向から否定して見せ、大切な仲間たちと共にこの世界でゆっくりと憧れを目指していくことを誓いました。

 

 いずれにせよ、何かを成し遂げるために今の楽しみを犠牲にしないという点は変わっておらず、幻日のヨハネを語るうえで外せないテーマだと考えられます。

 そして、このテーマにここまで直接触れられるということは「こういうファン層」、つまり、一生趣味でサンシャイン!!追っているファン層も、趣味をやめて何か夢を叶えようとする人と同じぐらい大切だと示されていることになります。

 

 さらに言えば、アニメでヌマヅを救うための鍵が「じもあい」だったのもあって、そういうファンがいるから「じもあい」って成立してるのだなと感じたのも覚えています。

 このあたりはアニメの感想記事で触れてるので、詳しくはそっちの方を。

 

darkphoenix505pianoles.hatenablog.com

 

 ここまでを纏めると、サンシャイン!!は、一生サンシャイン!!を追い続けている「住民」と、他界したり帰って来たりを繰り返している人の両方が存在しており、どちらも作品からその姿が肯定されていることで、コンテンツ自身が「地元」となり、そのファンによる「じもあい」が成立している、ということができます。

 

 しかし、それだけではありません。

 

ラブライブ!での「じもあい」

 2024年。

 異次元フェスを始めとした越境イベントにおいて最強のグループはどこだったかと聞かれれば、多くの人がAqoursと答えるでしょう。

 

 出てきたら空気が変わる。パフォーマンスの次元がAqoursだけおかしい。小林愛香とかいうスクールアイドルの大谷翔平みたいな奴はなに?

 

 その姿はまさにリビングレジェンドで、今なお最前線で活躍する最強集団として後輩たちの精神的支柱であり、切り込み隊長として圧倒的存在感を放っています。

 

 

 時代は進み、初代に触れていないファンも増えてきた中、Aqoursが現実に及ぼした影響は大きく、以前ならμ’sが挙げられていたであろう憧れとしてAqoursが挙げられることも少なくはありません。

 スクスタではAqoursにとってμ’sは憧れであるという点は変わらないままな、矢澤にこが「Aqoursに負けたくない」と焦りだすほどの強者だと認められており、作劇上の立場が対等であることが読み取れます。

 

 

 2019年以前と比較して、確かにAqoursの歩みはゆっくりになりました。

 シリーズの他の作品がイベントをやっている中、サンシャイン!!は特に何もない時期も多く、シリーズの中で「影が薄い」と言われても仕方がないのかもしれません。

 

 それでも、全然影が薄い印象がないのってなんでだろうって考えたときに、挙げられるのが、サンシャイン!!が先輩であることだと思います。

 

 

 劇場版で、3年生がいなくなってその大きさを実感したシーンがあったように、仮に本人がいない場所であったとしても、意識の対象になることでその存在感を露わにすることは、現実でもありうることです。

 後輩たちの活動の中に、Aqoursの影響の大きさを垣間見ることは少なくはなく、例えばスーパースター!!で、澁谷かのん役の伊達さゆりがギターの演奏に挑戦したのは、Aqours逢田梨香子に憧れての事だと明かされています。

 

 こうして、後輩たちの憧れとなったことで、ラブライブ!サンシャイン!!そのものが「地元」であると同時に「地元に帰ってくる」側になったのだと思います。

 

 かつてAqoursμ’sに憧れていたように、今度は虹ヶ咲、スーパースター!!、ミュージカル、蓮ノ空がAqoursに憧れるようになったことで、仮に活動が少なかったとしても、シリーズの中に常にサンシャイン!!を迎える座席が用意されている状態になっているようになりました。

 もちろん、それはAqoursパフォーマーとしての実力や芸歴もありますが、それでも、『LIVE with a smile!』や『M@STERPIECE』で、スクールアイドルの中心に当然のようにAqoursのメンバーが立っていたのは、間違いなくAqoursが他のシリーズにとって憧れであり、精神的支柱、スクールアイドルの象徴であったからだと思います。

 

 これって、やっぱりAqoursの残した功績だと思うんです。2020年以前の、μ’sが去ってからラブライブ!フェスで戻ってくる前は、まだ今のようにシリーズであるというイメージは薄かったです。

 しかし、本当の意味でラブライブ!がシリーズ作品になったのは、フェスのDAY2からだったと思います。そこまでがむしゃらに走り続けて来たAqoursが、DAY2ではμ’sと入れ替わりでトリを任されたことで、やっと「μ’sAqoursって対等で、憧れこそあれ度上下差なんてない」のだと示すことができ、後輩である虹ヶ咲や、その日発表されたスーパースター!!が「〇〇の次」ではなく、「ラブライブ!シリーズの一員」として見られるような環境になったんだと思います。

 そしてそれが、ミュージカル、蓮ノ空も含む今に繋がっているのではないでしょうか?

 

 

 これは作品の側だけでなく、ファンの中でも見られる認識だと思います。

 後輩シリーズからラブライブ!を知って、ラブライブ!だからサンシャイン!!を履修してみようというファンは今では決して少なくはありません。

 

 これって実はすごい事なんだと思っていて、普通2016年17年放送のアニメなんて相当なきっかけがないと見ようと思わないと思うんです。

 ましてや、なぜか『VOICE BRODY vol.2』が伝説扱いされていて、6年経ってもファンの中で貸し借りが行われていたり、映像技術もカメラワークもコロナ前のまだ進歩していない時期のライブ映像を今更みようなんてこと、普通ないと思うんです。

 

 

 それでも、現状そうしたことが普通に起きていて、そしてそれによって活動が落ち着いた今でもサンシャイン!!がファンを獲得し続けているのは、サンシャイン!!にとって、最初は「μ’sの次」でしかなかった「ラブライブ!」という看板が、今では心の地元になっている証なのだと思います。

 

 サンシャイン!!が「ラブライブ!」の看板を「ラブライブ!シリーズ」にして、そしてシリーズの後輩たちがサンシャイン!!に憧れてまた新しい作品を創り続けて来たからこそ、「ラブライブ!」という看板が今はサンシャイン!!が帰ってくる場所になっている。

 そういうのが、今起きている事なんじゃないかなと思います。

 

 

 

まとめ

 「じもあい」とは、心の地元であり、テーマとしてはAqoursのメンバーと沼津、内浦、浦の星の関係性を通じて描かれました。

 「心の」地元ということで、ずっとその場所に住んでいるかどうかではなく、自分の帰るべき場所だと思えるかどうかが鍵となっており、実際に転校生である梨子にも「じもあい」が描かれています。

 

 

 そして、そのテーマが現実では私たちと作品の関係性や、作品と作品の関係性の中で影響を及ぼし、

 

・趣味としてサンシャイン!!を好きで居続ける人間が作品を支え続け、そうして守った「地元」に、他界していたファンが帰ってきて迎え入れられる。

・サンシャイン!!にとってラブライブ!シリーズが「地元」と呼べる場所となり、現在進行形で地元を支えている後輩たちの中に帰ってくる場所が用意されている。

・サンシャイン!!がファンから「サンシャイン!!として」だけではなく、「ラブライブ!シリーズの中の一員として」も愛されている

 

といったことになっていて、それらを全部ひっくるめたものが、現在この作品において実現している「じもあい」になっているんじゃないかなと思います。

 

 

あとがき

 この手の記事はよくあとがきが本編だと言われます。

 今回のテーマも、ここまで書いてて思ったのが、これ学会向けだなぁ……っていう。

 

new.lovelive-academy.com

 

 

 自分が転勤族なのもあって、場所やコミュニティに対する帰属意識についてあんまりよく分からなかったので、「じもあい」ってなんだろうなって輪郭を掴むまでに結構長い時間がかかりました。

 23年の『幻日のヨハネ』放送がやっぱりすごく大きくて、どう考えても黒鷺のための作品なのもあって、そういう部分の手がかりをたくさん得られました。

 というか、一般的に『サンシャイン!!』から受け取りがちなテーマと一見相反するテーマでも、それでもよかったんだって確信を持てた点がすごく多かったですね。

 

 

 環境や人脈に恵まれてか、自分は今のところ他界したり熱量が冷めたりを経験していません。

 元々シリーズ適性が高かったのもあると思うのですが、結局すべての作品は「ラブライブ!シリーズ」だという点が先行しているので、その中での熱量差(?)があったとしても、それを対して深刻だと思っていないんですよね。

 というか、極論を言うなら、ラブライブ!が好きなのでそれがどのシリーズであるかはそんなに重要じゃないんですよね。(今はこれが見たい、だとか、これが一番好き、というのはあるんですけど)

 

 

 また、サンシャイン!!の結構強火のオタクである自覚はあるんですけど、たぶんそういうオタクの中でも好きになってる部分というか、軸にしている部分がだいぶ違う気がしてるんですよね。

 

 結構「すべてを懸けて何かを成し遂げる」みたいな部分が色んな人の支持を集めているんですけど、自分は全然そんな感じじゃないんですよね。

 ヨハネの答えを見て「めっちゃわかる~!!!」ってなってたように、何かを成し遂げたりとか、憧れを実現するのは、それが叶う「いつか」まで程々にがんばりながら、今自分が楽しいと思っている事や大切にしているものを犠牲にしない、みたいなテーマの方が圧倒的に刺さってるんですよね。

 「なにかをつかむことでなにかをあきらめない」っていう。

 

 もしかしたら、去年までだったら、これを皮肉って書いてたような気がするんですけど、最近はこれってどっちも大事なんだなって思うようになっています。

 

 自分がサンシャイン!!で一番好きなテーマで、サンシャイン!!らしさといわれて真っ先に挙げるのが、「意味とか捉え方って受け取り方次第だよね」って部分で、いわゆる「自分が変われば世界は変わる」っていうテーマなんですけど、結局は「なりたい自分」をどうするのかっている分岐自体も、もしかしたら、そこで分岐があると考えること自体もぜんぶ受け取り方次第なのかなって。

 

 結局は、自分が好きで選んだことやろうよ、後悔しない道選ぼうよっていう点では変わらないんですよね。

 真剣に夢をみていることは、真剣に遊んでない理由にはならないし、逆もそう。

 他界してやりたいことやってた人も、他界せずに自分のペースで遊んでた人も、後から後悔しない選択肢をえらんでいるという点では何も変わりません。だったら、そこに違いがあるって捉え方がナンセンスだったのかも。

 

 

 今回の記事で、19年以前と以降で~みたいな事は書いたんですけど、これはあくまで一般論で、自分としてはぜんぜん変化があったって感じはしないんですよね。

 ……嘘つきました。流石にライブ中止はしんどかった。

 

 とはいえ、5th以降にみんなが他界したりとか、趣味に割くリソースを減らしたりしている中、自分はアニメを何周もしてたし、スクスタもストーリークリアしてたし、沼津フェスも行ったし、曲も聴いてたし。

 『幻日のヨハネ』のアニメはいまのところ3周してるし、最終話は10回は見てて、ヨハネのゲームも2作ともプレイしてる。

 

 普通に趣味として『サンシャイン!!』を好きで居続けてたからこそ、何かと理由を付けてそれらを追ってないのに言葉が強いサンシャイン!!のファンに「なんだこいつら」って正直思ってた部分はあったんですけど、今はそういう人たちがいることって別に悪い事じゃなくて、むしろ帰ってきてくれるのが本当に素敵なことだなって思っています。

 

 自分が『サンシャイン!!』を好きでずっと趣味を楽しんでいるのと、その人たちが『サンシャイン!!』が好きで趣味から離れていくのは、どっちも『サンシャイン!!』が好きって気持ちに変わりはないし、どっちも揃ってやっと「じもあい」って言えるんだなっていう。

 

 

 

 サンシャイン!!が始まってから9年経っても、こうやってまだ発見できるポイントがあるのも、この作品のいいところだなって思います。

 やっぱり、『サンシャイン!!』好きだな……。

 

 

 

 

 9周年記念日は、ある意味ではお祭りです。特別なイベント、非日常で、この日が終わったらまた普通の日常が戻ってくるでしょう。

 

 そうしたら、今日サンシャイン!!の話をしている人も、明日からはサンシャイン!!のことを思い出しすらしない日々に戻るのかもしれません。

 前まではそういう感じのオタクがすごく嫌だったんですけど、今ならこの言葉を掛けられるんじゃないかなって思っています。

 

 

 いつでも帰ってきていいよ、ずっとこの場所を守り続けているよって。

 

 ラブライブ!サンシャイン!!という私たちの地元で。

 

 

 僕らの海でまた会おう、って。

 

 

 

 

 

 

 

 その日まで、「今日も、今日を生きる。」