ライブという戦場でのパフォーマンスには、色々な戦い方がある。
ライブと名乗るだけあって、ラブライブ!はそれが顕著だ。特にこのコンテンツは、曲は必殺技だから、必殺技を発動する溜めになる物語もそのライブを彩る重要な要素になる。
Guilty Kiss 1stLiveは、そうした文脈が一切存在しないライブだった。それまでAqoursの一部として活動してきた彼女たちは、そうした文脈の外にありながらラブライブ!の看板を背負うわけで。
そんな彼女たちは、今まさに次のステップを踏み出す時期でもあった。劇場版、5th。この時期は、Aqoursの一区切り。単純な映像とのシンクロは既に超え、『彼女たちと同じ動きをする』事ではなく、『彼女たちらしくある』事を宣言した。物語の外にありながら、物語の延長にいる。
Guilty kiss 1stLiveは、そんなAqoursの在り方に対する一つの解答だった。
『MY舞☆TONIGHT』
この曲無くして今回のライブを語る事はできないだろう。
民謡がルーツの鈴木さん演じる小原鞠莉がセンターとして、ハーフでありながら和のテイストの暴力として繰り出されたこの曲。完全にギルキスの曲として調理されてはいたが、形としては、既存の楽曲からメンバーを減らして披露されたものではある。
メンバーを減らして……?そう、かつてこの曲は、メンバーを減らす事が出来なかった曲だった。
絶望感がすごい。
あの時は相当な無茶をして、9人フルパワーでなんとか予備予選を突破したけれど、そうでもしなけりゃ勝てないぐらい彼女たちは非力だったわけで。
それが今はたった3人。それでも、この曲は披露された。
あの時は予備予選。今回は全く新しい試みのトップバッター。どちらも期待の量も重圧も半端じゃない。背負うものの重さに優劣なんてつけるだけ無駄。
『MY舞☆TONIGHT』を皮切りに、Aqoursのライブの所謂強い曲達が流れてくる。『Daydream Warrior』『スリリングワンウェイ』と、かつてAqoursのライブの武器だった曲たちが、人数を減らした状態で流れてくる。
たった3人でステージは構成されたいて、それでもしっかり観客を魅了するそれ以上のパワーもあって。
そのパワーは一体どこから来るのだろう?答えはなんとなく分かっていたけれど、確信に変わったのは『勇気はどこに?君の胸に!』を経て、アンコールで披露された『WATER BLUE NEW WORLD』の最後の最後だった。
トロッコからステージに帰ってきた3人は、最後の最後に、かつて9人だった時と同じようにあのフォーメーションに着く。
梨子ちゃんが右にいて、善子ちゃんが左にいて。そして、その2人の間、センターには鞠莉さんが立っていた。
あの人。ラブライブ!の決勝の舞台で、世界すら彼女たちの色へ染め上げ、その輝きを振り撒いたAqours。あの時も本当に凄いグループだったけれど、あの時から約2年。Aqoursは、そしてAqoursのメンバー一人一人は格段にパワーアップしている。
レジェンドと呼ばれた先輩と同じく東京ドームや紅白の舞台に立ち、かつてμ'sがそうだったように、Aqoursを見て自分も輝きたいんだって思った人たちだって何人もいた。私だってそう思ったから、今部長として仲間たちをラブライブへと導いているんだから。
ラブライブ!フェスでは、2日目にトリとして、オレンジ色の会場にAqours shipで殴り込んできた姿は本当にかっこよかったし、「I live I like LoveLive! days!!!」なんて今のラブライブ!の象徴と言っても過言じゃない。
演者の方々もたくさんの人がソロデビューして自分の道を歩き出したし、Aqoursにも後輩ができて、いつのまにかお姉さんになっていたし。
そして、小原鞠莉は、劇場版で1人だけ足りたいなかったピースをようやく手に入れて。
Aqoursの物語が終わってもなお1人だけ自分の問題と向き合う機会が与えられていなかった彼女は、やっと劇場版で母親と向き合い、そして『今の私』を認めさせてみせた。弱かった2年前の自分ではなく、強くなった小原鞠莉として。
あの時、9人で作り上げたステージを、たった3人だけで自分だけの物として再構成してしまう。あの時と同じく、私たちの目の前で、あの時と同じ曲で。変わったのは歌い手の強さだけ。でもそれがこのライブの意義だったと思う。
『WATER BLUE NEW WORLD』 のセンターに立つ鞠莉さんは、あの時みたいに悔しさに涙を流すことしかできなかったあの頃の鞠莉さんではなく、自分や家族と向き合い本当に強くなった鞠莉さんだった。主人公千歌ちゃんの位置にいても全く見劣りしない、歌唱力と表現力で会場の全てをひれ伏せさせる最強のエースだった。
不条理や逆境に対して善子が戦い、彼女たちの道を梨子が導き、そして勝負所は鞠莉に任せるという物語に沿った役割分担はあるかもしれない。9人曲を3人でやってなお、「欠けて」いないという証明として、逢田さんが1番に『1人で向かう鍵盤だけど感じる1人じゃない』と歌ったのかもしれない。
それでも、それが実現できるのは結局彼女たちひとりひとりのステータスが圧倒的だからに他ならない。
物語の中に生きていた彼女たちは、物語の枠を超えてなお物語の中で得た強さのままに、物語の力を借りることなくパフォーマーとしての強さを発揮できるのである。今回のライブがなぜ大成功だったのかも、長々とは書いているが結局こうした物語を踏まえていたとしても、桜内梨子、逢田梨香子、津島善子、小林愛香、小原鞠莉、鈴木愛奈が強かったから以外の理由はない。
ラブライブ!のライブだから、まあ確かに曲の強さだとか文脈だとかそれは大事ではあるが、今回のライブはそれらは彼女たちの武器にはなり得なかった。確かに『WATER BLUE NEW WORLD』は私も大好きな曲で、フェスで披露された時なんか崩れ落ちたけど、今回はそれを支える物語も舞台も無かったから。あったとしても、彼女たちがかつてそれを披露したのだという事だけで、結局はそれも彼女たちの強さに帰結する。
Guilty Kissのライブは、物語から解放されたAqoursが、Aqoursで無くなることなくAqoursのままで、物語の中で得た強さを失うことなく己の力だけで人々を魅了し続けるという、私たちへの解答だった。
私はこれはこれからのラブライブ!の向かう方向性を示していると思う。今回ギルキスが見せてくれた「強さ」そのものを魅せるパフォーマンスを、私たちはすでに知っている。
それは、それぞれの「自分らしさ」を自分に合った表現で演じていく人たちの中で、たった1人、自分らしい武器を持たないあの子のパフォーマンスで。
自分らしさを見て欲しいと歌う人たちの中、たった1人成長した自分を見て欲しいと言ってステージに立ったあの子のあのパフォーマンス。
今は小さな小さな蕾だけど
あなたがくれた愛を育んで
力一杯空に伸びて行くんだ
いつの日にかきっと咲かせましょう大輪の花
『開花宣言』
DAY1とDAY2って、殆ど変化のない環境の中。1日目泣きそうで頼りなかった歩夢ちゃんが、2日目に大輪の花になっていたのが本当に忘れられない。
この曲も、パフォーマー自身のステータスだけを強みに戦う曲で。他の子が少なくとも素人でも特徴を掻い摘んで話せるぐらいには自分らしさを押し出してくる中、虹ヶ咲の代表であるこの子がこの曲を歌うという事。
そもそも、虹ヶ咲自体がキャラクターの成長を1番近くでサポートするコンテンツなので、この曲が象徴的なだけであって、パフォーマー自身のステータスも武器になっている(むしろステータスが向上してくれないと物語としての機能を果たせない)。
だから、今回のライブの在り方は単にAqoursの答えというだけでもなく、これからのラブライブ!の見せ方なのかなと思っている。舞台の上で物語を演じるのではなく、物語を内面化した上で、映像ではできない、それでも彼女たちらしいパフォーマンスをする。
今回は、そんな新しいラブライブ!らしさを見て取れた、そんなライブでした。