#てつがくのドンカラス

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『哀温ノ詩』 あの日願った奇跡たちが今繋がっていく

 癒し系スクールアイドル、エマ・ヴェルデ。私自身の彼女の印象は、「夢を語らない子」だったのを記憶している。

 

 

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 一人心細い夜に偶然見つけた言葉もわからぬ日本のスクールアイドルに憧れ、そしてその憧れのまま日本にやってきて、こうして同好会に所属して活動している彼女は、スタートラインの時点で既に夢を叶えてしまっているから。

 

 

 「こんなスクールアイドルになりたい」「スクールアイドルを通じてこうしたい」といった像を持つ同好会の他のメンバーとの交流の中始まった目標探しの中、彼女のスクールアイドル像として浮かび上がったのは、「安心」だった。

 

でも、それも目指すべき目標というよりは彼女自身が会得している能力から導き出されたもので。

紡がれるのは未熟なチャレンジャーの成長物語ではなく、ある程度完全されたメシア、いや聖母による導きの物語。

 

 

 

 だからこそ注目していた子だった。他の子と違って、理想を追いかけていくという軸で描かれることがないからこそ、全く違うアプローチで描かれていくはずの物語。

 

 一体何処を目指して紡がれていくのだろう?何を描かんとしてこのエマ・ヴェルデというキャラクターの物語があるのだろう?

 

 上原歩夢ちゃん推しの私が1番期待して追いかけてきたその物語は、期待を遥かに越え、そしてラブライブ!というコンテンツの中で10年目に描かれるのにふさわしいものだった。

 

 

 今回は、そんな彼女の物語と、2ndライブで初披露となる『哀温ノ詩』を、エマ・ヴェルデの物語としてではなく、10年目のプロジェクトラブライブ!として読み解いていく。

 


 

自分の歌が誰かの拠り所になれるように、誰かと誰かを結び合わせるように。

「優しい気持ちを伝えあい、繋がっていく世界」の楔となる。

 

 幼稚園のボランティアと、転入生で馴染めない男の子との出逢いを通して、彼女が『声繋ごうよ』に辿り着いた1stライブ。

 

 そしてその後、偶然か運命か、彼女のルーツとなる存在と出逢うこととなる。

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スクールアイドル夏川マイ。

 かつてエマが憧れた「黒髪和服のスクールアイドル」の後輩で、そして、引退とと共に一切の消息を絶っていたそのスクールアイドルが、『哀温ノ詩』を託した人物だった。

 

 

 彼女との出逢いから、エマ・ウェルデの物語は一気に加速し始める。

 

 マナが家を継ぐためにスクールアイドルを引退する事。

 次のライブが、先輩から引き継いだ『哀温ノ詩』が披露される最後の舞台である事。

 

 それらの事実を聞いたエマの反応は、かつてのマイと同じく、この曲がもう披露されなくなることを惜しむものだった。

 

 そして、マイの最後の舞台は、かつて彼女の先輩がそうしたように自分と同じぐらいこの曲を愛する人に曲を継承することで幕を下ろす。

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 こうして、部長がエマのために曲を作るのではなく、既存の曲を引き継ぐ形で、エマ・ヴェルデは『哀温ノ詩』に到達した。

 

 


 

 さて、こうしてかつてスクールアイドルに憧れた者たちがその夢の果てに同じ曲を引き継ぐこと、曲によって導かれた者がいつか曲によって導く側に立つこと。

 

 今は遠い昔、そしてつい最近も。私たちは、音楽やスクールアイドルによって生まれた繋がりが、そこに込められた想いや夢を消えないものとして受け継がれていくパイプになっていくように、そう願った人々を知っているはずだ。

 

 ある人たちは、その願いを一つの言葉と一つの曲に託した。

 

限られた時間という制約の中で、その一瞬を精一杯輝こうとする事の素晴らしさ、そしてそうして見えた景色が、自分たちが舞台を去った後ももっともっと広がっていくように。

 

 

 ある人たちは、自らの名に託した。

 

 去っていった者たちとの出会いが、喪失にならないように。

 辿り着いた輝きが、その名と共に文字通り波紋となって広がって行って、絶対に消えないように。

 

 その歌を歌うもの、その名を背負うものが舞台を去ったとしても、また別の誰かがその歌や名前と共に、想いや輝きを引き継いでいく。

 

 ある時代には、そんな願いに『μ'sic forever』という名前がついていたこともあった。

 

 

 

 エマ・ヴェルデの物語を知る私たちでも、彼女が憧れた「託すもの」の物語を直接見たわけではない。

 マイの物語ですら、エマを通してその区切りを断片的に知っただけ。

 

 でも、主役の名前すら知らない物語だとしても、その想いは今託された者が歌う歌を通して私たちに届いてくる。

 受け継がれ歌い継がれることで、それはきっと永遠になる。

 

 

 先代2グループは、自らの経験や想いを永遠に残そうとした。

 

 でも、私たちが知っているのは残そうとした目線の物語だけ。

 

 神話となった初代の妹たち、最強となった2代目の物語に遅れてやってきた者たち。

 残ったものを引き継いだ者たちの物語が本当に輝いているものなのか、それは希望に満ちていても確信を持っていても、実際に輝きを手にしたかどうかは描かれることはなかった。

 

 

 

 でも、10年目にして、スクールアイドルの輝きを引き継いだ者の物語がやっと描かれた。

 スクールアイドルの輝きが永遠であることを証明するかのように。未来へと託した想いは世界のどこかで生き続けることを示すかのように。

 

 


 

 

 

 

 それだけではない。

 

 「日本のスクールアイドルに憧れ」、日本にやってきたエマ。その憧れの原点であるこ「哀温」は、日本の伝統的な音楽理論の原点である”らしい”。(筆者にとってここは専門外なので先駆者に丸投げする)

「哀温」の語は、和の音楽の源流を想起させるべく引用された言葉である。

「哀温」とは何か?──見えてきた“日本音楽の源流”

 https://goma-es.hatenablog.com/entry/2020/09/06/142736

 

…と、完全に投げるのも負けた気がして嫌なので、2番に対する補足をひとつ。

 

空蝉に出逢えた奇跡

 

慈しみ抱いて繋ぐから 

 

 「空蝉」は「うつしみ(現身)」から転じて現世、この世界という意味を持つが、海外でも知られる日本の超有名な作品の中にも同名の巻がある。

 

 源氏物語帚木三帖の「空蝉」。夫を持つ身であり、源氏からの愛を拒まねばならなかった彼女は、薄衣一枚を脱ぎ捨てて逃げさってしまう。

 抜け殻のように残された薄衣にことよせて詠まれた詩たちから、この巻は空蝉と名付けられたわけだが、その文脈を仮に踏まえるとしよう。

 

 ここで歌われる「空蝉に出逢えた奇跡」は、別れを前提とした無常観の存在する世界のなかで出逢えた奇跡だと捉えることはできないだろうか。

 

 そもそも現身=空蝉という言葉のルーツが、蝉の数週間の命になぞらえ、儚い一瞬の時の象徴とされたり、またその一瞬が美しいからこそ、抜け殻が縁起物とされたり。

 

 私たちの生きるこの世界を表す言葉として、そうした所謂「無常観」「もののあはれ」に繋がるような、いかにも日本人らしい言葉をチョイスするあたりも、そうした価値観がこの曲全体に流れていることの証明になると思う。

 

 

少なくとも、共通認識として「日本らしさ」を押し出した曲であることは間違いないだろう。

 

 


 

 

 とすると。

 

 スクールアイドルは、自分の夢のために歌うと同時に、誰かの想いを背負う存在でもある。

 例えば、先代2グループは廃校阻止のため学校、特にAqoursは学校から発展して自分たちの愛する地元の魅力を伝えるという目的を持ってステージに立っていた。

 

 

 

 でも、ラブライブ!は力学で、心の動きがかたちになる作品だから。

 

 彼女たちの出した結果は、ある意味彼女たちの「学校のために」という想いとは直結しなかった。

 穂乃果たちが廃校から学校を救えたのも、千歌たちが救えなかったのも、メタ的には「廃校阻止」という目的を消し去ることで彼女たちの在り方を問うためのものだったから。

 

 スクールアイドル活動を通して、彼女たちの事だけでなく、彼女たちの暮らした場所そのものの魅力が伝わっていたか、私たちにははっきりとは分からなかった。(『夢で夜空を照らしたい』なんて0票だった)

 

 

 

 でも、これも今証明された。

 

 『哀温ノ詩』には自らの想いだけでなく、そこには先ほど論じたような日本人独特の価値観も乗せられているわけだが、エマ・ヴェルデがこれに憧れ、そして継承するという事は、スクールアイドルの輝きが永遠に伝わっていく事の証であると共に、そこに背負った誰かの想いや、自分を育てた愛しい景色たちの魅力が、スクールアイドルの力で外部に伝わっていく事の証でもある。

 

 奇しくも、海外で披露された「過ぎ去っていく瞬間」の美しさを歌う曲たちのセンターで(しかも片方は和装!)金髪が踊っていた時のように、100%の外国人である彼女が和装で日本のこころを歌う事でその願いや想いが証明されていくこと。

 

 私はそこに、個人の物語を越えて、ひとつのコンテンツの中で起きたこの計算されたように展開される出逢いと想いの繋がりたちに、運命的な何かを感じてならない。

 10年。ここまで繋がってきた物語だからこそ、節目である今だからこそ描けたものだと思う。

 


 

 

 そして、3年生であるエマ・ヴェルデ。

 

 この詩を繋いできた者たちと同じように、いつか彼女が舞台を去る日が来るだろう。

 

 その時、彼女もきっとこの曲を誰かに託すことになるのだろう。

 

もしあなたの心この詩で

救えているのならば

 

同じように誰かの痛みも

いつか導いてほしい 

 

その相手が誰かとか、どんな人かとかはわからないけれど、きっとその人も、エマと同じぐらいこの曲が好きで、スクールアイドルが好きで、そして

 

誰より傍で 

 

 誰かに安心を届けたり、誰かを包み込んだり、もしかしたら誰より傍で応援しているような、そんな人なのだろう。

 

 

 きっと今までも、そしてこれからも、彼女の出逢った『哀温ノ詩』はたくさんの人たちに愛され、そして何時までも愛されていくEvergreenの歌へと進化していく。

 

 

 

 いつか、もしかしたら虹ヶ咲が伝説になってしまったような遠い未来、はたまた虹ヶ咲の物語のその節目。

 近いかもしれないし、遠いかもしれないそんな未来のラブライブ!で、この曲を誰かが受け継ぐときも、きっと同じように、いや、今以上にこの曲は輝き続けているのだろう。

 

 

 この曲は奇跡、ラブライブ!10年目の奇跡なのだと私は確信しているし、その奇跡はただの奇跡では終わらないはずだ。

 

 なぜなら、

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 想いを託す人だけではなく、受け取る人の笑顔も最高に輝いているから。