スマホの予測変換、なぜかSONNY DAY SONGになるのどうにかしろ。
「スクールアイドルみんなの曲」として描かれたこの曲。あれから時は経ち、ラブライブ!も第2世代、第3世代が生まれている。
さて、この後続のグループにもSUNNY DAY SONGを歌ってほしいという話が、巷で盛り上がりつつあるのは、ご存知だろう。
賛否両論(この言葉は筆者は大嫌い)どちらも見た。筆者自身も、最近まであまりこの話にノリ気ではなかった。
今回はその話題について触れていこうと思うが、その前に、じゃあSUNNY DAY SONGってどんな曲よ?ってところから。
スクールアイドルみんなの歌
では、実際にこの曲がどういった曲なのかから振り返っていこう。
まず大事なポイントとさて、
- ラブライブ!THE School idol Movieのクライマックスで使われた劇中歌である。
- スクールアイドルみんなの曲である。
- μ's以外のスクールアイドルも参加している。
言うまでも無いだろう。だが、もう一度確認して欲しい。これは、ラブライブ!THE School idol Movieのクライマックスで使われた劇中歌。つまり、劇場版で語られた内容、及びアニメ初代ラブライブ!の集大成である。SUNNY DAY SONGこそがアニメ、劇場版における最終着地点、物語の本質(私はあまりこの言葉が好きではないが……)と言える。
さて、ここで劇場版の内容を思い出して欲しい。
時間は止められないから、こうしてみんなで一緒にいられる時間ももうすぐ終わってしまう。夢はいつ覚めてしまうから。みんなからはずっと自分たちが歌い続ける事を求められている。今まで私たちは、何のために歌い続けていたのか……。
限られた時間の中で、精一杯輝こうとする。それがスクールアイドル。見つかったよ、答え。
繰り返すが、SUNNY DAY SONGはスクールアイドルみんなの歌だ。だが、作中で、穂乃果はこうして、「スクールアイドル=限られた時間の中で精いっぱい輝く存在」だと結論付け、そう定義している。
では、この定義の下で、本当にSUNNY DAY SONGにAqours、Saint Snow、虹ヶ咲はμ'sのいうスクールアイドルたり得るのか。確認してみよう。
まず、AqoursとSaint Snow。彼女たちも、卒業という節目と向き合い、そして自分たちの今後について向き合っていくことになった。彼女たちの答えは、『大会が終わったらμ'sはお終いにします』というμ'sとは対照的だった。
終わりにしなければいいんじゃないかな?
三代目Aqoursのリーダーに言わせれば、「時間」という概念そのものがアウトオブ眼中だ。時間が経って人が去ったとしても、その人と一緒に得たものが消えるわけじゃない。「にこちゃんたちのいないμ'sは嫌なの」と叫んだ先代とは対照的に、3年生が卒業というイベントは、Aqoursにとって喪失でも何でもない。たとえメンバーが全て入れ替わろうとも、彼女たちの意思は消えることもないし、それは確かにAqoursなのである。
「限られた時間の中でせいいっぱい輝こうとする」という言葉には、「限られた時間」というネガティブな言葉に対する抗いの意思が見て取れる。だが、Aqoursは限られた時間などに縛られはしないし、むしろ時の流れすら己の武器に変えその蒼のうねりで全てを飲み込むような、そんな物語を紡いできた。
虹ヶ咲に関しては、本当にその定義に当てはまるのかは怪しい。でも、あの子たちはμ'sとAqoursの輝きを引き継ぐ存在であることを考えたら、当てはまらなくはないとは思う。
とはいえ、穂乃果の言うスクールアイドルの定義には、AqoursとSaint Snowは当てはまらないように見える。
それでも、結局A-RISEも含めて、SUNNY DAY SONGはμ'sとμ'sに共感した名もなきスクールアイドル達によるμ'sの曲だったし、まあ確かにAqours、Saint Snow、虹ヶ咲をそうした枠を埋めるものとしてみるなら間違いはないけれど、それはそれとしてどうかなぁとは思う。
だが。
ラブライブ!は凄いので、その程度で話が終われるほど話は単純ではない。
ラブライブ!における楽曲は必殺技だ。そして、その必殺技である楽曲は……敢えて洒落た言い方をするなら、「歌うたびに生まれ変わる」という特徴を持つ。
例えば。
誰もいなかった講堂で披露された、敗北からの『START:DASH‼』は、行動を埋め尽くす観客を前にした始まりの楽曲へと生まれ変わった。
あの日穂乃果から始まった『ススメ→トゥモロウ』は、穂乃果によって導かれた人たちから穂乃果へのエールとなった。
強敵を前に一度は迷いながらも、自信をもって開いた『ユメノトビラ』は、新しい輝きへと導かれるきっかけになった。
「好き」という複雑な思いの呼び名『Snow halation』は、大好きな想いによって導かれた場で輝きを放つ、文字通り必殺技になった。
『僕らは今のなかで』輝きをまっていたあの歌も、見たことない夢の軌道を追いかけていたあの歌も、そのまま僕らの輝きを証明するものとなった。
たった一人の音楽室で歌っていた『愛してるばんざーい!』は、全校生徒の想いの象徴になった。
あの日歌えなかった『未熟DREAMER』たちは、すれ違いを乗り越えてもう一度みんなと成長することができた。
Aqoursのキセキの中いつだってそばにあったあの音は、今は彼女たち自身から発せられる曲となり、そしてそこで輝くものはもはやAqoursだけではない。
そして彼女たちは、何度も何度も私たちに『君のこころは輝いてるかい?』って呼びかけてきた。
これは何も創作の中だけの話ではない。『想いよひとつになれ』なんてその代表格だろうし、以前にも私は、「スクコレの『MIRAI TICKET』は、リリース当時よりAqoursのカード強くなったから全く違う意味合いを持つようになった」と書いている。*1
最近だと、一日目で泣きそうになりながら歌った『開花宣言』が、二日目では格段に進化していて、文字通り『開花』していたのを見せつけられたばかりだ。*2
そうやって、ラブライブ!の中で然るべき場所と人によって披露される曲たちは全く新しい表情を見せてくれた。だったら、例えアニメ初代ラブライブ!の集大成であったとしても、それはラブライブ!フェスという舞台に上がれば全く新しい曲として生まれ変わり、これがラブライブ!の本気だとばかりに私たちへと訴えかけてくる。私はそう確信している。
冷静に考えてくれ。いや、まあユメノトビラもそうだけど、後から出てきた人たちによって先代の物語が進化していくのヤバくないか????
思い出してくれ。まだμ'sしかいなかった頃や、彼女たちがコンテンツの代表だった時。あの頃好きだったあの曲やストーリーが、夢の舞台で披露されることで「μ's懐かしいなぁ」じゃなくて「これがラブライブ!のμ'sだ」って進化するんだよ?
それは何もμ'sに限った話じゃなくて、Aqoursの曲も虹ヶ咲の曲もあの場所で普段とは違った表情を見せてくれる。
全部の曲を知ってるのに全部の曲が実質初見なんだよ。ヤバいでしょ。死人が出るよ?
本当に、とんでもない夢の舞台が待ってるんだなぁって、今からゾクゾクしてくる。想像しただけでドキドキしてくるし、なんとなく私たちのよく知ってるあの子たちもきっと今こんな気持ちなんだろうなって気もする。
まあ、結局何が言いたいかって。
みんな夢の舞台という歴史の中に名前を刻む覚悟はできてるか???
俺はできてる。みんなと一緒にトキメキと輝きを見つけに!
いくぜ!
I live,I live Love Live ! days!!!!!!!!
アリーナで会おうぜ!!!!*3
*1:
darkphoenix505pianoles.hatenablog.com
*2:
darkphoenix505pianoles.hatenablog.com
*3:筆者は二日目は新ピカでLVです。